旅行・地域

2017年9月22日 (金)

岩内町を訪ねる

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今年度の北海道博物館協会学芸職員部会の研修会・総会が、岩内町で開催された。私は岩内町を訪れるのは初めてで、本来ならば函館本線で小沢へ出て、ニセコバスに乗り換えて旧岩内線の足跡を辿るべきなのだが、時間の都合もあり、札幌から中央バスの「高速いわない号」で直行してしまった。
 
60名を超える参加者数で大盛況だったが、会場の岩内地方文化センターがまた大きな部屋で驚いた。一括資料の受入に関する、倶知安の矢吹さんの、経験に基づいた貴重講演、木田金次郎美術館の岡部さんによる、非常に率直な現状報告は興味深かった。
 
一括資料の整理で悩む学芸員は、けっこう多いと思う。今回は全体的な話だったが、具体例をもとにじっくりと話し合える場があっても良いと思った。
 
 
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 宿舎からみた朝の岩内の街並み。海の対岸に泊原発がみえる。こんなに近いんだなあと驚く。朝、宿舎の周辺からも、原発へ出勤する方々の姿があった。
 
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来るまで全く知らなかったのだが、岩内町はアスパラガス栽培が日本で初めて行われた町で「日本のアスパラガス発祥の地」という記念碑があると言う。それは見ておかなくてはと、研修会当日の朝、少し早く宿舎を出て見に行った。
 
この場所は「日本アスパラガス」というアスパラガスの缶詰をつくる工場があった場所とのこと。なお、日本アスパラガスという会社は岩内に現存し、いまは場所を変えて創業している。
 
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浄土宗岩内山帰厚院の大仏殿。この大仏は、東京以北で最大の木造大仏像なのだそうで、岩内町有形文化財の第1号に指定されている。アスパラガス発祥の地の後に訪ねると、若い住職が挨拶に出てこられた。
 
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見学に来た子供の描いた大仏様の解説。たしかに天才的なものを感じる。
 
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こちらは、翌日の巡検で訪れた岩内町郷土館の「子育て地蔵尊」(背負佛)。これが、カクレキリシタンのマリア観音なのではないか?と言われているそうで、来る前から気になっていた。館長さんの解説によると、背中の梁のつくりが不自然で、十字架に見えるようになっていると言う。たしかに背面はそうなっていた。
 
お話を聞いて驚いたのは、このあたりのマリア観音と思しき仏像はこれだけではなく、ほかにも数体あるらしい。そのうち1体はお寺さんにあり、あとの2体は共和町にあったが、今はどこかに譲られてしまったらしく所在がわからない(調べればわかるのかもしれない)。
なかなか興味深いことで、これは帰ってから文献などを調べてみたいなと思った。
 
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そして岩内と言ったら、茅沼炭礦軌道である。正確には泊村だが、幕末から明治にかけて、北海道で最初にレールが敷かれたのが、この茅沼炭礦軌道だと言われている。当初は炭鉱から茅沼港にレールを敷き、牛で炭車を牽引したとされる。
 資料館には、この軌道のレールが保存されていた。
 
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木田金次郎美術館。岡部学芸員の話では、駅の跡地につくった美術館という事で、建物は転車台と有蓋車をイメージしてつくられたとのこと。言われてみれば、確かにそんな雰囲気はあるが、言われてみなくてはわからないだろうなあとも思った。
 
ただ、ターンテーブルを模した円形空間は本当の円ではなく多角形をしており、これはターンテーブルを囲む扇型機関庫の引き込み線をイメージしているのに違いない。有蓋車をイメージした屋根のカーブを見上げていると、モデルはワラ1あたりだったのかなあと想像した。
 
 
岩内町。ゆっくりと歩いてみたい町である。今回は研修の出張ということで慌ただしい訪問になってしまったが、ぜひ時間をつくって自由に歩いてみたい土地であった。

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2017年1月 2日 (月)

年末年始に名古屋を往復する

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 妻の実家は、愛知県の名古屋市郊外に位置する瀬戸市にある。そこで、ここのところ毎年年末年始は、釧路から名古屋を往復している。今年は31日に釧路空港から羽田空港まで行き、東海道新幹線へ乗り継いで名古屋へ向かった。
 
 写真は名古屋市のテレビ塔と大通公園である。名古屋にも札幌と同じ大通公園があり、テレビ塔がある。なので札幌市と名古屋市は似ているが、実は名古屋市と横浜市も似ているところがある(と横浜市民は思っている)。
 
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 それにしても、名古屋の大通公園は派手だ。バスターミナルの周辺が大規模に整備されていて、夜になると光が目映い。なんと、このガラス張りの下には仮設リンクが設けられ、アイススケートが楽しまれていた。これなども、昔は札幌市の大通公園でも雪祭り時期に実施していたもので、たしか数年前の雪祭りで再現されていた。 
 栄大通、久屋大通と、通りにそれぞれ名前が付いているのも面白い。札幌で言うならば北一条通りなどに相当するのだろうか。
 
 
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 札幌市でも、テレビ塔のすぐ脇に日本基督教団の北光協会と札幌教会がある。名古屋市の場合も、テレビ塔から少し離れたところに日本基督教団名古屋教会と名古屋中央教会がある。会堂の前までは2年前に行ったことがあり、こんどは中に入って礼拝に出てみたいと思っている。
 
 カトリック教会は、少し東にずれた位置にある布池教会が有名で、名古屋地区の司教座聖堂にあたる。札幌であればカトリック北一条教会に相当する。前から気になっていたので、31日の夜、主日ミサが行われる時間に訪ねてみた。
 
 
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 この日は深夜0時にミサがあるため、残念ながら18時30分からの主日ミサはお休みであった。しかし聖堂は開放されており、地元の信徒の方が三々五々訪れては、跪いて祈りを捧げていく。地域に密着した教会であり、祈りの場として確かに機能している姿を垣間見る事ができて感銘を受けた。
 訪れてくる信徒の方には東南アジア系の外国人の姿が多い。名古屋は工業都市であり、外国人労働者が多い街でもある。カトリックの信仰が篤い国から働きに来て、こうして年越しを日本で過ごす方が多いのだろう。
 
 
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 順番が前後するが、31日の上り便、釧路空港から羽田空港へ向かう飛行機から撮影した、浦幌の沿岸である。左に十勝川の河口、中央左寄りにトイトッキ浜、豊北海岸、浦幌十勝川河口、十勝太集落、中央付近が昆布刈石断崖、右の方が厚内にあたる。
 
 
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 日高山脈。釧路空港を発った飛行機は、そのまま道東海岸線に沿って襟裳岬まで飛び、津軽海峡へ出る。快晴で釧路・十勝・日高の沿岸部がよく見え、講座で使えそうな写真が撮影できた。
 
 
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 羽田空港へ着いてから東海道新幹線へ乗り継ぐまでの時間を利用して、前から気になっていた開拓使仮学校跡を訪ねてみた。港区の芝公園内にあり、都営地下鉄三田線の御成門駅を降りてすぐの場所に位置する。芝公園は東京タワーのすぐそばにある。
 
 
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 開拓使仮学校は札幌農学校の前身であり、北海道大学の前身でもある。1872(明治5)年、増上寺の敷地であったこの地で学生が募集され、1975(明治8)年に北海道へ渡った。
 石碑の裏面には北海道大学の同窓会の名が刻まれており、後の世に北大へ通じる学校の史蹟である事がわかる。
 
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 三田線から浅草線、京浜急行線へと乗り継ぎ、品川から東海道新幹線に乗る。東海道新幹線の品川駅を使うのは、これが初めてである。思っていたよりもコンコースが狭い。切符売り場は自由席特急券を買い求める人達でごった返していた。あらかじめ浦幌駅で指定席特急券を買っていたので自分達は楽である。JRの切符は全国の駅窓口で買うことができる。当然だが、ありがたい事である。
 
 
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 名古屋駅ホーム。東海道新幹線は車内放送でも単に「新幹線」としか言わない。新幹線中の新幹線だという自負があるのだろう。確かに東北新幹線とは風格が違う、と乗る度に思う。やはり新幹線と言えば真っ先に頭に浮かぶのは東海道新幹線なのである。
 妻が旅行客に呼び止められてなにやら対応している。外国人らしく、切符に書かれていることの意味がわからなかったらしい。これは自由席を意味する、列車の指定は無いからどの列車でも大丈夫、新大阪ならどの列車も停まる、自由席は前より1号車から3号車、という事を案内していた。
 
 
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 妻を実家に残し、ひとあし先に1月2日、私は釧路へ戻った。帰りは中部国際空港から新千歳空港へ飛び、釧路空港までの乗り継ぎである。
 
 インターネットで予約を行ない、プリンタでQRコードを印刷して飛行場へ持参。搭乗手続きを機械ですると、青い「搭乗券」が発行される。
 それを持って保安検査場を通過する際、今度は黄色い「保安検査証」が発行される。
 いよいよ搭乗という時に自動改札機を通る際、ピンク色の「ご搭乗案内」が発行される。
 
 私の記憶では、かつて飛行機はとことん「紙モノ」を無くしていた。クレジットカードで航空券を買うと、ANAカードや携帯電話で搭乗者である事が証明され、一切紙モノを手にすること無く機内へ入り、到着地へ着いた事がある。このときは驚き、そして実体としての「控え」が無い事に、ちょっとした戸惑いと不安を感じた覚えがある。
 
 それが最近、飛行機は再び紙モノの時代になっている気がする。飛行場へ着いてからの紙モノが徐々に増えている気がするのである。もっとも、私はやはり、紙モノの「切符」が手元に無いと不安なタチなので、これで良いのだけれど。ただ、こうしたちょっとした紙モノにかかる費用は結構なものだろうと思う。
 
 
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 釧路空港へ定時に到着し、阿寒バスで釧路駅へ出て、列車で東釧路へ帰る。釧路市内の路線バスは元旦と2日は大半が運休となり、東釧路へ帰るバスは今日は無いので、どのみち汽車となる。
 同じような方がいるのであろう、釧網本線も花咲線も、旅行客以外に市民の姿が日頃より多い気がする。
 
 飛行機や新幹線で名古屋のような大きな都市へ行き、こうして帰ってきて東釧路までの汽車を利用するとき、なんというかその差を実感してしまう。しかし、こうして釧網本線のキハ54の座席に落ち着いた時、ああ帰ってきたんだなという実感が沸くのも事実である。今年も大いに地元の鉄道を利用したいと思う。
 
 

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