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2013年11月

2013年11月26日 (火)

釧路市立博物館のフロアトークを聞きに行く

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 11月24日の日曜日の釧路市立博物館。この日、同館で始まった特別展「私の博物館・ボールペンで描く駅舎たち」の関連行事として、作者の山宮喬也さんのフロアトークが開催された。山宮氏の駅舎展は先月に帯広でも開催したが、フロアトークのような行事は開催できなかったので、この機会に御挨拶を兼ねて出席した。
 
 
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 展示は1階のマンモスホール。まさしくマンモスの骨格に見守られながらの駅舎展示で、釧路管内を中心に路線別に展示されていた。路線名を示すサボがリアルなつくり。
 
 
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 ボールペン画の他、収集した小物などもケースで展示されていた。これも帯広ではやらなかったなあ。
 
 
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 始まったフロアトークで語る山宮さん。右は奥様。左端は本展を企画・担当された戸田学芸員。子供からお年寄りまで、幅広い年齢層の方が話に耳を傾けていた。
 
 
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 山宮さんは最初、駅舎のある駅だけを描いていた。それを北見で展示したところ、会場へ来た子供が「僕んちの駅が無い」と不満そうに言うのを目にして、心を痛めたと言う。
 
 「考えてみれば、駅舎があろうと無かろうと、短いホームしか無く、ほとんど列車の停まらない秘境駅と言われる駅であっても、その町で生まれ育った人にとっては、帰ってきて最初に降り立つ大切な故郷(ふるさと)の駅な訳です。それ以来、私は駅舎の無い駅も含め、全ての駅を描こうと決めました」
 
 そして山宮氏はそれを完璧に実行する。当時、北海道で営業していた、貨物駅を除くJR全駅を描ききったのである。あのとき「僕んちの駅が無い」と言った子供に「今度はきっと駅舎の無い駅も全部描くからね」と約束した事を、なんとか果たす事ができたと言う、その安堵の表情に、作者の強い意志を感じる。
 
 
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 駅舎の無い駅も、その町の人にとってみれば大切な故郷の駅である。この事は、ボールペン画に限らず、まさしく今のJRに考えて欲しい原点だとも言えると思う。北海道の鉄道は、特急列車の高速化や札幌駅のような大型商業施設の併設、ICカードの導入、そして北海道新幹線など、都市と高速化の方向ばかりが重視されている気がしてならない。
 その陰で、民営化以後、駅員もいなくなり、駅や廃車となった貨車の転用でストーブも無く、夕方もかなり真っ暗にならなければ電灯もつかないような無人駅が大量に存在する。そして、特に冬場の北海道では、特急列車の遅れの影響で、いつ来るかもわからぬ普通列車を、ストーブも無い無人駅で寒さに震えながらじっと待つ人がいる。そうした経験ばかり重ねてきた人達が、果たして鉄道に信頼を寄せるだろうか?
 
 今こそ駅とは何か?鉄道事業として本当に眼を向けなければならない事は何か?を、鉄道事業者としてこの「駅舎も無い駅」から考えて欲しいと思う。
 
 
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 会場となった釧路市立博物館。春採湖畔の高台である「春湖台」に建つ。
 
 
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 フロアトークは11時からだったので、その前に10時からカトリック釧路教会のミサに出させてもらった。カトリックの暦では「信仰年」と定められた一年の最後のミサになる。
 
 
C58
 
 釧路教会の向かいの公園には、C58が保存されていた。釧路港への臨港貨物線の跡地なので、恐らくゆかりの機関車なのだろう。小春日和の柔らかい日差しの下で、若い夫婦がベンチで機関車を眺めながら楽しそうに話し込んでいた。
 
 
 

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2013年11月21日 (木)

浦幌町立博で農具展開催中

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 浦幌町立博物館で「みのりの秋 農具展示会」を開催中。本当ならもう終わっているが、延長して開催中なので、来週前半まで見られる。「農具展示会」って、なんかクボタのトラクター見本市みたいなニュアンスに聞こえるな。
 
 
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 先日めでたく御結婚された小樽の佐々木指導員あらため櫻井指導員の好きそうな煎餅焼き器。
 
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 模様が葉っぱだ。これおもしろいなあ。
 
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 もうひとつ興味を持ったのが「うどん製造機」。これは帯広でも所蔵していない気がする。実際に動かして、十勝産小麦によるうどんを作ってみたいものである。
 
 今日は午後に本別町歴史民俗資料館へ行って鉄道史写真の複製を作らせてもらい、夕方閉館ぎりぎりの頃に浦幌町立博物館へ顔を出して、佐藤館長と円子さんと珈琲を飲みながらダベッっていたら18時になってしまった。夜道の豊頃・幕別をブラブラと帰る。勤務日ではないのに仕事をしてしまう事への労働者としての反省はありつつも、勤務日ではないので、資料調査も気楽にお出かけ感覚で出来るところは良いなあと思う。
 
 

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2013年11月20日 (水)

連結

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 母親に促され、気動車の連結(併合)作業をじっと見つめる男の子。列車の分割・併合風景は、いつの時代も子供の眼をとらえる。もちろん大人も。11月3日の倶知安駅にて。
 
 

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2013年11月16日 (土)

夜学講座「博物館で資料を読む」

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 11月13〜15日の3日間、夜学講座「博物館で資料を読む」を開催した。これは、働いている人なども参加しやすいように、19時から20時30分という夜の時間に開講する博物館講座。今年は博物館資料をテーマに3日間を1日ずつ1テーマの資料に分け、講師も日替わりで実施した。
 
 初日の冒頭、内田副館長(左端)から博物館法と博物館資料に関する短いレクチャーがあった。博物館の目的やそもそも何を集めているのか?右端は「昆虫標本を読む」を担当する伊藤学芸員。
 
 
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 次いで収蔵庫の見学。美術品収蔵庫を見学しているところ。ぎっしり詰まった収蔵庫の状況に驚いている人も。資料の保存と温度や湿度の管理などについても、ここでいろいろと解説された。
 
 
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 資料や展示什器を運ぶ荷物用エレベータに乗ってみる体験も。
 
 
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 そして第一日目の講座の本題「昆虫標本を読む」。伊藤学芸員による、さまざまな昆虫標本の紹介とラベルについて。細かい文字を読むために虫めがねも用意。ふだん手にする事の無い展足中の昆虫標本や液浸標本に興味津々。
 
 
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 次いで小林博物館資料調査員(右から3人目)による「剥製を読む」。仮剥製や羽根の剥製、エゾリスの巣の標本などを紹介。参加者の中には、自前で仮剥製を作った経験のある人も。剥製を手に取りながら動物の生態にも話が及ぶ。
 
 
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 2日目の14日は私の担当で「地図を読む」。当館で収蔵しているさまざまな地図の紹介と、植物研究にとっての地図の活用を紹介した後、国土地理院の地形図を用いて実際に等高線判読や地形断面図の作成を実習。そうして浮かび上がった緑ヶ丘公園から帯広駅までの地形と、かつての十勝鉄道と軍用線路の敷設位置の関係を紹介して鉄道史にも触れる。ちょっと時間が無くて駆け足だったのでわかりづらかったかも。
 
 
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 3日目の15日は大和田学芸調査員(左から3人目)による「十勝の新聞資料を読む」。津田禎治郎関係資料として新たに発見された十勝の古い新聞について、実際に判読。また、新聞資料の保存と活用の将来像についても呈示されるなど、なかなかに意欲的な内容。
 
 博物館資料をテーマに3日間3様な講座で、なかなか面白かった。また、人数も少なめなので、ゼミ的な気軽な雰囲気で開催できたのも良かったと思う。また同様の形で来年度も開催できればと思う。
 
 博物館の夜学講座は、高卒で就職した私も当時横浜周辺の博物館で受講した経験があり、私自身が博物館を身近に感じた原体験を持つ。したがって思い入れのある、ぜひ担当してみたい講座であった。できれば今後、独自のテーマで、また交通の便を考えて会場を図書館にしたりして、労働者や勤労青年が参加しやすい講座をいろいろと工夫して取り組んでみたい。
 
 

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2013年11月12日 (火)

「モニ1000」研修会で知った「図鑑」の現状

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 11月9-10日、大阪市内において、日本自然保護協会主催の「モニ1000」研修会とシンポジウムが開催された。と言っても「モニ1000」というのが何だかわからない方が多いと思う。恐らくだが鉄道ファンなら、「モニ1000」と聞いてまず思い浮かべるのは、元相模鉄道のモニ1000(小田急時代のモハ1000)や元旭川電気軌道のモハ1000のような電車の形式ではないだろうか(私はそうだった)。
 
 しかし「モニ1000」は鉄道とは関係なく、「モニタリングサイト1000里地調査」の略称である。これは日本自然保護協会が提唱し、全国の市民団体が取り組んでいる身近な自然の変化を記録する調査活動の事で、サイトを全国1000箇所、そして調査を「100年続けよう」が目標になっている。詳しくは日本自然保護協会のこちら参照。
 
 今回は「モニ1000」に取り組んでいる各地のリーダー格の方が集まり、研修と各サイトの抱える問題点について話し合った。写真は2日目の会場である大阪府立大学で「モニ1000」の意義について語る日本自然保護協会の後藤さん。
 
 
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 初日の会場は大阪市立自然史博物館。ここでは私と同館学芸員の佐久間さん、北海道大学総合博物館教授の大原さんの3名で、同定技術講習会として、標本の役割や検索表を使った同定について、標本の作り方、博物館との連携、そしてパラタクソノミスト養成講座について紹介した。もちろん、これだけのメニューを1日でこなすのは無理なので(実際、植物パラタクだけで通常は2日間かけて実施する)、ほとんどを紹介に費やし、メインは最後の「博物館など専門機関との連携」について、会場との議論にあてるようにした。
 
 写真は標本を手に、標本の目的や活用の意義について話す大阪市立自然史博物館学芸員の佐久間さん。
 
 
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 今回、ここで私の方から会場の方々にどうしても聞いてみたかったのが、本州の方はいつもどのような植物図鑑を使っているか?との事であった。と言うのも、北海道は実は日本で最も図鑑の充実しているところで、「モニ1000」を始めとする市民調査では、もはや全国版の図鑑を利用する必要性が全く無いくらいにまでなっているからである。しかし、本州には私の思いつく限り、そのような充実した図鑑は無い。
 
 案の定、会場からはいくつかの代表的な図鑑名があがった。「そうなのか!」と思ったのが山と渓谷社から出ている『野に咲く花』『山に咲く花』。恐らく、北海道の私たちが『新北海道の花』を使う感覚で、この写真図鑑が使われているのである。
 
 そして意外にも多くの方が常用しておられたのが、『フィールド版日本の野生植物』。この図鑑は思い切った図鑑で、本文が省略されて写真と検索表しか無い図鑑である。これを常用しているのなら、もうそれはスペシャリストである。ただ、よく話を聞くと似た者同士の同定に困った際に何となく使っているという方が多いらしい。
 
 もっとも驚いたのは、保育社の『原色日本植物図鑑』。初版1957年、以来日本の植物図鑑の代表格ではあるのだが、用語も古くて現代の初心者には使いづらい図鑑と思われてきた。しかし、この図鑑が未だ現役のサイトも存在していた。
 
 この段階で「うーん」と唸ってしまった。つまるところ、世の中にカラフルな図鑑がいろいろ出回ってはいるものの、実際に使える図鑑はそれほど多くないという事である。さらに、その後の多くの参加者から寄せられた要望や意見のひとつが「良い図鑑が無い」だった。現状を見るとまさにそうだろうなと思う。
 
 つまり昨今の出版事情と需要がリンクしていないという事である。もちろん、細かいところでは人々の需要に十分に応えられる図鑑はむしろたくさん出版されている。全農協の『日本帰化植物写真図鑑』はもはや常識になっていたし、『イネ科ハンドブック』はじめ文一総合出版のハンドブックシリーズも歓迎されている。だが、もっと網羅的な図鑑、いわゆるフツーの植物図鑑に、新しい良いものが無いと言う。
 
 逆に言えば、北海道の我々は、良質な図鑑の存在で、検索表などが必要な全国版の図鑑に接する機会が低くなっている。つまり甘やかされているという事でもある。このギャップがすごいなと実感し、大きなショックを受けた。
 
 全国の方々のこの「良い図鑑」への渇望は、北海道の我々には想像できない深刻な事態な気がする。これに応えるのが専門家の役割だろうが、いちど今回の声を日本植物分類学会などに届けてみたいと思う。
 
 

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2013年11月 6日 (水)

池田町で移動展「十勝の鉄道史写真展」開催

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 毎年秋から冬にかけ、帯広百年記念館運営連絡協議会主催の移動展が開催される。これは、十勝の広域施設として、帯広百年記念館の所蔵資料を十勝各町村に巡回展示するものである。昨年度と今年度は私が担当させてもらっている。今年の移動展第一回目が、今日から池田町田園ホールで開催される。昨日、設営に行ってきた。
 
 昨年度は「博物館はなぜ標本を集めるのか?」をテーマに、植物標本の展示を開催した。今年度は「十勝の鉄道史写真展」である。そう、どちらも一度、帯広百年記念館で開催した事のあるテーマだ。だが、それをそのまま回しているかというとそうでも無い。
 
 
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 移動展の開催の仕方は様々だと思うが、私としては当館の資料を巡業するだけでなく、できるだけ開催地に埋もれている資料を発掘し、それらにも光をあてていきたいという思いがある。できれば、町村からも資料をお借りし、その資料も一緒に他町村に巡回していきたい。
 
 そのため、展示の前に町村へ資料調査に行き、展示できそうな資料を探す。帯広で開催した時よりも、さまざまな資料が加わる事になる。そして後日、それらの資料について詳しく調べ、判明した事を目録やレポートにして、紀要や学会誌へ掲載する。そうする事で、新たに資料が集まってくるきっかけや、地域の方に「資料を残す」事の意義を訴えると共に、それらの資料の学術的な活用へも弾みがつければと考えている。
 
 
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 という訳で、今回は池田町教育委員会が所蔵する鉄道資料をいくらかお借りし、展示する事となった。これらは様舞の収蔵庫や、現在新たに池田町が整備している高島の新収蔵庫で整理中のもので、教育委員会の方にお願いして調べさせて貰い、運んできたもの。
 
 残念ながら展示設備の問題や資料調査の時間の関係で、ほんの一部、大型のものしか今回は展示できなかったが、池田町には一級の鉄道資料が多数収蔵されている事がわかった。池田町は先述のとおり新収蔵庫への資料移転作業の真っ最中で、あまり今ひっかき回す事ができないという事情もある(いいですよ、と言ってもらえたのだが、作業上、いま動かすと面倒な事になるだろうなと理解できたのでやめておく)。昨年の浦幌町、本別町同様、今後は池田町にも足繁く通い、資料調査を進めさせてもらえばと思っている。
 
 

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2013年11月 3日 (日)

道立図書館で資料調査

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 意外になかなか行けないところ、私にとってはそれが北海道立図書館だ。「意外に」というのは、酪農学園大学と同じ江別市にあり(と言うか隣だ)、非常勤講師で割と頻繁に酪農へは行っていたのに、開館時間が講義時間とまったく重なるので行けない。北大など札幌へ行く時は、江別へ来る時間が無い。たまに時間が空いた時は月曜日で、休館日なので行けない。これらの事情が重なってしまい、行けそうな機会はたくさんあったのに、意外と行けなかったところ、それが道立図書館なのである。その道立図書館へようやく行ってきた。
 
 
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 しかしながら道立図書館自体は私にとって縁遠い存在ではない。学生時代、幌加内時代、そして帯広にいる今を通じ、大学や町の図書館を通じて資料を利用させていただいていた。つまり「相互貸借」の制度を利用し、実際に行かなくとも資料自体は年間かなりの頻度で借用しているのである。しかし、特に北方資料室所蔵資料の場合、館外への持ち出しが禁じられている資料も多い。こうなると実際に見に行かなくてはならない。そしてそうした資料が、実にこの半年間で山のように溜まってしまっていた。今回、なんとか時間を工面して、そのような資料を調べに行く事ができた。
 
 ちなみに北方資料室前では炭礦をテーマとして展示が開催されていた。惹かれるが、展示を見ている時間的余裕は全く無かった・・・。
 
 
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 まずどうしても今見ておかなければならない資料がこれ。浦幌町立博物館の三上司書を通じて、北方資料室の小川司書からレファレンスの回答が来たのは4ヵ月以上も前。いつでも見に来て良いとの事だったが、こちらが多忙にかまけて全く行けない状態であった。ようやく訪れたこの日は小川さんは休みだったが、貴重な資料をようやく調べる事ができた。
 
 浦幌炭鉱については、後の軽便鉄道計画、地方鉄道計画、そして専用鉄道計画について、国立公文書館と道立文書館に資料が残っている。が、その前に実際に敷設されていたという馬車軌道については、はっきりした資料が見つからないでいた。今回、道立図書館に地図が残っているとの連絡を受け、これは確かめておかなければならないとやって来たのである。
 
 実際、この資料は一級品で、いろいろと新たにわかった事があった。それらは後日、研究成果としてまとめる予定。
 
 
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 もうひとつ、ここには道内版の時刻表が交通公社より寄贈されてかなりの部数揃っている。旧広尾線幸福駅の解説年月について調査するにあたり、釧路鉄道管理局により開設が許可された年月は判明しているのだが、実際に列車が停まるようになった年月が実は判然としない。部落史などの記述には出てくるのだが曖昧なのは否めず、公式な記録に出てくるのはいつだろう?と考えていた。
 
 今回、管理局による開設許可年月以後、駅昇格となる1956(昭和31)年11月までの所蔵時刻表を全て調べてみたところ、幸福駅が臨時駅として時刻表に掲載されたのは1952(昭和27)年9月1日ダイヤ改正号が最初であった。
 
 
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 これがその本文。(臨)幸福の表記が見え、一日4本の列車中、2本が停車しているのがわかる。また、臨時駅の為に営業キロが設けられていない。
 ちなみに1956(昭和31)年11月19日ダイヤ大改正号には営業キロが記されており、駅昇格を裏付ける。この間の1956(昭和31年)年6月1日ダイヤ大改正号では、臨時表記が消え、全列車が停車するようになっているが、営業キロ表記が無い。
 これらの事から、少なくとも1952(昭和27)年には幸福が臨時駅として開設されている事がわかる。一方、道立図書館には1950(昭和25)年10月号から1952(昭和27)年9月号までの間、時刻表が収蔵されていない。この間一冊も刊行されていなかっとは考えにくく、この間の号の確認が必要である。これが次の課題だ。
 
 
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 続いてニセコ町の殖民軌道真狩線について。これは全道の殖民軌道の配置図。
 
 
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 これを見ると、計画では真狩別からさらに留寿都まで延長する計画だった事がわかる。真狩線については写真などの記録も少なく、不明な点が多い。文書からわかる事を今後も調べ続けていきたい。
 
 ここまで調べて時間切れ。それでも当初より2時間程度予定をオーバーし、本当は道立図書館の後で行く予定だった用事を断念した。標本でもそうだが、やはり資料調査を始めると時間がどんどん無くなっていく。このためだけに休みをとって、丸一日没頭するようにしないといかんなあと、わかっていたのに改めて実感・・・。そう思いつつも、講座の開催地ニセコ町へ向かう。
 
 

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2013年11月 2日 (土)

夕張で鹿ノ谷ゼミナール

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 酪農学園大学時代の後輩から、夕張市鹿ノ谷で「鹿ノ谷ゼミナール」という勉強会を始めたので一度来ないかと誘われていた。本当は第一回から行きたかったのだが都合がつかず、4回目のゼミナールにして初めて出席する事ができた。
 
 
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 このゼミナールは、夕張市民や夕張に関心を寄せる人達が中心になって、地域のことをいろいろな角度から見つめ直してみようという有志の勉強会である。月に1回、講師役の人を呼んで、市民相手に話をする。一種の地域学の試みなのだが、研究者に限らず多分野の人達が交代で話題提供をし、小規模でも継続的な学びの場、地域について考える場を持つというのは理想だなと思い、ずっと覗いてみたいと思っていた。
 
 
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 会場は日本基督教会の夕張教会。そもそもこの建物時代が文化財級なのだが、小さな礼拝堂が勉強会の会場というのも面白い。勉強会とは別に、一度礼拝へ出席させてもらいたいくらいなのだが、なかなか行けない。牧師さんは渡辺さんと言って、お話をしながら、この勉強会についても、また地域の信仰の拠点を守るという面からも、穏やかな中に力強さを感じる牧師さんだなと思った。夕張には既に教団の教会も無く、カトリックがひとつあるが巡回になっていて、拠点教会となっているのはここだけだそうだ。キリスト者の数自体もかなり減ったらしい。
 
 
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 今日の話題は夕張鉄道の遺構で、話題提供者は岩見沢市の平間さん。夕鉄は酪農学園在学中、まだ野幌から南幌にかけて遺構がけっこう残っていて、ときどき自転車で走り回っては眺めていた。下の月に倒れかかった電信中が1本あって、夕鉄の社章が小さく張りつけてあるのを見つけ、剥がして持って行きたい衝動をなんとか我慢した事を思い出した。
 
 
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 夕張の地域資料の整理や鹿ノ谷ゼミナールをコーディネートする青木さんにもお会いする事ができた。やはり青木さんも、夕張市の博物館資料の行く末を気にしておられた。地方の地域博物館が、財政破綻後、その資料をどのように継承していくのかの、ひとつのケースとなるだけに、その今後が注目される。なにはともあれ、今後も機会をみて鹿ノ谷ゼミナールへ足を運びたい。
 
 

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