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2015年1月

2015年1月29日 (木)

「ゲロリ展」と「郷土美術展」

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 帯広百年記念館では、ロビーにて「ゲロリからはじまるスケートの歩み」展を開催中。2月の氷まつりへ向けて、館の正面玄関前にリンクを整備中で、当日は竹スケートやゲロリを履いて滑る体験を開催予定。
 
 
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 2階特別展示室では、郷土美術展も開催中。十勝各地区から出品された絵画や七宝、木工、和紙人形など、90点以上の作品が展示されている。
 
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 富良野の北海へそ祭りをモチーフとした和紙人形。1人1人の表情が楽しい。
 
 

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2015年1月27日 (火)

ヒイラギナンテン

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 先日、道内の温室で見かけたヒイラギナンテンMahonia japonica 。横浜ではよく見かけたのだが、これなんていう植物だったかと首を傾げていると、妻が持っていた電話で調べてくれて判明。北海道へ来てから植物を学び始めたので、ほんと本州の植物がよくわかっていないなと痛感する。
 節分でイワシの頭と共に玄関へ掲げるのはヒイラギOsmanthus heterophyllus (モクセイ科)。ヒイラギナンテンはメギ科で、そもそも分類が異なる。言い訳ではないが、モクセイ科のヒイラギだったら、横浜市立新田中学校の科学部員だった頃に、文化祭で葉脈標本しおりを作った際、大量に近所の農家の垣根から採集した事があり、見ればわかる(はず)。
 そもそも節分の時、メギ科のヒイラギと共にヒイラギナンテンも使われているのかも知れない。帯広ではとんと見かけないが、父が暮らす横浜の農村部では、節分には今もヒイラギ(もしくはヒイラギナンテン?)とイワシの頭が玄関に飾られる。
 
 

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2015年1月21日 (水)

北海道鉄道線路図

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 北海道立図書館からお借りしている明治40年の北海道鉄道路線図(下のモノクロ、複写版)と、帯広市図書館所蔵の復刻版明治32年版北海道鉄道路線図(上の赤線の図)で、現在の根室本線白糠〜豊頃間を比較してみる。明治32年の路線図にあった計画線(赤い実線)と比較線(赤い破線)がそれぞれ部分的に消されているのが、痕跡からわかる。
 
 当初の計画では、白糠から十勝太までずっと海岸線沿いであった(図の赤い実線)。それが、パシクル沼と音別川河口を避ける為に内陸部への比較線が引かれた。その比較線は、いったん内陸部へ入ったきり海岸には出てこないルート(図の赤い破線)で、鉄道部年報などにも記述がある。
 
 その後、パシクル沼を避けた後に再び海岸線に出るルートが検討され、さらに十勝太へ抜けずに厚内から内陸へ入って浦幌を経由する現在のルートがさらに検討され、決着を見ている。
 
 つまり、現在線のルートは当初計画線と比較線の単純二択ではなく、かなりの紆余曲折を経て考案された折衷案と言える。この区間の経路設定に関する研究は少なく、原因は戦災などの影響もあって工事誌が残っていない事らしいのだが、残された記録と図面を丹念に検証していく事で、いろいろと浮かび上がってくる事もあり、興味深い。
 
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2015年1月14日 (水)

逐次刊行物の見出し作りで地理を楽しむ

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 全国から送られてくる博物館出版物を収蔵する文献室の逐次刊行物書架を整理し、地区別、館種別の見出しを製作した。

 県別に北から進んでいくと、いつも迷うのが東海、信州、中部、北陸といったあたりの順番。神奈川県の次に何県が来るべきか?具体的にはいつ新潟県に出るべきか?そしてどう中部圏を脱出するべきか?が悩ましい。

 

 総務省の自治体コード順では、

 

東京→神奈川→新潟→富山→石川→福井→山梨→長野→岐阜→静岡→愛知→三重→滋賀


 の順序になっている。


 図書館の分類体系である「日本十進分類法」(NDC)でも、地理区分番号はこの順序になっている。


 日本郵便が発行する『郵便番号簿』は、

 

神奈川→山梨→長野→新潟→富山→石川→福井→岐阜→静岡→愛知→三重→滋賀

 

の順序になっていた。神奈川の次に山梨が来るのは、神奈川出身としては落ち着くのだが、静岡がえらい遠いなという感じがしないでもない。

 

 ちなみに、わが博物館業界をとりまとめている日本博物館協会はさらに複雑怪奇で、『博物館園職員録』などの配列は、

 

東京→山梨→静岡→愛知→岐阜→神奈川→新潟→富山→石川→福井→長野→三重→滋賀


 になっている!なんだこれは?

 この本、ほんといつも目的の博物館を探しづらくて困るんだが、どういう根拠でこんな配列になっているんだろう。

 

 ところで今回、三重県をどこに入れるべきかかなり迷ったのだが、三重県はその位置づけが「中部」「近畿」「東海」など、区分法によって異なるのがその原因らしい。 

 

 再び図書の分類基準である「日本十進分類法(NDC)」の地理区分を見ると、三重県は中部地方(-15)に分類され、近畿地方(-16)とは区別されている。

 比例代表選挙の近畿ブロックからも三重県は外されており、東海ブロックに入っている。

 一方、国土地理院がGISデータの補正に用いる為に定める「平面直角座標系」というものでは、三重県は第6系の近畿に入っているという。これはフェイスブックで大学の後輩から教えてもらった。

 ちなみに酪農学園大学の同窓会区分では、三重県は最初「近畿」に入っていたのに、いまは「中部」へ区分が変わっているという。これもフェイスブックで同窓会事務局の方から教わった。 

 

 たしかに三重県は、明治時代に定められた八地方区分では近畿に位置づけられており、以来、小学校の教科書ではこれを踏襲してる。だが、これはあくまで学校教材(元は『小學地理』いまの社会科)で用いられているというだけで、実は行政的には今も「**地方」の定義は無いはずである。

 

 今あるのは先に掲げた総務省の地方自治体コードで、6桁ある番号の頭2ケタが都道府県を示す番号だ。ただ、このコードも順序だけで、地方区分はしていない。

 

 郵政省が解体されて以後、郵便局は総務省の管轄だが、『郵便番号簿』を見ても三重県は近畿からは外されており、東海に区分されている。

 

 ちなみにNDCでは、山梨県も中部地方-15の筆頭に位置づけられており、関東地方(-13)とは区別されている。これ神奈川県から見ると全く不思議な感覚なのだが面白い。

 

 ちなみにフェイスブックで友人知人達とこの事を話していると、かなり「近畿だ」「中部だ」とかなりいろいろな御意見を頂いた。近畿日本鉄道が走りまくっている三重県は、JRではJR東海が大半を管轄している。東西で文化圏が異なるという意見もある。地理って面白いなとほんと思う。

 

 

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2015年1月 4日 (日)

主の公現

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 カトリック教会では元旦は「神の母聖マリア」、1月第一主日は「主の公現」のミサが執り行われる。
 
 
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 カトリック山手教会聖堂。現在の聖堂は1933(昭和8)年、それまでの聖堂が関東大震災で倒壊した事により、新たに建築されたものである。
 
 
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 外人墓地に近い場所柄のせいか、主日のミサは9時30分からが英語ミサ、11時30分からが日本語のミサとなっている。日本語のミサへ出席したが、新年第一主日のせいか満席であった。
 
 
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 横浜における最初のカトリック教会は山手ではなく、1861(文久元)年に海岸沿いの居留地に建設された。現在の山手教会は、1906(明治39)年に現在地へ移転した事によるものである。当初の教会「横浜天主堂」の跡地には碑が建てられている。
 
 
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 この天主堂のあった場所は、みなとみらい線元町・中華街駅への入口(2番出口)のすぐ脇にあるので、とてもわかりやすい。
 
 

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2015年1月 3日 (土)

正月2日は瀬戸から横浜へ行く

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 明けて正月2日。妻と別れ、ここからは単身で神奈川県を目指す。瀬戸市付近は雪が目立つが、名古屋市へ向かうにつれて雪が消えて行った。気候が少し変わるのか。

 

 

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 八草からリニアモーターカーのリニモへ乗り、藤が丘へ出る。軌道の形が珍しく、道床ごとずれるポイントの形は跨座式モノレールを彷彿とさせる。

 

 

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 ホームもホームドアがぴったりと連動する形になっている。完全自動運転のために運転席は無人で、代わりに鏡餅が座っていた。

 

 

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 藤が丘から、昨日下車した千種までは名古屋市営地下鉄東山線に乗る。今日の車両は昨日とは異なり5000形。藤が丘駅にて。

 

 

 

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 実は地下鉄東山線に乗れば、そのまま名古屋まで出られるのだが、国電区間も含めて中央線を東京から乗り通してきた以上、きちんと名古屋までの全区間を乗り通すのが本線に対する礼儀であろう。という事で、昨日下車した千種から再び中央西線に乗り換え、名古屋へ出る。

 高蔵寺で非常停止ボタンが押されたとかでしばらく停車したため、11分遅れで千種へ入線する中央西線快速5720M。

 

 

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 このあと横浜へ向かう私にとっては、途中の金山~名古屋間が復乗となる。このため、はみだした区間の往復運賃を納める復路専用乗車券が清算窓口で発売している。これを入手するのも今回の目的のひとつであった。

 

 

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 名古屋へ到着し、ホームできしめんを食べていると放送が入り、なにやらまた列車の遅れを伝えている。ホームに居た助役に、乗る予定だった新快速について聞くと「この列車はもう今日は動かないと思いますよ。垂井~大垣間で自動車が橋桁に衝突したので、安全確認のため運行打ち切りだと思います。」

 この新快速5324Fは米原から来るので、途中の垂井〜大垣間で起きた自動車事故の影響を喰らってしまったようだ。1本はやい5508Fならば事故区間のすぐ手前にある大垣始発だから良かったのだが、きしめんを食べているうちに行ってしまった。

  豊橋まで行くというと、次の快速5510Fに乗れと言う。だが、隣のホームには先に出る岡崎行普通3154Fが停車している。念のために車掌氏へ聞くと、途中の刈谷で後から来る快速5510Fへ乗り継げると言うので、刈谷まで座っていく事にする。

 

 

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 いろいろトラブルはあるが、それでも千種駅で買った時刻表を繰りながら善後策を練っての汽車は楽しい。金山でたくさん乗車し、さらに熱田で破魔矢などを持った人がたくさん乗って来て列車は結構混んできて、大府で大量に下車があった。

 刈谷で後を追ってきた快速5510Fへ乗り換えて豊橋へ向かう。刈谷駅ホームには、嵩上げ前の古いレンガが残っていた。

 

 

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 豊橋に到着。掛川行の普通列車5950Mへ乗り換える。車内保温の為、1両に3つあるドアのうち真ん中の1つだけを開けている。同じ客室内保温でも、JR北海道とは方法が異なり面白いが、結構混んでいるので不便な気がする。

 豊橋の次の二川を出たところで愛知県を出て静岡県へ入った。車内は結構混んでいて、県境を越える利用がけっこうあるんだなと興味深く旅客流動を観察する。

 赤ちゃんが泣いていたが、お父さんがあやしても泣き止まず、お母さんに抱かれると泣き止むのが面白い。

 浜松で大量に下車し、再び大量の乗車があったが、それも豊田町、磐田まででほぼ降りる。袋井では、揃って眠っていた母娘がふと顔を上げ、「あれえ降りるよ」と叫んで飛び降りて行った。定刻に終着掛川に着く。

 

 

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 掛川では10分の接続で興津行794Mへ乗り継ぐ。合間に駅前へ出てみると、新しく綺麗な木造駅舎だった。

 

 

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 駅舎の中も小ぎれいで、キヨスクもあり、整っている。天竜浜名湖鉄道、昔の二俣線の接続駅で、そちらの駅舎も隣接して建っていた。

 

 

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 ホームにはやはり嵩上げ前の古いレンガが見える。東海道線は歴史を感じさせる施設が多く、特にトンネルにもレンガが多く見られ、興味深い。

 

 

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 やってきた興津行794Mへ乗り継ぐ。左が794M。右は今乗って来た5950Mが折り返すところ。

 

 

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 島田、焼津そして静岡とけっこうな乗降があり、清水で少し空いた程度で、立ち客の残るまま興津着。3番線が区間運転列車の指定席らしい。山が迫る駅のホームに自分の影が伸びる。

 

 

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 興津は17-8年前に一度降りた事がある。酪農学園大学の先輩が住んでいた時に泊めてもらったのだった。先輩いまごろどこでどうされているだろうか?駅舎も駅前の様子もかなり変わっていた。

 

 

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 これまで随所で見られた静岡県立美術館の企画展「風景の解剖学」のポスターが気になる。もちろん行く事はできない。興津で10分の接続により熱海行440Mへ乗り継ぎ。

 

 

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 新富士付近では山頂が隠れた富士山が見えた。この区間はお茶どころで、車窓には茶畑が広がっている。

 この列車も結構混んでおり、立ち客が多い。東海道線は比較的どこも混んでおり、正月の買い物、初詣、旅行など多方面で鉄道が信頼を得ている姿を目の当たりにできた。

 

 

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 長い丹那トンネルを抜けて熱海着。場内信号機の都合で入線にしばし時間を喰った。

 ここまで乗って来た440Mは、さっそく折り返し島田行の方向幕に回転している。列車の状態を指差確認する女性車掌さん。キビキビとした動作確認を見ていると、自分もやはり鉄道員になれば良かったなと思う事がある。

 

 

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 熱海でJR東海からJR東日本へ変わり、列車も3両編成から一気に15両編成となった。編成が長すぎて先頭の写真を撮る時間が無い。

 伊東線が若干乱れており、乗り継ぎの東京行快速アクティ3766Mは3分遅れて発車した。その後も大船を発車して程なくプーップーッという警報音と共に緊急停車。2分ほど停車の後、乗客による非常停止ボタンの誤操作と判明して運転を再開したが、今日は非常停止ボタンによく泣かされる日だ。これも正月多客期のためなのだろう。定刻より2分ほど遅れて17時59分、横浜へ着いた。

 ここで東京からの乗車券は終わり。改札口を出て東急東横線へ乗り換える。

 

 

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 やってきたのは営団7000系で、これが東横線かと一瞬ひるむ。永年慣れ親しんだ東横線だが、どうも渋谷駅が地下へ移り副都心線直通となってからの運行形態がまるでわからなくなった。

 

 

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 父方最寄りの綱島へ到着。次の日吉でも良いのだが、どちらにしてもここからバスに乗り換える。

 高校を出て一時期は、ここでバスの誘導員をしていた。当時とはいろいろ変わったが、高架下に設けられた後退式の発着所や狭くてゴチャゴチャした駅前。バス降車停留所の看板は昔のままだ。

 

 

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 綱島駅バスのりば側。とにかく道が狭く、バスやらタクシーやら乗用車やらバイクやら人やらで常に混雑している。

 

 

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 改札口が増設されたり塗装や壁の感じが変わったりしている中で、この「バス降車停留所」の看板は41年間同じである。なぜそう言い切れるかというと、私は幼少の頃、この看板で「停留所」という漢字を覚えたからである。

 

 

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 路線バスの操車場となっている綱島駅バスのりば。一番手前の6番乗り場に市営59系統が入線しているが、昔は隣の5番乗り場を東急バスと共用していたはず。いつ変わったのだろう。

 私は4番のりばから「城01系統」の東急バスに乗って帰る。これが今日最後の交通機関。

瀬戸を出たのが10時頃、父方へ着いたのが19時ころだから、9時間くらい。愛知県瀬戸市から神奈川県横浜市港北区までの移動としては、思ったよりも早かった。今年もいろいろな公共交通機関に乗る一年にしたいものである。

 

 

 

 

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2015年1月 2日 (金)

元旦、松本から愛知県瀬戸市へ行く

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 明けて元旦の朝、雪の舞う中を少しだけ市内見学に回る。お正月で松本城の天守閣などに登る事はできなかったが、城の構内は無料開放されており、入口では記念の絵葉書まで頂いた。
 私は日頃あまり城を見て回ったりする事は無いが、雪の中の松本城は美しかった。
 
 
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 元旦という事で和太鼓が打たれていたり
 
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 よくわからないが、甲冑を着た武士がいたりした。この後は書き初め大会も予定されているそうで、松本のシンボル国宝松本城をさまざまに活用しているようだ。
 
 
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 城のあちこちには数種類の家紋が掘られている。なかでも気に入ったのが水野氏の「丸に立ちおもだか」の紋。オモダカ Sagittaria trifolia L.の葉の両側に2本の花茎を立たせている図柄は、水草研究会の会員としてもとても楽しめる。
 
 
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 松本城の植物の話題としては、あちこちに見られるヤドリギ。写真の右にも大木にたくさんのヤドリギが着生しているが、どれも北海道で見るヤドリギに比べてすこぶる大きい。
 
 
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 この写真ではよくわからないが、どのヤドリギも真っ黄色だ。近づいて見てみると、黄色い果実をたわわに実らせているのがわかった。野幌でよく見るようなアカミヤドリギは見た感じ無く、どれも黄色い実がついていた。
 
 
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 さらに「宇宙ツツジ認定26号」なるものもある。女性宇宙飛行士の向井千秋さんが宇宙へ持っていったツツジから得られた種子から育てたものらしい。詳しい説明は雪で開設板が埋もれていてわからなかった。26号という事は、他にもどこかにあるのだろう。 
 
 
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 お城の門の外だがお濠の内側に建つ松本市立博物館。同業者である私達が休みなのだから、こちらが休みでも当然文句は言えない。この稼業、他の博物館の展示を見る事がなかなか難しい部分がある。あらためて見学に来てみたい。
 
 
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 お城を出て北へ進むと、カトリック松本教会があった。元旦は神社やお寺が初詣で賑わうが、キリスト教会でも元旦ミサや礼拝を行うところが多い。松本教会も、帰りに通りがかった際には、元旦ミサに向かう人々が集まり始めていた。
 
 
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 そのカトリック松本教会のフランス人神父であったクレマン師が、1889(明治22)年に建てた司祭館が、移築・復元されている。下見板張りに青い立方体状の建築物で、元は旧武家屋敷跡地にあったそうだ。現在は教会の手を離れて松本市へ寄贈され、教育委員会が管理している。
 
 
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 その司祭館の横に建つのが、有名な旧開智学校校舎である。1876(明治9)年に、やはり市内の別の場所へ、約7割の資金を当時の松本全住民からの寄附でまかない、建てられたという。1963(昭和38)年に現役の小学校としての役割を終えた後に解体。この地へ移築・復原されて、今は教育資料館として公開しているそうだ。
 
 
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 横から見たところ。塗色がなんとなく北海道大学の古河講堂を彷彿とさせる。先の司祭館よりも移築はむしろ開智学校の方が先で、司祭館は1991(平成3)年に隣へ復原されたとのこと。こちらも正月はお休みで入れなかったが、今度あらためて見学に来てみたい建物だ。
 
 
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 旧開智学校の横には現役の開智学校・・・松本市立開智小学校が建つ。明らかに旧開智学校校舎を意識した様式の校舎になっていて面白い。
 
 
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 松本城の周囲は神社やお寺、教会が多い。松本市総鎮守らしい松本神社。拝殿に高低差が無くフラットに近いのが珍しく感じる。
 
 
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 やはりお城に程近い日本聖公会聖十字教会も、2010年で100年の歴史を刻んだという古い教会だ。
 
 
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 冷え切った体をいったん喫茶店で暖めた後で松本駅へ移動。今日は松本から愛知県瀬戸市へ移動する。
 
 
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 乗車券は昨日の続きの東京都区内から横浜市内行きに、複乗となる篠ノ井線の松本から塩尻までを加えたもの。利用する列車は松本発名古屋行きのL特急ワイドビューしなの12号なので、その特急券がさらに加わる。
 
 
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 塩尻から先の中央西線は、私にとって初めての乗車区間であり、今回非常に楽しみにしていた。新潮社の『鉄道旅行地図帳』を片手に車窓に目を凝らす。日本アルプスの山々の隙間を縫うように流れる川に沿って、松本盆地から名古屋を目指すこの区間は、折からの雪景色も加わって想像していた以上に美しく、興味深かった。
 写真は途中で停車した木曽福島駅のホーム。降りしきる雪で、駅の外がよく見えない。この日、日本海側から中部地方は荒れた天候で、雪と寒さが厳しかった。いつしか県境を越え、長野県から愛知県へ入る。
 
 
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 雪煙を立てて中央西線を疾走してきたL特急ワイドビューしなの12号。この日は終点の名古屋まで乗らず、停車駅でひとつ手前の千種で途中下車する事にした。ここで名古屋市営地下鉄東山線へ乗り換える。
 
 
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 藤が丘駅に停車中の名古屋市交通局N1000形。藤が丘からはさらに愛知高速交通のリニアモーターカー「リニモ」へ乗り換え、瀬戸市へ達する事ができた。元旦の移動はここまでで終わる。
 
 

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2015年1月 1日 (木)

年末、信州松本へ行く

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 12月31日、釧路空港から東京へ飛び、妻の実家の愛知県へ向かう。釧路空港の出発表示器は通称パタパタと呼ばれるソラリー式(反転フラップ式)。かつては駅でもよく見かけたが、最近は少なくなってきたように思う。

 
 
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 せっかくなので中央東線経由で松本へ立ち寄り一泊。翌日に中央西線で名古屋へ出た後、単身横浜の生家へ向かう事にする。そのため、乗車券は東京都区内から横浜市内行き、経由地が中央東線、中央西線、東海道線となる。さらに塩尻〜松本は篠ノ井線に飛び出すので、あらかじめ往復乗車券を用意した。中央西線を乗り通すのは今回が初めてだ。
 
 
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 往路の特急はスーパーあずさ19号。新宿駅始発だが、せっかく乗り通すので電車区間始発の東京駅から乗る。
 
 
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 折しも甲州・信州は雪と風が強くなってきた。強風のため、信濃境〜富士見間にある立場川鉄橋の信号が赤になったらしく、手前で緊急停車。しかし、それほど大きな混乱もなく、無事に松本へ到着した。
 
 
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 大晦日という事で、雪舞う中ではあるが宿場の近くを少し散策した。「四柱神社」というのがあり、行ってみると大勢の人が繰り出して初詣に並んで大賑わいであった。
 
 
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 四柱神社門前町の「なわて通り」の年越し風景。夕方は閉まっていた店々も開き、甘酒などをふるまっていた。
 
 
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 それにしてもなかなか寒い。寒いが、城下町の趣のある街中に雪が降ると、その光景は夜でも美しい。寒い寒いと言いつつも、除夜の鐘の鳴る街並みを眺めつつ宿場へ戻る。

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