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2014年8月

2014年8月31日 (日)

「植物の名前しらべ:タデ科編」を開催

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 8月30-31日の2日間、植物の名前しらべ:タデ科編という博物館講座を開催した。タデ科植物を材料に、植物の同定方法を習得しようという、パラタクソノミスト養成講座である(植物初級相当)。普及的な講座から一歩進んで少し踏み込んだ内容の講座で、検索表や顕微鏡を使い、花を解剖するという、室内作業中心の2日間。参加者はさぞ疲れた事と思う。
 
 
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 初日の講義。
 
 
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 野外観察。
 
 
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 花を解剖しながら体のつくりと用語を学習。
 
 
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 検鏡。 
 
 
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 検索表の使い方を練習し、同定作業。
 
 
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 標本の扱い方。
 
 
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 今回、参加者の中に音更町で藍染めをされている方がおられ、御自身でも藍を栽培されているとの事で、御持参いただいた。説明を聞いた後、藍も解剖・観察をしてみた。
 
 
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 集合写真。パタタクソノミスト養成講座(植物初級)の証書を手渡す。2日間みっちりで疲れたに違いなく、植物嫌いにならない事を願うばかり。しかし楽しい2日間だったなあと思う。
 
 

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2014年8月26日 (火)

新得町でソバの花を観察

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 新得町はソバの花が終盤を迎えている。郷土学習バス見学会の下見と、今週末の「植物の名前しらべ:タデ編」用の写真を撮りに、新得町内を回る。
 
 
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 ソバは自家不和合性である。なおかつ、自身の花粉で受粉しないよう、「異型花柱性という仕組みを用いている。雌しべ(花柱)が雄しべ(花糸)よりも短い「短柱花」と、雌しべが雄しべよりも長い「長柱花」があり、同じ個体に両方の花が同居する事は無い。
 
 これは雌しべ(花柱)が雄しべよりも短い「短柱花」。短くて雌しべがよく見えず、赤い葯を持つ雄しべがたくさん立っているのが見える。
 
 
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 こちらが長柱花。雌しべが飛び出しており、赤い葯を持つ雄しべが短く周囲を取り囲んでいるのが見える。
 
 この他、雄しべも雌しべも同じ長さの同柱花というものも時々あるのだが、ここでは探しても見つからなかった。幌加内で働いている時はよく見かけた。
 
 
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 新得町「そばの館」では、受粉用にみつばちを飼育しているそうで、ハチ箱が並んでいた。ソバは典型的な虫媒花で、ハチやアブがよく訪れる。ただ、ミツには独特の香りと色が付く。ここでは採蜜よりもあくまで受粉昆虫として飼育しているようだ。
 
 
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 ズラリと並ぶハチ箱。ミツバチがブンブンと羽音を立てて飛び回っており、じっと見ていたら1匹が頭の周りから離れなくなって困った。
 
 

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2014年8月22日 (金)

海岸性昆虫と植物の採集

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 北大総合博物館時代からの友人で、いまは埼玉で大学の先生をされている進化学研究者が採集に来た。海岸性の甲虫類の採集が目的で、せっかくなので21日いっしょに海岸を歩き、こちらも気になっていた植物の採集や調査をした。
 
 
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 目的の甲虫は、うちあがっているコンブの腐りかけたような個体の下にいると言う。採集の方法を見せてもらう。まずはバケツに海水を汲む。
 
 
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 良さげなコンブやアマモをさがす。
 
 
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 コンブやアマモなどをまとめて回収。きれいなものではなく、腐敗しかかったものが良いらしい。
 
 
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 バケツに汲んだ海水にコンブなどを沈めて少し待つ。
 
 
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 しばらくすると、ゾウムシやガムシの仲間が上がってくる。水面に出てきたところをピンセットで採集する。最初にハネカクシ類が浮かんできて、少し待っているとゾウムシ類さらに“足を滑らせた”ガムシ類が浮かんでくると言う。見ていると本当にその順序で浮かんできて面白い。
 
 見ていると面白そうだが、効率よくすくいとるのには結構コツやピンセットの調整が必要なようだ。
 
 
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 関連の研究データの収集のため、放射線も測定。このあと、いくつかの地点では放射線測定のみ実施して帰った。
 
 今年はあまり熱心に植物採集へ歩けておらず、良いきっかけに。勉強にもなりました。
 
 
 
 

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2014年8月19日 (火)

帯広の森の「ミヤコザサ」

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 帯広の森は今年ササの開花が著しい。ふだんは滅多にササの採集や同定をしないのだが、今年はせっかくなのでと、いくつか標本を採集し、検討してみている。
 
 その結果、帯広の森で「ミヤコザサ」と呼ばれているものは、いまのところ私が確認している限りでは全て「センダイザサ(=オオクマザサ)」である。一部、クマイザサか?と一瞬疑うものもあったが、採集して検討してみるとこれもセンダイザサであった。どれも葉鞘や稈に微細な毛があり、若いうちは肩毛があるので区別する事ができる。
 
 と言っても、センダイザサもミヤコザサの仲間ではある。ササは分類がきわめて難しく、未だに混乱しているものが多い。そのため、道内のササは属と種との中間にあたる「節」というランクで呼ばれる事が多く、これが一般に種名と混同されている。

 節レベルでは、
  ミヤコザサ節(ミヤコザサ、センダイザサなど)
  チマキザサ節(チマキザサ、クマイザサなど)
  チシマザサ節(チシマザサ、ナガバネマガリなど)
  スズタケ節(もともとスズタケ属だったがササ属に統合された。節の位置づけはまだ検討中らしい)  
 が分布するとされている。
 
 センダイザサ Sasa chartacea とミヤコザサ Sasa nipponica は種レベルでは別種とされている。だが、節レベルでは同じミヤコザサ節に含まれる。ならいいじゃん、とも言えるが、報告書レベルのデータでミヤコザサと呼ぶ場合は「節」の意味で用いてい
るという注記が必要だろう。植物目録を作る場合は、分類上の種名で表記した方が良い。今後、提起していきたい。
 
 

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2014年8月18日 (月)

自由研究の思い出

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 古今書院の月刊『地理』8月号。特集は「地域調査士」。我が十勝地方からは上士幌町の博物館「ひがし大雪自然館」の乙幡康之学芸員が「博物館における地域調査とその魅力」と題して、興味深い報文を寄せている。
 
 地域調査と言えば自由研究という思いが私の頭にある。そして私自身の経験で思い出す事がある。
 
 私が中学2年生の社会科の自由研究で、近くの県道の交通量調査をした。トラックが何台、自転車が何台・・・と「正」の字で1時間ごとに記録していくヤツである。

 提出した後の講評で、母校である横浜市立新田中学校の長谷川先生という地理の先生が、私の研究を授業でとりあげてくれた。
 
「視点はとても良い。身近な場所で、自分できちんとデータを採って集計している。ただ、これだけでは<調査>であって<研究>ではない。なぜこの場所、この時間にトラックが多いのか?などという、この結果が得られた背景について、自分なりの考えを示すところまでやって初めて研究になる。惜しい」
 
 当時、私には<調査>と<研究>の違いがわかっておらず衝撃的だったのだが、今ならもちろんわかる!そして、今そのデータさえ残っていれば、横浜へ帰った時に四半世紀ぶりに同じデータをとって比較し、今度こそれっきとした交通地理学の研究としてまとめられるのに…と毎年この時期思い出しては苦い思いをしているのである。それにしても長谷川先生の地理の授業は面白かったなあ。

 で、何が言いたいかというと、けっこう自由研究ってバカにならず、いろんな生データがとられては忘れられているのだろうなあと思う事だ(大学の卒論も同じだが)。各学校の自由研究をまとめたような報告書とか無いのかなあと思う。
 
 そして、地域調査士とはまさに「調査」を「研究」にしていく仕事なのだろうなあと思う事だ。地域調査士の方が指導力を発揮して、我々学芸員や司書さん達もこれに加わって、自由研究や卒業論文の力を引き出せば、魅力的な地域研究がどんどん厚みを増していくのではないか。今月の『地理』を読んでそんな夢を抱いた。
 
 

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2014年8月17日 (日)

黒田温泉跡地にオオハンゴンソウ

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 東京農工大の方がオオハンゴンソウ調査にみえたので、場所の再確認のために覚えのある箇所を廻る。そのうちのひとつ、幕別町札内の黒田温泉跡地。途別川沿いにある、若山牧水も泊まったという温泉だが、いまここには何もなく、オオハンゴンソウが茂っている。鉱泉が吹き出していた
 
 
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 同じく幕別町の途別付近。途別川沿いの方は刈取りがあったのか少なくなっていたが、長ーい坂道の法面には群生していた。特定外来生物オオハンゴンソウ、見た目は確かにきれいなんだが、困りものですね。
 
 
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2014年8月16日 (土)

車内から写真を撮るため汽車に乗るものの

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 今日の講座用の写真を撮るために昨日はちょっとだけ浦幌へ。列車内からしか撮れない写真なので、浦幌〜上厚内間だけ汽車で往復した。

 

 往路は問題無かったのだが、帰路の車内で撮影すべきポイントが近づき、後部の運転台付近で待機していると・・・

 

「すみません、車内にハチがいるんだけど・・・」

 

と1人のお客さんがやってきた。

 客室をのぞくと、ハチでは無くアブだが、確かに1匹大きめのが飛び回っており、何名かのお客さんが立ち上がって格闘している。

 うーん、このタイミングでか、と思いつつ、ちょうど後ポケットに軍手が入っていたので捕まえて窓から放す。車内は安堵感が広がったが、写真は撮れなかったのであった。

 青い作業ズボンで運転台付近に立っていたから、保線区員か何かと思われたのであろう。うーん、まあ、他のスライドいっぱいあるからいいか。 

 

 上厚内駅にはクワガタが歩き、浦幌駅前はお祭りを開催中で、夏まっさかりという感じであった。

 

 

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2014年8月14日 (木)

甘く見ていた図書原簿のデータ入力

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 博物館実習で、昔の図書原簿のデータをデジタル化するために入力をしてもらったところ、予想以上に時間がかかる事が判明。これは4冊の原簿を全て入力するのに、けっこうな日数がかかりそう。なんか作戦をたてなければならない。
 
 単純な入力作業のお仕事です、とか言ってアルバイトを募集すれば良いのだろうが、財源が無い。いや、実はあるのだが、これに使っちゃうのもなあ。何人かで分担して毎日2時間は入力するとか決めてやるしかないか、悩むところ。
 
 

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2014年8月10日 (日)

コピーできるようになります

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 懸案だった所蔵図書などの複写サービス(コピー)について、著作権法に基づき規約や届出様式を整備し、今日から開始する事となった。当館のアイヌ民族文化情報センター・リウカが受付窓口で、リウカで開架閲覧できる図書だけでなく、閉架の文献室所蔵資料なども1枚10円でコピーができるようになる。ただし、コピーはモノクロのみ。カラーができると良いのだが、機械が無いので。
 
 懸念していたのは著作権法第31条「図書館等における複製」の「図書館等」に当館が該当するかどうか?だったのだが、これまでの勉強で該当すると確信して規約を整えた上、7月の著作権講習でお墨付き?を頂いたので出発となった。
  
 ただひとつだけ気がかりな事があり、それは私がいなくなった後は大丈夫か?という点である。学芸員というのは、条件を満たすと図書館法に基づく「司書補に相当する職」で、私はまさしくそれである。だが、著作権法第31条の「司書」に「司書補」が含まれるのか実ははっきりしない。講習での弁護士さんは該当するとお答え頂いたのだが、明文解釈がはっきりとしないのでいまひとつ落ち着かない。
 
 実は私の他にもう一人、複写を許可できる者がいる。しかも彼女は司書補ではなく司書そのものなので力強いのだが、私と同じ嘱託職員なので、いつまで当館で勤務しているかわからない。と言うと「ならば臨時職員や嘱託職員で司書資格を持つ者を入れ替わり立ち替わり採用すれば良いのでは?」と考えるバカな小役人が出てくる気がするのだが、私はそれは大間違いだと思う。

 
 博物館が資料の収集・保存・活用をはかる社会教育機関であり、社会の文化装置として位置づけられているからこそ、著作権法は基準を満たせば博物館も「図書館等」としての複写を認めているのである(著作権を持つ人から見ればその権利を制限する力を与えている事になる)。そうした機関の社会的役割を考えるならば、その行為をできる者を非常勤で安上がりに形だけ仕上げれば良いというものではなく、きちんとした立場の正規職員を配置すべきである。
 
 じゃ、どうするか?まあ、学芸員(司書補に相当する職となりうる学芸員)を3日間の著作権講習に出せば良いだけの話なので、そのうち(そう遅くない時期に、きちんと公費出張で)誰か行かせてあげて欲しいと思う。
 
 

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2014年8月 6日 (水)

滝川駅前のたこ焼き屋「たこ丸」にて

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 先日、10年ぶりくらいで滝川駅へ降りた。かつての印象で降り立った私には、駅前のさびれようが驚愕であった。
 
 記憶では確か小さな‘たこ焼き屋’があったなあと思い駅前から歩き出すと、果たして「たこ丸」は営業を続けていた。
 
〔駅前がとても寂しくなった〕もうアカンですわ。駅も町も無くなるんちゃうかと思いますね」
 
「10年前だったらまだ西友があったでしょ。西友が出てから、そらもう中のモンは皆出て行ってしまって、今はもう何も入ってへん」
 
「あの頃、旭川とかみたいにJRA(場外馬券場)入れるとか、いろいろ話があったんですよ。でも治安が悪くなるとか何とか反対もあって。結局何もかも話は立ち消えになって結果こうですわ。もう今さら何も出来んとちゃうかなあ」
 
「駅前商店街はね、アーケードの使用料やら組合費やら、それに家賃。けっこうかかるんですわ。地主さん達は昔の感覚のまま。良い時代の感覚のままなんで、賃料がたこうて。今の時代、うんと安うしてボンボン店入れなアカンのに、居着きまへんわ、こんなんじゃ」
 
「こういう商店街は税制面で押さえられとるんで、特になーんにもせずに、ただ昔のまんま空き店舗維持しているだけでも、地主さんは痛くないんでしょ。だから、なーんも変わろうとしない。古いまんま、ボロボロのまんま、放ったらかしですわ。しょーないわ、もう」
 
 
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「僕は、もともと大阪でサラリーマンやったんですわ。医療系の。もう、給料もらうのも払うのも嫌になって、こっち来て始めたんですわ」
 
〔どこでたこ焼きは修行したの?〕修行?いや、なんも、大阪の人はみんなたこ焼き焼けるんで、特になんもしとらんです。ま、本当は大阪にもたこ焼き出来ない人おりますけどね。でも大体こんなんくらいやったら、皆できますんで」
 
「親がこっちの人でね。親の体の都合とかで、私らもこっち来たんです。もう15年前くらい」
 
〔「たこ焼き部」の部員募集の張り紙があるけど〕ここ高校生の溜まり場なんですわ。その子たちが代々ここを拠点に活動していて、毎年部長選んで〔ポスターには歴代の部長の名が記されている〕
 
「僕らの世代くらいが最後ちゃいますか?学校帰りに喫茶店やらこんな店やらに溜まり場もっていたの。今はファミレスとかなんとかありますけど、ブースが別れていて、お互いのグループ決まっていて、その垣根を越えた溜まり場ってないでしょ。うちはこんなんだから、もう店の中の子はどの学校の子もみんな仲間になっちゃう」
 
「ええ、同じ学校の子だけやなしにね。いろんな学校の子が来て、だんだん仲良うなっていくんですわ。それでたこ焼き部。近くの介護施設にボランティアに行ったりね。けっこう今の子もしっかりしてますよ。溜まり場があって仲間が作れて、きちんと活動できる場さえあったら、自分で何でもやっていきますよ」
 
「前ね。彼ら献血バス呼んだんですわ。あれね、1台で1日80人〔の献血を受け付けるのが〕が限界って言われてたんです。彼らそれ、1日で120人集めちゃって・・・。日本一の記録やったんですわ。それで表彰されたりして、すごいでしょ」
 
「僕はなんにもしてません。たこ焼き部言うたって、彼らがこの場にしょっちゅう溜まり場で来て、なんやだべって、賑やかになって、それでいろいろ活動してる。僕は場所を提供しているだけなんです」
 
「今は夏休みなんでガランとしてますわ。なんや蒸し暑くてかないませんわ。大阪も暑いですけど、こっちもこの頃おかしいんとちゃいますか?」
 
 私と同じ41歳。古くて狭い店内には椅子が7脚。しかし奥に小上がりらしきものも見え、学校が始まると高校生の賑やかな声が集まるのであろう。
 
 たこ焼き屋「たこ丸」。今日も疲れ切った滝川駅前商店街の一角で店を開き、暑い中、たこ焼きを焼いているはずである。
 
 
 
 

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2014年8月 1日 (金)

今日読んだ論文

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 今日読んだ論文。
 
 わずか9年間しか存在しなかった山梨県の「祝村葡萄酒会社」。その存在は、日本に葡萄酒製造業という近代産業が勃興・確立していく嚆矢として無視できないだけでなく、その歴史を注意深く見つめると「産業によって地域が形成されていく」過程が鮮やかに読み解ける。
 
〔葡萄栽培の為の〕開墾地ニ栽ルニモ葡萄ノ収利ヲ見ル迄ハ、其地相応ノ下タ作ヲ為スヲ善トス・・・のくだりは、その冷静な判断力と指導力に深い感銘を受けるし、会社解散後も関係者が継続して同地で新たな葡萄酒会社の担い手になり、やがて日本有数の葡萄酒生産地へ発展していくという結末には、感動すら覚えた。
  
 
湯澤規子 2013.山梨県八代郡祝村における葡萄酒会社の設立と展開 :明治前期の産業と担い手に関する一考察.『歴史地理学』55-3:pp.1-22.
 
 

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