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2013年4月20日 (土)

お墓の研究は意外におもしろそう

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 先週、三笠市立博物館に昨年度から入った新人学芸員の高橋君が、帯広を訪ねてきた。彼は國學院大學の大学院生時代から帯広百年記念館へも出入りし、十勝をフィールドに民俗学研究を進めてきた。テーマは「お墓」である。
 
 お墓の研究自体は昔からいろいろと見られるし、岩田書院などから専門書がいくつも刊行されているのも知っていたが、具体的な中身を聞いた事は無かった。中世や近世の埋葬様式と文化などの研究に、正直言ってあんまり興味が無かったのである。
 
 しかし、今回、高橋学芸員から研究の話を聞き、比較的なじみのある十勝の近現代史と関係する事もあって、意外に面白いかもなと思った。別刷もいただき、昨日じっくり拝読させていただいた。「北海道十勝地方における埋葬場所の分布」と「北海道の開拓と社会情勢について」の2編であった。
 
 「北海道の開拓と社会情勢について」は、本拠地を北海道へ移した高橋学芸員自身の研究にとって、一種の備忘というかメモ的なものとなるのだろう。特に著者の関心が移住形態にあるらしい事がうかがわれ、明治以降の北海道史と移民それに監獄史の基本的な流れが概説されていて、入門的な資料としても便利な文献だと思う。
 
 私の関心を惹いたのは「北海道十勝地方における埋葬場所の分布」。これ、考えてみたら十勝の事例を研究しているのだから、三笠の紀要じゃなくて当館の紀要に寄せてもらっても良かったのだが、まあ、それはさておき、内容は意外にもとても興味深かった。
 
 お墓への埋葬には、日本では大別して土葬と火葬がある。この埋葬方法の選択は、移民の形態と移民達の前居留地の文化が関係しているというのが論文のテーマで、十勝地方全域における埋葬場所分布図が宮良高弘氏の移住区分と共にマッピングされている。時代は明治中期から大正末期。
 
 詳細は省略するが、移住者が前居住地の埋葬儀礼を継承するかどうかの選択、選択の余地の無い移民の必然的な埋葬手法選択、それに納骨堂の話なども絡んできて、なるほどなあと思った。
 
 読んでみて思ったのは、まずは晩成社社員やその関係者の埋葬はどうなっていたのだろう?という疑問。そして、当時の晩成社に少なからず影響を及ぼしていたはずのキリスト教と埋葬方法には関係は無かったのか?(特に土葬との関係)ということ。
 さらに、明治中期から大正時代という年代から考えて、特に帯広市や芽室町などでは、都市計画と墓地の分布に関係はないのか?特に、納骨堂に関して言えば、墓地を持てなかった人だけでなく、寺院や墓所そのものの場所固定を留保し、将来の街区設計における自由度を維持するための選択として広まったという考え方はできないだろうか?などと想像した(名古屋では大規模な市街設計を前提に、従来の街中の墓地を集団移転し、郊外に巨大墓苑を形成しているが、そうした事を見越して「移動を想定しての納骨堂」という選択は無かったのか?)。
 
 いろいろと興味は尽きないが、三笠市期待の人文系学芸員としての高橋学芸員の益々の活躍を期待したい。
 
 

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