十勝

2017年6月 8日 (木)

第10回オビヒロ藤丸古書の街

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 6月1日から6日まで、道東唯一の百貨店である帯広市の「藤丸」にて、「オビヒロ藤丸古書の街」が開催された。第10回目となる合同古書市である。
 
 10回目という節目という事もあり、私は出席できなかったが、これまで主催で準備を進めてこられた札幌市のサッポロ堂書店の石原誠店主が講演会を開催した。石原氏だけでなく、地元音更の春陽堂書店を主催する山内店主はじめ、道内各地から年に一度こうして十勝へ集まる機会を続けてきた関係者の方々の努力には敬意を表したい。
 
 
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 と言うのも、十勝には常設店舗の古書店が無い(ブックオフなどの新古書店はある)。したがって、古典文献や隠れた地域資料の渉猟のため、この年に1回の合同古書市を心待ちにしている文化人が、十勝には多数存在する。やはり古書市や古書店というのは、地域の文化度を左右するなあと実感する。
 
 同じ道東でも釧路市と根室市には店舗古書店が存在する。釧路市の豊文堂書店へ顔を出す度に、やはり町の文化度というか格調のようなものを感じてしまう(もちろん古書店だけで町の文化度を測ってはいけないが)。なんとか十勝にも常設の古書店舗が復活し、雑多が人々が集っては議論をしていくような文化の香りを伝えていきたいものだが、時代がそれを許さないのだろうか。
 
 

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2016年12月 1日 (木)

シンポジウム「十勝海岸の自然を考える」

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 12月3日(土)の午後から、帯広駅南口のとかちプラザ視聴覚室にて、シンポジウム「十勝海岸の自然を考える:湿地・湖沼・海岸線の現状と将来」を開催する。十勝自然保護協会の主催。
 十勝海岸は、浦幌町から広尾町にかけての沿岸域一帯のことで、道立自然公園など全体を覆う保護がかけられていないが、かなりの割合に良好な自然海岸の残る区域である。だが、近年、砂浜へのバギー車の乗り入れをはじめ、さまざまな要因で海岸線の自然度が低下・荒廃していく危険性が感じられる。
 加えて、さまざまな開発の波にもさらされている。どうも地元では、自然の海岸=とくだん意味のないもの」というような意識が強い気がする。この海岸線の自然を守り伝えていくことに、どのような意義があるのか?そうした意識を広め、十勝海岸の将来を地元自身がもういちど考えていこう、そのために現状の十勝海岸がどうなっているのかをあらためて見つめることから考えよう、そうした目的で開催するシンポジウムである。
 
 とは言いつつ、今回私はただの司会で、具体的な中身は各界で活躍される専門家の方に委ねられる。植生、湖沼のなりたち、野鳥などの視点から現状を報告してもらい、第二部では現状と将来への課題について総合討論を行う。
 
 なにぶん私も時期的に時間的な制約が多すぎ、準備不足の状態で臨むことになるので、どのような展開になるのか予想がつかない。だが、このシンポジウムは1回で終わらすのではなく、これを出発点として、以後毎年つなげていきたいと考えている。すなわち、十勝海岸の将来を考える場を持つ出発点が今回のシンポジウムという訳だ。第2回、第3回と回を重ねて、十勝の地元の人達自身が、海岸の自然の重要性を意識できる場として育っていけたら。そうした思いがある。
 
 ぜひ多くの方にご参加いただき、御意見を賜れれば幸いである。
 
 

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2015年9月19日 (土)

アイヌ文化と浦幌式土器を学ぶ一日

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 NPO法人トカプチアイヌ協会と帯広市教育委員会文化課の主催で「アイヌの知恵に学ぶ(植物編)」を開催。上士幌町の東泉園へ行って、薬草として用いられる植物の観察をする、予定だったが、折からの雨が強く、大半は座学になった。せっかく参加された方々には申し訳なく、また私も残念。『新北海道の花』を2人に1冊ずつあたるように用意したのだが、けっきょく座学で数頁みただけで、大して使わずに終わった…。
 
 写真は東泉園内に設置されたヌサ場について説明を聞く参加者。まあ、この場所を知ってもらう事に今回は意義があった、という事にしておこうか。
 
 
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 午後は帯広百年記念館の博物館講座で、山原学芸員(同館副館長)による石刃鏃文化に関する講演を聞く。実は浦幌町立博物館に収蔵されている考古資料には、この石刃鏃文化が北海道に存在する事を初めて証明した重要な資料が収蔵・展示されている。のだが、私自身はその事の意義や内容をよく理解していない。
 今回の講演でも、石刃鏃とは何か?浦幌式土器など、当町の資料に関連して知っておくべき事柄が続出したので、とても勉強になりました。
 
 浦幌の博物館は、考古資料と化石が多い。博物館資料の分野で私が苦手なのも考古資料と化石なので、考えてみると得意分野と全く反対な資料が多い博物館へ来てしまったのだが、(植物や鉄道でいまさら聞けない質問があるのに対して。ま、最終的にはそれも聞くんだけど)基本的な考古学の素養が無い分、素朴に疑問に思う事を単純に聞けるのはかえって有難いかもしれない。
 
 

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2015年9月10日 (木)

中士幌郵便局の局舎

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 月曜日、上士幌町へ所用の帰りに通りがかった中士幌郵便局。実は数年前に帯広百年記念館の公募写真展に、この局舎の写真を出した。
 

 昭和40年代には一般的だった広三角形屋根に、局名書体は郵政フォント。防犯・採光を兼ねた大窓。前には郵便収集箱1号丸型という、昭和中・後期の標準的な特定郵便局の姿だったが、このたび後ろに新局舎が建てられ、間もなく務めを終える。来月には現局舎を取り壊し、新局舎の駐車場スペースにすると言う。

 

 記録として残るし、写真だけでも展示しといて良かったと思う。やはり日頃から周囲の建物に目を配っておく事は大事だ。

 

 

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2014年11月27日 (木)

フードバレーは所得格差を意識しろ

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 寒くなってきたので、ホウレンソウもお浸しにするより味噌汁にする頻度が高くなってきた。かねてから、最初にホウレンソウを食べた人は、よくこんなただの葉にしか見えないアカザ科を食べようと思ったなあと感心している。ビートもアカザ科だが、同じように葉は食えるのだろうか?
 
 さて、一例として今朝の味噌汁を細かく見てみると、ホウレンソウは幕別産、長ネギは芽室産で、油揚げも町村名不明だが十勝産である。味噌(カネサ)と出汁(ほんだし:味の素)は大手メーカー(カネサ)のものなので原料供給地は不明。具材は生協(コープさっぽろ)と、ひまわり温泉で直売されている近隣農家産のものである。あと水はもちろん十勝産である。
 
 こう考えると、味噌汁というものは余り気を遣わなくてもほぼ十勝産の食材で完成させる事ができる、フードバレーの原点のような料理なんだな。米のとれない十勝では、もっと味噌汁に着目する必要があるのかもしれない。博物館でも味噌汁をキーワードにした展示や事業ができるかもしれない(ちなみに今おにぎりをテーマにした展示が本州で開催されている)。
 
 ところで、今回は使っていないが、味噌も十勝産大豆の味噌が販売されている。出汁は厳しいなと一瞬思ったが、これも広尾産昆布を使えば良いのかも知れない。だが私はやらない。なぜなら価格が高いからである。
 
 フードバレーを始め、国産農産品普及や地産地消の運動は正しいと思うし推進したいと思うが、一方で必ず出てくる障壁が価格の問題である。農業にはコストがかかるし、それを価格に転嫁するのは私は正しいと思う。昨今の牛乳不足の問題も、乳価の決定が大手スーパーに事実上握られている事が原因で、もっと生産者や乳業メーカーの意向が反映されるべきだと思う。
 
 だが、である。実は私自身がここでいつも迷うのだが、国民の半数が非正規雇用などと言われる時代にあって、果たしてこういう説明が世の中に通用するかと言うと、恐らくしないだろう。
 
 TPPなどでさまざまな輸入品が入ってくる事で価格差が出た場合、「選択の幅が広がるのだから良い」などと主張しているのは明らかに富裕層の発言であり、非正規雇用など低所得者には「選択の幅」などというものは存在しない。ただ安いものしか買えないだけである。
 
 低所得者に選択の余地は無い。だってお金無いんだから、買えるものしか買えない。この事を出発点に考えると、大多数の人々が「安くなるのならば国産にこだわる必要などない」と主張するのも当然ではないだろうか?
 
 つまるところ、フードバレーもTPPも、所得格差の問題を抜きにして考えられない問題なのである。私は非正規雇用の問題が解決に向かわない限り、フードバレーだとTPP反対だのと主張しても、それだけでは支持は広がらないのではないかと思う。そして、仮にこの問題を置き去りにして国内農業の保護を進めたとすると、都市部の低所得者層と地方の農業者との間の溝はさらに拡大し、将来に大きな禍根を残すのではないかと思っている。
 
 ちなみに今回の味噌汁の具材は全て十勝産だが、生協で安く販売されていたもので、別段高値で販売されているものではない。低所得者にも安心な価格で国産農産品を購入できるのは、生産地直結である十勝の大きな魅力だなと思う。
 
 だが、米沢市長のフードバレーは、もっと大局的・多角的な見地に立って政策展開をするべきだと思っている。
 
 

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2014年8月16日 (土)

車内から写真を撮るため汽車に乗るものの

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 今日の講座用の写真を撮るために昨日はちょっとだけ浦幌へ。列車内からしか撮れない写真なので、浦幌〜上厚内間だけ汽車で往復した。

 

 往路は問題無かったのだが、帰路の車内で撮影すべきポイントが近づき、後部の運転台付近で待機していると・・・

 

「すみません、車内にハチがいるんだけど・・・」

 

と1人のお客さんがやってきた。

 客室をのぞくと、ハチでは無くアブだが、確かに1匹大きめのが飛び回っており、何名かのお客さんが立ち上がって格闘している。

 うーん、このタイミングでか、と思いつつ、ちょうど後ポケットに軍手が入っていたので捕まえて窓から放す。車内は安堵感が広がったが、写真は撮れなかったのであった。

 青い作業ズボンで運転台付近に立っていたから、保線区員か何かと思われたのであろう。うーん、まあ、他のスライドいっぱいあるからいいか。 

 

 上厚内駅にはクワガタが歩き、浦幌駅前はお祭りを開催中で、夏まっさかりという感じであった。

 

 

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2014年7月25日 (金)

広尾町の「さつき食堂」

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 同僚の小林さんに「広尾町へ行ったら、さつき食堂へ寄ってみて下さい」と言われ、教育委員会へ資料調査に立ち寄った帰りに昼食を食べてきた。
 
「ガス屋さん本州の人かい?〔白い開襟シャツに青い作業ズボンだったせいか、ガス会社の人と思われたらしい〕訛りでわかるね」
 
「うちはラーメンだけだから。下に塩入っていて、上に醤油入っているからね。あたしが考えたんだ。まろやかで美味しいから」
 
「次来た時はこれもう食べたっていってね。そしたら醤油〔だけのやつ〕だすから」
 
「昭和31年に、元町の方で最初の店出したんだわ。その時は定食屋で、ハモ丼とか何でも作ってたんだ。あたしの作るものは美味いって大評判だったんだ」
 
「修行?どこにも見習いにも修行にも入ってないさ。全部自分で勉強したのさ」
 
「その頃はニチロの工場とか2つもあってさ、広尾も一万五千人いたんだわ。人が多くて賑やかだったね。〔なんの工場だって?〕ニチロだよニチロ。ガス屋さんニチロ知らんの?今の広尾は七千五百人くらいじゃないかな」
 
「缶詰工場の人相手に飲み屋さんもいっぱいあってね。夜になると、飲み屋で働くお姉さん達がよく食べに来てくれたわ。ほんと賑やかだったね。」
 
「お通夜とかには店閉めてね。お寺用に〔料理を〕作るんだわ。〔仕出し?〕仕出しじゃないよ。その場へ行って台所を仕切るのさ。」
 
「大人数をさばくからね。そりゃ大変さ。でもあたしの料理は評判だったからね。前の店の時はずっとやってた。お寺さん喜んでね。お東さん、お西さん、広縁寺さん、禅林寺さん…〔以下、町内のお寺の名が続く〕みんな呼ばれたよ、ほんと」
 
「いまはもうね、あんまりお通夜行かないんだ。人多くなると、〔今の〕料理仕切る人も大変だろうと思ってね。あたしはわかるからさ」
 
「仕出しも作ったよ。売ってる仕出しはさ、醤油とかソースとか別に入ってるしょ。あたしのは料理の味つけといて、そういうのかけなくて良いやつにした」
 
「必ず9品付ける事にしてたんだ。今のメンマだってチャーシューだって、夜にきちんと自分で味つけてるんだ。だからうまいんだよ」
 
「昭和55年に今の場所に移ったんだ。そしてラーメンに絞ったんだ」
 
「主人がさ、子どもいる訳でも無いし、そんなに金儲けする必要ないんだから、安く出してあげなって言ってね。それで、最初の価格を据え置いてやってく事にしたの。その時に〔町の〕食堂組合からも抜けたんだわ」
 
「ラーメンだけにしたら、みんな残念がってくれてね。お寺さんの若さん〔現在のお坊様〕なんか、いまだにがっかりしてるよ」
 
「消費税3%の時に360円。これ以後、5%になっても8%になってもずっと変わっていないよ」
 
「だけど今年さ、8%になっても豚肉は値上げしないって最初言っていたのさ。だから値段もそのままにしたんだけど、その後に税金とは関係ないところで豚肉が値上がりしてしまって。10円も上がったんだ。だから大盛りは肉3枚付けていたんだけど、今は2枚にさせてもらった。まあ、あたしらも大変だけど肉屋さんはもっと大変だ」
 
「あたしは跡とり作らないんだ。味を落としたくないのさ。偉い料理人の先生も、テレビやったって本書いたって、それ見て作ってもそりゃ私達が作ったような訳にはいかないって言ってるしょ。教えてすぐどうなるってもんでもないしさ。だから、この店はあたしが死んだら終わりだよ」
 
「最近の広尾は若い人ばかり死ぬ。昨日も50代の人、今日も60代の人のお通夜あるよ。あたらしらみたいな80代は、粗末なもんから食ってきて体も鍛えてるからさ。若い人は変なもん〔合成着色料とか〕いっぱい入ってるもの食べてきてるから、体もたないのかなあ」 
 
 
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 昭和6(1931)年5月25日生まれの83歳。5月生まれで店も5月に開けたから「さつき食堂」なのだと言う。生まれは岩内との事。船を持っていた御主人は既に10年以上前に亡くなり、一人で店を切り盛りしている。
 
 ラーメン普通盛り360円、大盛り460円。味は醤油と塩それに両者のミックスの3種類のみ。広尾町の盛衰と共に歩んできたラーメン屋「さつき食堂」は、今日も11時30分から20時まで、国道から外れた坂道の途中で店を開けている。いつか再び、じっくり話を聞きに行き、地域の歴史証言として活字に記録したいと思う。
 
 

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2014年7月15日 (火)

十勝での空襲

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 1945(昭和20)年7月14-15日、帯広空襲がありました。現在の帯広市総合体育館の一角に、帯広空襲を語る会による碑が建てられています。被害者の数も、語る会の継続的な調査によって、当初の公表数より増加したそうです。
 
 
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 一方、利別川沿いの本別町での空襲(本別空襲)は同年7月15日。全焼家屋が300戸近い、十勝最大の空襲です。本別町歴史民俗資料館には、空襲の火の手から逃れる為本別沢へ飛び込んだ方がむしりとった草花が手記と共に残され、記憶を今に伝えています。
 
 その他、池田町、音更町、豊頃町、浦幌町、大樹町、広尾町などで、同じような空襲があった事が伝えられています。広尾町では、国民学校の生徒が機銃掃射を受けて亡くなっています。
 
 風化しつつある戦争の記憶を資料や証言と共に後世へ伝えていく事も、博物館の大切な役割です。
 
 

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2014年6月24日 (火)

藤丸古書市は今日まで

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 先週木曜日から開催されている「第7回オビヒロ藤丸古書の街」は本日まで。最終日の今日は16時で閉店だそうな。ブックオフなどを除く古書店の常設店舗が無い十勝では、毎回非常に楽しみで有意義な古書市で、今回もいろいろな資料を目にする事ができた。
 
 
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 今回購入したもののうちのひとつ「浦幌村教育研究会記録」。戦後すぐの1945(昭和20)年10月に、常室小学校を会場に開催された、道庁と現場の先生方との教育研究会の記録。
 
 
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「北大で挙手敬礼を廃止したが、国民学校に於ては如何にすべきか」
「日本古来の禮に戻るべきだろう」
「平素はゲートルをはかなくてもよい」
「乗馬スボンは如何」
「いいです」
「頭の毛をのばすのは文化的か非文化的か・・・」云々
 
   民主教育への転換に際して苦悩する教育現場の様子が綴られている。活字化し、来年度の『浦幌町立博物館紀要』へ報告したいと考えている。
 
 
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 この他にも、浦幌炭鉱小学校の文集を1冊購入。尺浦通洞を走る電車に初めて乗った子どもの驚きが作文で綴られていて興味深い。こちらは浦幌町立博物館の佐藤館長にお願いし、ただいま開催中の同館企画展「浦幌炭礦閉山60年回顧展」で展示させてもらった。この展示は浦幌町立博物館にて8月まで開催中。
 
 
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 ちなみに、この展示で圧巻なのは、当時の浦幌炭礦の様子を再現した手作り模型。なんと、ほぼ記憶のみで作られている。しかし、その再現性たるや見事というほか無い。必見です。
 
 古書市は他にもそそられる資料がいろいろ出ていたのだが、予算の都合もあり、あと少しだけ購入して我慢我慢。自分の研究費や資料予算があればなあ・・・
 
 

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2014年6月21日 (土)

十勝監獄レンガ遺構の一般公開

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 帯広市の緑ヶ丘公園で、歩道バリアフリー化工事の際にみつかった十勝監獄関連レンガ遺構が一般公開されています。本日と明日(22日)の10時30分から15時で、①11時から②13時からの2回、説明会があります。場所はグリーンパークと百年記念館の間です。主催は帯広市教育委員会文化課です。
 
 

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