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2015年8月20日 (木)

みつかった標本から思ったこと

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 今年の初夏、釧路の方から、当館に阿部宏氏の採集したチョウの標本があるはずだが、という御連絡を頂いた。さっそく探したのだがみつからず、日頃から館の活動にご協力いただいているM氏に御相談したところ、旧館である『浦幌町郷土資料館報告』に阿部標本についてまとめた事があるとのこと。さっそく該当号を見てみると、確かにリストが記録されている。
 ただ、その後のお話で、十勝沖地震の際に多くの標本が失われたという事があったとも教えて下さり、さらには「それでも残った標本を整理し、養老孟司氏が来館した際に自分の標本と共に見せている〔養老氏はチョウの研究家で知られる〕という情報も頂いた。という事は、どこか近くに残っていると思われるが、残念ながら館内からはまだ見つかっていない。
 そのうち怒濤の夏休みこども博物館シーズンへ突入したために標本探しを中断していたが、その一方でM氏が探索を続けて下さり、なんと1箱がみつかった。さっそく釧路の方へも御連絡をした。
 
 ここでの教訓はふたつ。ひとつは、標本は永久に保存するのが博物館の使命だが、確かに大地震などがあると保存体制が一気に崩壊し、以前の情報を継承しにくくなること。自分も参加した東日本大震災での標本レスキューでもいろいろと交わされていた話ではあるが、あらためてこうした事が起こるんだなあということ。
 それを念頭に置いた標本の所在確認の方法を考えておかないと「あるはずなのに見つからない」状態が今後も続く事になってしまう。膨大な収蔵資料の多くは、直接その資料名指しで問い合わせが来る事は小規模館ではきわめて少ないので、こうした機会を大切に出来るよう、資料の所在情報を徹底して管理する必要がある。
 
 もうひとつは、M氏の郷土資料館報告への執筆のように、収蔵資料について目録なり紀要なりで活字の記録を残しておく事の重要性。その標本の受入の経緯や、標本の特性など、受入カードだけではわからない情報が詰まっているし、万一標本そのものが見つからなくても、この情報を問い合わせた方にお伝えする事はできる。
 これは、いま取り組んでいる紀要の雑誌記事索引採録の話とも関係するが、やはり市町村館の紀要に載せられた情報をオープンにする事で、資料活用の機会は無限に広がるという事だ。心して取り組んでいかなければならないなあと、あらためて実感した貴重な機会であった。
 
 

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