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2015年11月

2015年11月30日 (月)

待降節第一主日は暇なのか?

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 またしても不信仰な一年が過ぎた・・・ 西方教会各教派のキリスト者は待降節第一主日(今年は11月29日)から一年が始まるとされる。そして11月22日に年末(最終主日)を迎えた。

 
 この最終主日と翌週の待降節第一主日には、昨年もミサに出席した。その前の年もこの日は出ていたと思う。日頃は日曜日になかなか教会へ行けないのに・・・。
 
 という事は、博物館の世界では11月下旬から12月はじめにかけては行事が少ない、あまり仕事してないという事なのだろうか?ちょっとした発見をした気になったが、もちろん偶然なのだと思う。しかも暇だったかと言われるとそんな気もしないし。それにしても不思議だ。
 
 カトリック釧路教会の玄関に、また待降節の装飾が現れた。

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2015年11月12日 (木)

ザリガニ捕りとまがたまと

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 11月7日(土)の午前中は、前日から浦幌町へ滞在している酪農学園大学の野生動物保全学実習の一環で、浦幌の自然を楽しむ会によるウチダザリガニ駆除作業。帯富の沢へ出かけて、寒空の下で網を振るう。
 
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 ここで聞いてみてわかった事だが、そもそもザリガニを自分で捕獲した事の無い人や、直接ほんもののザリガニを見た事の無い人がけっこういるのであった。私もニホンザリガニを見たのは北海道へ来てからだが、本州では多いアメリカザリガニは子供の頃に近くを流れる早渕川沿いの水田へよく(無断で)捕りに行ったものである。しかし、いまはそうした事はあまり身近な経験ではないんだなという事をあらためて実感した。
 
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 この日の成果は、小型の個体を12体捕獲。もう寒いし初心者ばかりだし厳しいかとおも思ったが、なかなかの成果である。
 この後、博物館へ持ち帰り、計測後に捕殺。なお、特定外来生物であるウチダザリガニは捕獲後に生きた状態で移動する事は原則禁止されており、今回の処置も環境省に届け出た上で、指定された方法により実施している。
 
 
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 午前中で、さらに山へ入る実習生達とは別れ、午後は中央公民館の調理室を借りて開催した「まがたまづくり」。帯広百年記念館の伊藤学芸員を講師に招き開催した。
 
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 実は帯広時代から「なんでいまどき、<まがたま>なんかに惹かれるんだろうなあ」と思っていたのだが、一生懸命に紙ヤスリで石を削ったり磨いたりしている子供達を見ていると、なんとなくわかる気がした。
 
 当然ながら美しくなるには時間が不足しているので、子供達は持ち帰り、自宅で引き続き磨き続けるように指導。さあ、みんなどうしているだろうか?
 
 

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2015年11月 2日 (月)

上厚内神社最後の日

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 木造駅舎で知られる上厚内集落は、人口が減少し、集落の神社をお守りしていく事が厳しくなった。そこで、浦幌神社へ合祀される事となり、今日、遷座の儀と合祀祭が行われた。
 
 
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 上厚内神社の前を通過して上厚内駅へ進入する上り列車。既に神社の標柱は昨日のうちに抜き取られ、浦幌神社へ移されている。このあと遷座の儀が17時30分より開催され、神社としての役目を終える。
 
 
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 小さな拝殿からのぞいた祭壇。大きな鏡が目立つ。八幡大神と大山祇(オオヤマツミ)大神の2柱の神様が祀られている。
 
 
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 神社内に残る書き物などによると、1928(昭和3)年に八幡神社として祀られたのが始まりとされるが、実は前史があり、1909〜10(明治42〜43)年にこの地へ天照大神を祀ったとの記録も見られ、はっきりしない。
 1928年に八幡神社として祀った際の立役者が今村浅次郎という人物で、社殿内に肖像が残されていた。これらは後日、浦幌神社の御輿殿へ移送される事になっている。
 
 
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 最後の玉串奉奠。わずかな人数となった上厚内地区の氏子の方々が、厳かに玉串を献げる。
 この後、浦幌町ただ一人の神主である浦幌神社の脊古宮司(右)により、御神体が運び出され、浦幌神社へ遷られた。
 「おおーっ、おおーっ、おおーっ」というかけ声と共に宮司が神様を抱いて出て行くと、直ちに社殿内の片付けが始まった。
 
 
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 本殿の扉が閉じられ、畳の上げられた社殿内。上厚内神社の歴史が終わった。
 
 
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 宮司の手によって運ばれた神様をお迎えし、続けて浦幌神社で合祀祭が開かれた。この後の直来まで出席し、上厚内集落の皆様にご挨拶をして辞する事にする。
 
 小さな神社でも閉じるとなると思いはいろいろとあると思われる。直来で総代代行の方がご挨拶されていたが、もともと総代の方が人口減少により合祀をしたいという願いを持っておられたそうだ。だが、合祀前に急逝されたため、この日の遷座・合祀となった。
 1928(昭和3)年の八幡神社を起源とすると、記録によれば創建は11月7日という事になる。そこで、合祀祭も同じ11月になったらしい。「神様をお祀りする形は変わっても、今後は浦幌(本町)から上厚内をお守りくださっている事に変わりはありません」という宮司の言葉が印象的であった。
 
 博物館でも、神社と相談し、記録化と資料の保存に努めていく計画である。

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