« アイヌ舞踊とコタンを考える集い | トップページ | マリア崇敬の持つ意味 »

2017年7月 9日 (日)

音別神社で神輿渡御

13

 釧路市音別町の音別川ほとりの高台にある音別神社は、毎年7月の第二土曜日・日曜日に例大祭を挙行する。幟の林立する音別神社参道。音別川の対岸に位置するので、地番は尺別になるらしい。

 

8

 音別神社拝殿。音別神社は、1906(明治39)年、大和田清治・菅野雄五郎らが郷里の福島県県社太田神社(相馬太田神社)の御分霊を奉戴し旧社地に社殿を建立したことに始まるとされる。同社の主祭神は天御中主大神であることから、現在の音別神社の3柱の神のうち、同神はこのときに分霊を受けたものだろう。

 1920(大正9)年6月に3柱の御祭神をもって創立を出願し、1923(大正12)年4月に創立が許可されると社殿を改築。天照大神、豊受大神は、このときに祀られたものと思われるその後、1932(昭和7)年2月10日には村社となった。

 

9

 拝殿は比較的新しく、内部は美しい。古い絵馬などは無さそうであった。

 

10

 境内の様子。鳥居の向こうは急な階段で、降りると国道38号線と根室本線が音別川を跨ぐところへ出る。左の赤い建物が社務所。

 

2

 ふだんは静かな神社も、この日は賑わいを取り戻す。日曜日の9日には神輿渡御が行われ、昼を挟んで見越しが市街を練り歩いた。

 

4

 神輿が戻ってくるのを待つ人々。男の子が獅子舞に頭を噛んでもらっていた。

 

6

 暑い中がんばった獅子舞に、男の子がペットボトルのお茶を与えている。

 大型の神輿は石段下からトラックへ載せて上がってくるが、小さい神輿は担いだまま駆け上がってくる。みんなその様子を見るのが楽しみなようであった。

 

14

15

16

17

 暑い中、石段を駆け上がってきた神輿。

 

Photo

 境内に並んだ2基の神輿。若者達が最後に担ぎ上げてグルグルと回り出すと、群集から喝采の声が上がる。

 

1

 手前の小さい神輿は女性達が担いで歩いていた。

 音別町はもともと地味な町で、釧路市と合併した後も、阿寒町と比べると影が薄い。大塚製薬の工場がある町だが、観光や産物に目立ったものも無い。かつては尺別炭鉱があったが、いまは森林と原野が広がる。

 直別のキナシベツ湿原と尺別海岸の自然景観の保全と活用が、音別町の今後の活性化に役立てば良いと思っている。

 

 

|

« アイヌ舞踊とコタンを考える集い | トップページ | マリア崇敬の持つ意味 »

音別」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/572033/65515623

この記事へのトラックバック一覧です: 音別神社で神輿渡御:

« アイヌ舞踊とコタンを考える集い | トップページ | マリア崇敬の持つ意味 »