国後・択捉の植物調査に行っていた妻が帰ってくるため、根室港まで自動車で迎えに行く。船が着くまでの間、ちょうど良い時間だったので、根室キリスト教会の礼拝へ出席させてもらう。
市内中心商店街の一角である緑町3丁目に建つ根室キリスト教会は、日本バプテスト同盟のプロテスタント教会である。創立は1886(明治19)年で、今年が130年にあたり、道東のキリスト教会の中で無視できない歴史を誇っている。
当時、アメリカから渡って教会を拓く契機としたのは、宣教師のC.H.カーペンターとその妻であるH.E.ライスである。カーペンターは当初、ミャンマーで宣教に従事していたが、体調を崩してアメリカへ帰国した。帰国中、北海道の地質資源調査をしていたB.S.ライマンの『北海道調査報告書』を読む機会があり、北海道の事を知る。特にアイヌ伝道に心を惹かれ、1886年の来日となった。
だが、カーペンターは来日後わずか5ヶ月で亡くなってしまう。その後、実際に教会の基礎を築いていったのは、妻のライスである。教会に掲げられていた解説版によれば、「ヤソ(耶蘇)のおばさん」として、根室の人々に親しまれていたらしい。日本人信徒の協力を得ながら、1889(明治22)年に「根室浸礼教会」が設立される。
旅先などで教会を訪れると、よく「新来者カード」への記入を求められ、礼拝の終わりに一言挨拶する時間がある。浦幌から来たというと、司会の方のご親戚が浦幌に居られるらしく、偶然ながら面白いなあと思ってしまう。帰ったら探してみよう。
高橋和則牧師に話しを聞くと、130年という事で、記念誌の編纂を計画していると言う。「教会の中の事はわかっても、当時の外の事とかは、いろいろとわからない事もありますから、博物館にも協力をお願いするかもしれません」との事。根室教会は1895(明治28)年の市街地大火に巻き込まれている事から、恐らく当初の資料の大部分は消失しているのであろう。
根室キリスト教会には、カーペンター夫妻の他にも、根室の産業史上の重要人物であり、浸礼教会設立に奔走した小池仁郎や、日本人牧師として教会を牽引した渡部元などがいる。そして彼らを取り巻くさらに多くの信仰共同体に繋がる人々がいるはずであり、そうした軌跡をぜひ記念誌にまとめ後世に引き継いで頂きたいと思う。
高橋牧師によれば、現在、名簿上の根室キリスト教会信徒は20名ほどとされる。その規模の小ささに驚かされる。今日の礼拝出席者も10名に満たない。
しかし、実際に礼拝に出てみて感じたのは、この少ない出席者の信仰が非常に熱いという事である。讃美歌を歌う時の、熱情に近い歌声の響きが、特にそれを実感させる。10名に満たない集会とは思えない、信仰の熱気を実感する。
高橋牧師は「歴史ばかり長くて」と笑っていたが、しかし130年の信仰の灯を守り続けているこの小さな小さな共同体の想いと結束は固いと見える。非常に厳しい状況の中で続けられている根室の礼拝が、今後も長く続けられる事を切に祈るものである。
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