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2016年1月

2016年1月28日 (木)

『生れ月の神秘』と『ソヴェートの力』

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 また変な本を買ってしまった。
 『生れ月の神秘』と『ソヴェートの力』。
 釧路の喫茶店内で開催中だった「古い本 古いもの」市に妻と出かけ、ぶらぶらと見ている中での二冊。特に『生れ月の神秘』はなかなか変な本で、著者はなんと山田耕筰。あの大作曲家、山田耕筰である。
 
 「もともと占いとか好きだったみたいですよ」と店員さんが言うとおり、帰宅してから調べてみると、占星術が趣味だったようだ。だが、占星術と言ってもこの本は星占いではなく月占い。誕生月ごとに「性格」「為すべきこと」「短所」「慎むべきこと」「●月生れの子供」の項目があり、各月の扉には御丁寧にその月生まれの著名人の名と職業が並んでいる。
 
〔物質文明の光が洽く満ち溢れてゐる西洋ですら、今なほ迷信が残つてゐるはかりでなく、むしろ物質文明の裏にこそ、却つて迷信の闇もあり、無智な先人ののこした遺風はもとより、新しい科學の生んだ新しい迷信さへもが存在するのです〕
 
 などと、ふーん、というような事も「著者の言葉」に書かれていて、けっこう読ませる本である。私は占いというものを気に掛けていないが、さっそく自分の誕生月にざっと目を通してみると、これがなかなか面白い。どうしようかなーとも思ったが、店員さんの説明も面白くて、どうしても気になり、買ってしまった。
 なお、まったく関係ないが、山田耕筰作品の著作権は、先日2015年12月31日で切れたそうである。
 
 『ソヴェートの力』の方は、元英国教会の司祭だったヒューレット・ジョンソン師の著作で、これは結構有名。なにせ教会の現役牧師が社会主義を解説したりしていたので、当時は「赤い僧正」などと呼ばれていたらしい。救世軍にもスミス少佐という「赤い少佐」と呼ばれた牧師さんがいたが、私も含め、キリスト者には社会主義に心惹かれる人が昔からいたという事か。こちらも購入。
 
 
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 今回の「古い本 古いもの」は、釧路市鳥取の国道38号線沿いにある shop & cafe RHYTHNさんで開催。主催は系列のsendさんらしい。そして中でも古書は、釧路駅の表と裏の両方にある豊文堂書店が協力しているとのこと。
 
 本当はもう終わっていたはずなのだが、天候が悪かったせいもあり、期間を一週間延長しているそうだ。と言うことは明後日30日までか。お近くの方はぜひどうぞ。
 
 

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2016年1月23日 (土)

幻の列車に乗る

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金曜日、旭川の帰りに、帯広2035発の2559Dへ乗った。
交換となる4012Dスーパーおおぞら12号遅延のため、4分遅れで発車した。車両はキハ40 1778である。
 
この列車、帯広駅の電光掲示板も、車内放送も、車体のサボまでも池田行となっている。時刻表にもそう書かれている。だが、実は平日には(つまり週の大半は毎日)浦幌まで延長運転しているのである。池田から先は、いわゆる幻の列車だ。
 
駅のどこにも「浦幌行」の案内が無いので、不安になって、みどりの窓口で「20時35分発は、今日は浦幌まで行きますか?」と尋ねたら、すぐに内線電話で「2559Dの臨時運転ありますか?」と確認してくれた。その結果は「行きますよ」。
 
さらに乗る前に運転士へも「この汽車、今日は浦幌まで行く?」と声をかけたら「行きますよ」。
 
だが、これでは、臨時運転の事を知らない人は全く気付かないではないか。不思議な扱いだなあ。
 
 
列車は定刻に池田着。利別を出た後の放送もやはり「次は終点、池田です」と言っており、どうなる事かと思ってみていた。
 
と、ホームに助役が待っていて、到着するとすぐにサボを反転し「浦幌行」 にした。運転士も放送機器をガチャガチャ言わせて浦幌行にセットしなおし。
20時9分、列車はひっそりと「浦幌行臨時列車」に変わり発車した。乗客は5人。
 

昭栄信号場は通過して2110十弗着。2128豊頃着。いずれも乗降は無し。上り2532Dと交換する。あちらは乗客2人の様子だ。

                                             
 
      
 
 
      
 

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2016年1月17日 (日)

早朝の車窓は美しい

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 日曜日なので、教会へ行くため、浦幌6時42分発の2521Dで釧路へ向かう。妻が釧路に住んでいるため、教会も十勝ではなくカトリック釧路教会のミサへ出させてもらう事にしている。このため、日曜日に仕事の無い日は、土曜日の夜か日曜日の朝に釧路へ向かう。浦幌からでは2521Dが始発となる(他に厚内始発の釧路行がある)。
 
 到着した列車には先客がひとり。と思ったら次の上厚内で降りたので鉄道ファンなのだろう。この列車は池田始発だから、昨夜は池田に泊まったのだろうか。上厚内から私ひとり。
 
 上厚内では、昨年に歴史を終えた上厚内神社の鳥居がみえた。今朝は枝先が白く凍る霧氷が美しい。
 
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 厚内で朝日がでる。7分停車。上り2522Dと4002D特急スーパーおおぞら2号の2本と行き違う。
 
 3番線に2522Dが先に来ており、私達は中線の2番線。7時9分に特急が1番線をかけぬけて行った。2522Dの運転士が来てこちらの運転士と歓談中。
 
 
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 厚内から直別にかけて朝日。今朝もきれいだのう。この朝日を多くの方々に列車から見てもらいたいものだが。
 
 
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 ゆるゆると直別へ停車。樹木の霧氷が朝日を浴びてジリジリと融けていくのがわかる。美しいものだなと思う。
 
 
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 直別を出るとキナシベツ原野の大やちボウズ地帯を通過する。もう一面のボウズだらけ。ああ、今年はスゲの会へ行きたいなあと思う。
 
 厚内、直別、尺別と乗降なしだが、それは日曜日だから。普段は高校生や白糠、大楽毛へ働きに行く方々が乗ってくる。列車は無駄に走っているのでは無い。
 
 7時33分音別着。4名の地元の方々が 乗ってきて、列車はいつもの生活列車の空気になった。これこそ鉄道。普通の日常の繰り返しを確実に実行できるようにするのが鉄道の姿だなと思う。
 
 
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 音別海岸からパシクル沼へ入るあたりでは、海面からたくさんの湯気のようなものが。けあらしだ。今朝も冷えたからねえ。パシクル沼を横断し古瀬へ停車する。
 
 
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 白糠着。上り2570Dと行き合う。あちらはキハ54。音別までは朝晩と入る運用がある。1名の乗客の他に保線区員も1名乗車して発車。運転台に添乗し、じっと前方を監視している。
 
 西庶路で3名乗車。庶路で1名乗車。大楽毛で1名下車して5名が乗車。釧路が近づくにつれて各駅で動きが出てきて興味深い。
 
 
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 新大楽毛乗降なし。新富士1人下車1人乗車。そして終着釧路には私を含めて13人の乗客で到着。保線区員氏も釧路まで添乗した。2番線へ入線。
 サボがすぐに白糠行きに差し替えられた、今朝のキハ40 739。
 
 
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 釧路教会のミサへ出た後に妻の家へ寄る。明日は通常は休みだが展示の入れ替えがあるために仕事があり、夜の汽車で帰る。
 
 浦幌への帰路は釧路19時23分発の新得行2532D。車両はキハ40 1751。釧路駅までは妻が送ってくれる。
 
 釧路を乗客18名で定刻に発車。新富士2人下車、新大楽毛1人下車1人乗車、大楽毛10人下車、白糠2人下車。
 
 音別で下車がないなと思っていたら寝過ごしで、次の尺別で女子高生が1人下車。ちょうど下り2531Dと行き合うが、携帯電話で家族へ連絡しており、待合室で待つらしい。事情を聞いていた運転士も心配そうな顔だったが、確かに女の子が1人冬の夜の尺別待合室は心細かろう。今頃は迎えも来て家で暖まっている頃だ。
 
 浦幌定時の21時12分着。この時点で珍しく乗客3名で、浦幌下車は私のみで、2人の乗客と運転士を乗せて汽車は出て行った。残った乗客は地元高校生らしい人と旅行者風が1人。この先も安全運行で新得まで行って欲しい。
 
 
 

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2016年1月15日 (金)

目的の土器がみつからない

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 目的の土器が探し出せない。
 今日の午後、わざわざ帯広から十勝太若月遺跡、古川遺跡の土器を見に来られた方がいたのだが、2つあった目的の土器のうち1つは見つけ出す事ができなかった。これは多分に、考古学の報告書と、そこに引用されている土器の分類や整理法に精通していない私の力量不足によるものである。
 
 
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 結局、該当する遺跡名のついたコンテナを全部片っ端から降ろしてみるという作業をしたが、中にも当然土器片がいっぱいで、全く見当がつかなかった。
 
 これはまずい。当館はやはり考古学系の問い合わせや資料閲覧が多いので、もっとまともな対応ができなくては大変なことになる。
 
 折しも、文化財保護法関係事務も増えてきて、その方面も一から勉強なのだが、いや本当に参った・・・

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2016年1月13日 (水)

浦幌の喫茶店「松屋」の資料を頂く

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 仕事が終わってから、頼まれていた原稿のチェックをしようと、駅前通りの喫茶店「松屋」さんへコーヒーを飲みに寄ったら、マスターが「マッチありましたよ」と、いまから20年くらい前につくった広告マッチを出してきてくれた。マッチのデザインは創業以来3回ほど変更しており、これはその最後のデザインだと言う。
 
 以前に、町の商店の記録として店名の入ったマッチを集めているとお伝えしたところ、探しておいてくれたのだった。「資料にして下さい」と頂いた他、なんと昭和40年頃の開店当時から10年間ほど使っていたというコーヒーカップまで、「良かったら持って行って下さい」と御寄贈頂いた。感謝である。
 
 
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「いま見ても古く感じないデザインでしょう」とマスターが言うとおり、まったく今の時代でも違和感の無い、美しいデザインだ。
 
 松屋のマスター、中山光勝氏は、最初、帯広の豆問屋でコーヒーの指導を受けた。その帯広の豆問屋というのが、東京都港区虎ノ門に今も店舗を構える株式会社松屋珈琲店の一番弟子が、1952(昭和27)年頃に開店した店だった。カップの意匠は、その東京の松屋珈琲店で用いていたものであり、浦幌で店を始めるにあたって意匠の許可を得て作ったのだそうである。
 
 この東京の松屋珈琲店、ホームページを見たところ、1918(大正7)年創業の老舗で、しかも創業者の畔柳〔くろやなぎ〕松太郎氏というのが、日本のコーヒー史上、忘れてはならない人物のようだ。1908(明治41)年にブラジルへ渡った第1回移民団の栽培したコーヒーが、1914(大正3)年になって初めて日本へ送られた際、神戸港にそれらを受け取りに行き、まだ国内消費量がほとんど無かった時代に、皇国殖民合資会社のコーヒー担当として売り捌き、普及に貢献したのだそうである。1921(大正10)年には、自らも独立してコーヒー豆問屋となり、現在の松屋珈琲店を設立した。
 
 一方、浦幌の松屋は、先代の故中山晃明氏の代はなんと駄菓子屋であった。お店を継ぐにしても、「これからの時代はもう駄菓子屋はなあ」と考えた光勝氏(現在のマスター)は、もともとコーヒーが好きだったので喫茶店を選択した。そして、1985(昭和60)年に晃明氏が亡くなるまでの20年間は、駄菓子屋の2階で喫茶店を開いていたのだと言う。この1階の駄菓子屋がそもそも「松屋」を名乗っており、当時は2階の喫茶店も松屋だったそうだが、仕入れていた問屋も「松屋珈琲店」であり、名前に偶然の縁があったという事なのだろう。
 
 その他、帯広喫茶連合会の記念誌も見せて頂いた。現在、加盟店舗は40ほどになり、帯広以外の郡部で加盟している店は4店舗ほどしかないそうで、マスターも役員を務めている。店内にはこの喫茶連合会の会員証がカウンター横に掲出されているが、そう考えるとこの会員証も貴重な資料とも言える。
 
 毎日、夜遅くまで店を開けている松屋さんの歴史は、浦幌の商店街の歴史でもある。資料と共に、またいろいろとお話を聞き、記録化していきたいと思う。
 
 
 

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2016年1月 6日 (水)

「今」を集める博物館

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 実は帯広百年記念館にいた頃から、いつかは小樽の石川さんを講師に呼びたいと考えていた。帯広時代には実現できなかったが、今回、ようやく浦幌で企画する事ができた。ただ、帯広と異なり、当館での講座では客数がとても少ないと予想されるのが、遠路はるばる来て頂くのに申し訳ないところではある。
 
 小樽市総合博物館には手宮の本館と小樽運河前に建つ分館の運河館がある。手宮の本館は旧国鉄の鉄道記念館を引き継ぐ有名な鉄道博物館であり、50両もの実物車両が保存・展示されている。
 
 小樽の博物館の話をすると、私の関心はそちらの本館にあると思われがちだ。それはもちろん本館の鉄道に関心はあるのだが、実は別な意味で運河館の方に昔から興味がある。それは、運河館の活動こそ、地域博物館としてのいろいろな要素が凝縮されていると思うからである。そこには、小さくて、そしてやたらと貧乏な地方博物館が、職員のアイディアと資料収集によって、コツコツと積み上げてきた姿が詰まっている。
 
 今回、小樽で取り組んでいる「地域を記録する」活動について、そのユニークな資料収集と地域研究の観点でお話をしてもらう事になった。その中身は、当地浦幌でも実践できる部分が少なくないと思う。これからの浦幌町立博物館の活動を考えていく上で、ぜひあらためて勉強させていただきたいという、まったくもって私が聞きたい話として企画した博物館講座なのだが、多くの方にご参集いただきたい。1月9日、次の土曜日の開催です。
 
 講座の時間・場所などはこちらを御覧下さい。
浦幌町立博物館のサイト:http://www.urahoro-kyouiku.jp/education/?p=4875

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