« 2016年5月 | トップページ | 2016年7月 »

2016年6月

2016年6月24日 (金)

ようやく晴れて豊北

Photo

 今月は本当に雨ばかりで日が差さず、農業への影響も深刻な状態が続いている。ようやく日の差した24日、昆布刈石と豊北を少し回ってきた。
 
 
Photo_2
2
 天候は良いが、波はけっこう高い。明日からまた天候は崩れると言う。
 
 
Photo_3
 漂着物でつくったのであろう、海岸には不思議なオブジェが組み上がっていた。
 
 
Photo_4
 ハマニガナの咲く、汀線に近い砂浜に、まさに雨後のキノコがニョキニョキと生えていた。
 
 
Photo_5
 本当にニョキニョキと。私はキノコは知らないままにしておこうと思っているので、標本にして知人の研究者へ送ろうと思う。
 
 
Photo_6
2_2
 30年前に「町の花」に指定されたハマナス。ぼちぼち咲いてきている。穏やかで美しいはずの6月の海岸だが、今年は天候に恵まれないのが残念。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年6月22日 (水)

尺別炭鉱労働組合歌のレコードを入手する

Photo

浦幌炭鉱の兄弟鉱山だった尺別炭鉱の労働組合が、1970年に組合の解散を記念して製作したレコード「さらに高鳴れ炭鉱のうたごえ」。札幌の古書店に出ていたので私費で購入し、18日のレコードコンサートに持ち込み、実際にかけてみた。

 

 

Photo_2

ここには「尺別炭鉱労働組合歌」のほか、三池炭鉱労組で唄われ、後に全国へ広まった「炭掘る仲間」、荒木栄の「がんばろう」など4曲が収録されている。閉山への思いなどが綴られた解説も付いている。地域資料としても面白いが、あくまで尺別の歌なので、これは釧路の博物館へ入れようと思う。

 

 

3

そう言えば最近はメーデーなどでも労働歌を歌う事は滅多に無い。唄っている中央合唱団は確かいまもあり、私もCDを持っているけれども、あれが背景に流れている事はあっても、みんなで唄った記憶は無い(むしろ高卒の頃に参加した集会やデモの時は唄った気がする)。

 

 

2

労働歌、けっこう良い歌が多いのにもったいないなと思うが、せっかく労働組合が新しいイメージを作ろうとしているのに、赤旗と労働歌では流れに水を差すような気もする。著作権の問題が解決されていない歌も多く、そのあたりの事情もあるのかもしれない。

 

 

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年6月20日 (月)

2532D釧路から浦幌の光景

40777

2016年6月20日月曜日。釧路19時19分発、新得行2532Dで浦幌へ帰る。車両は国鉄色のキハ40 777。仕事帰りや通学生など23名で発車した。

 

新富士で5名下車。通勤利用らしい。白糠から来た下り2579Dと交換。今夜も雨。

 

高架を降り、都会の無人駅という感じの新大楽毛に到着。5名下車。ここも通勤利用あり。

 

ゆるゆると発車して製紙工場の横を通り、かつての馬産地大楽毛着。1名下車し4名が乗車。乗ってきたのは高専の学生さんのようだ。かつては大楽毛〜釧路の区間運転が朝晩とあったが、いまはどうなのだろう?

 

19時42分、東庶路信号場着。昨日乗ってきた2529Dと交換待ちのため、しばし停車する。

近くのボックスで高校生が野球談義をしている。野球部なのだろう。

19時46分、ピョッという短い警笛を響かせ2529Dが通過し、47分こちらも発車した。


庶路は乗降なく、すぐに発車。ついで西庶路で高校生1名下車。

 

並行する国道38号線に、雨をついて大型トラックがたくさん行き交っているのが見える。

 

石炭岬を回り込むようにカーブし、厳島神社の参道を踏切で横切って白糠着。高校生と一般客3名が下車。

 

20時10分に古瀬を通過。古瀬トンネルを抜けて漆黒のパシクル沼を横切り、音別海岸に沿って南下すると、大塚製薬と秋田蕗のまち音別。高校生など12名が下車し、乗客は2名となった。

 

いつもだと音別で私以外誰もいなくなる事もあるので、私以外に乗客がいるというだけで今日は嬉しい。

 

20時26分に尺別着。乗降なし。

先に着いていた、帯広からの下り2531Dと交換する。あちらも乗客2名の様子。

 

同時発車して、キナシベツ湿原と直別トンネルを抜けて直別。すぐに直別川を渡り釧路国から十勝国入り。浦幌町域へ帰ってきた。レンガ積みの乙部トンネルを抜けて海岸線を厚内へ向かう。

 

厚内、上厚内と乗降なく、厚内トンネルを抜けて長い築堤を下り、20時59分、常豊信号場に入線。あと一息なのだが、ここで4009D下り特急スーパーおおぞら9号を待つためしばし停車する。

 

 

40

ところで、キハ40 777には、国鉄時代の扇風機がついている。自分でスイッチを押して動かせる。

 

左前方から、ながーい特急列車の灯りが近づいてきて、21時05分にすれ違った。タタンタタンという軽快な音が上厚内方向へ去って行くと、おもむろにこちらの列車も発車する。

 

踏切を過ぎ、通称千間道路が近づいてきて並走すると帯富の集落。その向こうには浦幌川が流れている。まもなく下車駅浦幌だ。

 

Photo_9

21時11分、浦幌着。私1名が下車。乗車はなし。車内にはまだ1名の乗客を乗せて、定刻に発車して行った。今日も定時運行おつかれさま。

 

 

Photo_10

なお、6月は池田〜浦幌の臨時列車が運行されている。

この列車は、市販の時刻表に掲載されていないが、誰でも利用できるので、ぜひ機会があったら乗っていただきたい。

 

 

Photo_11

 

 

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年6月19日 (日)

2529D浦幌から釧路の光景

Photo_6
2016年6月19日日曜日。仕事を終え、釧路行普通列車2529Dで、浦幌から妻の暮らす釧路へ帰る。
 
17時48分発。浦幌で2名下車。乗り込みは私のみ。車内に3名いて、乗客4名で発車。車両はキハ40 1768。
 
霧雨の中、17時54分に常豊信号場を通過して上厚内への長い築堤勾配にかかる。
 
浦幌市街は晴れていたが、厚内トンネルを出ると視界が白い。濃霧の中を上厚内着。1分の早着だが、行き合いのため6分ほど停車する。
 
はやく上厚内へ引っ越したいが、なかなか家がみつからない。みんな冗談だと思っているが、私は真剣に上厚内に住み、通勤定期券を買って汽車通勤したいと考えているのだ。ぼんやり集落の空き家を眺めるうち、18時07分に上り貨物2094列車が通過し、18時09分にこちらも発車。
 
どんどん霧が濃くなる中、厚内川を下って18時16分厚内着。乗降なし。一昨日、この先の昆布軽石で土砂崩れがあり、海岸の道道が通行止めだったが、今朝から 開通したらしい。
 
発車し海岸線に出るが、霧で海は真っ白。まだ十勝だが、気候は既に釧路に入っている。史跡オタフンベチャシも見えぬ。
 
釧勝踏切を通過し、左から国道38号線が近づいてきて、片側がレンガ橋台の直別川鉄橋を渡ると釧路入り。釧路市音別町の直別に停車する。ここで10分とま り上り2530Dと行き合う。
 
かつて駅前の樹林にアオサギのコロニーがあったが、オジロワシが多くて脅威のため数年前に放棄した。豊かな自然よ。
 
定時に2530Dが到着し、こちらも定時に発車する。行き合ったあちらの車両はキハ40 1755と1758の2両編成。2両でも連結しているだけで、列車らしい頼もしさを感じる。
 
直別トンネルを抜けてキナシベツ湿原を横断。エゾシカの親子が 飛び跳ねながら霧の中へ消えて行く。尺別に到着。
 
 
Photo_7
実は夏の暑い夜は、仕事のあとでこの汽車に飛び乗り、尺別で降りて海岸で缶ビール片手に夕涼みして再び汽車で帰る、という楽しみ方をしている。今年はそれどころかまだまだ寒くてやっていない。7月になったら暑くなるだろうか。次は音別。
 
オロナミンCとポカリスェットが詰まっているのであろう、JRコンテナが積まれた音別を定時に発車。貨物扱いのある昔ながらの一般駅である音別は、私の好きな駅のひとつ。この駅前に汽車でひとり飲みにくる事もある。知り合いに会わないから煩わしくなくて良い。
 
真っ白い霧に時節エゾシカの姿が見えるので、運転士氏は気が気でないのだろう。海岸を離れ、警笛を鳴らしながらパシクル沼湿地の横断に入る。なにか水草が 見えぬかと眼を凝らすが、浮葉のひとつもわからぬまま古瀬トンネルを抜ける。
 
古瀬は停車せず18時59分に通過。視界が開け、和天別川を渡ると白糠。
 
19時05分白糠着。この列車の難点は、ここで26分も停車することである。なにが難点って、どうせなら開き直って40分くらい停まってくれれば、駅前の「や はた」でラーメンを食べて来られるものを(実際、前はそうだった)。これはもちろん冗談で、生活利用者からしたらなんとかして欲しいダイヤだ。
 
 
Photo_8
「やはた」には行かないが、それでも駅を出てスーパーで買い物をし、帰りがてら構外の人道橋から、行き合いとなる上り特急スーパーおおぞら12号を見送った後、車内に戻る。まだあと1本、上り貨物2096列車の到着を待ってからの発車となる。
 
尺別あたりから車内も寒かったが、白糠停車中に運転士氏が暖房を入れてくれた。まだまだ道東は寒いのである。
 
貨物も定時に来て発車。並走する国道は時速40km制限区間なので、どんどん列車が車を抜き、気持ちが良い。もっとも、西庶路停車中に全部抜き返された模様。
 
すっかり暮れて闇の中を庶路発車。恋問海岸の直線区間に入り、19時47分に東庶路信号場を通過。待たせていた上り2532Dと行き合う。こちらは停車しない ので、なんだか申し訳ない感じ。通過ごしに見たあちらの乗客は3名くらいの様子。
 
国道をくぐると大楽毛着。ここで1名下車し、3名乗ってきた。
 
住宅地のような新大楽毛を出ると、星が浦の市街地や工業用地を立派な高架で走り抜け、釧路貨物駅を併設する新富士に着く。
 
警笛を響かせて新釧路川を渡り、釧路運輸車両所を左に見ながら終着釧路。乗客6名で到着。
 
今日も定時運行お疲れ様でした。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年6月14日 (火)

新着資料展での「かめや食堂資料」

2

 6月11日(土)から7月10日(日)まで、「新着資料展:最近博物館へきた資料たち」を開催している。
 
 新着資料展そのものは、帯広百年記念館時代に数年前から始めた。寄贈いただいた資料を、まずは一度お披露目しよう、また期間中に登録作業などもしてしまおう、と考えて始めたもの。ただ、帯広の場合は初めて見ると意外に?来館者が多く、期間中にじっくりと登録作業をするという目論見はすぐに崩れてしまったが、御寄贈いただいた方のお気持ちを思うと、寄贈後すみやかに一度お披露目をするというのは、博物館として大切かなと、やってみてあらためて感じていた。
 
 そこで、浦幌でもこれをやろうと考え、とりいそぎ、ここ2年間で寄贈いただいた資料で「新着資料展」を試みた。
 
 
1
 とは言え、浦幌でも年間500〜1000点近い資料を毎年受け入れており、これを全て公開するのは不可能。ほんの一部をご紹介するので精一杯なのである。そこで、今回は小型の資料を中心に、しかも一括コレクション(●●家や●●商店などから一括で寄贈いただいたもの)を軸に展示品を決めた。
 
 
Photo
 今回の目玉は「かめや食堂資料」。実際には、系列の「佐々木水産資料」と言った方が良いかも知れない。
 
 厚内の水産加工会社、佐々木水産の資料と、系列のかめや食堂資料を、まとめてご紹介したものである。
 
 
Dsc_0089
 かめや食堂は、博物館や役場にほど近い場所にあった小さな大衆食堂。当時は、役場職員のみならず、まだ東山にあった浦幌高校の先生や、駐在所の巡査などがよく利用した。出前も多かったと言う。
 
 最近、この食堂建物の中を整理されているそうで、忙しいところ無理をお願いして、この機会にいろいろと資料を寄贈いただいた。写真は店名の入った割り箸。「食事の店かめや」と刷ってあるが、この表記は箸袋意外には見られず、のれんや電話帳にも「かめや食堂」しか無いから、正式な店名というよりも売り文句のようなものだったのだろう。
 
 
Dsc_0084
 かめや食堂の文字が入った湯呑茶碗。
 
 
Dsc_0097
 かめや食堂のスタートは、厚内にあった佐々木水産の敷地内で始めた「厚内食堂」である。これはその頃に作られたマッチ。
 
 
Dsc_0102
 その後、本町市街地にある農協(Aコープ)2階で「浦幌農協組合食堂」を請け負っていた。これはその頃に作ったマッチ。このマッチが大量にあり、その後の「かめや食堂」になってからも、新しいマッチは作らず、このマッチを配っていた。
 
 
Dsc_0057
 厚内食堂の文字が入った、麺どんぶり。かめや食堂の時代まで使い続けていたと言う。
 
 
Dsc_0065
 ラーメン鉢。かめや食堂は雑貨屋の2階にあった。当時「1階の雑貨屋も引き受けてくれたら建物を譲る」との話があったそうで、実際に開店当初は1階の雑貨屋も経営していたと言う。かなり面白い話なので、こんど詳しく聞き取りをしておきたい。
 
 
Dsc_0079
 蓋付きどんぶり。食器史の文献を読むと、もともとドンブリには蓋は無く、後年、付くようになったとのこと。これまで私は逆(もともと蓋があったのが、だんだん使われなくなってきた)と思っていたが、違ったのであった。こうした食器史と町の大衆食堂での使われ方(実態)の関係は重要な気がする。なにかの本で「カツ丼に蓋がされずに出される事が多くなってきたのはいつ頃か?」という問題提起がされていたが、そうした風俗記録をたどるのは興味深いことである。
 
 
Photo_2
 壁にかけられていた「浦幌町戸別明細図」。いわゆる住宅地図である。こうした詳しい市街地図は、当館には意外と残っていない。しかし、町の細かな配置(商店とか倉庫とか)を知るのにまたと無い資料である。
 
 しかもこれは食堂の壁に3枚重ねて貼られていたもの。同じように壁にかけられていた電話帳も寄贈いただいた。出前の際には重宝したことだろう。残念ながら地図本体に発行年月日が書かれていないが、3枚を並べると浦幌小学校と浦幌高校の移転前後である事が判明したので、1982(昭和57)〜1985(昭和60)年頃の地図だと推察した。
 
 
 このほか、岡持3種を寄贈いただいた。出前の量(運ぶ食器の量)に応じて、大きさが異なるものである。アルミ合板にリベット打ち、持ち手が木製という、昭和の大衆食堂で広く見られたタイプである。こうした町の個人商店史を、聞き取りとモノによって記録する事は、地域史にとって意義の大きい事で、それができるのも資料を一括寄贈いただいた事による。この手法での収集は、今後も重点的に実施していきたい。
 
 また、佐々木水産資料では、筋子やいくらなどの水産加工品を製品として販売するための「木箱」数種と、比較のための最近の「発泡スチロール箱+紙製化粧箱」を寄贈いただき、展示した。木箱の製造は白糠町庶路の会社だったが、時代の変化で既に木箱生産から撤退している。水産業とそれを取り巻く関連産業との関係を示したひとつの事例で、この流れもいずれまとめておきたいと思う。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年5月 | トップページ | 2016年7月 »