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2017年2月 6日 (月)

サイエンスコミュニケーションの課題

Up_2

 東京大学出版会の書評誌『UP』の新刊が届いた。さっそく中を開くと、東京大学大学院理学系研究科の塚谷裕一教授が「キュレーションプラットフォーム事業の閉鎖問題から見たサイエンスコミュニケーション」と題した小考を寄せられている。塚谷先生は植物学が専門で、著書の『スキマの植物図鑑』(中公新書)は私も愛読している。
 
 一読して、以前から漠然と抱いていた「サイエンスコミュニケーション」およびそれを推進する「サイエンスコミュニケーター」の養成課程への疑問はこれか、と実感した。
 
 先生も書かれているが、私も植物や鉄道に関する報道機関などからの問い合わせをよく受ける。博物館なので、業務時間中にそれを受けるのは当然の務めなのだが、仕事が終わったあとも休日も、携帯電話や電子メールに「今日の夕方までに回答をお願いします」という依頼が入ってくる事がよくある。
 自分の仕事(博物館の事業)に関することならばまだしも、そうでない事柄についても直近の締め切りを指定されて、文献を調べて回答しなければならない義務はあるだろうか?
 
 ただ、それでも、準職員とは言え、とりあえず「科学」の現場に労働者として身を置いている立場であればまだ良いと思う。問題は、これも塚谷先生が論考で指摘されているが、大量に養成されている「サイエンスコミュニケーター」なる者が、社会できちんとした対価を得られておらず、科学に対する専門知識を無償に近い形で社会へ提供し続け、社会もそれを当然と受け止めている昨今の風潮にある。
 
 北海道大学なども、サイエンスコミュニケーターやミュージアムマイスターといった、従来は聞かなかった「資格」なのか「肩書き」を学生に与える課程を設置し、向学心溢れる若者たちが門を叩いている。しかし、大学はそれらの「資格」を得た学生が、その「資格」を職業として(それをきちんと収入源として自立していける職業人・労働者として)社会へ送り出せる環境を整える努力をしているだろうか?私が見たところ、そのような様子は皆目みられない。
 
 きちんと職を得ている方には申し訳ないのだが、私が見ている限り、すなわち、社会に職業として成立していない「資格」を看板に、ただ学生を集める「広告」として「サイエンス」だの「ミュージアム」だのの文言を利用しているだけに見えるのである。
 
 同じ事は博物館の現場でも言える。いま私はだいぶ異なる環境になったが、いまでも多くの博物館で非正規雇用の学芸員を続ける仲間達がいる。博物館の専門職は「非正規雇用」で構わないという風潮が蔓延している。図書館はもっとひどい。
 
 いまの日本は、医療以外の専門知識に対価を払わない。それを当たり前の社会にしてきている気がする。その歪みの表れが、昨今のサイエンスコミュニケーションの劣化に結びついてきているのではないか?塚谷先生の論考もそのような意味で書かれているように思う。
 
 私たちは現場の人間として、いまどのような声を挙げ、行動をとるべきなのか?きちんと考えなくてはならない時期にあると言える。
 
 
Photo
 出張に出ていたので、久しぶりの「今夜の尺別駅」。
 
 

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