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2015年1月 3日 (土)

正月2日は瀬戸から横浜へ行く

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 明けて正月2日。妻と別れ、ここからは単身で神奈川県を目指す。瀬戸市付近は雪が目立つが、名古屋市へ向かうにつれて雪が消えて行った。気候が少し変わるのか。

 

 

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 八草からリニアモーターカーのリニモへ乗り、藤が丘へ出る。軌道の形が珍しく、道床ごとずれるポイントの形は跨座式モノレールを彷彿とさせる。

 

 

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 ホームもホームドアがぴったりと連動する形になっている。完全自動運転のために運転席は無人で、代わりに鏡餅が座っていた。

 

 

5000

 藤が丘から、昨日下車した千種までは名古屋市営地下鉄東山線に乗る。今日の車両は昨日とは異なり5000形。藤が丘駅にて。

 

 

 

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 実は地下鉄東山線に乗れば、そのまま名古屋まで出られるのだが、国電区間も含めて中央線を東京から乗り通してきた以上、きちんと名古屋までの全区間を乗り通すのが本線に対する礼儀であろう。という事で、昨日下車した千種から再び中央西線に乗り換え、名古屋へ出る。

 高蔵寺で非常停止ボタンが押されたとかでしばらく停車したため、11分遅れで千種へ入線する中央西線快速5720M。

 

 

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 このあと横浜へ向かう私にとっては、途中の金山~名古屋間が復乗となる。このため、はみだした区間の往復運賃を納める復路専用乗車券が清算窓口で発売している。これを入手するのも今回の目的のひとつであった。

 

 

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 名古屋へ到着し、ホームできしめんを食べていると放送が入り、なにやらまた列車の遅れを伝えている。ホームに居た助役に、乗る予定だった新快速について聞くと「この列車はもう今日は動かないと思いますよ。垂井~大垣間で自動車が橋桁に衝突したので、安全確認のため運行打ち切りだと思います。」

 この新快速5324Fは米原から来るので、途中の垂井〜大垣間で起きた自動車事故の影響を喰らってしまったようだ。1本はやい5508Fならば事故区間のすぐ手前にある大垣始発だから良かったのだが、きしめんを食べているうちに行ってしまった。

  豊橋まで行くというと、次の快速5510Fに乗れと言う。だが、隣のホームには先に出る岡崎行普通3154Fが停車している。念のために車掌氏へ聞くと、途中の刈谷で後から来る快速5510Fへ乗り継げると言うので、刈谷まで座っていく事にする。

 

 

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 いろいろトラブルはあるが、それでも千種駅で買った時刻表を繰りながら善後策を練っての汽車は楽しい。金山でたくさん乗車し、さらに熱田で破魔矢などを持った人がたくさん乗って来て列車は結構混んできて、大府で大量に下車があった。

 刈谷で後を追ってきた快速5510Fへ乗り換えて豊橋へ向かう。刈谷駅ホームには、嵩上げ前の古いレンガが残っていた。

 

 

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 豊橋に到着。掛川行の普通列車5950Mへ乗り換える。車内保温の為、1両に3つあるドアのうち真ん中の1つだけを開けている。同じ客室内保温でも、JR北海道とは方法が異なり面白いが、結構混んでいるので不便な気がする。

 豊橋の次の二川を出たところで愛知県を出て静岡県へ入った。車内は結構混んでいて、県境を越える利用がけっこうあるんだなと興味深く旅客流動を観察する。

 赤ちゃんが泣いていたが、お父さんがあやしても泣き止まず、お母さんに抱かれると泣き止むのが面白い。

 浜松で大量に下車し、再び大量の乗車があったが、それも豊田町、磐田まででほぼ降りる。袋井では、揃って眠っていた母娘がふと顔を上げ、「あれえ降りるよ」と叫んで飛び降りて行った。定刻に終着掛川に着く。

 

 

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 掛川では10分の接続で興津行794Mへ乗り継ぐ。合間に駅前へ出てみると、新しく綺麗な木造駅舎だった。

 

 

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 駅舎の中も小ぎれいで、キヨスクもあり、整っている。天竜浜名湖鉄道、昔の二俣線の接続駅で、そちらの駅舎も隣接して建っていた。

 

 

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 ホームにはやはり嵩上げ前の古いレンガが見える。東海道線は歴史を感じさせる施設が多く、特にトンネルにもレンガが多く見られ、興味深い。

 

 

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 やってきた興津行794Mへ乗り継ぐ。左が794M。右は今乗って来た5950Mが折り返すところ。

 

 

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 島田、焼津そして静岡とけっこうな乗降があり、清水で少し空いた程度で、立ち客の残るまま興津着。3番線が区間運転列車の指定席らしい。山が迫る駅のホームに自分の影が伸びる。

 

 

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 興津は17-8年前に一度降りた事がある。酪農学園大学の先輩が住んでいた時に泊めてもらったのだった。先輩いまごろどこでどうされているだろうか?駅舎も駅前の様子もかなり変わっていた。

 

 

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 これまで随所で見られた静岡県立美術館の企画展「風景の解剖学」のポスターが気になる。もちろん行く事はできない。興津で10分の接続により熱海行440Mへ乗り継ぎ。

 

 

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 新富士付近では山頂が隠れた富士山が見えた。この区間はお茶どころで、車窓には茶畑が広がっている。

 この列車も結構混んでおり、立ち客が多い。東海道線は比較的どこも混んでおり、正月の買い物、初詣、旅行など多方面で鉄道が信頼を得ている姿を目の当たりにできた。

 

 

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 長い丹那トンネルを抜けて熱海着。場内信号機の都合で入線にしばし時間を喰った。

 ここまで乗って来た440Mは、さっそく折り返し島田行の方向幕に回転している。列車の状態を指差確認する女性車掌さん。キビキビとした動作確認を見ていると、自分もやはり鉄道員になれば良かったなと思う事がある。

 

 

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 熱海でJR東海からJR東日本へ変わり、列車も3両編成から一気に15両編成となった。編成が長すぎて先頭の写真を撮る時間が無い。

 伊東線が若干乱れており、乗り継ぎの東京行快速アクティ3766Mは3分遅れて発車した。その後も大船を発車して程なくプーップーッという警報音と共に緊急停車。2分ほど停車の後、乗客による非常停止ボタンの誤操作と判明して運転を再開したが、今日は非常停止ボタンによく泣かされる日だ。これも正月多客期のためなのだろう。定刻より2分ほど遅れて17時59分、横浜へ着いた。

 ここで東京からの乗車券は終わり。改札口を出て東急東横線へ乗り換える。

 

 

7000

 やってきたのは営団7000系で、これが東横線かと一瞬ひるむ。永年慣れ親しんだ東横線だが、どうも渋谷駅が地下へ移り副都心線直通となってからの運行形態がまるでわからなくなった。

 

 

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 父方最寄りの綱島へ到着。次の日吉でも良いのだが、どちらにしてもここからバスに乗り換える。

 高校を出て一時期は、ここでバスの誘導員をしていた。当時とはいろいろ変わったが、高架下に設けられた後退式の発着所や狭くてゴチャゴチャした駅前。バス降車停留所の看板は昔のままだ。

 

 

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 綱島駅バスのりば側。とにかく道が狭く、バスやらタクシーやら乗用車やらバイクやら人やらで常に混雑している。

 

 

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 改札口が増設されたり塗装や壁の感じが変わったりしている中で、この「バス降車停留所」の看板は41年間同じである。なぜそう言い切れるかというと、私は幼少の頃、この看板で「停留所」という漢字を覚えたからである。

 

 

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 路線バスの操車場となっている綱島駅バスのりば。一番手前の6番乗り場に市営59系統が入線しているが、昔は隣の5番乗り場を東急バスと共用していたはず。いつ変わったのだろう。

 私は4番のりばから「城01系統」の東急バスに乗って帰る。これが今日最後の交通機関。

瀬戸を出たのが10時頃、父方へ着いたのが19時ころだから、9時間くらい。愛知県瀬戸市から神奈川県横浜市港北区までの移動としては、思ったよりも早かった。今年もいろいろな公共交通機関に乗る一年にしたいものである。

 

 

 

 

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