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2013年9月28日 (土)

おびひろ動物園の踏切は本物

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 「おびひろ動物園内の踏切は、もともとどこで使われていたものか知りたい」という相談があり、まずは行って現物を見てきた。動物園にはいわゆる豆汽車が走っているのだが、私は前から、この動物園の豆汽車は車輌よりも踏切が第一種自動踏切そのもので、実にリアルだなと思って興味を持っていた。
 
 それで改めて調べてみると、リアルなのは当然で、もともとは1996(平成8)年に帯広駅が高架化する際に不要となった根室本線の踏切を移設したものであった。やっぱり本物だったのである。
 
 
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 周回コース上に踏切は2箇所あり、いずれも「第一種(恐らく第一種乙)」である。ただし、恐らく設置時に状態の良いものを選んだのであろう、組み合わせがバラバラで、もともとどこの道路の踏切だったかは、今となってはわからない。当たり前だが、踏切支障報知装置や踏切動作反応灯は無い。
 
 こちらは、現在園内で稼働中のものでは最も古い1973(昭和48)年京三製作所製の遮断機と、1974(昭和49)年日本信号製遮断機の組み合わせ。種類としては「B型腕木式電気遮断機」である。警報器の方は閃光灯銘板を見る限り新しいもので、1990(平成2)年製。
 
 
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 こちらはもう1ヵ所の踏切。1975(昭和50)年製と1987(昭和62)年製のいずれも京三製作所製遮断機と、1990(平成2)年日本信号製警報器の組み合わせ。遮断機はいずれもB形である。
 
 ここでよーく踏切を見てみよう。左側の後ろを向いている警報器のクロスの背面が黒一色。また踏切の遮断機本体(竿=遮断竿を支えている機械)も黒一色に塗られている。
 
 今の踏切は、警報器のクロス背面は黄色、遮断機本体は黒と黄色の警戒色に塗装されている。その方が踏切全体の視認性が向上するからだと思う(これは推測)が、かつては踏切の塗装は黒い部分が多く、遮断竿も黒一色の時代があった。
 
 さらに細かい話になるが、遮断機の銘板を見ると・・・
 
Photo
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 同じ京三製作所製の踏切でも、名称の表記が上は「シャ断機」下は「しゃ断機」になっている事がわかる。これは1981(昭和56)年に「常用漢字表」が制定されるまで、日本の公式表記の基準とされてきた「当用漢字」に、遮断機の「遮」の字が含まれていなかったためである。しかも昭和40年代は「シャ」表記が多く、昭和50年代に入ると「しゃ」表記が多くなったと言われる。
 
 そうしたいろいろな意味で、やはりおびひろ動物園の踏切は興味深い。ひとつの鉄道遺産、産業遺産として活躍して欲しい。
 
 あ、豆汽車自体も1975(昭和50)年から走行している3代目でそれなりに由緒がある。ただし名称の弁慶号は、実在した幌内鉄道の弁慶号(7100号)とは軸配置が異なる。詳しくは前に書いたが、アトランティックタイプの蒸気機関車は日本では珍しい。ただ形だけで実際は蒸気機関車ではないが。

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