2017年5月24日 (水)

『湿原の植物誌:北海道のフィールドから』を読む

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 大学院の時の指導教官、つまりは私のお師匠さんである、北大植物園長の冨士田裕子教授が、ご自身の湿原研究の足跡をまとめた『湿原の植物誌:北海道のフィールドから』を、東京大学出版会から刊行された。
 
 http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-060250-1.html 東京大学出版会の『湿原の植物誌』サイト
 
 さらりと目を通したところ、自分が大学院生のときに調査に加わったものも少なくない事から、非常に懐かしい想いと共に、あらためて「あの時の研究はこういう意味を持つものだったんだな」と、いまさらながらに感じる部分も多かった。それだけ私は不勉強な大学院生であった。
 
 先生は失われつつある北海道の湿原の現状を大変気にされていて、その目録をつくると共に、植生回復試験に携わったり、退行する湿原植生の現状記載と要因解明などに尽力されている。特にハンノキ林の植生やハンノキそのものの生態に強い関心を持ち、調査に取り組まれている。その成果が本書の随所に示されている。
 
 北大植物園という環境もあり、ハンノキの栽培実験などを、いまは新収蔵庫棟の建っている宮部金吾記念館裏の空き地でやっていて、灌水などを当番で手伝ったりした。青いハンノキハムシがよく発生して、みつけては除去していた(いま考えたら標本にしておけば良かった)記憶がある。
 
 また、この本、第3章の「湿原の植物」で採りあげられている植物が、いかにもマニアックである。ミズバショウやハンノキは良いとしても、ムセンスゲとチョウジソウについては、大半の読者は「なにそれ?」と思うのではないだろうか?地味な種ではあるが、しかしこの二種は植物地理学的に非常に興味深い湿原植物なのである。その面白さは本書を読めばわかると思う。
 
 植物の面白さは、見た目の華やかさや知名度とは無関係に存在する。なお、このうちムセンスゲについては、後に私の妻となる現釧路市立博物館の加藤ゆき恵が大学院生から助教となる間に研究していた。
 
 それにしてもミズバショウである。本書の中で先生ご自身が触れられているように、この調査は毎月2回、3ヶ所のフィールドで実施されていた。胴長をはいて泥水に這いつくばりながらの調査もしんどかったが、それぞれに自分のフィールドを持つ学生調査要員の日程調整が毎回なかなか大変であった。その調査も20年目を目前にして18年で終焉してしまった。やむを得ない事とは言え、もうあと少し続ける事ができたら良かったのになあと、調査中止の報を耳にしたとき、端で見ている者としても残念に思った記憶がある。
 
 私達の研究室は、当時、植物分類地理学が専門の高橋英樹先生と、植物生態学が専門の冨士田裕子先生のお二人を指導教員としていた。後に組織改変で北大植物園博物館の加藤克先生(日本史学・博物館史)と、新採用の東隆行先生(植物分類学)が加わった。非常に特殊な研究室で、当時は「北方資源生態学講座植物体系学分野」と呼ばれていた。
 
 このうち、冨士田先生の植物生態学はいわゆる「種生態学」よりも、植生調査を基本中の基本ツールとして用いる「植生学」が中心であった。「シノゴ」と呼ばれる、方形枠に出現する植物を優先度と群度というふたつの数字(指標値)で記録するという調査手法である。いまはどうかわからないが、当時、冨士田先生の下についていた学生は全員この技術を身に付けた。この調査結果をその後どう分析に使っていくかで、研究の方向性が無限に広がっていくのである。
 
 従って、これを研究ツールのメインに据えている以上、調査地の植物の同定ができなくては始まらない。そのため、生態学をやると言っても、基本は地域フロラを頭に叩き込む事が重要で、そのため植物採集と標本づくりは必須であった。その点、植物園(のちに総合博物館も)の標本庫は学ぶ場として非常に大きなウェイトを占め、分類学者と共に学ぶ環境は最適であった。
 
  いまは知床博物館で活躍中の内田暁友学芸員や札幌市博物館活動センターの山崎真実学芸員はこの頃の教室の先輩で、お二人は高橋先生の分類学専攻だったが、手稲山にコケを採りに連れて行ってもらったり、水草を採集して回ったりした。
 
 この、標本製作と同定から始まる、分類学と生態学の同居というスタイルは、のちにここを巣立って学芸員となった私を含む門下生にとっては、自身の仕事の仕方というかセンスを磨く上で非常に大きな糧になっていると思う。
 
 ちなみに、東大出版会のNatural History Seriesには、これまでにもそうそうたるメンバーによる名著の数々が並ぶ。 自然史博物館学芸員必読の名著である糸魚川淳二先生の『日本の自然史博物館』や、北海道の森林生態学のモノグラフである渡邊定元先生の『樹木社会学』は、学部を卒業して玉川大学の通信課程に学んでいた頃に読んだもの。冨士田先生の師匠である、菊池多賀夫先生の『地形植生誌』は、大学院生の時に私も熟読したし、高槻成紀先生の『シカの生態誌』や岩槻邦男先生の『日本の植物園』など、御著書で引用されている文献もひたすら追っては学ばせて頂いた。
 
 非常に慣れ親しみお世話になっているシリーズに、自分の指導教官も名を連ねている事にあらためて敬意を抱くと共に、門下生である自分が全く足下にも及ばぬ中途半端な仕事しかしていない事に、ひたすら恐縮を感じるものである。
 
 

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2017年3月17日 (金)

『ルポ トランプ王国』を読む

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 12日の毎日新聞の書評欄で伊東光晴さんが評されていた、岩波新書の『ルポ トランプ王国:もう一つのアメリカへ行く』。書評掲載前に既に読み始めていて、まもなく読了というところだった。評者の伊東氏が「異常な政治行動のトランプを大統領におしあげたアメリカ社会の変化を見事にえぐった、すばらし新書」と書かれているとおり、とても良いルポで多くの方に薦めたい。
 
 ポピュリズムは従来のさまざまな政治・行政形態への不満が爆発した結果に起きる。アメリカでは従来形の政治に関わってきた人々を「エスタブリッシュメント」と呼び、クリントン元大統領候補を筆頭に、今回の選挙では批判の的となった。批判されるからには理由があり、その理由に至る背景があるはずだ。今回、著者の金成氏は、その批判の渦が濃いアメリカの「田舎」を歩き回り、多くの「普通の人々」へのインタビューを繰り返している。その成果が見事にまとまり、トランプ大統領誕生の背景にある、今のアメリカの現実を浮かび上がらせている。
 
 私たち外国人にとって、アメリカで真っ先にイメージするものは、ワシントンであったりニューヨークであったりロサンゼルスであったり、確かに都心のイメージが大きい。だが、本書に登場する人々は口々に、「私たちの地域こそ真のアメリカだ」と言う。これは、関東関西を中心に回っている日本社会における、北海道の片隅に生きる私達と同じ声だと言える。まさにアメリカでは、こうした「置き去りにされた」人々の声がうねりとなって、今回のトランプ大統領誕生へと結びついている。
 
 もちろん、著者もトランプ大統領の言動や政策(政策があるのか?)を正常だとは考えていない。なぜ、こうした大統領が誕生したのか、そこへ至る過程と、今のアメリカの現状から見えてくる日本など世界各地の今後へ向けた警鐘を発していると言える。
 
 それと、大統領選挙におけるトランプ大統領の姿勢、姿に対して、著者が現場で感じた率直な評価をしている点に好感が持てる。それは良い評価もあるし悪い評価もある。記者が現場で感じた生の思いが綴られていて、本当の意味での「ルポ」だなと思った。こういうルポは臨場感もあり、読んでいて心地よい。金成氏は私より若い1976年生まれの朝日新聞記者だが、さすがプロの新聞記者の技術と情熱だなあと実感した。
 
 
 惜しいのは、トランプ大統領を支持するアメリカの人々が思い描く「かつての重工業や炭鉱が反映したアメリカ」がもう戻ってくることは無い、と指摘しつつも、ではそこに暮らす彼らやその社会は、今後どのような方向へ進むべきか?の道筋が描かれていない点だ。無論、本書の主題はそこには無いので、それを求めるのは無理なのだろうが、疲弊するアメリカの地方社会を見ていると、どうしても北海道など日本の地方の疲弊ぶりが重なってみえ、「では、どうしたら良いのだ」という思いに駆られてしまう。それを考えていくのは、今、その疲弊した地方社会に生きている私たち自信の責任だとわかってはいるのだが。
 
 ちなみに、著者の金成氏、苗字のヨミは「かなり」と読むのだそうだ。なんとなく「きんなり」とか「かねなり」と読むのだと思っていた。漢字を逆さにすると成金で、なんだかトランプ大統領のイメージに通じるものがあるなと、本当に失礼な事を考えてしまった。申し訳ありません。
 
 トランプ大統領や、アメリカの今に関心のある方はぜひご一読を。
 
 岩波新書のページ
 

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