« 音別神社で神輿渡御 | トップページ | 豊北が真っ黄色 »

2017年7月30日 (日)

マリア崇敬の持つ意味

1  

今年度に入ってから日曜日も出勤や出張が相次ぎ、日中のミサに出ていない。

帯広と異なり、釧路は夕礼拝や夜ミサのある教会が無いからなーと思っていたら、月に一度、釧路の新川教会が19時からミサと勉強会をしていると聞き、先日出席してきた。小さな集会で、地元の方が数名集まって修道院から神父さんを招き、短い祈りの場を作っていた。黒金町の釧路教会で顔見知りの方も来ていて、なんだか大歓迎をされてしまった。

 

ルターの宗教改革500年という事で、今年は宗教改革関係の本を重点的に読んでいるけれども、これは逆にあらためてカトリック信仰の意味を見直す良い機会と言える。両者の違いで際立つもののひとつに「マリア崇敬」がある。ルターやカルバンも聖母への尊敬は抱いていたものの、カトリックが狂信的にマリア<崇拝>に近い形態をとる事に警戒を抱いており、その後完全にこれを否定している。

 

個人的には、頭で考える信仰から、体で覚える信仰(誤解を恐れずに言えば習慣化した信仰)への転換に、聖母崇敬というのが重要な位置を占めるのではないかと思う。ただ、カトリックの言う「聖人へのとりつぎを願う祈り」というのは、外から見ればどう考えても偶像崇拝にしか見えないというのも事実だろうと思う。かつて札幌農学校のメンバーも「天主教」を厳しく批判した。

 

むかし国立西洋美術館で購入したカルロ・ドルチの「悲しみの聖母」の複製画をなんとなく部屋に飾っていたが、先日ひさしぶりに光明社へ立ち寄った際に小さな聖母像を1体購入した(売れ残って安売りしていた)。キリスト教における聖画や聖像という「かたち」の意味を、この機会に自分でも考える機会にしたい。

 

|

« 音別神社で神輿渡御 | トップページ | 豊北が真っ黄色 »

キリスト教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/572033/65597484

この記事へのトラックバック一覧です: マリア崇敬の持つ意味:

« 音別神社で神輿渡御 | トップページ | 豊北が真っ黄色 »