« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »

2016年4月

2016年4月24日 (日)

春の植物続々

Photo

 
 春になり、植物も次々に開花してきた。釧路のアパートではハコベが満開。いよいよ雑草の季節にも入ってきた。
 
 
Photo_4
 
 浦幌町の東山森林公園では、アスレチック遊具の下にヒメイチゲが頑張っていた。人に踏み付けられる事も少ない上、上空が網になっていて光も注ぐ。良い場所を見つけたなあと感心する。
 
 
Photo_2
 
 ミズバショウも開花。水辺の春を彩っている。浦幌町内にて。
 
 
Photo_5
 
 アズマイチゲ。ウラホロイチゲと共に、春を告げる花。今年は花が無く根生葉のみの個体も多い気がする。
 
 春の花続々。忙しい季節になってきた。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年4月20日 (水)

ウラホロイチゲを予習した

Botsad3
 
 今日は夜学講座「ウラホロイチゲを予習する」を開催。みんなでウラホロイチゲについて、形態、分類、発見の経緯などについて学んだ。
 
 あらためて、ロシアでの新種記載論文、西川恒彦先生たちによる日本(浦幌)での発見報告、そして実は同時期に見つけていたものの同定に至らず、先をこされてしまった釧路での発見報告などを読み込んで、ゼミの論文紹介風に解説した。
 
 
Photo
 
 ロシア人Komarovにより新種発表されたのが、浦幌に鉄道が開通した1903(明治36)年。実はこれより前の1895(明治28)年、日本人により浦幌川で採集されていたものの、当時は新種と気づかずにキクザキイチゲ扱いされたまま、90年以上北海道大学農学部標本庫(SAPT)で眠る事になる。
 
 写真は1903年にKomarovが、それまでAnemone nemorosa ssp. amurensis〔キクザキイチゲの亜種〕としていたものを新種Anemone amurensisとして発表した時の記載論文(Komarov, V.L., 1903. Trudy Imperatorskago S.-Peterburgskago Botanicheskago Sada. Acta Horti Petropolitani. 22: 262-263.)。
 
 
Photo_5
Photo_2 
 
 北海道教育大学の西川恒彦先生らによって、浦幌町での生育が正式に発表されたのは、Komarovより85年後の1988(昭和63)年。写真はその論文で、1988年発行『植物研究雑誌』第63巻第9号の表紙と表題部分(西川恒彦・中井秀樹・伊藤浩司, 1988. 北海道のウラホロイチゲ)。
 
 そしてこのとき、93年前に浦幌川で採集されていた、北大所蔵標本の存在が初めて明らかになる。
 
 
Photo_6
Photo_3
 
 しかし、実はこれとほぼ同時に釧路市立博物館の新庄学芸員と高嶋八千代さんが、山を挟んですぐ反対側の音別町で発見しており、西川先生論文の翌年1989(平成元)年の釧路市立博物館紀要へ報告していた。ただし、このときも同定できず、キクザキイチゲとイチリンソウの雑種的なものとして発表されている(発表は西川先生たちより遅いが、それ以前から採集された標本の蓄積が釧路にはあった)。
 
 写真は1989年発行『釧路市立博物館紀要』第14輯の表紙と掲載の論文(新庄久志・高嶋八千代, 1989. 釧路地方におけるAnemone属の一種について(予報))。
 
 
 もし、1895年の浦幌川での採集時に新種と気づいていれば、学名はAnemone amurensisとはならずにAnemone urahoroensisになっていたかもしれないし、新庄さんたちがあと2年はやく発表していたら、和名はクシロイチゲとかオンベツイチゲになっていたかもしれない。
 
3   
 さまざまな先人達の、不思議な研究の交錯を知ってか知らずか、ウラホロイチゲ、今年も満開になりつつあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年4月17日 (日)

日々の作業が力になると思うこと

3

 熊本を中心とする九州の地震の被害が心配だ。東海大学農学部には、かつて先輩も在学していたし、熊本大学からは、昨年、2名の研究者がはるばる浦幌まで資料調査に来られた。そうした方々の安否と共に、熊本城やジェーンズ邸など文化財の被害が明らかになっていくについて、職業的な心配も日に日に増している。
 
 東日本大震災のとき、SNSは災害情報の共有に大きな力を発揮すると意識し、膨大な情報を整理しつつ、文化財の修復など学芸員間の横の連携が強まった。今回は状況が少し異なり、地震はまだ収まって居らず、博物館・図書館や文化財のレスキューはもう少し後になりそうである。
 
 我々は日頃から標本や資料を集め、保存する事を第一の至上命題としている専門職である。当然だが、地震が起きてから文化財を守るのではなく、地震で被害が生じた時に適切な処置がとれるような資料扱いの知識・技術は、日頃の活動の積み重ねで鍛えられていくものである。だから学芸員は、どんな小さな博物館でも、常に資料を(モノを)触っていなければならないと思う。
 
 いまはまだ文化財レスキューなどの動きは(情報収集・情報連携は別として)本格的に始まっていない。いまやる事は、日々の標本・資料整理活動であり、そうした活動への理解者・協力者をつくる事である。それがいつか災害に対しても力を発揮するはず。
 という事で、今日は毎月恒例の「お茶を飲みながら資料を磨く会」を開催。
 
 
1
 いつも通りの農具類のサビ落とし。今日は雨のため、外収蔵庫からはあまり持ち込まず、小型の道具を中心に手入れしたが、ひとつだけ「アイカケ」というカルチベーターのような道具のサビ落としをしてもらった。ちょっと室内でやるには大きい道具だったが・・・
 
 
2
 今回は、3月に閉校した厚内小学校関係の資料整理も実施した。特に写真資料。会報などの原稿に用いられた写真には、裏に台紙に貼っていた時のセロハンテープの粘着が残っているものがある。これを消しゴムと指でこすりながら剝離する作業。部分的にカッターナイフも用いる。台紙から剥がした写真には現状を鉛筆で記録する手間もあり、割と時間のかかる作業だ。
 こうした作業をボランティアさんに経験していただき、資料を残すってこういう事なんだ、と理解と共感を得られれば、博物館にとって、文化財にとって大きな力となると考えている。
 
 正直、1回あたりの作業量は微々たるものだが、無理の無い範囲で毎月続けて行きたいと考えている。
 自分自身が最近、事務仕事に追われて標本や資料と共に過ごす時間が無い事への自戒をこめて。忙しさにかまけて学芸員が「博物館係」の“お役人”になり下がってしまうと、本当につまらん事にしかならないからなあ。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年4月15日 (金)

厚内小学校のチョウの標本

Photo

 今年、2016年の3月31日限りで廃校となった、浦幌町立厚内小学校。
 その旧校舎には、昇降口に大きな「厚内のチョウ」の標本展示があった。
 
2
 色も褪せ、採集情報などの標本としての基本情報が欠落しているが、どうやら厚内で採集された標本である事は間違い無いようだ。しばらく考えたが、学芸員仲間からの助言もあり、やはり当館で引き取る事にした。
 と言っても、大ケースのままでは無理なので、標本箱を持参し、1個体ずつ移し替えを実施した。
 
Photo_2
 こうして全個体を回収。なかには既に破損が著しいものもあるが、地域の自然史研究の歴史を証する標本であり、地方博物館として収集・保存する意義はある。
 今後、「厚内小学校標本」といったラベルを新製し、各個体毎に虫ピンに刺していきながら整理作業を進めたい。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年4月 8日 (金)

ヤマノカミを収蔵

Photo  

ヤマノカミ様の絵を御寄贈いただいた。

浦幌町の炭山付近で仕事をしていた林業の人達の神様で、毎年12月12日には木を伐らず祀りをしていたと言う。近隣で捕まえたヘビを漬けた酒を奉納したのだそうだ。絵柄や伝承からオオヤマツミノカミだと思われる。

 

永年使っているうちにボロボロになり、あちこち自己流で補修した跡が残る。紙質も劣化し、ポロポロとなっている。

計測の上、株式会社資料保存器材に発注して、中性紙の保存箱(巻子箱)を購入して収容。ただ、本当は脱酸処理などが必要かもしれないし、裏打ちして額装した方が安全かも。状態から、これ以上丸めて保存しておくのは良くないと思われる。

あとは予算との相談だが、見積もりだけでもとってみようか。

 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年4月 4日 (月)

ご復活おめでとう

Photo

 3月31日の夜、浦幌町のELT(外国人英語指導教員)のコレットさんに教えてもらって、風船に毛糸を貼り付けて作ったイースターエッグ。と言っても、なんだかうまく卵形にならなかったが、5人5様のおもしろい形になった。
 
 今年のイースター(復活祭)は、私の所属する西方教会(カトリックやプロテスタント)が3月27日、ユリウス歴を用いる多くの東方教会は5月1日となっている。
 
 ご復活おめでとうございます。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年4月 1日 (金)

浦幌学芸1年経過

16

 
 浦幌町立博物館へ来て1年が経過した。昨年のいまごろは、帯広百年記念館での新着資料展の撤収を終わらせてバタバタと浦幌へ移った初日で、まだ自宅も引っ越しておらず、帯広から自動車で急行した。しばらくは帯広住まいであった。
 
 町の暮らしにも慣れ、人々にもいろいろと知り合いも出来て楽しい反面、博物館の仕事で言えば正直なところ帯広百年記念館が懐かしい気持ちがまだ強い。なにせ浦幌は自分しかいないので、とにかく忙しい。それも学芸の仕事で忙しいのとは異なる部分で追われている感じ。また、そもそも学芸員がしばらくいなかったので、学芸員とか博物館というものが組織にいまひとつ浸透しておらず、どう扱って良いのかわからないという感じで扱われている気がする。
 
 空気感で言えば、学芸員の仕事をしているというより、町の役人という感じが強い気がする。事業も博物館の事業か?というようなものが結構あるし、調査研究はこの1年間はまともにする事ができなかった。植物標本にも全くと言って良いほど触れていない(資料扱いについては、技術的な面も含め、これはまずいなあと思い始めている)。
 
 まあ、こうした点が、館が役場や本庁と独立していて、館長や事務職員が専任で配置され、学芸員も複数いるような館と異なるところなのだろうが、まあ、そうした小規模館の問題点を実体験するために飛び込んだのだから、実感を得られて良かったとも言えよう。あとは実感で終わらせず、どう役人から学芸員へと仕事の中身も空気感も変えて行かれるかという事が大事なのだと思う。
 
 帯広含め、たまに中規模・大規模な博物館へ行って学芸員たちと話をしたりすると、いいなあ羨ましいなあと思う面がたくさんある。だが、そうして相談できる学芸員が周囲にたくさん居るという事は大きな力だなあと思う。いいなあ羨ましいなあと感じる面のうち、実際に浦幌で採り入れられるものを選び、状況を少しずつ変えていくしか方法は無いのだろうと思う。
 
 これまで投稿させてもらっていた紀要を、今号から私が編集している。ようやく最新号となる『浦幌町立博物館紀要』の第16号を発刊した。ISSNも取得し、執筆要領なども整備した。体裁を少し変更し、自然史系の短報が投稿しやすい形にした。採集記録とか分布情報とか、幅広く投稿を呼びかけ、多くの方からさまざまな分野の情報を集め、発信していきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »