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2014年3月

2014年3月27日 (木)

緑ヶ丘墓地の並木伐採

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 帯広市緑ヶ丘公園にある緑ヶ丘墓地の並木が、けっこうばっさりと切られてしまった。妙に開放的な空間になってしまい、しばし呆然・・・
 
 

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2014年3月21日 (金)

お菓子屋調査は清水方面へ

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 明日の博物館講座「和菓子の木型のはなし」講師の櫻井さんが小樽から到着。さっそく木型を保有していそうなお菓子屋さんを回る。また、先日立ち寄った帯広市の永花堂さんは、奥にしまってあった木型をいくつか出しておいてくれ、今回少し見せて頂いた。
 
 
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 永花堂保有の木型。タイやコイは大きい型が普通だが、右の菊や丸まったタイの型でこんな大きいのは珍しいようだ。
 
 これらの型は1970(昭和45)年頃に音更町木野の広瀬さんというお菓子屋さんが閉店の際に譲り受けたもの。ただ、当時は和菓子を扱う予定だった永花堂さんは、結局洋菓子一本に絞って営業する事になったため、これらの木型を使用する事は無かったそうだ。しかし、技術は持っているので作る事はできるそうだ。
 
 
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 音更町の広瀬さんから来た木型という事で、こんどは広瀬さんの情報を集めなくてはならない。とりあえず木型そのものの情報を探すと、中の1枚に焼き印があった。青森の元木商店。櫻井さんによると、青森の木型は道南では多くみつかるそうだ。
 
 
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 いろいろとお話をして下さった店主にさらに甘えてしまい、木型を少しお借りして、講演のときに展示する事にした。また、23日に再度時間をとって、まだ奥にしまってあるという木型もひととおり見せていただく事になった。ありがとうございます。
 
 
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 こちらは芽室町の芽室駅前に建つ、まさおかさん。
 
 
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 店舗の裏に工場がある(右が店舗、左が工場)。まさおかさんには、帯広市大正にある「お菓子の館あくつ」さんからも使わなくなった木型を譲り受け、大量に保管しているとのこと。こちらも今度時間をとって観に来る事にした。
 
 
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 こちらも芽室のこばやしさん。トテッポーという十勝鉄道の機関車をイメージした焼き菓子があるので、私も以前に来た事がある。ここにはビートの形をしたお菓子もあるのだが、すなわち、なんとビートの形をした木型を保有しているのだと言う。
 
 多くの木型は既に処分してしまったが、いくつか残っているとの事で、ビート木型も含め、あらためて見せて頂く事になった。
 
 ちなみにこばやしさんがこの地に来たのは比較的最近(それでも40年以上前だが)で、それ以前は大樹に居られたとの事。大樹に入ったのはいつだろう?この点もあらためて調べてみたいと思う。
 
 
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 こちらは清水町のえびす屋さん。
 今は使っていないが、いくつか木型を持っておられると言う。
 
 
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 ちなみに円盤焼きという惹かれる張り紙があり、注文して店内で頂いた。店内にちゃんと食べるスペースがあり、駄菓子屋の雰囲気もあった。
 
 
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 こちらも清水町の清水駅前に建つ清月さん。残念ながら木型は既に無し。お話によると、少し前に旭川の骨董商が来て、みんな持って行ってしまったそうだ。
 
 
 今回も木型を通して、いろいろなお話を伺う事ができた。帯広、芽室、清水、幕別、豊頃、浦幌と回ったので、次は広尾が狙い目かなと思っている。
 
 

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2014年3月19日 (水)

木型は無いか?と和菓子屋めぐり

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 土曜日に小樽市総合博物館の櫻井さんを招いて「和菓子の木型のはなし」という博物館講座が開催される。櫻井さんは北海道や東北の和菓子木型を比較・研究されており、十勝にも関心を寄せられている。そこで、十勝における和菓子木型の現存情報を得ようと、午後から木型のありそうなお菓子屋さん訪問を実施した。
 
 写真は帯広市内の永花堂さん。伺ってみると「もう使っていないが、裏にしまってある」とのこと。すぐには出せないが、来る日を決めてもらえば出しておくと言う。初っぱなから運が良い。お菓子を2つ購入して次へ向かう。
 
 
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 こちらも帯広市内の竹屋製菓さん。店舗と工場が一体の建物で、店舗で注文すると、店員さんが工場へ受け取りに行く。残念ながら木型が残っているかどうかは店員さんにはわからず、社長に聞いておいてくれると言う。なんだか忙しそうだったが、その多忙な理由は次の幕別町で判明した。
 
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 ここでもお菓子を2つ購入。なぜ2つかと言うと、同僚の飯田さんに頼まれた分と自分の分だからである。ついでに記録用に店舗の写真も撮り、報告用?にカードにしてみた。
 
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 次いでお隣幕別町。幕別町は札内地区が活気づいているが、和菓子屋さんは幕別駅前の本町に2軒ある。最初にあらかわ菓子舗さんへ立ち寄る。
 
 
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 ズバリ「木型残っていませんか?」と尋ねると「ありますよ。ひとつは後ろに飾ってあるし」と言われ、ふりかえるとバーンッと大きな鯛の木型が鎮座していた。
 他にもあるはずで、お店の人に聞いておくと言う。
 
 
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 こちらが、あらかわ菓子舗のお菓子。左の「やむわっか」は旧地名の「止若」で、国鉄幕別駅も1963(昭和38)年までは止若駅と名乗っていた。右の「軍岡」は今も使われている幕別町の字名。文字通りの丘、すなわち猿別川左岸の幕別台地上にあたる。
 
 
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 続いて、道路を挟んで斜め向かい建つ「杉野菓子店」へ。ここも木型は残っており、事前に連絡をくれれば見せられると思う、お父さんに聞いておく、との事。
 
 
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 こちらが杉野菓子舗さんのお菓子。幕別町はパーグゴルフ発祥の地であり、お菓子にも名が付けられている。実はもうひとつ洋菓子を購入したのだが、運転中に食べてしまったので写真は無い。
 
 ちなみに「今頃はお饅頭が忙しい時期で、23日も300個届けなくちゃならない注文も入っていて忙しい」との事。そう、考えてみればお彼岸で、お寺さんをはじめ、和菓子が大量に注文される繁忙期なのだ。どうもこの連休にお店へお邪魔するのは迷惑かもしれない。
 
 
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 次いで豊頃町へ移動し、豊月さんを訪ねる。写真右に豊頃町役場が見えるが、国道38号線から外れているものの町の中心地に位置する。ちょうど雑誌の取材の方が来ていて、少し待つ。その間もひっきりなしにお客さんが来て、カウンターは忙しそうだ。豊頃の有名お菓子屋さんなのだ。
 
 
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 木型について聞くと、やはりあるそうで、1週間くらい前に連絡をもらえれば出しておくからと言う。ありがたい事である。
 
 お菓子は十勝発祥の地「大津」の名のついた左のものと、札幌の藻岩山と一文字ちがいの茂岩山ふもとにある「茂岩橋」の名がついたものの2点を購入した。
 
 
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 このあと、近くにある朝日堂菓子舗さんにもうかがう。残念ながら木型はもう処分してしまい、残っていないそうだ。「きっとおじいちゃんの代には使っていたと思うんですが」と申し訳なさそうに言われ、かえって申し訳ない。
 
 購入したお菓子は「カンカンビラ」と「はるにれの町」。豊頃町には、この木なんの木の有名なハルニレがあって、町のシンボルになっているのだ。
 
 この後、浦幌町まで行くが、この町にはそもそも和菓子屋さんが残っていなかった。商店街のニシムラさんへ寄るが「うちは初めの頃から洋菓子だからねえ」との話で、そもそも木型を保有した事が無かった。浦幌町立博物館にも所蔵が無く、町立図書館司書の杉山さん達に、最近まで和菓子屋さんをやっていたような方がいないか、もしわかったら教えてくれるように頼んできた。
 
 
 あと寄れなかったのは池田町で、これも近日中に訪ねてみよう。本当は櫻井さんの研究なのだが、街並みの記録という意味で私自身にも興味深い。
 
 
 
 
 
 

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2014年3月18日 (火)

苫小牧市美博で「おはなしミュージアム」

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 先日、美術併設になってからの苫小牧市美術博物館を初めて訪問した。開催中の企画展「おはなしミュージアム」に、横浜の竹藪の写真を提供したら招待券を頂いたからである(依頼があった時たまたま横浜にいて、そこで撮った)。当館からは内田もヒエなどの写真を提供している。
 
 
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 この展示、とても面白い!登場する自然や道具(材料に言及)を実際に並べて、登場する民話を通じて日本人と自然との関わりが簡潔に紹介されている。図録つくったら楽しいだろうなと思う。昔話と自然史との関係は以前から興味があって、未来社の『日本の民話』とかで使えそうな話を集めていたりしたのだが、だからなおさら興味深かった。

 開催は3月30日まで。
 http://www.city.tomakomai.hokkaido.jp/hakubutsukan/

 
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 美術館部門では「手で観るミュージアム」も同時開催中。こちらも楽しい。
 
 
 ちなみに苫小牧市営バスが塗装そのままに道南バスになっていたのも感慨深い。苫小牧市博物館ではバス民営化当時、市交通部のバス資料を受け入れていて、いつかそっちも詳しく見させてもらいたいなと思っている。
 

 
 
 


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2014年3月16日 (日)

列車の分割を見る為に集う人々

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 いつの時代も列車の「分割・併合」作業は人々を魅了する。
 
 

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2014年3月14日 (金)

十勝川工事軌道の写真が所蔵されていた

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 昭和30年代から帯広をはじめとする十勝の生活風景を記録されてきた写真家の荘田喜與志さん。そのコレクションが帯広百年記念館に収蔵されている。いま、その膨大なフィルムやスライド、写真の整理作業が進められているが、今日になって担当の学芸調査員の方から、こんなスライドがあると見せられた。
 
 見てびっくり!これは十勝川や利別川の改修の際に用いられた工事軌道の写真である。これまでモノクロの写真を数点みた事がある他、昨年も豊頃町教育委員会に地元の方からエキスカベータの写真と共に寄贈があったのをみた。だが、カラー写真は初めてだった。
 
 恐らく場所は豊頃町大津。十勝川右岸の大津堤防の基礎工事用に運行され、それが終わって撤退を待っているところだろう。だとすれば撮影年は1959(昭和34)年ではないかと思われる。この軌道については、中札内村の郷土史研究家である小林實さんが詳しく研究されており、一昨年に上梓された『十勝の森林鉄道』の中にも記述があるので参照した。
 
 機関車は日本車輌製の20tタンク式機関車で、所有は北海道開発局。右後方に見えるのはナベトロと呼ばれる土運車だ。こうしてカラーでみると、い号のナンバープレートは青い縁取りだった事がわかり面白い。
 
 荘田コレクションはいろいろな角度から十勝を記録しており、鉄道史の観点からだけ見ても資料性のあるものが多いとは思っていた。こんなものまできちんと撮っておられたんだなあと思うと、本当に感服する。中札内の小林さんにも、さっそく報告しよう。

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2014年3月13日 (木)

1972年の帯広運転区の写真を入手

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 最近入手した帯広運転区構内の写真。1972年8月の撮影で、撮影者はいずれも今は千葉県にお住まいの方。当時の帯広運転区は今の帯広運転所と異なり、帯広駅構内の南側に広がっていた。
 蒸気機関車末期の帯広運転区の様子を記録した写真だけに、個人的に入手したものだが、帯広百年記念館の資料として収蔵しようと考えている。
 
 

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 これは帯広駅構内。左端にちょこっと民衆駅が写っており、右奥には大通の陸橋も見える。それにしても、あらためて北海道は、最後までキューロク天国だったのだなと思う。
 
 

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2014年3月12日 (水)

十勝国厚内海岸の実景

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 本日入手した古い絵葉書「十勝国厚内海岸の実景」。直別から厚内へ向かう根室本線が海岸線を走り、いままさに厚内駅構内へのカーブを曲がろうとしているところ。この絵柄は初めて見たので購入した。
 
 厚内海岸のこのあたりは、線路より海沿いに道路ができたり、手前が漁港になっていたりと多少の変化はあるが、概ねこの雰囲気が残っている。あとは撮影年代だが、列車が写っているので、車輌からある程度判断できないかと考えている。
 
 

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2014年3月10日 (月)

尺別鉄道とヤチボウズ

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 釧路市立博物館の企画展「釧路炭田の炭鉱と鉄道」の関連行事である「鉄道と炭鉱の話を聞く会」。9日の尺別鉄道編に参加してきた。
 元尺別鉄道の方のお話の中で、当時尺別鉄道社員の慰安行事として開催されていた「スズラン狩り」の話があった。尺別海岸でのスズラン狩りの催しに「宝探し」があったと言う。
 
「前日に担当の社員が宝物の名を書いた紙片をヤチボウズに隠し・・・」

 え?ヤチボウズに隠すの?
 スズラン狩りや宝探し自体は北海道各地で見られる催しだが、これをヤチボウズに隠すなどというのは道東でしか出来ないだろう。かなり珍しいのではないか?と思うが、ひょっとして道東の会社とか学校では他にも広く行われていたのだろうか?

 今回、主目的の鉄道の話以外で最も驚愕した史実で、今後の詳しい調査が待たれる。今後の詳しい調査は釧路市立博物館のスゲ担当が行う、と思う。
 
 
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 ちなみに、この日の午前中、今期最後の「SL冬の湿原号」が釧路駅を発っていくのを見送った。今年も乗れなかったなあ。
 
 

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2014年3月 9日 (日)

地球鶏印の掛時計

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 新着資料展が始まった。この1年間で当館で収集または寄贈された資料約100点を展示している。昨年同様、この期間中に整理・登録作業を進める事が目的で、展示しつつ資料情報なども整理している。

 昨日はこの掛け時計を調査。お隣の幕別町で、昭和29年に役場調査が落成した時の記念品である。
 
 
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 製造メーカーが書かれていないが、文字盤と裏面に、地球と鶏のマークがあった。調べてみると「地球鶏印」という有名なマークで、製造は愛知県の佐藤時計製造所である事が判明。
 

 佐藤時計製造所を設立した佐藤信太郎は、兄の東太郎と共に鶏印時計製造所に勤めていたが、明治32年に退社して金城時計製造所を設立。兄の上京により明治40年に信太郎が佐藤時計製造所と改称した。後年、舘本時計や京都の大澤商会がOEB(ブランドの外注生産)で地球鶏印の製造を受託している時代もある。当館の資料は、表記の様子から舘本の可能性は低いが、大澤商会で製造の可能性はあり、この点は引き続き検証が必要である。

 
 こういうチマチマした資料調査が好きだな。
 

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2014年3月 6日 (木)

池田町でシニアカレッジ卒業式

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 池田町の高齢者学級「シニアカレッジ遊ゆう大学」の卒業式・修了式があり、その前の講演を頼まれたので「写真で振り返る十勝の鉄道110年」という話をさせていただいた。
 
 私の講演自体は大した事ないのだが、その後の卒業式が本格的ですごかった。今年の卒業生は19名だそうだが、卒業後も「大学院生」や「聴講生」として生涯学習講座やクラブ活動に参加される高齢者が多いそうで、今回も100人以上の方が参加。こんな大人数の前で話すのは労働運動の集会くらいで珍しく、びっくり。
 
 写真は「学長」である教育長から卒業証書を手渡される卒業生。ちゃんと角帽を被っている。参加者全員が起立して町歌を斉唱するのもおもしろかった。昔の横浜市歌斉唱を思い出す。
 
 

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2014年3月 3日 (月)

横浜霊園のナゾの穴と、変わる八景駅前

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 墓参りって、つくづく遺された者(生きている者)の為にある行為だよなあ、と思いつつ、横浜へ帰るとつい墓参に向かうのは、やはり私自身が自分の為に行なっているというひとつの証なんだろう。今回も帰途の羽田空港へ向かう前に、祖母の墓参をしに横浜市栄区の横浜霊園へ立ち寄る。
 
 
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 ここは京浜急行の金沢八景駅からバスに乗り、相武隧道というトンネルを抜けた先にある。トンネルの向こうは金沢八景駅のある横浜市金沢区で、霊園のあるこちら側は栄区になる。共に鎌倉市に接する横浜の南端域で、周囲は森が深い。写真左手の山には横浜自然観察の森があり、霊園は右手に広がる。
 
 
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 夏にはヤマユリが咲いていたり、シーズンごとに植物も豊かな霊園で、八景駅前のお総菜屋さんでコロッケなどを買ってきては、墓前でかじりながら、ゆるゆると観察や採集をして帰るのが常だ。そして、いつも気になっているのが、この霊園の崖にあるこの穴だ。
 
 写真にあるように2パターンあり、高いところには四角い穴、低め(と言っても崖全体では高い位置にあるのだが)の位置には三角の穴が開いている。
 
 
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 三角穴を接近して写したもの。岩盤を削って作ったものらしい。いったい何なのか?前から不思議でしようがないのだが、ネットで検索してもひっかかってこない。
 
 この付近には鎌倉時代のヤグラという穴が点在するのだが、いくらなんでも中世のものではないと思う。かと言って、写真でわかるように現代のものとしてもかなり古いものだと思う。石切場として使われていた歴史もあるらしいので、その何かの印なのかとも思うが判然としない。
 
 いったい何なのか?もし御存知の方がいたら教えて下さい。
 
 
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 ちなみに、金沢八景駅前は再開発工事が始まっていた。私の好きだった昭和の趣の残る駅前空間は、いま大きく変わろうとしている。
 
 
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 大ショックだったのは、いつも楽しみにしていた駅前の惣菜屋さんが、今回取り壊し工事中だったことだ(写真の中央左)。京急金沢八景駅のホームから見たところ。
 
 
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 ちなみに、これは2011年12月25日付けの当ブログで紹介した、当時の金沢八景駅前。
 左に写っている「大衆酒場」とその隣の小池商店、さらに隣の惣菜屋さん(デリカ)が、今回まさに解体中であった。
 なんでも、金沢シーサイドラインが京急金沢八景駅へ乗り入れ、駅時代も高架駅に変わるという大開発が進行中らしい。利便性は良くなるのだと思うが、もうコロッケやハムカツを買って墓参に行けないのかと思うと残念だ。まあ、コロッケを食べる為に墓参に行く訳ではないのだが、そう考えるとあらためて、墓参って自分の心を満たす為にしてるんだなと思った。
 
 

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2014年3月 1日 (土)

告知!「和菓子の木型のはなし」開催予定

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 3月22日(土)の14時から、帯広百年記念館の博物館講座として「和菓子の木型のはなし:道内各地に見られる木型」を開催する。講師は小樽市総合博物館の櫻井(旧姓佐々木)美香氏。わざわざ旧姓を記したのは、最近ご結婚されて改姓されたものの、佐々木姓での小樽における彼女の活躍を知る人は多いと思ったから。
 
 というのも、櫻井さんはもともと私と同じ植物が専門。それも「植物社会学」といって、分野それ自体が私と全く同じ植生調査が専門なのである。その植物知識を活かして、銭函海岸から旧手宮線跡地に至る市内各地の植物相調査などを手がけてきた。特に旧手宮線跡地の植物については、雑誌『小樽學』でも概要が採り上げられ、小樽の貴重な植物データとなっている。
 
 一方、かねてから彼女には裏の顔があり、そのひとつが甘い物研究?であった。数年前に小樽で開催された和菓子店や、一昨年開催のハチミツ展などでその成果は公表されているが、その土台は小樽を代表する産業史・経済史の側面から自然史に至るまで、幅広く緻密な調査研究にある。その博物学的姿勢は、地域博物館の学芸として見倣わなければならないと、密かに敬服している。 
 
 今回の和菓子の木型研究は、文部科学省の科学研究費(科研費)までも獲得して為されている大々的な研究成果の一端である。十勝でも先年、本別町の木型を調べに来られていたので、その話も含む。
 
 和菓子が嫌いな人も、その木型から見える地域の歴史や文化に興味のある方ならば、きっと面白い話が聞ける。だいたい彼女本人が面白い人なので、それだけでも楽しめる。ご期待ください。 
 
 

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