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2016年4月20日 (水)

ウラホロイチゲを予習した

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 今日は夜学講座「ウラホロイチゲを予習する」を開催。みんなでウラホロイチゲについて、形態、分類、発見の経緯などについて学んだ。
 
 あらためて、ロシアでの新種記載論文、西川恒彦先生たちによる日本(浦幌)での発見報告、そして実は同時期に見つけていたものの同定に至らず、先をこされてしまった釧路での発見報告などを読み込んで、ゼミの論文紹介風に解説した。
 
 
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 ロシア人Komarovにより新種発表されたのが、浦幌に鉄道が開通した1903(明治36)年。実はこれより前の1895(明治28)年、日本人により浦幌川で採集されていたものの、当時は新種と気づかずにキクザキイチゲ扱いされたまま、90年以上北海道大学農学部標本庫(SAPT)で眠る事になる。
 
 写真は1903年にKomarovが、それまでAnemone nemorosa ssp. amurensis〔キクザキイチゲの亜種〕としていたものを新種Anemone amurensisとして発表した時の記載論文(Komarov, V.L., 1903. Trudy Imperatorskago S.-Peterburgskago Botanicheskago Sada. Acta Horti Petropolitani. 22: 262-263.)。
 
 
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 北海道教育大学の西川恒彦先生らによって、浦幌町での生育が正式に発表されたのは、Komarovより85年後の1988(昭和63)年。写真はその論文で、1988年発行『植物研究雑誌』第63巻第9号の表紙と表題部分(西川恒彦・中井秀樹・伊藤浩司, 1988. 北海道のウラホロイチゲ)。
 
 そしてこのとき、93年前に浦幌川で採集されていた、北大所蔵標本の存在が初めて明らかになる。
 
 
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 しかし、実はこれとほぼ同時に釧路市立博物館の新庄学芸員と高嶋八千代さんが、山を挟んですぐ反対側の音別町で発見しており、西川先生論文の翌年1989(平成元)年の釧路市立博物館紀要へ報告していた。ただし、このときも同定できず、キクザキイチゲとイチリンソウの雑種的なものとして発表されている(発表は西川先生たちより遅いが、それ以前から採集された標本の蓄積が釧路にはあった)。
 
 写真は1989年発行『釧路市立博物館紀要』第14輯の表紙と掲載の論文(新庄久志・高嶋八千代, 1989. 釧路地方におけるAnemone属の一種について(予報))。
 
 
 もし、1895年の浦幌川での採集時に新種と気づいていれば、学名はAnemone amurensisとはならずにAnemone urahoroensisになっていたかもしれないし、新庄さんたちがあと2年はやく発表していたら、和名はクシロイチゲとかオンベツイチゲになっていたかもしれない。
 
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 さまざまな先人達の、不思議な研究の交錯を知ってか知らずか、ウラホロイチゲ、今年も満開になりつつあります。

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