« 2016年7月 | トップページ | 2016年9月 »

2016年8月

2016年8月30日 (火)

集中講義で旭川

Photo

 毎年恒例の「博物館情報・メディア論」集中講義のため、旭川市の北海道教育大学へ行く。講義は8月29日〜9月1日までの4日間で、前日入りをするため、8月28日に釧路から旭川へ向かう。この段階で、既に三連続台風の影響で、冠水した釧網本線の運休や、路盤の流れたホロカ信号場構内の修復工事で間引き運転中の特急スーパーおおぞらなどの案内が流れている。
 
 
Photo_2
 間引き運転のため、貴重な運行列車である特急スーパーおおぞら12号の発車を待つ人々が行き交う釧路駅改札口前。いつも妙に静かでなんとなく陰気な帯広駅と異なり、釧路駅は列車が少なくてもいつも活気を感じる。やはり地上駅で改札口から列車が見えるというのが大きな違いなのかもしれない。
 
 
12
 釧路駅ホーム。「くしろ」の駅名票に重厚感がある。
 
 
Photo_3
 新得着。新得駅には、いまや道東で唯一となった、普通キヨスクがある。しかし、このキヨスクも8月31日で閉店すると言う。閉店前にもう一度寄りたいと思って途中下車したのだが、残念ながらお店はもう閉まっていた。
 これで道東の駅からは、コンビニキヨスクやお土産キヨスク以外の、スタンダードなキヨスクが消滅する。
 
 
Photo_4
 新得駅からは16時08分発の滝川行2434Dに乗り換える。
 
 
2
 車両はキハ40 1759。乗客7名で新得駅を発車する。
この後、落合で2名、幾寅で3名乗車があった。下金山で2人が下車、山部で1名下車の4名乗車、布部で1人乗車があった。
 見ていると、地元の子供達の利用が多い。落合の2名が下金山で降りたり、幾寅の子が山部で降りたりと、いろいろなパターンの区間利用がある。南富良野町の重要な交通機関である事が、この乗客流動からわかる。
 一方で、幾寅駅、布部駅では、列車に乗らない観光客が数名ずつ、駅の構内から写真を撮っていた。気持ちはわかるが、やはり乗って欲しいと思う。
 
 
Photo_5
 17時46分、富良野着。18時ちょうど発の旭川行き富良野線738Dへ乗り換える。車両はキハ150 8とキハ150 10の2両編成。2両編成だが先頭の1箇所しか扉が開いていない。富良野線は有人駅でもいつもこうだが、何か理由があるのだろうか?
 
 学田では後ろ1両が踏切にかかった状態で停まった。遮断機の下りた踏切で待つワゴン車の男性が列車に手を振ると、車内にいた外国人の女の子2人連れが手を振り替えしていた。
 
 次の鹿討、さらに中富良野を挟んでその先の西中でも、やはり2両目が踏切にかかって停まった。西中付近では、沿線でタマネギの収穫作業の最中だった。もうだいぶ陽が暮れてきているが、まだまだ作業している様子。台風が近づいているからだろう。水田も稲穂が頭を垂れてきている。
 
 中富良野で7〜8人降りた様子。駅前に迎えの自動車が見える。高校生を迎えに来たのだろう。
 
 上富良野では大量の下車。ユニホーム姿の高校球児も降りて行った。
 
 美馬牛でほぼ陽が暮れる。キハ150とキハ54の2両編成と交換。
 
 美瑛では大量に乗ってくる。富良野経済圏から旭川経済圏へ入ったのだろう。西神楽でもキハ1502両編成と交換し、旭川へ到着。
 
 
Photo_6
 旭川駅はやはりでかい。右端が乗って来た富良野線738D。隣には宗谷本線の普通列車がおり、その向こうにはやはり宗谷本線へ向かう特急スーパー宗谷が入線してきている。さらにその向こうには、札幌行きの臨時特急が停まっていた。
 
 
Photo_7
 各方面の列車の運休や代行バスの通知を掲げる駅の掲示板。石北本線が途中で止まっているため、上川から代行バス輸送が始まるらしい。長期普通の日高本線については、大きな特製ポスターが貼り出されていた。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月26日 (金)

砂浜のキノコはナヨタケ属だった

Photo
今年は雨が多いせいか、あちこちでキノコの姿をよく見る気がする。
以前に豊北海岸の砂浜でニョキニョキと生えているのを見かけたキノコが気になっていた。私はキノコの同定は全くできないので、乾燥標本にして札幌市の北海道大学総合博物館へ送り、菌類標本庫SAPAの管理に携わっている、小林孝人研究員にみていただいた。
先般、標本と共に同定結果が戻ってきて、Psathyrella sp、(ナヨタケ属)の一種だとわかった。
 
 
Sp
Sp_2
 これは、6月に撮影した豊北海岸での写真。生えているときはこんな感じ。ハマニンニクやハマニガナの周囲に点々といくつも生えていた。
 では、このナヨタケとはなにか?を知る為に、石狩海岸で海浜性キノコを調査されている人達の書かれた『石狩砂丘と砂浜のきのこ』という本を取り寄せて調べてみた。これは、札幌市中央図書館の蔵書を、相互貸借制度により、浦幌町立図書館経由でお借りした。
 
 すると、ナヨタケ属は種の同定がきわめて難しく、分類自体がさまざまな課題を抱えているらしい事がわかった。だからsp.での回答となったのだろう。種類はまだあるそうなので、今後の海岸歩きの注目ポイントがひとつ増えた。
 
 なお、今回のキノコ標本を当館で収蔵するかどうかはかなり悩んだが、やめる事にした。きちんと管理・活用ができる専門の標本庫へ入れた方が良い。採集情報を紀要で報告した後、せっかく返送してもらったのだが、再び北海道大学総合博物館へ送り、菌類標本庫(SAPA)へ納める事にする。
 
 なお、同定にあたった小林研究員と、石狩浜の文献について教えてくれた石狩自然誌研究会のメンバーには、大変お世話になりました。ありがとうございます。
 
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月23日 (火)

台風3連発で道内の列車が大運休

Photo

 今年はなんだか台風が多く、既に3つの台風が上陸し、道東のあちらこちらを滅茶苦茶にして行った。写真は8月22日の釧路駅の電光掲示板。全列車運休の表示が出ている。運休なので空いているかと思って「みどりの窓口」へ指定券を買いに行ったのだが、けっこう人が来ていた。
 
 
822
 8月22日に浦幌駅へ貼り出された運休掲示物。
 
 
823_2
 こちらは8月23日。掲示物が増え、普通列車と特急列車が別紙となった。これは普通列車のもの。
 
 
823_3
 これは特急列車の運休お知らせ。
 
 
Photo_2
 そして台風が過ぎ去り、8月23日の夕焼けは異様な感じに赤く燃えていた。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月19日 (金)

印鑑は美しい

Photo

 廃校となった学校の印鑑が、博物館には資料として収蔵されている。資料写真を撮影しながら、しげしげと観察してみると、なんか印鑑って美しいものだなと思った。
 
 
Photo_2
 
Photo_3
 
Pta
 
Photo_4
 これらがこんな箱に納められている。一応、箱とそれぞれの印鑑に個別の資料番号を与え、面相筆を使って白でナンバーを書き込む。
 
 
Photo_5
 こちらはゴム印の箱。けっこうある。うーん、これらも個別に番号振るべきか?とも思ったが、こちらは箱に番号を与えるのみとした。中身の印ひとつひとつは枝番として処理する事にする。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月17日 (水)

釧路の銭湯「春の湯」

Photo

 釧路市武佐2丁目の高台にある銭湯「春の湯」。創業100年以上というから、かつては炭鉱の抗員などで賑わったのかもしれない。
 
 
2_2
 脱衣所のロッカーには、なぜか古い道具や模型が置かれていておもしろい。真ん中はカンテラではないか。炭鉱か、あるいはかつて高台の下を通じていた釧路臨港鉄道で用いられていたものだろうか?
 
 この銭湯、待合室では有機栽培のパンとかいろいろなものを売っていたり、かつて甲子園へ出場した武修館高校が持ち帰った「甲子園の土」を展示していたり、なかなか地元密着型で愛され続けているのがわかる銭湯である。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月16日 (火)

釧路から浦幌2532Dの今日の情景

Photo

 
 台風7号が接近している。そのため、明日の北海道は大荒れの見込み。鉄道もはやばやと運休を決め込んでいる。早々とした決断は必要でもあるし良いのだが、もし早めに天候が回復したら、そのときは臨機応変に対応して欲しいとも思う。そうしないと、鉄道の融通の効かなさが、鉄道の社会的地位の低下につながってしまうようで心配である。
 
 かく言う私も、明日は午前中に仕事の打ち合わせで帯広へ行く予定がある。
 浦幌832発の2544Dで行き、帯広1242発の2527Dで戻るつもりだったが、釧路〜池田の鉄道は終日運休になってしまった。
「運休になったから行かない」
と言えなくもないが、きっと自動車で行く事になるだろう。この辺が関東あたりの感覚と異なるところ。
 
-------------------------------------------------
 
 さて、本日も釧路1919発の2532Dで浦幌へ帰る。車両はキハ40 1742。まだ夏休みのせいか、高校生よりも通勤と旅行者が目立つ。定時発。
 
 今日は花火大会だが、新釧路川を渡る際にも花火は見えず。霧か霧雨で街がしっ とりしているばかり。
 
新富士で7名下車。乗車なし。下り2579Dと行き合い。
 
新大楽毛2名下車乗車なし。大楽毛でまったく乗降が無かったのは意外であった。東庶路信号場にも停車し、下り2529Dと行き合い。1948に発車。
 
 庶路で高校生1人下車。降りる直前に「かさ、かさ」と呟きながら慌てて客室に戻ると、友人が手渡してくれる。駅前に迎えの車が見える。
 
 西庶路乗降なし。白糠で高校生1、旅行者4の5名下車、乗車はなし。
 古瀬は通過。音別で高校生が5名下車する。
 
 音別を出たところで急制動。エゾシカの飛び出し。だが、すぐ復帰して力行に入る。
 
 尺別で下り2531Dと行き合い。尺別、直別、厚内、上厚内といずれも乗降なし。
 
 2059に常豊信号場に停車する。
「ただいま常豊信号場です。行き合い列車待ち合わせのため6分ほど停まります」
 と放送があった後しばらくして
「行き合いとなる特急列車ただいま6分ほど遅れておりますため、発車は21時11分頃を予定しています」と放送が入る。
 
 2109、車窓前方に特急の前照灯が見える。2110、下り4009D特急スーパーおおぞら9号と行き合い。
 
 いつもなら挨拶に鳴らす警笛もなく、粛々と、 つまり「普通列車なんぞ待たせておけ」と言わんばかりに黙って通過していく。待たされている方としては良い気分はしないもの。2110に発車。
 
 浦幌2115着。私のみ下車。車内にまだ1人の乗客を乗せたまま、列車は発車して行った。
 
 雨はやんでいたが、駅舎を出て歩き始めたらザザーッと降ってきた。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月14日 (日)

根室キリスト教会の礼拝に出席する

Photo_2

 国後・択捉の植物調査に行っていた妻が帰ってくるため、根室港まで自動車で迎えに行く。船が着くまでの間、ちょうど良い時間だったので、根室キリスト教会の礼拝へ出席させてもらう。
 
 
Photo_4
 市内中心商店街の一角である緑町3丁目に建つ根室キリスト教会は、日本バプテスト同盟のプロテスタント教会である。創立は1886(明治19)年で、今年が130年にあたり、道東のキリスト教会の中で無視できない歴史を誇っている。
 
 当時、アメリカから渡って教会を拓く契機としたのは、宣教師のC.H.カーペンターとその妻であるH.E.ライスである。カーペンターは当初、ミャンマーで宣教に従事していたが、体調を崩してアメリカへ帰国した。帰国中、北海道の地質資源調査をしていたB.S.ライマンの『北海道調査報告書』を読む機会があり、北海道の事を知る。特にアイヌ伝道に心を惹かれ、1886年の来日となった。
 だが、カーペンターは来日後わずか5ヶ月で亡くなってしまう。その後、実際に教会の基礎を築いていったのは、妻のライスである。教会に掲げられていた解説版によれば、「ヤソ(耶蘇)のおばさん」として、根室の人々に親しまれていたらしい。日本人信徒の協力を得ながら、1889(明治22)年に「根室浸礼教会」が設立される。
 
 
Photo_5
 旅先などで教会を訪れると、よく「新来者カード」への記入を求められ、礼拝の終わりに一言挨拶する時間がある。浦幌から来たというと、司会の方のご親戚が浦幌に居られるらしく、偶然ながら面白いなあと思ってしまう。帰ったら探してみよう。
 
 高橋和則牧師に話しを聞くと、130年という事で、記念誌の編纂を計画していると言う。「教会の中の事はわかっても、当時の外の事とかは、いろいろとわからない事もありますから、博物館にも協力をお願いするかもしれません」との事。根室教会は1895(明治28)年の市街地大火に巻き込まれている事から、恐らく当初の資料の大部分は消失しているのであろう。
 
 根室キリスト教会には、カーペンター夫妻の他にも、根室の産業史上の重要人物であり、浸礼教会設立に奔走した小池仁郎や、日本人牧師として教会を牽引した渡部元などがいる。そして彼らを取り巻くさらに多くの信仰共同体に繋がる人々がいるはずであり、そうした軌跡をぜひ記念誌にまとめ後世に引き継いで頂きたいと思う。
 
 
Photo_6
 高橋牧師によれば、現在、名簿上の根室キリスト教会信徒は20名ほどとされる。その規模の小ささに驚かされる。今日の礼拝出席者も10名に満たない。
 
 しかし、実際に礼拝に出てみて感じたのは、この少ない出席者の信仰が非常に熱いという事である。讃美歌を歌う時の、熱情に近い歌声の響きが、特にそれを実感させる。10名に満たない集会とは思えない、信仰の熱気を実感する。
 
 高橋牧師は「歴史ばかり長くて」と笑っていたが、しかし130年の信仰の灯を守り続けているこの小さな小さな共同体の想いと結束は固いと見える。非常に厳しい状況の中で続けられている根室の礼拝が、今後も長く続けられる事を切に祈るものである。
 
<参考文献>
 
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月13日 (土)

神社、ヒグマの学校、流星群、浦幌炭砿

Photo
 今年から祝日となった「山の日」の8月11日は、午前中に浦幌神社を見学。背古宮司に境内を社殿の中や境内をいろいろとご案内頂いた。いろいろな発見もあって有意義だった
 
 
Photo_2
 そして午後は「神社巡り2」。上浦幌地区の神社を巡る。写真は川流布神社を見学しているところ。
 
 
1_2  
 翌日12日は、祝日の翌日なので本来は休館日。だが、「夏休みこども博物館」の事業として「ヒグマの学校」を開催。
 
 
2_5
 今年も酪農学園大学野生動物生態学研究室の学生達が、さまざまな工夫で子供達にヒグマの生態などを教えてくれた。ヒグマの頭骨や毛皮など、触れる資料もいっぱいあって、大人も楽しい。 
 
 
3_3
 今年は、ペットボトルを用いたクマの貯金箱づくりも新たなメニューとして加わった。子供達は工作が大好きだ。
 
 この日、19時からは昆布刈石へペルセウス座流星群を見に行く「流れ星を見よう」も開催。だが、雲が厚くて流星は見られなかった。残念だ。
 
 
2_4
 そして今日8月13日は浦幌炭鉱跡地を巡る。 
 
3_2
 元炭山住人だった方も来られて、お話を聞きながら跡地をゆっくりと巡った。炭鉱見学会は今後も定期的に開催していきたい。
 
 夏休み中の行事連続日程はこれで一段落。少し間を空けて夜学講座がある。
 
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月12日 (金)

灯火採集

1

 昨日8月11日山の日は、午前中は浦幌神社見学、午後は神社巡り2で上浦幌地区を巡検。
 
 午後の巡検から戻ってきた頃、北海道博物館の昆虫担当学芸員の堀さんから、「大津まで来ているので今晩海岸で灯火採集しないか?」との連絡が入る。願ってもない機会なので、喜んで参加させてもらう。
 
 本当は十勝川河口部の干潟が良かったようなのだが、うまい干潟が無く、浦幌十勝川河口の十勝太へ。十勝太側干潟の対岸河口部でセッティングをした。
 
 
2
 18時40分頃の日没から、まずコガネムシがいろいろ集まりだした。ほとんどヒメコガネ、ドウガネブイブイ、スジコガネ、ツヤコガネ、サクラコガネなど。無数のコガネムシが飛び交う。
 
 
3
 19時45分頃から、ガの姿が含まれるようになる。ヨシカレハ、アマヒトリ、クルマスズメなど。
 
 
4
 アマヒトリ。アマは亜麻なのだという事を知り、なぜか感銘を受ける。
 
 19時50分頃、トビケラが飛来するようになる。だが、飛来する昆虫相はその後も変わらず、期待された海浜性昆虫は採集できなかった。堀さんによると、今年は昆虫の種類がとても少なく、特にガが少ないそうだ。初夏の低温や日照不足が効いているのだろう。
 
 20時30分頃に終了。種類はあまり多くなかったが、いろいろとお話も聞けたし、とても良い時間を過ごす事ができた。良い機会をありがとうございました。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月11日 (木)

鳥居を比べてみた

Photo

 前から一度やってみたかったのが、地域の神社にある「鳥居のかたち」の分類。学芸員は、なにかにつけてモノを分類したがる傾向にあるが、もともと鳥居には分類体系があり、その種類は細かく分類すれば60種類にも及ぶと言う。そこまでいかなくても、代表的な14分類群があり、突き詰めると上位分類で2種に大別されるらしい。
 
 当館では初代学芸員の後藤さんが、かつて「近世社寺調査」の一環で町内の神社をひととおり調べた記録がある。鳥居についても簡単に言及されていたが、今回、「浦幌神社の120年」展を開催するにあたって再度町内の全神社を巡り、記録写真などを撮っている。そこで鳥居の形にあらためて着目してみた。
 
 写真は活平神社の鳥居。浦幌でもっとも多いタイプの簡素なもの。2本の柱の天に「笠木」を渡し、その下で「貫」が柱を結んでいる。全てが丸太状で、「貫」は2本の柱の両側に突き出さない。
 「白木鳥居」もしくは「御霊鳥居」と呼ばれるタイプと思われる。
 
   
Photo_2
 こちらは常室神社の鳥居。活平神社に似ているが、笠木と貫の間に神社名を書いた「神額」がかかっている。ただし、この神額は笠木に打ち付けてあるだけで、この裏に笠木と貫を補強する「額束」は無い点に注意する必要がある。
 「額束」の有無は、鳥居の分類上けっこう重要らしく、もし「額束」があれば「宗忠鳥居」(むねただとりい)に同定されるらしいが、無いので活平神社と同じ「白木鳥居(御霊鳥居)」。
 
 
Photo_4
 川流布神社の鳥居。「貫」が柱の外に突き出しているのがわかる。また、「笠木」が丸太なのに対して「貫」は平板である。「額束」は無く「神額」が打ち付けられているのみ。
 「鹿島鳥居」に同定された。
 
 
Photo_3
  川上神社の鳥居。川流布神社の形に近いが、笠木の小口が斜めにカットされているのがわかる。 
 分類的には「鹿島鳥居」の種内分類群らしい。ただし、本来、「鹿島鳥居」は「笠木」は丸太だが「貫」は平板らしいのだが、川上神社の鳥居は「貫」も丸太である。
 という訳で、「鹿島鳥居sp.?」くらいしにか同定できない。どなたか、「アノテーションラベル」(植物標本を再同定した時に貼るラベル)を貼って欲しい。
 
 
Photo_5
 これまでの鳥居が、大分類では「神明鳥居」に含まれるのに対し、浦幌で唯一、「笠木」の下に「島木」のある「明神鳥居」に含まれる鳥居を持つ、留真神社。
 
 「島木」の存在の他、「貫」が柱の両側に突き出ており、さらに「貫」と柱の交点には「くさび」も見える。そして「神額」はかかっていないが「額束」がある。
 
 さらに、「笠木」の小口が斜めにカットされているのに対し、その下の「島木」の小口は垂直である。これが検索表の末端部分で、「春日鳥居」に同定される(島木の小口が斜めだったら「八幡鳥居」)。
 
 鳥居の分類方法はいくつか学説があるらしく、「検索表」も何種か呈示されている。それらを比較・参照しながら再同定を楽しむのも面白い。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月10日 (水)

帯広百年記念館で「昭和のくらし・しごと展」

Photo

 帯広百年記念館で、企画展「昭和のくらし・しごと展」が始まった。
膨大な生活・産業資料の中から、いくつかのテーマを設定して、展示が組まれている。写真は「昭和40年ころの夏のくらし」。隣には昭和50年ころのくらしも組まれており、家電製品などの製造年代などを細かく調べて、6畳間が再現されている。
 
 
Photo_2
 本展には、浦幌町立博物館と根室市歴史と自然の資料館からも資料が出品されている。浦幌からは「掛け時計」と「郵便ポスト」が出ている。掛け時計は吉野小学校の新校舎落成祝いに地元の方が寄贈したもの。かつて時計は高級品で、こうした祝いの際の品物として、署名入りで献呈される事がよくあった。
 本展では、こうして贈られたさまざまな時計が展示してある。浦幌からの時計は写真の左端。
 このほか、会場入口にはアンケートの回収箱として丸型の郵便ポスト(郵便差出箱1号丸型」が置かれている。厚内郵便局で永年用いていたものである。
 
 帯広百年記念館の「昭和のくらし・しごと展」は、9月25日(日)まで開催。9月3日(土)からは、北海道博物館の池田学芸員を招いた博物館講座も開催される。詳しくは帯広百年記念館サイト。http://www.octv.ne.jp/~hyakunen/oshirase2.html#00-tenji
 
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月 9日 (火)

天皇陛下の「お気持ち」

Photo_2

 昨日8月8日の15時から、今上天皇が御自身の意向を「お気持ち」という表現で各報道機関を通じて表明された。事前に予測されていたとおり、その内容は「生前退位」の御意向を強く反映したものであった。
 
 テレビ各局も同時放送、同時に宮内庁は全文をホームページで公開。71年前の終戦の玉音放送を彷彿とされる体制で、きわめて珍しい形の表明であった。
 
 明けて本日9日の北海道新聞と毎日新聞。今日は長崎の原爆記念日であり、通常であれば長崎が1面トップに来るだろうが、やはり昨日の天皇陛下の「お気持ち」表明がトップに来ている。これはやむを得ないだろう。
 
 
Photo_3
 今年1月の通常国会から、天皇が臨席する開会式に出席するようになった日本共産党も、赤旗の1面トップに天皇の発言を掲載。同じページに志位委員長の談話も掲載されている。
 
 学芸員的には、道新、毎日、赤旗ともに、歴史資料として少なくとも1面、および全文を掲載したページは保存しておいた方が良いだろう。個人的には各紙によりスタンスが異なるだろうから、朝日、読売、日本経済くらいは比べてみたいところ。
 
 
Photo_4
 折しも「お気持ち」表明の前日の7日、定期購読している岩波書店月刊誌『世界』9月号が届いていた。本号では九州大学名誉教授の横田耕一先生による「憲法からみた天皇の「公務」そして「生前退位」、放送大学教授の原武史先生による「象徴天皇制の“次の代”:「革新と断絶」から読み解く生前退位」が掲載されていた。そこで、「お気持ち」が表明される前に、まずお二人の論考を読んでおいた。
 
 横田先生によれば、今上天皇の負担になっている「公務」の多くは、憲法の定める「国事行為」でも、宮中祭祀などの「私的行為」でもない「公的行為」とでも呼ぶべき「第三の行為」であり、本来は位置づけの無いものであって、その行為を整理する事で負担の軽減ははかれるはずであり、また、そもそもそれらの「第三の行為」の位置づけについて、憲法上の位置づけから危惧を抱かれているようである。
 
 原先生は、時代による天皇制の変化、特に象徴天皇制の役割と中身の変化は当然であり、そもそも「天皇像」は時代時代によって革新されつづけてきたものであると解説。生前退位が実現した場合、「皇居」の問題、退位された後の今上天皇の位置づけや、皇太子なき現状における「皇太弟」を含めた三者並立の課題など、近代以後、経験の無い天皇制の変革に際して予見される事柄を具体的に述べておられる。
 
 お二人の記事を読んだ上で聞いた天皇陛下の「お気持ち」は、確かに憲法や皇室典範の内容を厳密に解釈した上で聞くと、いろいろと複雑な問題をはらんでいるように思える。特に、横田先生の述べられるように、本来、国事行為として位置づけの無い多くの「公的行為」が象徴天皇制の中でどのように位置づけられるのかを考えると、非常に厳しい意見が出てきたとしてもやむを得ないと思われる。
 
 だが、それを理解した上でも、率直な感想としては「お気持ち」を最大限尊重した形での制度改正がなされると良いなと思う。そもそも、今上天皇への国民の「親しみ」の源泉は、陛下ご自身が築かれてきた数々の「公的行為」にあるのは論を待たない(お二人の記事でもそれは言及されている)。象徴天皇制の必要性を国民が実感している源がまずそこにあり、これらの「公的行為」が憲法上に位置づけの無い「第三の行為」だとしても、今後の天皇のあり方を考える上でこれらを抜きにした天皇のあり方というのは、現代では現実的に考えられないのでないか?
 
 また、「公的行為」を抜きにした「天皇の役割」を議論していくと、結局は象徴天皇制そのものの維持という部分に、どれだけ共感が得られるか(もしくはそう結論づける事になる政府に対する共感が得られるか)という問題が出てくるように思う。
 
 「お気持ち」を聞いて非常に感銘を受けたのは、陛下が昭和天皇が崩御される前後の世の中のさまざまな「停滞」を非常に危惧されている事である。陛下ご自身の口から、この危惧が語られるとは予想外である。そうした意味で、予想以上に踏み込んだ内容の「お気持ち」だったと思う。
 
 今後、さまざまな検討がされる中で、さまざまな問題はあろうが、まずはやはり今回表明された御意向が最大限考慮された結論が出る事を望んでいる。
 
 
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月 7日 (日)

オニハマダイコンが増えてきた?

Photo

 昨日、8月6日は、月例調査観察会「豊北植物調査会」。月に一度の豊北海岸の植物を調べて歩く日だ。
 
 幸いにも天候はすこぶる良く、しかも適度な風もあって熱射病のような心配をする必要もなく、気持ちの良い散策になった。上空には昆布刈石の発着場を発ったパラグライダーが飛んでいて、下から手を振ると、パイロットが手を振り返すのが見えた。
 
 
Photo_2
 ここ数年で道内の沿岸植生を席巻する勢いとも言われるオニハマダイコンは、これまで豊北を含む十勝海岸にはほとんど定着していなかった。全く無い訳ではないが、見つけようと思ってもみつからない程度の、偶発的な個体ばかりであった。
 
 ところが、今日の調査では合計6個体も見つかった。これは驚きと共に、警戒心を強くする出来事である。こんな事は初めてだからだ。今日確認された個体は全て抜き取ってきたが、今後の動向を要注意である。
 
 
Photo_3
 今年はSNS(ツイッター)で「ネジバナリレー2016」が開催されており、全国のネジバナ開花初認日が記録されている。浦幌でも7月29日に確認し、既にデータを提供しているが、今日はちょうど盛りだったらしく、随所で開花を確認できた。
 
 
Photo_4
 なかには白花の個体もある。
 
 
Photo_5
 ハマボウフウは花から果実へ移行しつつある。なにやら美しい昆虫が飛来していた。
 
 
Photo_6
 アカネムグラ。これも花のシーズンは終わりつつある。
 
 
Photo_7
 ヒメシロネはちょうど咲いた頃のようだ。
 
 
Photo_8
 オカヒジキの小さな雄花も見えた。右の黄色いのが尾花、左の白っぽいのが雌花。
 
 
Photo_9
 コケモモの実は赤くなりはじめたところ。ガンコウランは黒熟していて、果実を採りに来ている人の姿も見えた。
 
 
 合計で80種ほどの花の動向を記録。来月も第1土曜日に開催する予定。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月 5日 (金)

「さおばかり(桿秤)」の製造元を調べる

Photo

 
 先日、町の方から桿秤(さおばかり)一式を寄贈頂いた。実はこのタイプの桿秤は既にいくつも収蔵している。それにも関わらず再び受け入れたのは、持ち主などの来歴がはっきりわかっていたから。同種の秤の多くは来歴が不明だったので、こうした情報のはっきりした資料の受入は歓迎である。
 
 錘〔おもり〕に見慣れた「徳島」の表記とマークがある。実は同じマークの付いた錘というか分銅を、十勝ではよく見かける。その度に「また徳島か。なんで徳島なんだろう?」と思っていた。
 
 そこで、休日を利用し、十勝でやたらと見かける「徳島」印の桿秤の錘(分銅)について調べてみた。勤務日は来客対応や事務や展示作業で、調べ物ができず、じっくりものを調べるのはどうしても休日になってしまうという、全国の学芸員共通の悩みがここにもある。
 
 まず、徳島県の老舗の秤メーカーを調べる。「日本計量新報社」という業界団体があり、ホームページで「日本はかり工業会」加盟企業を一覧として公開している。ここで調べると、徳島県には、1913(大正2)年創業の「井内衡機株式会社」がある事がわかる。
 
 会社のサイトを見てみると、1913(大正2)年に四代目井内太平氏が「井内衡器製作所」(今とは「器」「機」の表記違いがある)を起ち上げたのが最初とされる。そこで井内太平氏を調べてみると、1863(文久3)年の生まれ、反物商を継いだ後、上記の会社を設立するといった、四国の著名な実業家である事がわかった。
http://iuchi-scale.jp/company.html 井内衡機のサイト
 
 井内太平氏そのものも興味深いが、博物館として大事なのは、寄贈資料がこのメーカー製造のものかどうかの同定である。そこで次に、分銅の「徳島」表記の下に描かれているマーク(印)に着目し、このマークが井内のものかを確認する。
 
 確認するためのツールは、これも最近はインターネット上に公開されている「特定計量器製造事業者による届出記号一覧」である。これは、秤のような計量器を製造しているメーカーが商品に付けている記号を一覧にしたもので、経済産業省が公開している。
 
 一覧を見ていくと、あった。
Photo_3
 分銅に着いているのと同じ記号である。企業名は「徳島県 井内衡機株式会社」とあり、推察が正しかった事がわかる。
 
 とりあえず、これで「資料カード」の製造元情報の欄に記入ができる。あとは、このメーカーの分銅がなぜたくさん見つかるのかを調べる必要があるが、これは少し時間がかかるだろう。
 
 こうした作業のひとつひとつが、博物館資料の価値を高めていくのである。他のマークの付いた分銅も、同様の作業でひとつひとつ潰して行こうと思う。
 
 
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年7月 | トップページ | 2016年9月 »