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2016年11月27日 (日)

「追悼フィデル・カストロ」な待降節第1主日

20161127

 昨年も全く同じ事を書いているが、これだけ日曜日に教会へ来られずに苦悩している1年のうち、なぜか年間最終主日と待降節第1週はここ数年いつもミサに出席できている。悪いことではないのだが、この仕事の周期というかパターンが見えてくるようで興味深い。
 
 この2日前、フィデル・カストロが亡くなった。いろいろと評価の分かれる人物であるが、少なくとも私には敬愛する人物の一人であった。キリスト者、特にフィデルによる教会破壊などの弾圧を受けたカトリック教会では、フィデル(というよりも共産主義者全体)に対してマイナスの感情を抱いている人も少なくない。その気持ちは理解できるが、一方で実は彼に敬意を抱いているキリスト者も少なくない事を私は知っている。
 
 そもそもフィデルは本当に信仰を捨てていたのだろうか?マルクス・レーニン主義者は一様に頑なな無神論者と思われているが、日本人が「無宗教」などと言いながら深遠な宗教心を内面に宿しているのと同じく、フィデル・カストロ本人の心の奥底には、キリスト者としての意気が終生宿っていたのではないか?という微かな期待のようなものが私にはある。
 アメリカとの国交も回復し、フランシスコ教皇とも対話を果たし、そのフランシスコ教皇が定めた「いつくしみの特別聖年」が明けた待降節第1週。この時期に故人となった事も、フィデルの信仰と無関係ではないのではないかという気がする。
 
 
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 革命以来、徹底した反米主義を貫くと共に、教育や医療の改革に取り組み、個人崇拝を禁じ、「貧しさを分かち合う社会主義」を掲げたフィデル・カストロにるキューバ社会主義には、不思議と心惹かれるものがある。さまざまな問題を内包しつつも、世界中を席巻する「資本主義」に対置するもうひとつの生き方の形として、大きな存在感を示してきたキューバという国。その建設者、牽引者として、フィデル・カストロの名は歴史に力強く刻まれていく事だろう。
 
 イグナシオ・ラモネによる緻密で長大なフィデル・カストロへのインタビューが、岩波書店から刊行されている。上下巻でそれぞれ2段組という大作だが、革命からキューバ社会の現在に至るまで、フィデルがどのような事を考えていたのかがうかがえる興味深い著作である。実は下巻の一部で読むのを止めてしまっていたのだが、これを機会に再読を試みたいと思う。
 

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