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2013年4月 6日 (土)

「急速転換」係員日記から当時の鉄道事情を知る

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 今日は休み。午前中に自分の別刷や昨年度の調査報告などを発送。その間にも問い合わせやら来客やらがあり、休みと言えどなかなか作業が進まない。夕方にようやく一段落し、図書館へ移動する。

 この時期、自分の書き物も成果として出版されるが、さまざまな方から別刷を頂く機会も多い。そのなかで、釧路市立博物館の石川孝織学芸員からも、御高著の別刷を送っていただいた。

 
 内容は資料紹介で「釧路から筑豊、戦時下炭鉱「急速転換」係員の日記」。「急速転換」という用語は知らなかったのだが、戦時中、海上輸送が困難な状況になり、樺太・釧路の炭鉱を休止し、労働者を筑豊炭田などへ移した政策の事を指す。夕方からじっくり読む。

 基本的には日記の翻刻。釧路から慣れない福岡県田川の炭鉱へ移り、直後に兵役にも就いた二十歳の青年が、終戦前後の緊迫した空気の中の生活を淡々と綴る。炭鉱労働の姿は赤裸々で、大げさでも美化されてもいない等身大のもの。そんな中、弟さん戦死の報を受け、群馬県桐生の病院へ行くも、なんと電報の遅着で既に遺骨は無く、父親と共に涙をこぼす。

 この九州から桐生までの往復のくだりには、鉄道での移動に触れている。列車は戦中よりも戦後に混乱したと言うが、そうした様子が垣間見える。

 ・・・門司ニテ四時間待チ兵隊ノ復員デ漸ク大阪行キニ乗車ス
 ・・・途中昼間ノ大中都市ノ灰塵ノ模様亦甚大ナリテ痛切ニ感ズ
 ・・・東京駅ノ残骸ニ驚キ・・・
 ・・・午前一時米原着亦貨物臨時ニテ京都迄出テ朝迄一休ミス

 全体に列車は混み接続が悪く貨物列車にも乗ったりしている。また、自分は着いたのに、チッキで送った荷物が到着しない、などの記述もある。淡々とした日記だが、飾らない記述だけに、時代に翻弄された当時の若者の姿を感じると共に、戦中戦後の鉄道事情も垣間見え、たいへん興味深く拝読した。
 
 
 
<出典>
石川孝織・藤原芳夫.2013.【資料紹介】釧路から筑豊、戦時下炭鉱「急速転換」係員の日記.エネルギー史研究,28: 167-187.(九州大学記録資料館産業経済資料部門編集・発行)
 
 
 

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