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2013年7月

2013年7月22日 (月)

海岸草原と雑草を調べて廻る

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 今日は月曜日なので私たちはお休みの日。朝から大樹町で海岸草原調査のお手伝いに呼ばれた。6時半現地集合なので、早朝に出発。選挙の開票結果などを見ていたら、けっこうギリギリになってしまったが、朝の国道は気持ちが良い。
 
 その後は広尾へ出て、その後、一気に音別へ抜けるなど、今日は結構走った。南東十勝をグルリと廻った感じ。
 
 
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 お昼目に海岸草原を終わり、ハイコウリンタンポポが定着している広尾町豊似へ様子を見に行く。豊似小学校の教員住宅街の一角に、それは生えているのである。
 
 
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 もう結構、種になっていた。びっしりと張り付くように密生し、果穂をあげている。標本をひとつ採集して行く。
 
 
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 今度は、豊似から国道336号線通称ナウマン国道を抜けて、北東へ。音別町のパシクルを目指す。途中、依田勉三ゆかりの生花苗神社で休憩。
 
 
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 ふと地面を見ると、サカコザクラやアメリカアゼナが生えている。湿った泥っぽいところが好きな雑草だ。採集してしまう。
 
 
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 音別の市街へ入ると15時頃で、ちょうど釧路から来た2692列車に、音別からの貨車を連結している入れ換え作業の時間だ。駅前に車を止めて跨線橋の上からのぞくと、荷役線から引き出した貨車を本線へ据え付けているところだった。このあと、札幌貨物ターミナルへ向けて出て行くところを見送る。
 
 
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 前回、ちょうど道路工事中で調査できなかった釧路市音別町パシクルの路面間隙雑草を調べる。道路工事したてで、雑草無いかもと思ったが、意外に結構あって安心。
 
 
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 引き返して国道38号線を帯広へ向かう。帰りに音別駅前の桜湯でひと風呂浴びて行く。今日は夕方に元町長さんのお通夜があるとかで、町の人達はみな出かけて行くのだと話していた。
 
 
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 やはり路面間隙雑草の補足調査で、浦幌町新吉野と豊頃町統内に停車。豊頃町統内で、もうだいぶ陽が傾いてきたから今日はここを最後に切り上げようと考えながら採集や調査をしていると、1台の車が止まった。当館の剥製技師のKさんだ。
 
 どうも私は昔から植物採集をしていると、いろいろな人に会ったり、目撃されていたりする。こちらからは全然気が付いていないので、こうして声をかけて頂けるのはありがたい。
 
 だいぶ暗くなってきたので、調査を切り上げたら帯広へ帰る。今日はよく走ったし、朝からいろいろな植物を見た。早く寝よう。
 
 

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2013年7月21日 (日)

臨時「ぶらり帯広」

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 19日金曜日は、中小企業家同友会の大会が帯広で開かれ、その分科会で帯広駅から緑ヶ丘公園まで「ぶらり帯広」の依頼があった。内田学芸員と二人で担当し、歴史や動植物・地形などを見ながら記念館まで歩く。

 緑ヶ丘公園に残る旧十勝監獄の油庫。今回、この油庫を戦後に補修した際、同じ頃解体された帯広聖公会の旧礼拝堂のレンガが使用されていた事を知った。二人とも旧礼拝堂がどんなものか知らなかったので急いで調べてみたところ、帯広聖公会の旧礼拝堂も油庫と同じく十勝監獄が建てたもので、土台にレンガが使われていたらしい

 帯広聖公会は、文化財建築に指定されている双葉幼稚園ばかり気にしていて、既に無くなっている本丸の礼拝堂の姿を知ったのは初めてだった。こういう機会にどんどん勉強しとかんとなあと実感。ついでに帯広市内のキリスト教会各会派の歴史も、どこかでまとめてメモしておかないと・・・。

 
 
 

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2013年7月19日 (金)

図書館でプレ展示はじめました

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 夏の企画展「捕る採る録る」のプレ展示が、昨日から帯広市図書館1階で始まった。28日(日)までの開催で、昆虫と植物の標本や、標本を使って学芸員がどんな研究をしているのか?について、2つのテーマで展示している。帯広市生涯学習施設4館連携事業のひとつとして実施。
 
 

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 帯広市図書館は帯広駅南口すぐ前にあり、場所が良いし利用者も多いので、本展示へ向けて良いアピールになる。
 
 
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 手前は植物、一番奥が昆虫の展示。真ん中のケースには、植物と昆虫の採集道具や標本製作道具が入っており、「この道具は何でしょう?答えが8月3日から百年記念館で」と、本展へ誘導している。
 
 
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 昆虫の展示は、市内の大山緑地で行われた甲虫類の調査について。昆虫相調査の意義や方法、見つかった昆虫の種類などが、簡潔に紹介されている。
 
 
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 その叩き台となったのが、伊藤学芸員による「帯広市大山緑地・若葉の森ベイトトラップ調査(1)」という報告。調査結果が論文にまとめられ、その結果を市の広報や当館の普及行事で紹介し、今回の展示へと結びついている事が紹介されている。
 
 
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 担当した伊藤学芸員。定期的なベイトトラップの設置・回収によって、緑地の甲虫相を把握している。地域のファウナ研究で最も基本的で重要な仕事だが、こうした取り組みが展示になるまでには当然ながらデータの収集や分析、同定や標本製作技術の工場など、長い時間と日頃からの研鑽が必要である。
 
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 植物は私の担当でハイコウリンタンポポについて。昨年、市民へ情報提供を呼び掛けた結果、十勝全域から30名を超える方が情報を寄せて下さり、おかげで十勝圏の定着状況が明らかとなった。今回、その結果をご紹介している。
 
 
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 ある意味、もっとも強調したいのが実はこれ。博物館学の教科書的には、博物館は資料収集→調査研究→展示普及という流れを役割とする機関とされているが、実はこの流れで仕事ができているケースは少ない。むしろ逆で、展示のテーマが先に決まり、それに基づいて調査研究をし、資料を集めるというケースが目立つ。
 
 今回の2件の展示テーマは、この数少ない教科書的なスタンダードな流れで仕事をしたケースなのである。結果を(館の紀要だけれど)論文発表して学術的な評価を得てから普及事業や展示へ取り組むという、ひとつの理想型だと思う。こうした流れをもっと強くし、「知識の切り売り」から「知識の生産者」としてオリジナルな学術資源を地域から発掘・発進していける博物館・学芸員でありたいと思う。
 
 
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 ところで伊藤学芸員は昆虫が専門の学芸員である一方、総合職という身分で当館のさまざまな事務も担当しており、ふだんは事務室に居る事が多い。将来的に本庁の他部署への異動もあるかもしれないと言う。
 
 ここからは私見だが、今回の展示が示しているように、学芸員の仕事は本来、その地域に密着して息の長い調査などの取り組みと常日頃からの技術研鑽が必要な仕事であり、「総合職」という名の「なんでも屋」の制度は、本来この職に全く馴染まない。今後あたらしく入る学芸員を次々と総合職で採用されては、一般事務に忙殺されて調査や研究、事業の立案にじっくり腰を据える時間も、長期的な視野で博物館の方向性を考える意識も、技術の研鑽に力を注ぐ気力もない、学芸の面では箸にも棒にもかからない、使い物にならない事務職学芸員が増えていってしまうような気がしてならない。
 
 そうなると、正規職員はただのイベント屋になり、本当の意味で学芸業務に取り組むのは嘱託職員という、本末転倒な事態に発展していくかもしれない。ひょっとしたら、むしろ専門職の嘱託化で人件費を浮かせようとしているのかもしれない(そういう博物館が実際に多く存在している)。
 
 帯広市はこの馬鹿げた総合職という制度をはやく撤廃し、学芸員を専門職として任用するように改めるべきだと思っている。
 
 
 
 

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2013年7月18日 (木)

国道38号線で路面間隙雑草調査

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 十勝へ来て以来、なんとなく日頃から気にしていた路面間隙雑草について、きちんとした植生調査データをとりたいと考えていた。宇都宮大学の須藤さん達が、国道4号線を東京から青森まで20kmおきに雑草調査した論文があり、この論文を読んで以来、いつか同じ研究をやってみたいと思っていたのである。
 今回、国道38号線を対象に、雑草調査を実施。2日間かけて、帯広市中心部を除く十勝管内(狩勝峠〜厚内)と、釧路管内(音別〜釧路)までを調査してみた。いつでも行ける帯広市中心部は、出勤前の早朝、車の少ない時間帯にあらためて調査する事にした。さて、スタートは芽室町から。
 
 
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 調査の対象としたのは、須藤論文と同じく、自動車道と路肩の歩道縁石の隙間に細く長く続く路面間隙に生える雑草。このちょっと隙間に生育する植物を、「路面間隙雑草」と呼んでいる。写真のようなノゲシやオオアレチノギクなど、意外に大きいものも生えており、反対にきわめて小さいものもある。
 
 
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 小さい方の代表格はこれ。トキンソウ。コニシキソウなどに埋もれるように、小さく小さく生育しているが、立派に花を咲かせている。
 
 
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 トウダイグサ科のコニシキソウ。緑ヶ丘公園でも一部で見るが、今回の調査ではあまり出てこなかった。
 
 
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 畑の雑草でお馴染みのスベリヒユも、路面間隙によく現れる。朝しか花が咲かない植物なので、花を見るとつい写真を撮ってしまうが、採集して標本にするのは意外に難しい。
 
 
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 ひどい名前のつけられ方だなあと同情に堪えないハキダメギク。市街地には出現するが、他の環境ではあまり出なかった。
 
 
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 今が盛りのスカシタゴボウ。キレハイヌガラシが出る場所もあり、一見よく似ているので注意が必要なアブラナ科雑草。
 
 
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 これは38号線ではなく、清水町内の274号線にあったシバツメクサ。恥ずかしながら現地では名前がわからず、帰ってきてからネットで調べて同定した。今回、初めて知った雑草のひとつ。
 
 
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 狩勝峠山頂。美しい夏の十勝が見渡せる峠のてっぺんで休息し、もちろん雑草を記録してから折り返す。
 
 
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 狩勝峠の山頂部は、何か変わったものが出るかもと思ったが、意外にそんな事は無かった。ただ、種組成が貧弱になり、オオバコの被度が高くなった。
 
 
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 ウスベニツメクサに混じり、幽霊のように白い体をしたヒメチチコグサが立つ。これも立派に花を咲かせている。
 
 
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 よく見るシロザに混じり、ときどき出てくるのがウラジロアカザ。海岸付近の雑草として知られるが、日勝峠第一展望台でもたくさん出現したのが意外。
 
 
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 翌日は釧路方面。上厚内山中の路面間隙の様子。歩道が無く、道路の隙間を直接調べる。
 
 
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 音別町尺別原野。いまは釧路市音別だ。このあたりから海岸要素の雑草が混ざるようになる。山地の路面には特に山っぽいものは出なかったが、海岸沿いは海っぽい草が見られるのが特徴的。
 
 
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 コシカギクに混ざり、すっと直立するオクミチヤナギ。最初、ハイミチヤナギの変なヤツかと思ったが、持ち帰った標本を同定すると、托葉や種子の形態からオクミチヤナギと判明。以後、釧路まで点々と出てくるようになる。
 
 
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 下見のときは鉄道ファンらしいキタキツネに出会った白糠町刺牛。今回、キツネはいなかったので、1人で上り普通列車2526Dを見送る。ちょっと遅れている様子。
 
 
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 いきなり出た、オハツキガラシ。名前は知っていたが、はっきり認識したのは初めてかもしれない。帯広ではあんまり見ないのだが、ここから釧路方面はやたらこの植物が路面に生えており、種組成の優占関係を変化させた。
 
 
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 白糠町恋問の路面間隙。ここはオオバコがエゾオオバコに、ツメクサがエゾハマツメクサに入れ替わった。なんだか海岸の砂礫地を歩いているようだ。ちなみにエゾハマツメクサも、標本を持ち帰って細かく同定したら判明したもの。やはり現地同定だけに頼るのは危険で、標本を持ち帰ってきちんと同定作業する事の大切さを実感した。
 
 
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 釧路市街の星が浦。量販店や生協などが並ぶ街中で、雑草もわんさか生えるが、大型のシバムギやヒロハウシノケグサなどのイネ科雑草とスギナがもそっと生え、足下にオハツキガラシの葉が点々と茂っているのが特徴的だった。
 
 
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 釧路市幣舞橋。この先のロータリーが38号線の終点。
 
 
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 橋の上の路面間隙。この先のロータリーが終点なのだが、最初勘違いして橋の上が終点なのかと思って調査した。やはりエゾオオバコやエゾハマツメクサなど、海岸性の植物が混じる。
 
 
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 十勝から釧路方面はひとまず終了。日を改めて、狩勝峠の反対側、富良野を経て滝川までを調べる予定。いまから楽しみです。ただ、時間がとれるかなあ。
 
 

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2013年7月13日 (土)

夕暮れ時の小麦畑やエゾクガイソウ

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 夕日を浴びて麦畑が金色に光る。
 
 
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 北海道初の超強力粉品種「ゆめちから」。近年、稀に見る長芒型の小麦である。
 
 
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 夕方の芽室帯広料金所。道東自動車道は奥を左から右へ直進。手前へ向かってくるのは、分岐した帯広広尾自動車道だ。
 
 
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 西士狩の丘から、暮れていく豆畑の向こうに帯広市街を遠望する。
 
 
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 沢沿いにはエゾクガイソウの青くて長い花穂が揺れる。
 
 
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 こちらは対照的に赤い花をつけるエゾノシモツケソウ。夏の夕暮れどき、夕涼みがてら丘の上や沢沿いを散策すると、蚊はいるけれど楽しい事もある。
 
 

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2013年7月10日 (水)

池田ゆかりの作家「吉屋信子」を知る

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 9月に開催する図書館主催の「ふるさと探訪」というバス見学会では、鉄道史を主なテーマに浦幌方面を巡るが、2ヶ所、文学碑も訪れる。ひとつは幕別町の若山牧水歌碑、もうひとつが池田町の吉屋信子文学碑だ。
 
 実は吉屋信子という作家について、私は何も知らなかった。吉屋(1896-1973)は大正8(1919)年の夏の3ヵ月、兄を頼って池田町へ滞在し、後にデビュー作となる「地の果てまで」を書き上げた。池田町清見ヶ丘公園に、これを記念した文学碑が建てられている。「ふるさと探訪」ではここを訪れる予定で、担当は司書さんなのだが、せっかくなので私もこの作品を読んでみた。
 
 読んでみて、これは知っておかなければならない作家だったなあと感じた。吉屋はキリスト者ではなく、亡くなった後は神奈川県鎌倉市の大仏澱裏の墓地に葬られていて、戒名もある。だが、幼少期に出生地栃木の教会へ出入りして日曜学校へ通っていた他、バプテスト教会やYMCAの運営する女子寮へ入ったりした経験から、キリスト教的概念に精通している。これは作品を読んで素直に感じるところで、私は略歴を調べるまで、キリスト者なのだとばかり思っていた。
 
 また、女性の解放と自立いうテーマが底流にある。貴族的な家庭像が描かれると思いきや、どん底の無産階級の生活や人間観にも目が配られている。信仰に関する描き方も、ややもすれば神学や牧会運営の理屈が優先されがちな教会よりも、信仰に根ざした社会事業を重要視している事がうかがわれる。作中でも、教会の姿勢を批判している文脈があり、ある意味ではキリスト者以上に客観的にキリスト教や宗教を見ているように思える。
 これは、吉屋が女性解放運動への関心から日本の廃娼運動を研究しており、その先駆であった救世軍の山室軍平に強い関心を抱いていた事から来るものであろう。「地の果てまで」にも救世軍が登場する。
 
 こうして、キリスト教的な概念や女性解放といった社会的なテーマを持ちつつ、身近な人間関係や苦悩を描いた独特の作品が次々と書かれている。なかなか興味深い。
 
 
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      池田町清見ヶ丘に建つ文学碑
 
 
 吉屋の滞在していた家の場所、兄の職場、吉屋が作中でモデルとした池田の農村風景のモデルとなった農場の場所など、今回の「ふるさと探訪」で解説すべき事柄は概ね把握した。図書館で「地の果てまで」の執筆年に近い池田の地図を探し、所縁の場所について紹介する事にしたが、いかんせん、十勝川や利別川改修前の古い時代の話で、現存しているものは殆ど無い。まあ、この辺にあの辺にという程度になろう。
 
 「地の果てまで」には、実際の東京の風景や地名、当時の鉄道などが登場し、この点も興味深い。都電荒川線の前身である王子電車や、伊豆箱根鉄道駿豆線の前身である駿豆鉄道、青函連絡船比羅夫丸なども登場する。
 一方、北海道の描写は抽象的で、東京の具体的な描写とは非常に対照的である。そもそも、作中では「池田」の地名自体がどこにも出てこない(「十勝」とは表記されている)。これは本作が、吉屋の池田滞在わずか三ヶ月間に執筆された事と無縁ではないだろう。
 
 ただし、後の解説によれば、吉屋は本作登場人物の池田での勤め先や住居、生活を描くために、様舞の高台に存在した川合農場を取材しており、ここがモデルだとされている。作中でも、「正午の汽車のついた駅から三里許りの寒村」と描かれており、池田駅から三里という距離が符号する。夏の三ヶ月の滞在で、冬の池田を描こうとするのが凄いが、少しでも作品へのリアリティを追求したのだと思う。
 
 ただし1ヵ所だけ、本作の描写で現実との矛盾が気になる箇所がある。それは、汽車の走っていく方角である。作中、函館から釧路方面行の普通列車に乗った「緑」が、池田と思われる駅で下車した時の描写に次のようなくだりがある。
 
 吹雪の後の平原を走った汽車は、夜の明け方、緑を小さい寒駅へ残して更に北方へ去った。
 
 池田を出た汽車が北方へ走り去る事はない。釧路方面行は南東方向へ走り去るのである。あえていえば、当時存在した網走本線(後の池北線、ふるさと銀河線)が北方へ向かうが、釧路方面行ではないし、当時、まだ様舞に駅はない(様舞仮停車場の設置は昭和に入ってから)。恐らく吉屋は、モデルとした様舞の川合農場の麓を網走本線が通じていた事から、池田駅を発車するシーンに、網走本線のイメージを重ねたのではないか?ならば、あえて釧路方面行に乗ったと描写しなければ良かったと思うのだが・・・まあ、小説のシーンにあれこれ言っても始まらないが、東京に比べて具体的描写の少ない北海道での描写なので、やや残念な気がした。
 
 それとは別に、この作家の作品について、もう少し読んでみたいなという気になった。朝日新聞社から出ている「吉屋信子全集」を、端から順に読んでみようか。
 
 

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2013年7月 9日 (火)

計時・計距離調査

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 9月に実施する図書館主催のバス見学会「ふるさと探訪」の経路が確定し、最終的な時刻・走行距離を算出するため、時刻通りに現地をまわる。写真はお昼下がりの厚内駅を通過するスーパーおおぞら3号4003D。
 
 
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 厚内駅は浦幌駅と共に十勝で最も古い駅で、今年で開業110年を迎える。かつては売店が入っていたらしい駅舎は、今は完全に無人。ただし、朝1番で当駅始発の列車があり、駅舎の駅員室は休憩所として整備されている。
 
 
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 ホーム跨線橋から上厚内方向を見る。
 
 
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 こちらは直別方向。線路はこの先で海へぶつかり左へカーブして海岸線を進む。明治時代の路線計画では、ここで内陸(画面手前側)へ入らずに、画面左方向からまっすぐに画面右方向、すなわち十勝太方向へ海岸線に沿った線路が敷設されることになっていた。
 
 
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 駅舎の窓に下げられた折り鶴。鶴は夏の季語ではないけれども、窓辺に下がる折り鶴に夏を感じる。
 
 
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 厚内駅跨線橋から眺めた旧斉藤牧場群。本当は近づきたいが、今は近づけない事になっている。跨線橋から遠望する牧場群の建物は、文化財級の建築物ではあるが、かなり荒れてきているように見え、今後が心配だ。
 
 
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 海岸線を十勝太へ向かう。昆布刈石展望台から釧路方向の海。ライダーさんが一人来ていて、じっと海を眺めていた。
 
 
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 十勝太チャシ付近で、バイケイソウの大群落を発見。今年は各地で一斉開花しているが、ここもすごい。
 
 

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2013年7月 5日 (金)

オビヒロ藤丸古書の街開催中

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 道東の本好きには待望の「オビヒロ藤丸古書の街」が、昨日から始まっている。道東唯一の百貨店を謳う帯広市の藤丸百貨店7階の特設会場である。9日(火)まで。
 札幌、旭川、根室など、十勝圏以外からも古書店が出品。なじみのサッポロ堂さんは今年は来ないが、地元十勝からは音更町の春陽堂さんが出店。
 
 ちなみに、事前の目録を見て「これは」と目を付けておいた十勝の教会史があり、値段も手頃だったので購入しようと、今朝方FAXを入れた上で意気揚々と会場へ。が、ひとあし遅く「既に売れてしまった」とのこと。ただ、納品先は帯広市図書館との事で、一安心。そもそも図書館にも当館にも蔵書の無い本だったので、購入して使用後は図書館へ入れようと思っていたものだ。
 
 まだ登録前だろうが、ちらっと見せてもらえないかなと図書館へ。しかし、今どこに置かれているかわからなかった。まあ、まだ整理してないだろうし、無理もない。
「ご免なさいね、持田さん買おうと思っていたのを横取りして」と言われたが、むしろ目の付け所が同じな司書さんが居た事を嬉しく思う。
 
 

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2013年7月 4日 (木)

音別の桜湯へ入る

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 音別の駅近くの国道沿いに、「桜湯」という銭湯がある。時間の関係で入った事は無かったのだが、火曜日、ちょうど採集で夕方に音別に着いたところ、暖簾がかかっていたので入ってみた。
 
 古くて小さな銭湯。ペンキ絵は無いが、道内ではペンキ絵の無い銭湯は多い。洗面器は「ケロリン」表示の無い黄色いケロリンタイプの東日本型の大きさ。瓶牛乳などの販売は無かった。
 
 「昔はこれでも沢山の人が入りに来て、14時から22時くらいまで開けていたんですよ。今は15時から19時までとなってますけど、18時半には人が来なくなるんで閉める事が多いですね。」
 
 「今も町に一軒は銭湯を残して欲しい、無くなると寂しいと言ってくれる人がいるんで続けています。町の人でよく来る人はぼちぼち・・・。最近は少なくなりましたね。」
 
 「8月になると大塚さん(近くに大塚製薬の工場がある)が10日くらい休みになるんですよ。そのとき、機械の点検で札幌から人が来ます。駅前の旅館に泊まってね。そのうちの10人くらい、毎年入りに来てくれます。来年また来るから元気でね、と言って下さる。ありがたいことです。」
 
 「店は戦後すぐくらいから。そうそう、まだ炭礦があった頃です。私の父と母がやってました。あの頃は(人が)多かったですね。」
 
 古くとも雰囲気は良いのだが、浴槽の湯がものすごく熱くて、ついに浸かる事は断念した。
 
 「ぬるくなかったですか?」
 「いや熱かったですよ」
 「そうですか。そうしたら次から水をじゃんじゃん入れて良いですから。良い温度にしてもらって良いですから、どうぞそうして下さい」
 
 この種の熱い湯は、たしか札幌のすすきのにあった銭湯がそうだった。アルバイト帰りに寄っても、熱くてほとんど入れなかったのを覚えている。
 
 
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 銭湯のおばさんが話していた、「大塚さん」の技師たちが毎年滞在するという駅前旅館。こうした駅前旅館も今は少なくなってきた。
 
 
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 音別駅前案内。線路と駅前の道路配置との間が斜めになっている。
 
 
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 音別駅。日中の限られた時間だが駅員が配置され、みどりの窓口が開く。
 
 
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 かつては急行ぬさまいや急行まりもが停車した駅構内。ホームの有効長が長い。駅本屋前に切り欠けの階段があり、中線ホームへ渡れる。
 
 
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 先の写真の奥の方に見えていた人道橋から。これは駅の跨線橋ではなく、駅の外から跨いでいる橋である。
 
 音別駅は、今や道内でほとんど無くなった「一般駅」である。すなわち、旅客と貨物の両方の扱いがあるのだ。貨物は駅近くに建つ「大塚さん」すなわち大塚製薬で、ポカリスエットなどを出荷しているそうだ。新富士から来た貨物列車に貨車の解結が行われる中間駅で、ぜひ次はその解結風景を見に来たい。 
 
 
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 この人道橋も改修工事が入るのだろうか?その設計業務委託に関する看板が橋の下に立っていた。橋が新しくなっても、同じ眺めが見られるだろうか?
 
 かつては音別町という独立した行政区だったが、今は間に白糠町を挟み、飛び地合併で釧路市となった音別。今回は霧里の山麓へ植物採集に行ったが、またじっくりと巡ってみたい町である。駅前旅館も泊まってみようかな。
 
 
 

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2013年7月 3日 (水)

浦幌〜白糠で見た花々

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 各地でヤマブキショウマ(バラ科)が開花期。厚内の農道脇で。
 
 
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 厚内でもバイケイソウが満開。全道の今年の傾向に、やはり同調している。
 
 
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 音別町ではエゾノシモツケソウも咲き始め。エゾノシモツケソウだよな・・・。花が白いし、若干疑問なのだが。
 
 
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 シコタンキンポウゲ。残存花柱の先端がくっと曲がっているので識別した。浦幌町山中道沿いで。
 
 
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 斜面のピンク色の花はクリンソウ。鹿柵の向こうで近づけなかった。音別町にて。
 
 
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 尺別のキナシベツ湿原入口にある木無別踏切はカワラマツバが咲き始めていた。
 
 
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 ヒオウギアヤメ。アヤメ、ショウブも咲き、海岸湿地は彩りの季節だ。木無別踏切にて。
 
 いずれも2日(火)に観察した花々。浦幌から調査と採集をして沿岸を点々と伝い、上厚内、厚内、直別、尺別、音別・・・と、ここまで来たらの勢いで、最終的には白糠町まで行った。
 
 

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2013年7月 2日 (火)

浦幌のハイコウリンタンポポとアンモナイト

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 今年も外来種ハイコウリンタンポポが開花期を迎えている。十勝における分布の実態を把握するため、確認に廻っているが、今日は浦幌町のハイコウリンタンポポを採集に行く。
 
 
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 浦幌町東山にある無線鉄塔。この鉄塔の足下にハイコウリンタンポポがあるとの情報を、浦幌町の円子さんから寄せて頂いた。氏は町内の外来種の状況を、今春発行の『浦幌町立博物館紀要』に報告しているが、この中でも触れられている。昨年、一番最後に十勝で報告のあったハイコウリンタンポポ群落だ。
 
 円子紳一, 2013. 浦幌町の外来種を考える. 浦幌町立博物館紀要, 13: 7-14.
 
 
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 開花茎のまわりに未開葉の葉がびっしり。絨毯状にまさに「這う」ように広がるので、どんどん広がったらコウリンタンポポばりに厄介だろう。特にここは鉄塔の建つ丘の上なので、冠毛の付いた種子がどんどん飛んでいってしまう可能性が高い。
 
 
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 個体群は鉄塔の周りに匍匐枝で連結した状態で密生。密度測定しようかと思ったのだが、炎天下、25×25cmで数えるのも大変な暑さと数なので、諦めてしまった。後日、早朝に掘り上げ調査しようかと思う。がっちりと連結されたハイコウリンタンポポの地下部。 
 
 
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 ここの個体を見て気づいたのは、ごく稀に1茎2花個体があること。だが、茎をよく見ると、セイヨウタンポポに見られる癒合個体と同じもののようだ。
 
 
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 本当は抜けば良いのだけれど、数も多く、暑くて大変なので、とりあえず種子が作られる前に頭花を摘み取ってしまう事にした。最初は手でむしっていたが、次第に手がベタベタしてきたので、剪定ばさみで切り取っていく方式に変更。後に落ちた頭花を胴乱へ拾い集める。けっこう鉄塔周辺にも拡散しはじめていて、種子が飛んでいる事を実感する。
 
 
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 頭花摘み取り前。
 
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 摘み取り後。
 まだ蕾が残っているし、本当に当面を凌いだだけ。後日、地元の方と一緒に抜き取ってしまおうと思う。鉄塔を管理する町にも連絡しておかないと。円子さーん。
 
 
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 ちなみに、浦幌町立博物館では7月1日から、昨年に十勝で初めて発見されたアンモナイトの展示「絶滅したアンモアイト展」を開催している。博物館、図書館、教育委員会が入った「らぽろ21」。
 
 
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 ここの企画展はロビーのコーナーでオープンに開催されている。今回は、発掘を担当した三笠市立博物館からアンモナイト資料が多数やってきていて、いわゆる「アンモナイト形」から「異常巻き」まで、いろいろと見る事ができる。
 
 
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 ちなみに今回発見されたアンモナイトは異常巻き個体。この本物が三笠市立博物館から展示期間中に限り浦幌へやってきているのだ。で、本物は企画展示コーナーではなく・・・
 
 
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 同じ建物内の図書館に展示されている。なので図書館の開館時間中に見る事ができる。
 
 
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 「ちょっと大袈裟なんだけど・・・」と、ちょうど通りかかった司書の栗本さんが苦笑いしながら案内してくれる。なるほど、カウンターの真ん前にデーンッと展示されており、三上司書たちがジッと監視(?)しているので安全だ。ちょっと笑ってしまったが、十勝初めてのアンモナイトだし、宝物であることは間違い無い。みなさん、ぜひ本物を見に浦幌町立博物館&図書館へ足をお運び下さい。
 
 企画展「絶滅したアンモナイト展」は9月1日(日)まで。10〜17時(月曜および祝日の翌日休館)。
 
 

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2013年7月 1日 (月)

地方でのパラタクソノミスト養成講座の課題

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 士別市立博物館でパラタクソノミスト養成講座を開催した。今年で2年目の3回目。初級講座で、植物採集、同定、標本作製を2日間で実習する。
 
 野外採集には博物館裏のグリーンスポーツと呼ばれる森を活用。ツクバネソウが咲いていた。
 
 帯広へ来てからパラタクも数回開催したが、北大総合博物館で開催するのとは異なる、地方館で開催する場合の課題がいろいろと見えてきたように思う。まずは備品。 なにせ、双眼実体顕微鏡はもちろん、ピンセットやルーペ、さらには『新北海道の花』『絵解き検索表』などの図鑑だって、人数分揃っていないのだ。むしろ人材よりも備品をどう揃えるか?が課題な気がする。
 
 
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 こちらはサイハイラン。『新北海道の花』でまず名前を調べてみる。そして、その植物が何科か?を意識する。少し種類が絞れたと思ったら、分類別の図鑑で確認。検索表にも触れてみる・・・というような内容。
 
 とりあえず私は自分の獲得した研究費から『新北海道の花』や検索表の図鑑などは冊数を揃えた。だが、これはあくまでも私が取得したものなので、将来的には私と共に帯広を出て行く。置いていきたい気持ちもあるが、今後も私自身が講座を続けていく為に必要なものだから無理。という事は、帯広市自身が少しずつでも備品を購入していくように、これらとは別な予算を獲得していかなければならない。
 
 
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 博物館の駐車場で採集品を整理し、新聞紙に挟んでいるところ。乾燥標本の作り方と共に、双眼実体顕微鏡を用いて検索表による同定も体験。ただし、こちらは乾燥すると初心者には扱いづらいから、生のものを使って練習。
 
 
 さて、備品の話は帯広以外の地方館も同じ。私が持参したもので講座は開催できても、その成果を日頃の活動で発揮するには道具が必要。それを揃えるには予算が必要・・・ってなる。
 
 全てを北大から運んでくるのは大変だし、日程的に重複する場合もあり得る。やはり講師の派遣旅費だけでなく、将来的に地方館が自立して講座を開催できるよう、教材用の備品を揃える予算を確保していく事が大事だと思う。そのための助成金探しがパラタクソノミストネットワークの課題だなあ。
 
 それともうひとつは、「パラタクソノミスト」の養成講座で良いかどうか?実は、パラタクソノミスト以前の講座がもっと必要なのではないか?という気がする。例えば単純な野外観察会や、植物図鑑の読み方講座、学名や分類の仕組みなどの講義など。
 
 かつては当たり前だったこの種の講座。講師の担い手が高齢化してきたためか、実は最近あまりきちんと開催されていない場合が多いようだ。昔は学校の先生などの研究家が地方にもいたが、最近はそうした姿に触れる機会が少ないからだろう。
 
 限られた時間で、もっと内容を絞った簡単な講座を、数を増やして開催し、それが何回か蓄積されたら「パラタクソノミスト」へ発展する流れが必要かもしれない。
 
 

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