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2013年9月

2013年9月28日 (土)

おびひろ動物園の踏切は本物

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 「おびひろ動物園内の踏切は、もともとどこで使われていたものか知りたい」という相談があり、まずは行って現物を見てきた。動物園にはいわゆる豆汽車が走っているのだが、私は前から、この動物園の豆汽車は車輌よりも踏切が第一種自動踏切そのもので、実にリアルだなと思って興味を持っていた。
 
 それで改めて調べてみると、リアルなのは当然で、もともとは1996(平成8)年に帯広駅が高架化する際に不要となった根室本線の踏切を移設したものであった。やっぱり本物だったのである。
 
 
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 周回コース上に踏切は2箇所あり、いずれも「第一種(恐らく第一種乙)」である。ただし、恐らく設置時に状態の良いものを選んだのであろう、組み合わせがバラバラで、もともとどこの道路の踏切だったかは、今となってはわからない。当たり前だが、踏切支障報知装置や踏切動作反応灯は無い。
 
 こちらは、現在園内で稼働中のものでは最も古い1973(昭和48)年京三製作所製の遮断機と、1974(昭和49)年日本信号製遮断機の組み合わせ。種類としては「B型腕木式電気遮断機」である。警報器の方は閃光灯銘板を見る限り新しいもので、1990(平成2)年製。
 
 
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 こちらはもう1ヵ所の踏切。1975(昭和50)年製と1987(昭和62)年製のいずれも京三製作所製遮断機と、1990(平成2)年日本信号製警報器の組み合わせ。遮断機はいずれもB形である。
 
 ここでよーく踏切を見てみよう。左側の後ろを向いている警報器のクロスの背面が黒一色。また踏切の遮断機本体(竿=遮断竿を支えている機械)も黒一色に塗られている。
 
 今の踏切は、警報器のクロス背面は黄色、遮断機本体は黒と黄色の警戒色に塗装されている。その方が踏切全体の視認性が向上するからだと思う(これは推測)が、かつては踏切の塗装は黒い部分が多く、遮断竿も黒一色の時代があった。
 
 さらに細かい話になるが、遮断機の銘板を見ると・・・
 
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 同じ京三製作所製の踏切でも、名称の表記が上は「シャ断機」下は「しゃ断機」になっている事がわかる。これは1981(昭和56)年に「常用漢字表」が制定されるまで、日本の公式表記の基準とされてきた「当用漢字」に、遮断機の「遮」の字が含まれていなかったためである。しかも昭和40年代は「シャ」表記が多く、昭和50年代に入ると「しゃ」表記が多くなったと言われる。
 
 そうしたいろいろな意味で、やはりおびひろ動物園の踏切は興味深い。ひとつの鉄道遺産、産業遺産として活躍して欲しい。
 
 あ、豆汽車自体も1975(昭和50)年から走行している3代目でそれなりに由緒がある。ただし名称の弁慶号は、実在した幌内鉄道の弁慶号(7100号)とは軸配置が異なる。詳しくは前に書いたが、アトランティックタイプの蒸気機関車は日本では珍しい。ただ形だけで実際は蒸気機関車ではないが。

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2013年9月26日 (木)

浦幌駅で101年前のレールを見つけた

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 浦幌駅に停車中の釧路発新得行の普通列車2524D。ここで12分停車し、行き合いとなる下り特急スーパーおおぞら3号を待避する。
 
 
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 列車が待避で停車しているのは2番線。一昨日、この停車時間を利用して、何気なく反対側(写真右側)の今は使われていない3番線を眺めていると、車留めがあった。草むしている3番線は久しく列車が入っていないようだ。
 
 
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 さて、この車留め。レールに刻印か何か無いかと思って、近寄ってよく見てみると・・・
 
 
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 ありました「1912」の数字。つまり1912年製造のレールだということ。今年が2013年だから、実に101年前に作られたレールだということだ。さらに他の刻印を探してみると、年の前にNOの文字。その前に○囲みのSの字があるはずだが、その部分は穴が開いていて確認できなかった。
 
 だが、NO 1912なら、官営八幡製鉄所製で間違い無いだろう。待避時間に思わぬ発見で嬉しくなる。
 
 
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 浦幌駅は厚内駅と共に、今年の12月25日で開業110年を迎える。構内には開業8年後の1911(明治44)年建築のレンガ積み危険品庫が残っているが、このレールだってなかなか古いものである(ただし、車留めにされた年はもっと新しいだろうが)。ひとりホームで悦に入っていたら、下り特急スーパーおおぞら3号が通過していった。2524Dも程なく発車するはずで、慌てて車中に戻る。
 
 
 
 

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2013年9月25日 (水)

銀河線代行バスのきっぷ

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 10月に開催するロビー展「ボールペン画で描く北海道の駅舎原画展」の打ち合わせのため、作者である山宮喬也様を訪問に、北見へ行った。往路は銀河線の代行バスを利用した。代行バスは十勝バスが帯広から陸別までで、陸別〜北見間は北海道北見バスに乗り継ぎとなる。
 
 帯広駅バスターミナルで、立派な硬券乗車券が発売されている。あまりにも立派なので陸別で下車時に「欲しいのですが」と申し出たら、運転手氏が了解してくれた。 
 なお、陸別から乗り継ぐ北海道北見バスには切符が無く、整理券を取って下車時に精算するシステムのみだった。
 
 
 
 
 
 

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2013年9月21日 (土)

本別町歴史民俗資料館で自由研究を展示

 

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 先日、夏の企画展でお借りしていた標本を返しに本別町と浦幌町へ出かけた。ちょうど本別町歴史民俗資料館では、夏休み中に担当した「植物はかせになろう!」で製作した植物標本が展示されていた。
 
 
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 標本は自由研究として、いったん学校へ提出されていた。それが返却されたものを資料館でお借りし、展示されたとのこと。きれいな表紙を付けて立派になっていた。
 
 
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 本別サイエンスクラブの大人の方々にもお手伝いいただいた。これは大人の作品だが、押し葉と押し葉のこすりだしをして、一緒に台紙へ貼ったもの。
 
 時間的に少々きつかったが、また来年もやりたいなあと思う企画だった。
 
 

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2013年9月17日 (火)

岩内仙渓でダイモンジソウとクロクモソウ

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 戸蔦別川上流→岩内川に位置する岩内仙渓。日高山脈が目の前だが、れっきとした帯広市で、桜や紅葉の名所でもある(十勝鉄道は紅葉狩りなどの臨時列車を出していたと言う)。昨日の台風でいくらか増水している感じだった。
 
 
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 渓谷にはさまざまな植物がへばりついている。岸壁上部にはダイモンジソウが開花期を迎えていた。中央の白い小さな花がそれ。
 
 
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 エゾクロクモソウも。わかりづらいが濃い紫色の花が咲いている。クロクモソウは紫花とクリーム色とがあるが、岩内のは紫色らしい。
 
 
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 雨で溢れていた池。ヒツジグサの葉が切れ藻状態で漂っていた。
 
 
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 久しぶりにアマガエルを見た。エゾアカガエルのオタマジャクシも泳いでいて、まだオタマがいるのかと驚いた。
 
 

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2013年9月13日 (金)

帯広市図書館「ふるさと探訪」で浦幌町へ

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 今日は帯広市図書館主催の「ふるさと探訪」というバス見学会で講師に呼ばれ、池田、浦幌、十勝太、幕別を巡ってきた。担当は私の他、図書館の村上司書と水内職員。私の担当は十勝太鉄道予定地、浦幌炭鉱鉄道予定地と、現在の根室線浦幌駅から厚内駅までの見学。一方、途中、2カ所の文学碑にも立ち寄り、そちらは図書館の担当。写真中央が、幕別町の若山牧水歌碑で碑文の解説をする帯広市図書館司書の村上さん。
 
 
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 途中、浦幌町立博物館へも立ち寄り、常設展示や十勝最初のアンモナイトを見学。また、2階の学芸員室では、浦幌炭鉱の模型を見学する。写真左が浦幌炭鉱模型を解説している佐藤館長。他に、1階に同居している浦幌町立図書館の栗本さんに、昼食場所の提供などでご協力いただいた。
 
 天候は良かったのだが沿岸部では霧が濃く、厚内から十勝太ではせっかくの景観が真っ白で何も見えなかったのが残念。それでも「勉強になった」「楽しかった」と言ってもらえて良かった。図書館、浦幌町の皆さん、ありがとうございました。
 
 

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2013年9月12日 (木)

明日まででございます

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 当館の企画展「捕る採る録る:生物研究のワザ」も、いよいよ明日まででございます。
 
 児童会館に収蔵されていた30年ぶりに公開の植物標本や、牧師さんが教会を建てる為に売り歩いた標本、本別空襲を記憶する標本など、ちょっと違った視点からの標本も展示されています。まだ見ていない方はぜひ足をお運びください。
 
 

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2013年9月 9日 (月)

幸福駅の解体が始まった

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 9月9日、保存され公園として整備されていた旧広尾線の幸福駅舎の解体が始まるという事で、様子を見に行く。
 
 
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 既に足場が組まれ、立ち入り禁止になっている幸福駅舎。まあ、駅舎というより待合室だった訳だが。
 
    
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 10時からの作業開始を前に、報道陣が続々と集まってきた。
 
 
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 10時。現場監督の号令で作業開始。まずホーム側の駅名票が取り外される。
 
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 続いて側面も取り外し。
 
 
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 最後に正面の取り外し。大勢の報道陣と、待合室を囲む足場に、たまたま居合わせた観光客はびっくりしていた。
 
 
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 正面看板の取り外し。
 
 
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 続いて建物の解体。部材を再利用するため、丁寧に下見板張りの板が取り外されていく。
 
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 外された板材。釘も含め、なるべく再利用すると言う。
 
 
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 外された駅名票(看板)。裏に何か書き込みが無いかと思って調べさせてもらったが、何も無かった。
 
 
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 解体に先立ち、中にびっしりと貼られた名刺などを剥がす作業が行われた。なかなか大変な作業で、けっきょく剥がれなかったものも多数あったようだ。
 
 
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 市では一年間は外した名刺などを保管し、希望があれば返却すると言う。
 
 
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 かつてボヤがあった時の跡らしい。そこだけ下見板の幅が異なる。
 
 
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 保存されている2両のキハ22のうち、238は今後、内装を大幅にリニューアルして、セレモニーの会場として使えるようにすると言う。1965(昭和40)年の新製以後ずっと釧路機関区に配置され、最後まで広尾線で活躍した当地ゆかりの車輌なので、できれば原型で保存して欲しいなあと思うのだが、この場所の性質を考えると仕方ないのかな。
 
 
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 もう1両のキハ22 221は、1963(昭和38)年の製造後、苗穂機関区へ配置され、その後苫小牧へ移転。広尾線廃止の1年前に釧路機関区所属になり、当地での活躍期間は短い。
 
 こうした車歴に関しても案内板に書いて欲しいところだが、居合わせた観光課の職員に聞くと、そうした予定は無いという。ここはあくまでも観光地で、鉄道資料を受け継ぐという発想の場所では無いんだなあとあらためて実感。少し寂しい感じがする。
 
 

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2013年9月 5日 (木)

旭川からの帰り道で鉄道を考える

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 旭川での集中講義を終え、夕方の汽車で帯広へ帰る。たまたま学生の中に帯広出身者がいたが、いつも帰省は都市間バス(ノースライナー旭川〜帯広)を利用し、汽車には乗らないという。ちなみにバスは旭川〜帯広で3150円。鉄道だと3570円。一方、バスは往復だと6000円に対し、鉄道だと「旭川・帯広往復割引切符」があり5600円でバスより安いのだが、有効期間が4日間というのがネックなのかもしれない。
 
 
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 旭川駅の東改札口。
 
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 本当は17時46分発の富良野行きに乗れば、乗り換えは1回で済む。しかし、その前に美瑛行きの区間列車がある事から、せっかくなのでこれに乗る事にする。少しでも明るいうちに富良野線に乗れるし、美瑛で途中下車する事もできる。
 
 
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 放送にも電光掲示にもどこにも表記が無く誰もそう呼んでいないが、この区間列車には「マイタウン列車しろがね」の愛称が付けられていた。そして実際、車内は高校生や買い物・病院帰りらしい人、旅行者でけっこう混んでいて、立ち客も数名存在した。私は美瑛まで立っていて車内を観察していたが、けっこう途中駅での乗降もある。愛称どおり、マイタウン列車すなわち生活列車としての雰囲気が濃厚で、鉄道が地域の足として根付いている事が感じられる。
 
 
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 美瑛着。途中まででかなり降りたが、ここまでもけっこう乗車があった。美瑛までは完全に旭川経済圏である事がわかる。
 
 
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 1951(昭和26)年に建てられた、安山岩質の美瑛軟石を建築材とする美瑛駅舎。
 
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 出札窓口に改札兼務の駅員がつく他、自動券売機も1機設置されていた。待合室は出札前の他にもうひと区画がある。列車が近づくと、方面別の乗り場表示を点灯して改札中を示す。
 
 が、それも18時30分まで。それ以後は窓口が閉められる。私はこの、せっかくの有人駅なのに始発から終発まで駅員が完全に配置されず、途中で無人になってしまうというシステムが良くないのではないか?と思っている。
 
 有人駅と無人駅では、利用者の駅に対する安心感が全く異なる。冬は当然、駅員のいる時間しかストーブも点灯されないし、掃除や不審者の警戒や、その他、駅員の存在は駅を公共空間として保っていく上で細かい面を見れば存在感が大きい。
 
 また、ワンマン列車の場合、有人駅では全てのドアが開くが、無人駅では2両以上の連結でも先頭の運転士脇のドア1カ所しか開閉しない。料金収受がある為だが、そうした不便も利用者に強いる事になる。
 
 さまざまな事故や不祥事で鉄道への信頼感が揺らいでいる今こそ、有人駅の営業時間のあり方を根本的に見直し、駅から地域との信頼関係を構築しなおしていく必要があるのではないか?と思っている。極端な話、こうした点も人々が駅や鉄道を離れてバスへと気持ちが移っていく原因のひとつだと思う。
 
 
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 美瑛で次列車へ乗り継ぎ、18時58分に富良野へ到着する。全てのドアが開くと思ったら、ここでも先頭のドアしか開かない。既に富良野駅は18時に窓口営業を終了しているからである。反対に、この車輌の折り返し運用である19時07分発の旭川行に乗る大勢の人達が、最後尾のドア前で待機しているのが見える。ワンマン運転の場合、こうした事が起こる。
 富良野規模の駅で営業時間を制限するのは、あまりにも硬直的な運用である気がしてならないのだが・・・。
 
 
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 さて、19時10分発の池田行快速狩勝に乗り換える。奥が今乗ってきた富良野線のキハ130系。手前が快速狩勝のキハ40系。
 
 
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 跨線橋から狩勝を見たところ。ここでも結構な高校生が狩勝へ乗り込んでいた。
 
 
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 ちなみにこの列車、急行時代からの伝統ある「狩勝」の名称を引き継いだ快速列車で、乗降扉脇には昔ながらの列車名表示板が誇らしげに下げられている。だが、車内放送では「快速ワンマン列車です」としか言わない。 
 
 
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 そう思ったら先頭の方向幕が「快速ワンマン」だった。快速ワンマンって、呼称としてちょっと残念な気がするが・・・。狩勝の名をもっと使って欲しいなと思う。
 
 
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 東鹿超で行き合い列車の僅かな遅れがあったが、ほぼ順調に狩勝峠手前の落合に到着。ここで数分停車するのは、この先のトンネル内で石勝線と分岐する「下落合信号所」の関係だと思う。
 
 乗客の流動は、山部、下金山、幾寅でけっこうな降車があった。高校生の利用が、わずか1名ではあったが落合まであったのは少し意外だった。落合発車時点での乗車客は、私の他に旅行者らしき2人連れと山女らしい大きなザックを持つ女性の4人。日常利用者と思われる人は居らず、狩勝峠が生活圏を上川と十勝とに隔てる文字通りの峠である事を実感する。
 
 もうひとつ実感したのは幾寅で、予想外に下車客が多かった。幾寅は南富良野町の中心地で、やはりこの町の人達にとっては重要な生活路線であり、また経済圏が隣接する富良野で、十勝の交流が無い事もあらためて実感できた(なお、別に聞いた話では、夏にプール学習の子供達が峠を越えて新得へ来る事はあるとのこと)。
 
 
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 狩勝峠を越え、新得着。ここで私以外の旅客は全て降りた。山女風はトムラウシへでも出かけるのだろうか?旅行者2人連れは後から来た上り特急列車に乗り換えたので、トマムで一泊するのかもしれない。
 
 ここで30分近く停車。行き合いの滝川行普通列車の他、下記の2本、つまり合計3本の列車を待避するのである。この快速狩勝は、この先帯広までは十勝清水、芽室しか停まらない。つまり特急スーパーとかち並みの通過列車なのだが、いかんせん、富良野を出て以来、行き合いなどで停車する時間が少し長い。そのため、実は旭川〜帯広までの所要時間は、別に普通列車を乗り継いだ方が20分近く早いなどの矛盾が生じている。
 
 もっとも、こうして停車時間が長いと、ホームを歩いたり改札を出てみたり、特に急ぐ訳でも無い身には体を伸ばせる良い時間なのだが、単純に所要時間を考えると、敬遠される理由にはなるのかもしれない。
 
 
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 上り特急スーパーおおぞら14号を待避。
 
 
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 上り貨物列車とも交換。この先、十勝清水でも貨物との交換があり、さらに途中の帯広貨物駅では出発線で待機する貨物列車と、構内で入れ替え中のDF200の姿が見えたから、夜の根室本線はやはり貨物列車が主役のようである。収穫の秋を迎え、十勝発の貨物が最も賑わいを見せる時期に入った。
 
 
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 22時06分、帯広へ到着。列車はこのまま池田まで行く。仕事帰り、学校帰り、呑み帰りらしき数名の乗車があり、再び生活列車の雰囲気を帯びてきていた。
 
 冒頭の話だが、なぜ学生が汽車から離れていくのか?その理由は運賃の他にもあるのではないか?というのが、今回少しわかった気がする。運賃がバスよりも高く、所要時間もバスなら3時間15分〜3時間30分なのに対し、鉄道は最短でも4時間6分、そして基本的には富良野で乗り換えなければならない。富良野線はけっこう利用者が多く、座れないかも知れない。
 こうなると、現代の学生は汽車には乗らない。都市間バスが好条件で走っている以上、乗る理由がみつからないのだろう。せめて旭川〜帯広の直通列車を増やせば良いと思うのだが、そうした実験的な事をする余裕は今の鉄道には無いのかもしれない。
 
 

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2013年9月 4日 (水)

旭川美術館の見学と大学図書館での実習

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 博物館情報・メディア論の講義の一環で、学生たちと常盤公園にある北海道立旭川美術館の「奇才・ダリ版画展」を見学に行った。北海道教育大学は道立美術館と提携しており、学生証を見せると常設展示は無料、特別展も団体割引料金で観覧できる。なんとうらやましい制度だろうか。
 
 日頃、忙しい中での突然の来訪や解説依頼は対応がけっこう大変なのだが、ちゃっかりしたもので、お客さんの立場になるとついやってしまう。今回も、飛び込みで「学生たちに少しだけ話をしてもらえないか?」とお願いしたところ、平学芸員が快諾して下さった。
 
 なんでも今日は館内で資料の移動作業などがあるらしく、そんな中わざわざ体の空く時間を作って下さった。なんとも迷惑な客、しかも相手がそんな事はわかっているはずの学芸員では誠に申し訳ない事しきりだ。だが、博物館情報・メディア論の講義の趣旨をご理解下さり、広報やメディアの活用など、さまざまな現場の話をわかり易くして下さった。誠に感謝だ。平学芸員は以前は帯広美術館にお勤めで、当館の職員の事もよく御存知だったのも幸い。
 
 旭川美術館での「奇才・ダリ版画展」は9月8日(日)まで開催。もうすぐ終わりです。 http://event.hokkaido-np.co.jp/dali/introduction/index.html 
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 こちらは前日に実施した大学図書館での文献ガイダンス。2年生という事で、まだ本格的な図書館の利用方法を知らない学生達に、一足はやく専門的な文献を探すデータベースの活用方法を、大学図書館の司書さんの協力により実施した。
 
 博物館情報・メディア論のひとつのメインがデータベース。文献データベースと博物館資料のデータベースの現状と比較を体感してもらう。また、CINIIや雑誌記事索引に市町村立博物館の逐次刊行物が採録されていない事の問題点にも触れる。博物館の置かれている現状や課題に触れ、少しでも問題意識を持ってもらえれば・・・。まあ、なかなか実感が沸かないとは思うが・・・。
 
 
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 北海道教育大学旭川校。まだ北大植物園の修士課程だった頃に、ここで植生学会が開催された事がある。そのときはこんなきれいな校舎じゃなかった気がする。
 
 
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 学生さん達は基本的に卒業要件として教員免許を取得するのだそうだ。学芸員の他、場合によっては学校図書館司書の資格も取得する事ができる。一方、教育大と言えば小学校教諭の養成課程と学校関係者の間では考えられていて、高校教諭への採用は厳しいのだと学生達は言う。学校の先生になるのも大変なんだなと思う。
 
 

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2013年9月 2日 (月)

木床のバスに乗って旭川教育大へ通う

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 今日から北海道教育大学旭川校で「博物館情報・メディア論」の集中講義を担当。だが、去年に比べて受講学生数が少ないので、机をロの字に並べてゼミ形式で行う。これがみんな、なかなか個性的な学生達で楽しい。

 大学から宿泊先へ戻る旭川電気軌道の路線バスは、出身地横浜では高校時代まで東急バスでよく見かけた「木床」。ほのかに香る板木の匂いと、きしんでキュッキュッと鳴く音が懐かしかった。

 博物館情報・メディア論は、昨年は初めての講義で試行錯誤だったが、今年はいろいろな方の講義資料や全国の動向、図書館情報学の資料も集めて検討した上で、少し突っ込んだ事をやる予定。昨年どおり、図書館での文献ガイダンスを受講して図書館と博物館の共通性と違いを学ぶ他、明日は道立帯広美術館を見学し、博物館情報と博物館メディアの実際について学ぶ予定でいる。
 
 博物館情報・メディア論の講義を担当しているが、特に情報機器についての専門家の訳ではない。ただ、情報とかメディアとかいうとITを意識しがちだが、本来は絵や手紙、口コミなどの原始的な形態も含めてメディアであり、また博物館そのものが展示というメディアでもある。その点を踏まえながら、少しでも充実した講義となるよう工夫していきたいと思う。
 
 

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2013年9月 1日 (日)

釧路市立博物館と網走の北方民族博物館へ

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 網走市の北海道立北方民族博物館に、戦時中、サハリンで採集された植物標本がある。これは、北方民族の生活文化の研究者が、いろいろな目的で利用されている植物について調べている時に参考資料として採られたもの。植物学者ではないので植物の標本の作り方には精通していないが、記録として採られた植物は今日まで大切に保存されてきたのである。
 
 この標本と、もうひとつ、別の民族学者の方がやはりサハリンへ調査に行った際の鉄道切符などが保存されており、そちらも調査させてもらう。
 
 網走は学生時代から調査で何度となく通った場所で、馴染みがある。が、なんと北方民族博物館へ入った事はこれまで無かった。理由は日中まったく時間が無かったからである。それにしても恥ずかしい限りなのだが、今回、資料調査を機会に念願かなってようやく天都山の主の門をくぐる事ができた。資料の所蔵情報を教えて頂き、また調査を許可いただいた笹倉学芸員ありがとうございました。
 
 
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 今回は帯広から釧路経由で網走へ。途中の釧路では釧路市立博物館へ立ち寄り、開催中の企画展「国後島の植物と自然」を見る。国後島調査は私の所属していた大学院の研究室が度々実施していて、私もいちど行ってみたかったのだが、ついに叶わなかった。本展では釧路市立博物館の加藤学芸員が、実際に国後島で採集してきた植物標本や撮影した写真が展示されている。  
 
 
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 さらに、釧路市立博物館は現在の建物になってから今年で30年を迎え、それを記念した「新館30周年記念収蔵資料展:資料がつなぐ釧路の記憶」を開催している。そこでも、初代館長片岡新助採集標本など、植物が展示されている。
 
 ここで実感したのは、やはり植物標本展示用のアクリル板が当館でも必要だなという事。標本の保護と活用の為に、少し展示用具を揃えないといけないなあと思う。先日の札幌市博物館活動センターでも、きちんと標本保護の処置を施していて、こればかりは反省しきりなのだが、無い袖は振れないのだった。今回の展示「捕る採る録る」でも何も処置していないが、せめて釧路や北大から借りれば良かったなあ。ただ、結局借りに行く予算が無いから自腹になってしまうのだが・・・。
 
 
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 釧路・網走の両博物館を訪れた後、月曜日から始まる集中講義の非常勤講師の関係で、網走から旭川へ移動する。そのため、これまた数年ぶりで石北本線の特急オホーツク号に乗る。大学院生の頃の調査は自動車だったため、この区間を列車で移動するのは本当に久しぶりだ。車輌は変わっていないが、4両編成とはずいぶん短くなった気がする(かつては6両編成だった気がする)。
 
 
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 一年ぶりの旭川駅。旭川は、かつて幌加内へ住んでいた時に、買い物や旭川六条教会の礼拝へ出る為によく出てきていたが、当時は地上駅で駅舎も民衆駅だった。そのため、ガラリと変わった旭川駅舎には、なんだか全く知らない場所へ来たような印象を受ける。
 
 

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