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2015年11月 2日 (月)

上厚内神社最後の日

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 木造駅舎で知られる上厚内集落は、人口が減少し、集落の神社をお守りしていく事が厳しくなった。そこで、浦幌神社へ合祀される事となり、今日、遷座の儀と合祀祭が行われた。
 
 
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 上厚内神社の前を通過して上厚内駅へ進入する上り列車。既に神社の標柱は昨日のうちに抜き取られ、浦幌神社へ移されている。このあと遷座の儀が17時30分より開催され、神社としての役目を終える。
 
 
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 小さな拝殿からのぞいた祭壇。大きな鏡が目立つ。八幡大神と大山祇(オオヤマツミ)大神の2柱の神様が祀られている。
 
 
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 神社内に残る書き物などによると、1928(昭和3)年に八幡神社として祀られたのが始まりとされるが、実は前史があり、1909〜10(明治42〜43)年にこの地へ天照大神を祀ったとの記録も見られ、はっきりしない。
 1928年に八幡神社として祀った際の立役者が今村浅次郎という人物で、社殿内に肖像が残されていた。これらは後日、浦幌神社の御輿殿へ移送される事になっている。
 
 
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 最後の玉串奉奠。わずかな人数となった上厚内地区の氏子の方々が、厳かに玉串を献げる。
 この後、浦幌町ただ一人の神主である浦幌神社の脊古宮司(右)により、御神体が運び出され、浦幌神社へ遷られた。
 「おおーっ、おおーっ、おおーっ」というかけ声と共に宮司が神様を抱いて出て行くと、直ちに社殿内の片付けが始まった。
 
 
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 本殿の扉が閉じられ、畳の上げられた社殿内。上厚内神社の歴史が終わった。
 
 
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 宮司の手によって運ばれた神様をお迎えし、続けて浦幌神社で合祀祭が開かれた。この後の直来まで出席し、上厚内集落の皆様にご挨拶をして辞する事にする。
 
 小さな神社でも閉じるとなると思いはいろいろとあると思われる。直来で総代代行の方がご挨拶されていたが、もともと総代の方が人口減少により合祀をしたいという願いを持っておられたそうだ。だが、合祀前に急逝されたため、この日の遷座・合祀となった。
 1928(昭和3)年の八幡神社を起源とすると、記録によれば創建は11月7日という事になる。そこで、合祀祭も同じ11月になったらしい。「神様をお祀りする形は変わっても、今後は浦幌(本町)から上厚内をお守りくださっている事に変わりはありません」という宮司の言葉が印象的であった。
 
 博物館でも、神社と相談し、記録化と資料の保存に努めていく計画である。

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コメント

来年の春には学校もまたひとつ消滅しますし、人が減って集落からさまざまな施設が無くなっていくのは寂しいものですね。
博物館としてどういう記録の形ができるか、神社とも相談しながら、いろいろ取り組んでみたいと思っています。

投稿: 持田 誠 | 2015年11月 4日 (水) 07時23分

こんばんは。今回の記事もとても興味深く読まさせていただきました。神様を合祀するのは初めて知りましたが、今後も人口減少に伴う過疎化で無くなっていく神社があるのかと思うと何とも言い様のない気持ちになりますね。
今回の件は大変な作業になると思いますが是非とも記録として残して頂きたいと思います。

投稿: 小野ゆかり | 2015年11月 3日 (火) 23時30分

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