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2013年7月10日 (水)

池田ゆかりの作家「吉屋信子」を知る

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 9月に開催する図書館主催の「ふるさと探訪」というバス見学会では、鉄道史を主なテーマに浦幌方面を巡るが、2ヶ所、文学碑も訪れる。ひとつは幕別町の若山牧水歌碑、もうひとつが池田町の吉屋信子文学碑だ。
 
 実は吉屋信子という作家について、私は何も知らなかった。吉屋(1896-1973)は大正8(1919)年の夏の3ヵ月、兄を頼って池田町へ滞在し、後にデビュー作となる「地の果てまで」を書き上げた。池田町清見ヶ丘公園に、これを記念した文学碑が建てられている。「ふるさと探訪」ではここを訪れる予定で、担当は司書さんなのだが、せっかくなので私もこの作品を読んでみた。
 
 読んでみて、これは知っておかなければならない作家だったなあと感じた。吉屋はキリスト者ではなく、亡くなった後は神奈川県鎌倉市の大仏澱裏の墓地に葬られていて、戒名もある。だが、幼少期に出生地栃木の教会へ出入りして日曜学校へ通っていた他、バプテスト教会やYMCAの運営する女子寮へ入ったりした経験から、キリスト教的概念に精通している。これは作品を読んで素直に感じるところで、私は略歴を調べるまで、キリスト者なのだとばかり思っていた。
 
 また、女性の解放と自立いうテーマが底流にある。貴族的な家庭像が描かれると思いきや、どん底の無産階級の生活や人間観にも目が配られている。信仰に関する描き方も、ややもすれば神学や牧会運営の理屈が優先されがちな教会よりも、信仰に根ざした社会事業を重要視している事がうかがわれる。作中でも、教会の姿勢を批判している文脈があり、ある意味ではキリスト者以上に客観的にキリスト教や宗教を見ているように思える。
 これは、吉屋が女性解放運動への関心から日本の廃娼運動を研究しており、その先駆であった救世軍の山室軍平に強い関心を抱いていた事から来るものであろう。「地の果てまで」にも救世軍が登場する。
 
 こうして、キリスト教的な概念や女性解放といった社会的なテーマを持ちつつ、身近な人間関係や苦悩を描いた独特の作品が次々と書かれている。なかなか興味深い。
 
 
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      池田町清見ヶ丘に建つ文学碑
 
 
 吉屋の滞在していた家の場所、兄の職場、吉屋が作中でモデルとした池田の農村風景のモデルとなった農場の場所など、今回の「ふるさと探訪」で解説すべき事柄は概ね把握した。図書館で「地の果てまで」の執筆年に近い池田の地図を探し、所縁の場所について紹介する事にしたが、いかんせん、十勝川や利別川改修前の古い時代の話で、現存しているものは殆ど無い。まあ、この辺にあの辺にという程度になろう。
 
 「地の果てまで」には、実際の東京の風景や地名、当時の鉄道などが登場し、この点も興味深い。都電荒川線の前身である王子電車や、伊豆箱根鉄道駿豆線の前身である駿豆鉄道、青函連絡船比羅夫丸なども登場する。
 一方、北海道の描写は抽象的で、東京の具体的な描写とは非常に対照的である。そもそも、作中では「池田」の地名自体がどこにも出てこない(「十勝」とは表記されている)。これは本作が、吉屋の池田滞在わずか三ヶ月間に執筆された事と無縁ではないだろう。
 
 ただし、後の解説によれば、吉屋は本作登場人物の池田での勤め先や住居、生活を描くために、様舞の高台に存在した川合農場を取材しており、ここがモデルだとされている。作中でも、「正午の汽車のついた駅から三里許りの寒村」と描かれており、池田駅から三里という距離が符号する。夏の三ヶ月の滞在で、冬の池田を描こうとするのが凄いが、少しでも作品へのリアリティを追求したのだと思う。
 
 ただし1ヵ所だけ、本作の描写で現実との矛盾が気になる箇所がある。それは、汽車の走っていく方角である。作中、函館から釧路方面行の普通列車に乗った「緑」が、池田と思われる駅で下車した時の描写に次のようなくだりがある。
 
 吹雪の後の平原を走った汽車は、夜の明け方、緑を小さい寒駅へ残して更に北方へ去った。
 
 池田を出た汽車が北方へ走り去る事はない。釧路方面行は南東方向へ走り去るのである。あえていえば、当時存在した網走本線(後の池北線、ふるさと銀河線)が北方へ向かうが、釧路方面行ではないし、当時、まだ様舞に駅はない(様舞仮停車場の設置は昭和に入ってから)。恐らく吉屋は、モデルとした様舞の川合農場の麓を網走本線が通じていた事から、池田駅を発車するシーンに、網走本線のイメージを重ねたのではないか?ならば、あえて釧路方面行に乗ったと描写しなければ良かったと思うのだが・・・まあ、小説のシーンにあれこれ言っても始まらないが、東京に比べて具体的描写の少ない北海道での描写なので、やや残念な気がした。
 
 それとは別に、この作家の作品について、もう少し読んでみたいなという気になった。朝日新聞社から出ている「吉屋信子全集」を、端から順に読んでみようか。
 
 

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