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2013年4月

2013年4月28日 (日)

紀要配達の図書館めぐり

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 今日は指定休で、本来なら札幌と小樽へ行く予定だったが諸事情で中止。日曜日という事で午前中は教会のミサへ出席し、その後、十勝図書館めぐりをする事にした。というのも、当館の紀要や埋蔵文化財の発掘報告書、展示解説書などが発行され、これらを発送する際に、近隣の図書館は自分で配ろうと思っていたからである。
 巡る場所は上記の各施設。教会に近いのは帯広市図書館だが、駐車場が満車だったので、十勝川を渡って音更町図書館へ向かう。
 
 
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 この冬の移動展でも御世話になった音更町図書館。移動展の際に御世話になった加藤さんや、大谷短大の卒業生で臨時の司書に就いている葛西さんに挨拶をしていこうと思ったが、あいにく両人とも不在。カウンターの方にお預けして次へ向かう。
 
 
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 なお、音更町図書館では、ロビーで折り紙の鯉のぼりを展示中。机に折り紙が置かれており、誰でも作って貼れる。若い親子連れが熱心に折り紙を折っている姿が印象的であった。
 
 
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 また、同じロビーでは音更美術協会の展覧会も開催中。
 
 
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 音更にはもう1ヵ所、帯広大谷短期大学図書館があるのだが、短大は今日は閉まっているのでやめる。いったん国道へ戻り、幕別町へ。と、私はてっきり、幕別町百年記念ホールにある図書館が幕別町図書館だと思って来たのだが、来てみるとここは札内分館だった。
 
 
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 本館宛の封筒に入れて持ってきてしまったので、ここへは置いていけない。せっかくなので、開催中の昭和ナツカシ館の展示を見てから、次へ向かう。
 
 
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 札内駅の近くで高台へ上り、本館へ向かう前に幕別町ふるさと館へ立ち寄る。窓口の男性に紀要の入った封筒を渡す。なんだか駐車場に車がいっぱい停まっていて、今日は何かあるのかな?と思ったがわからなかった。
 
 
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 高台を降り、線路沿いを稲士別方向へ走り、幕別の本町へ向かう。先の分館もそうだが、幕別町ではなぜか「図書館」という案内看板が無く、少し迷いながら本館へ到着。新田の森のすぐ近くだが、この図書館へは初めて来た。
 カウンターで本の整理をされていた司書の方に紀要を渡す。この図書館の東側に、昭和20年の止若(やむわっか)空襲の爆弾被災地があるのだそうだ。
 
 
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 お昼を過ぎたので、国道沿いのドライブイン八重洲で休憩した後、豊頃町を目指す。茂岩にある豊頃町図書館は「えるむ館」という巨大な建物の一角にある。ここも移動展で御世話になった所。その節に御世話になった中村さんがちょうどカウンターに居られ、御挨拶してから紀要を手渡す。
 
 
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 さて、ここから忠類へ向かう。忠類は旧忠類村だが、現在は幕別町に合併している。さきほどの幕別町から直接行けたのだが、豊頃を経由したので、今度は茂岩山麓をぐるりと回って、二宮などを経由し、まっすぐ忠類を目指す。
 
 途中で通った二宮のトンネル。以前は夜に通ったので、あらためてよく見てみる。とても短いトンネルで、なんだか不思議な感じだ。
 
 
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 田舎道をとろとろと走るのは楽しい。時速60kmでゆらゆらと走っても、後ろから追い立てられる事もない。郵便配達の集配車の後をついて走ったり、畑の脇にアズマイチゲの株があるのを眺めたりしながら、午後の穏やかな時間を忠類に向けてゆっくり走る。
 
 
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 忠類ナウマン象記念館。連休のせいか、けっこう親子連れや観光客が立ち寄っていた。忙しそうな窓口の方に紀要をお渡しし、駐車場で少し昼寝をしてから出発するが、ここでひとつ問題が。
 
 
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 「幕別町の南玄関 忠類」。なるほどなと思いつつ駐車場の看板を眺めていて、はたと気づいた。そう言えば、忠類の図書館の分を持ってきていない。ナウマン象記念館はあくまでも博物館で、他に図書館があるはずである。なぜなら、もともと忠類は幕別町ではなく忠類村だったので、最近合併したのだ。合併以前は、当然うちの博物館は忠類の図書館にも出版物を送っていたはずである。
 しかし、先日の発送作業を思い返してみても、どうも忠類の図書館宛のラベルを作った記憶が無い。どうだったかなあ、一応立ち寄ってみるかなあと考えたが、今回は見送る事にした。明日、館へ出勤してから、発送名簿を再確認してみよう。
 
 
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 さて、もうひとつ問題が。実は忠類は当初こうして来る予定に入っていなかった。幕別町へは届けに行くつもりで居たのだが、その中に忠類が入っているのに気が付かなかった。合併したのだから当たり前なのだが、今朝、忠類が含まれているのに気づき、それなら忠類まで持って行ってしまおう、と急遽思い立ったのである。
 で、これから帯広へ戻る途中に、これは当初から予定に入っていた中札内村図書館へ寄る。が、忠類と中札内の間に更別村があるのである。ここの分は全く用意していなかった。
 だが、たまたま予備が積んであり、封筒は無いが、ここまで来たのだから手渡しして行く事にした。と言う事で、更別村の農村環境改善センターに入っている図書室へ向かう。
 
 
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 実は図書館がどこにあるのかわからずウロウロしてしまったのだが、こういう場合、地方ではコミュニティーセンターか生活改善センターなどに併設されている場合が多い。来てみるとやはりこの建物に教育委員会が入っており、その一角に図書室があった。
 絵本の表紙が展示してある入口を入ると、2人の職員の方が受け付けで仕事をされており、「帯広百年記念館ですが・・・」と言うと、びっくりしたように「それはどうもわざわざ・・・」と受け取って頂いた。
 
 
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 せっかく更別村まで来たから、昨年に更別まで延びた高規格道路で中札内村へ行こうと思ったが、なんだかすごい強い風が吹いている。車が不安定に揺れて仕方ないので、今回は下の国道をそのまま通って行く事に。
 
 やはり昨年の移動展で御世話になった中札内村の図書館。御世話になった教委の明上さん達は今日はお休みで、図書館司書の方に教委の分と併せてお渡しする。館内の机では、中学生が熱心になにやら勉強していた。
 
 
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 駐車場に車が溢れている中札内の道の駅を横目に帯広へ戻る。旧広尾線の跡を横目に車を走らせるが、なんだか本当に風が強い。時節、畑の土が舞い上がって視界が黄褐色に煙る。
 なんとか稲田まで戻ってきて、ビート資料館へ。ひょっとして閉館しているのかなあと思うほどひっそりしていたが、きちんと開いていた。窓口の男性に用件を告げてお渡しすると、とても丁寧な御挨拶をされ、恐縮する。
 
 
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 その後、帯広の森はぐくーむと、おびひろ動物園へも届ける。この2箇所は写真を撮るのをすっかり忘れていた。はぐくーむでは、この春着任されたばかりの日月さんに初めて御挨拶。「日月」と書いて「たちもり」と読むそうで、これは難しい苗字だなあとびっくりする。
 緑ヶ丘公園へ戻り、動物園と美術館へ。両館とも連休中は賑やかそう。帯広美術館では、道立美術館の紀要を入手したいと思っていたのに、これもすっかり申し出るのを忘れて来てしまった。
 
 
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 緑ヶ丘公園へ戻ってきたので、ついでに当館へ寄ろうかと思ったがやめた。どうも、休日でもいったん顔を出してしまうと、結局応対やら電話やら何かと仕事をしてしまう事が多く、もう今日はそれは嫌だなと思い、素通りして駅前の我がマチ帯広市の図書館へ行く。
 午前中、教会を出てからグルリと一回りして戻ってきた感じ。駐車場は満車ではなかったが、それでもたくさんの車が居た。映画上映会があったようで、入口を入るとちょうど終了したところだった。当館に標本を寄せて下さった伊東先生とばったりお会いした。
 
 紀要以外にもお渡しする本があったので、ダンボール箱を抱えて2階へ。司書の方に紀要ほかもろもろをお渡しし、少し相談した後に館を出る。夕暮れが近い。こうして十勝図書館配達めぐりは終了。せっかくなので、全町村自分で配れば良かったなと、今になってちょっと後悔している。 
 
 
 

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2013年4月27日 (土)

ウラホロイチゲ観察会

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 浦幌町立博物館主催のウラホロイチゲ観察会に参加。ところが、同館へ着いた頃には降っていなかったのが、観察場所へ着くと同時に降雨となり、しかも次第に激しくなってきてしまう始末。結局、予定より大幅に早い時間に解散となってしまった。なんだか申し訳ない感じがして仕方が無い。
 
 しかし、館長自らが運転する町の10人乗りマイクロバスと、やはり職員が運転する町のライトバンに分乗。それでも不足する場合は自家用車でその後ろを付いて行くという観察会の方式に感心。地元で長く植物を観察されている坂下禮子さんの知識やお話も興味深く、また改めて参加したい。
 
 
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 館へ戻ると、2階の作業スペースで図書館の「布絵本ボランティア」の人達が「うちほんリレー」の準備が行われていた。浦幌町立博物館は町立図書館と同じ建物に入っており、同じ館長の下で一体的に活動されている。こちらには2人の司書さんが居られ、博物館と共に、“うらほろスタイル”による社会教育事業を展開している。
 うちほんリレーは、自宅で同じ本を親子で読む事を次々にこなしていくという事業らしい。一部の学校に取り入れられている「朝読」(朝読書)の自宅版みたいなものか。
 
 
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 以前、浦幌町の「道の駅」で、試しに「ウラホロイチゲは咲いていますか?」と尋ねて見たことがある。そのとき受付の若い店員さんは「まだ早いですかね。5月の上旬には満開になります。もしお時間がありましたら、博物館に展示があるんで、寄って行かれませんか?」と勧められた。私はその対応に感銘を受けたものである。
 
 1984に北海道教育大学旭川校の西川恒彦教授により発見され、以来、町の名が和名として用いられてきた。そして、いまや道の駅の若い女性にまで浸透し、しかも博物館に展示されている事、その見学を自然と町外から来た者に勧めるまでに一般化している事実に、私はある種、この町の教育の成果と、地域博物館の存在意義を感じるのである。
 
 

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2013年4月24日 (水)

首締め状態?のキバナノアマナ

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 今週の緑ヶ丘公園はキバナノアマナが美しい。が、落葉を突き上げて伸びてきたあげく、落葉を首に巻いたまま伸びてしまった個体も多数。なんだか首を絞められているような状態に見えて、こちらが息苦しくなってくるのだが。
 
 
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 エゾヒメアマナの調査に関連して、今年度はキバナノアマナの挙動にも注意している。2〜3日おきに写真を撮っているのだが、本種も初期生長の頃はエゾヒメアマナと同じ緑色をしており、伸びてくると青白くなってくるのがわかった。大きく生長した今、やはり全然別の植物だなという実感がある。
 
 
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 連休を控え、穏やかな緑ヶ丘公園。ただ、冷たい風が少し強い。
 
 
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 トラックを取り囲むような小さな築堤。芝生が生えているが、場所によっては結構野生植物も多いので、これからの季節は注意して歩く。
 
 
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 すでにスミレ類が新葉を展開している。花が見られるのはいつだろう?
 
 
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 森の中には粘菌がいた。
 
 
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 北大農学部の院生に粘菌を研究する人がいて、「雪どけ時期が(採集の)狙い目です。マッチ箱必須」と言われた事があるのだが、慣れてくるとたしかに雪解け直後の枯れ草稈に点々と粘菌が見つかる。だが、マッチ箱もキャラメルの箱も持っていなかったので、今回はスルー。これからの季節、いつなんどきも採集道具必携である。
 
 

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2013年4月23日 (火)

ネコノメソウの初物を見る

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 月曜日のウラホロイチゲ探索のつづき。浦幌町内を流れる常室川の河原。氾濫原とその後背の土手にフキノトウが広がっている。こうした水をかぶる泥っぽいところという事は、アイツがいるかもしれない。そう思って下を見ていると・・・。
 
 
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 いた!ツルネコノメソウ。私の好きなユキノシタ科ネコノメソウ属の植物である。まだ芽を出したばかりだと思うが、それでも立派な蕾をつけている。周囲を探したが、さすがにまだ開花個体は無かった。
 
 
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 場所は変わって豊頃町。以前から気になっていた、古いレンガ積みの橋桁を確認に行く。根室本線は統内新水路の開通時に線路を付け替えたらしく、旧線の橋桁が残っている場所があるのだ。
 
 橋桁、つまり川を渡っているところで、こうしたところにもアイツはいる・・・。
 
 
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 いた!しかも橋桁のすぐ足下に。
こちらはチシマネコノメ。大きな根出葉と8本の雄しべが特徴。
 しかも咲いている!これは驚いた。こんな早く咲いているとは思ってもいなかった。
 ウラホロイチゲも見られたし旧線の橋桁も確認できたし今年初物のネコノメソウにも出会えて、ちょっと風が強くて寒かったが、良い一日であった。
 
 
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 ちなみに、途中で立ち寄った浦幌町立博物館では、五月人形や鯉のぼりの展示中だった。事前に連絡もしていないし、休館日だし、行事案内などの配付物だけもらってそっと帰ろうと思っていたのだが、いきなり全員にお会いしてしまった。お忙しいところ恐縮であった。
 
 浦幌町立博物館「端午の節句展」は5月5日(土)まで開催中。5月5日の午後からは、五月人形と一緒に写真を撮れるそうです。一枚プレゼントしてくれます。お近くの方はぜひどうぞ。
 
 
 

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2013年4月22日 (月)

ウラホロイチゲ

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 ウラホロイチゲ Anemone amurensis (Korsh.) Kom. は、別名アムールイチゲとも言い、十勝沿岸から釧路にかけて分布するキンポウゲ科の春植物である。もっとも、十勝沿岸と言っても、ほんとうに十勝郡すなわち浦幌町にしか十勝では見られない。アズマイチゲ並に早く咲くという事なので、浦幌町へ探しに行ってみた。
 
 
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 線路沿いの土手。ああ、フッキソウ群落にフクジュソウが混じっているなと思って見ていると。
 
 
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 まず1個体の開花を発見。ほーと思って、ふと見回してみると、リターの下から這い上がるようにいくつも見つかった。
 
 
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 枯れた草わらが覆う、その隙間から小さな小さな花が顔を出していた。
 
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 蕾にはうっすらと赤みが差している。
 
 
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 まるでフキノトウに抱きかかえられているようにも見える。
 
 浦幌町立博物館では、27日に観察会を開催予定。春植物の季節が来たなあと思わせる日だったが、ちょっと風が強くて寒かった。
 
 

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2013年4月20日 (土)

お墓の研究は意外におもしろそう

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 先週、三笠市立博物館に昨年度から入った新人学芸員の高橋君が、帯広を訪ねてきた。彼は國學院大學の大学院生時代から帯広百年記念館へも出入りし、十勝をフィールドに民俗学研究を進めてきた。テーマは「お墓」である。
 
 お墓の研究自体は昔からいろいろと見られるし、岩田書院などから専門書がいくつも刊行されているのも知っていたが、具体的な中身を聞いた事は無かった。中世や近世の埋葬様式と文化などの研究に、正直言ってあんまり興味が無かったのである。
 
 しかし、今回、高橋学芸員から研究の話を聞き、比較的なじみのある十勝の近現代史と関係する事もあって、意外に面白いかもなと思った。別刷もいただき、昨日じっくり拝読させていただいた。「北海道十勝地方における埋葬場所の分布」と「北海道の開拓と社会情勢について」の2編であった。
 
 「北海道の開拓と社会情勢について」は、本拠地を北海道へ移した高橋学芸員自身の研究にとって、一種の備忘というかメモ的なものとなるのだろう。特に著者の関心が移住形態にあるらしい事がうかがわれ、明治以降の北海道史と移民それに監獄史の基本的な流れが概説されていて、入門的な資料としても便利な文献だと思う。
 
 私の関心を惹いたのは「北海道十勝地方における埋葬場所の分布」。これ、考えてみたら十勝の事例を研究しているのだから、三笠の紀要じゃなくて当館の紀要に寄せてもらっても良かったのだが、まあ、それはさておき、内容は意外にもとても興味深かった。
 
 お墓への埋葬には、日本では大別して土葬と火葬がある。この埋葬方法の選択は、移民の形態と移民達の前居留地の文化が関係しているというのが論文のテーマで、十勝地方全域における埋葬場所分布図が宮良高弘氏の移住区分と共にマッピングされている。時代は明治中期から大正末期。
 
 詳細は省略するが、移住者が前居住地の埋葬儀礼を継承するかどうかの選択、選択の余地の無い移民の必然的な埋葬手法選択、それに納骨堂の話なども絡んできて、なるほどなあと思った。
 
 読んでみて思ったのは、まずは晩成社社員やその関係者の埋葬はどうなっていたのだろう?という疑問。そして、当時の晩成社に少なからず影響を及ぼしていたはずのキリスト教と埋葬方法には関係は無かったのか?(特に土葬との関係)ということ。
 さらに、明治中期から大正時代という年代から考えて、特に帯広市や芽室町などでは、都市計画と墓地の分布に関係はないのか?特に、納骨堂に関して言えば、墓地を持てなかった人だけでなく、寺院や墓所そのものの場所固定を留保し、将来の街区設計における自由度を維持するための選択として広まったという考え方はできないだろうか?などと想像した(名古屋では大規模な市街設計を前提に、従来の街中の墓地を集団移転し、郊外に巨大墓苑を形成しているが、そうした事を見越して「移動を想定しての納骨堂」という選択は無かったのか?)。
 
 いろいろと興味は尽きないが、三笠市期待の人文系学芸員としての高橋学芸員の益々の活躍を期待したい。
 
 

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2013年4月 8日 (月)

私は学芸員として求められているのか?

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 今年度に入り、はやくも2件の公募に不採用。あくまでも嘱託職員である私は、正規職員をめざして公募を出しまくっているのだ。今回の1件は大学の博物館学教員、もう1件は大学博物館の職員。うーん、どちらも大学という事は、研究業績が足りない事が最大の原因だろう。それは自分でもよーくわかっている。
 
 
 私は根っから学芸員志望で大学教員は念頭に入っていなかった。今でもできればなりたくない。なので、地方博物館で役立つように、植物学を土台にできるだけ幅広く資料を扱えるようにという方向で資料調査や資料紹介などを続けてきたのだが、この方向性は実は大学教員の公募と全く正反対。
 
 以前、道北のある博物館を受験した際、面接官に「専門分野があるようですが、当館のような地方博物館では専門家よりも専門外の仕事をどれだけ出来るかが重要です」と言われ、ごもっともと思いながら(なら論文業績とか出させるなと思いつつ)不採用となった。
 
 一方、大学教員の場合は脇目を振らずに専門分野まっしぐらの原著論文業績が求められ、札幌市内の某私大の面接では「ずいぶんいろいろな分野について仕事されていますね」と言われ、これもごもっともと思いながら(博物館学の教員を採用するのにそれで良いのか?と思いつつ)不採用になった。
 
 
 にも関わらず、今こうして、無理を承知で大学教員の公募を出しまくっているのは、昨今の博物館協会の会合などを見ていて、もう道内の学芸員は無理だなと実感したからである。なにせ若い人が多い。それもそのはず、団塊世代の退職などで、ここ2年程、空前の学芸員採用ブーム?だったからである。
 
 にも関わらず、私はいずれも門前払い。理由は年齢だ。地方公務員である学芸員の採用は、実は業績でも経験でも無く、人事委員会が定める年齢制限が最も大きな壁だ、と最近は痛感している。
 
 それで非常勤講師をしている学生達にも、「学芸員になりたかったら大学院へ行け。論文を書いて業績を稼げ。非常勤や嘱託でも良いから潜り込め。だが、自治体にもよるがおおむね29歳までに学芸採用されなかったら、地方公務員の一般事務職で採用され、異動で学芸員になる方法を選択せよ」と指導するようにしている。不本意ながら、現実がそうなのだから仕方が無い。
 
 もう私には時間が無い。というかお金がない。何せ税金が払えない。奨学金も返さなくてはならない。毎年毎年、督促状の嵐である(税務担当者に植物好きと鉄道好きがいて、相談のさなか話が弾むのは楽しいが)。その他、いろいろと負債も抱えている。そう言えば弟はなんだか知らんが難病らしい。今、母親の面倒は弟が、離婚した父親はひとりで暮らしているが、彼らは今後どうなるのか?
 
 今の職場は、もちろん不満もありつつであるが、学芸員としてかなり自由に仕事をさせてもらっていてむしろ感謝一杯。地域とのつながりも深まりつつあるし、できればこのまま十勝で働き続けたい。調べたいこと、やりたい事も満載。学芸職員部会でもITのワーキンググループにも入れてもらって、これから先まだまだやりたい事いっぱい。なのだが、非正規雇用である嘱託職員としてやっていくには、もはや経済的に破綻寸前な状況にある。
 
 人生は難しい。神は意味をもって試練を与える。そこにはキリスト者の信仰上のタテマエでなく、経験上の確信がある。貧しきものは幸いだ。神の意志を確信できる機会に満ちあふれているのだから。
 
 したがって、今この試練にはきっと意味がある。最近考えているのは、実は無理をして学芸をこのまま続けていくのは、神の意志に反しているのではないか?という事だ。40歳になった今、本当に重大な決断をしなければならない時が来た。主よ、私はどうしたら良いのでしょうか?
 
 
 
 わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を 忍耐は練達を 練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。(新共同訳:ローマの信徒への手紙5章)
 
 
 
 

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2013年4月 6日 (土)

「急速転換」係員日記から当時の鉄道事情を知る

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 今日は休み。午前中に自分の別刷や昨年度の調査報告などを発送。その間にも問い合わせやら来客やらがあり、休みと言えどなかなか作業が進まない。夕方にようやく一段落し、図書館へ移動する。

 この時期、自分の書き物も成果として出版されるが、さまざまな方から別刷を頂く機会も多い。そのなかで、釧路市立博物館の石川孝織学芸員からも、御高著の別刷を送っていただいた。

 
 内容は資料紹介で「釧路から筑豊、戦時下炭鉱「急速転換」係員の日記」。「急速転換」という用語は知らなかったのだが、戦時中、海上輸送が困難な状況になり、樺太・釧路の炭鉱を休止し、労働者を筑豊炭田などへ移した政策の事を指す。夕方からじっくり読む。

 基本的には日記の翻刻。釧路から慣れない福岡県田川の炭鉱へ移り、直後に兵役にも就いた二十歳の青年が、終戦前後の緊迫した空気の中の生活を淡々と綴る。炭鉱労働の姿は赤裸々で、大げさでも美化されてもいない等身大のもの。そんな中、弟さん戦死の報を受け、群馬県桐生の病院へ行くも、なんと電報の遅着で既に遺骨は無く、父親と共に涙をこぼす。

 この九州から桐生までの往復のくだりには、鉄道での移動に触れている。列車は戦中よりも戦後に混乱したと言うが、そうした様子が垣間見える。

 ・・・門司ニテ四時間待チ兵隊ノ復員デ漸ク大阪行キニ乗車ス
 ・・・途中昼間ノ大中都市ノ灰塵ノ模様亦甚大ナリテ痛切ニ感ズ
 ・・・東京駅ノ残骸ニ驚キ・・・
 ・・・午前一時米原着亦貨物臨時ニテ京都迄出テ朝迄一休ミス

 全体に列車は混み接続が悪く貨物列車にも乗ったりしている。また、自分は着いたのに、チッキで送った荷物が到着しない、などの記述もある。淡々とした日記だが、飾らない記述だけに、時代に翻弄された当時の若者の姿を感じると共に、戦中戦後の鉄道事情も垣間見え、たいへん興味深く拝読した。
 
 
 
<出典>
石川孝織・藤原芳夫.2013.【資料紹介】釧路から筑豊、戦時下炭鉱「急速転換」係員の日記.エネルギー史研究,28: 167-187.(九州大学記録資料館産業経済資料部門編集・発行)
 
 
 

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2013年4月 5日 (金)

セイヨウタンポポも出た

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 緑丘公園内もフクジュソウの花が増えてきた。
 
 
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 歩道沿いではセイヨウタンポポが。いまは閉じているが、おそらく咲いていたと思われる。ここの歩道は南向き斜面のためか、例年、最初に咲く。
 
 
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 今日のキバナノアマナ。最初は緑色だった葉が、すこしずつ独特の灰青色を帯びてきている。蕾も増えてきた。
 
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 アキタブキも着々と開いてきている。 
 
 
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 いままで開花を見つつ採集もしていたウツベツ川沿いのエゾノキヌヤナギなどが伐採されていた。ちょっと悲しい。
 
 
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 グリーンパークも雪が消え、ハコベやミミナグサ類の開花を確認。遅めの春が進行中。
 
 
 

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2013年4月 4日 (木)

小学生と切符を整理

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 登録資料ではあるものの、箱に入ったまま特に整理されていなかった鉄道切符194点。どういう資料性のあるものかわからず、これまで特に検討もされず、寄贈されて以後ずっと収蔵庫の片隅で保管されてきたと言う。
 
 折しも春休みで、最近は小学生が1人ずっと当館にやって来ては、一日中学芸員や事務職員を相手に遊び回ったりしている。そこで、良い機会なので昨日から手伝って貰い、この切符を整理する事にした。箱から出して数をチェックし、並べてスキャンして、ひとつひとつをシートアルバムへ収納。台帳を作った。
 
 件の小学生も一生懸命、切符を並べたり数を数えたりして、収蔵番号の誤りも発見。今日は各切符のサイズも計測してくれた。目録にまとめた暁には、きちんと謝辞に名前を入れよう。
 
 

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2013年4月 3日 (水)

今期の執筆しごといろいろ

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 月が変わってしまったが、今期の書きもの4つめは『浦幌町立博物館紀要』。浦幌町立博物館に所蔵の植物標本の目録と、採集者吉田康登氏に関する調査報告。
 
 
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 5つ目は当館の紀要『帯広百年記念館紀要』。おびひろ動物園で自生が確認されたエゾヒメアマナの報告と、十勝圏における分布を全国の標本庫の調査から検討した報告。現地調査や形態調査に関する報告は学会誌に執筆中で、これはもうすこし先の話になりそう。
 
 
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 6つ目は哺乳類学会の雑誌『Mammal Study』。これは小樽時代の最後の仕事で、同館のなんと機関庫で確認されたオオアブラコウモリに関する報告。私は採集と調査のお手伝いをしただけで、論文の実際の執筆者は、研究主体である筆頭著者の福井さんによる。
 
 オオアブラコウモリは、当初、小樽市総合博物館で採集された生体がきっかけ。見よう見まねで同定してみたところ、どうもアブラコウモリへいってしまう。でもこれって確か道南では確認例があったが、基本的には本州のコウモリだよなと思い、羊ヶ丘の森林総合研究所へ相談へ持ち込んだところ、福井さんと出会った。以来、小樽の山本学芸員と共にじっくりと調査が行われ、この度、英文の良い論考を出して頂いた。私はほんと何もしてないに等しいのですが、感謝です。
 
 
 
 

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2013年4月 2日 (火)

「番線印」で街の書店を記録に残す

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 これを見て一目でピンと来る方は、業界人か、なかなかの書店通だと思う。これは「番線印」と言って、書店が取次会社(本の問屋さん)との間で用いる印である。
 
 
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 日本では通常、店頭で並んでいる本の間に「スリップ」とか「短冊」と呼ばれる細長い紙片が挟まっている(写真右)。この紙片の片面上部には四角い空欄があり「書店(帖合)印」と書かれている。
 店頭で本が売れると、書店員はスリップを抜き取って保管。後に売り上げ分のスリップのこの空欄に、先の番線印を押す。集まったスリップを取り次ぎ会社へ回し、取次会社は版元(出版社)へ運ぶ。版元はスリップの分だけ新たに本を出荷。取り次ぎを経て書店に本が補充される。
 
 近年、Amazonなどのネット通販やコンビニ販売などを考え、本の裏表紙やスリップ本体にもバーコードが刷られるようになった。必ずしもスリップと番線印を用いなくとも本が流通されるようになっているので、ネットで本を買うとスリップも挟まれたままになっている事がある。だが、番線印に書かれた数字(番線)は、今も取り次ぎと書店、出版社を結ぶ重要な記号になっている。
 
 
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 3月30日、帯広市の大空団地で経営を続けてこられた松本書房が、店を閉じた。帯広市は個人経営書店がきわめて少ない地方都市で、喜久屋さんと提携するザ本屋さん系列を除くと、書協に加盟している帯広資本の書店は、松本書房の他、1軒を残すのみだった。残る1軒は学校取引中心の書店なので、昔ながらのいわゆる「街の本屋さん」の最後が、この松本書房だったと言って良い。
 
 
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 この写真は閉店の3週間ほど前、まだ本がたくさん並んでいる頃の書店内の風景を写真に撮らせてもらったもの。雑誌が並ぶ真ん中の棚と、単行本や文庫が並ぶ壁際の棚。反対側の壁は文房具販売になっている。店主は毎日配達に忙しく、この日も昼間は留守だった。個人書店は店頭以上に、定期購読や注文書の配達が重要な売り上げになっている事を示している。
 
 
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 足を運んだ限りでは、数は少ないものの、常にお客さんが出入りしている。それもそのはず。この書店、経営自体は店主の地道な努力により黒字なのだそうである。高齢となり、本州の御子息の所へ身を寄せるとの事で、今回の閉店となった。
 
 真向かいにスーパーがあり、団地に住む人達が買い物帰りに立ち寄っていく。子供達もフラリと入って来て、店員さんと言葉を交わしていく。
 
 営業最終日となる30日の夕方に店を訪れると、もう配達も無くなり、レジに立つ店主のもとへ挨拶に立ち寄る人たちのなんと多いことか。
 
「さびしくなりますね。」
「永い間おつかれさま」
「フラッと入れる本屋さんが無くなって子供が寂しがっているんです」
 
などと声をかけていく人が後を絶たない。以前に務めていた事があるという女性は、花束を持参して挨拶に来られていた。街の人に愛されてきた書店の姿を見た。
 
 
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 この書店の姿を記録しておきたい。真っ先に思いついたのが、先の番線印である。取り次ぎを経て本が行き交う日本の書店制度を象徴する、まさに書店固有の備品である。店主に意向を伝え、後日、閉店業務が一段落したら御寄贈いただく事となった。
 
 帰り際、ふとレジに書店名の入った領収書がある事に気づいた。お願いし、1束を資料として頂いた。さらに図々しいお願いをし、領収書の表紙に番線印をくっきりと押して貰った。帯広市で人々に愛され続けていた書店の証として、帯広百年記念館で大切に伝えていきたい。
 
 
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 貧乏人ながら、私は『鉄道ピクトリアル』『月刊地理』『運輸と経済』の3誌を定期購読している。小樽時代、これらの雑誌は、それぞれ別々の書店から購入し、配達してもらっていた(『運輸と経済』は当時購読しておらず、別の雑誌を買っていた)。駅前の長崎屋1階に入っていた「いろは堂書店」と、花園商店街の「工藤書店」である。小樽在職中、いろは堂が店を閉め、外注専門となり会社名も「本のイロハ堂」となった。手元には今も領収書が残っている。番線印も押して貰えば良かったと今も後悔している。
 
 各地で街の本屋さんが消えている。地域博物館としては、番線印を、印本体は貰えなくとも、店名の入った領収書と共に押印してもらい、資料として残すというのはどうだろう。そしていつか各館合同で「番線印と街の書店」展ができたら楽しいと思っている。
 
 松本書房さん、長い間おつかれさまでした。
 
 

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2013年4月 1日 (月)

帯廣神社へ行く

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 たまたま近くを通りかかったので、帯廣神社へ立ち寄った。復活祭(イースター)の翌日に神社へ寄るというのも妙な話だが、年度はじめだし初詣のまねごとのようなものかもしれない(本当に偶然立ち寄っただけなのだが)。
 
  
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 平日の午後だが、参詣者の人達がポツポツと訪れていた。小さな子を抱えた若い夫婦が、鳥居の前で拝礼し、参道の端を歩き、手水で清め、本殿で揃って二礼二拍手一礼をしていた。きちんとした拝礼の仕方をされていて、お子さんの健康を祈りに来たのかも知れない。地域の総鎮守としての役割を果たしている神社ならではの光景だなあと、ちょっと感銘を受けた。
 
 
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 境内ではエゾリスが1頭、ガサガサと走り回っていた。一度、相対してお互い固まってしまったが、やがてすぐ近くまでやってきた。
 
 
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 思わぬ収穫がフクジュソウ。今年初の開花確認である。緑ヶ丘公園ではまだ出ていない。春は確実に進んでいるようだ。
 
 

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フィールドはじめ

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 3月最終週は、なんと1週間ずっと休みだった。本来休日だったところを行事や来客対応などさまざまなシフト変更の関係で出勤した分などを「振替」で調整するのだが、そもそもこの振替がなかなか消化できずに溜まってしまうのである。現金で払ってくれるとスッキリするのだが、なかなかそうはいかない。
 
 で、ではその1週間何をしていたかというと、ずっと館で資料の登録作業をしていた。つまり事実上は出勤しているのだが、休みの扱い。実は休みの日は来館者対応などをしなくて済むので、資料整理などの時間をたっぷりとれるのである。こういう働き方は本当は問題で間違っているのだが、各地の学芸員は休日を使って資料整理や調査研究の仕事をするのが一般化している実態がある。
 
 
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 まあ、それで、春めいている外の空気にそわそわしつつも外へ出られない状態が続き、ようやく昨日、公園内を歩いた。幸い?今年は春が遅く、フェノロジーもそれほど進んでいない。雪どけの地面からキバナノアマナの蕾があがっていた。
 
 
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 アキタブキは随所で見かけたものの、花の中を確認するとまだ閉じていて、いずれも蕾だった。今日あたり開くと思われる。
 
 
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 野草園沿いのザゼンソウ。苞がまだ閉じ気味だが、中ではしっかり花粉を放っていて、立派に開花である。フクジュソウをぜんぜん見かけないうちにザゼンソウが咲いてしまった感じ。
 
 
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 いつもは建物の壁とか南向きの斜面とかで割と早く開花個体をみつけるミミナグサやハコベも、今年はまだ蕾の状態。意外にも開花個体をひとつも見つけられなかった。
 
 
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 昨年は不作だったハンノキ類が、今年は大豊作の見込み。どの木もたわわに花穂をゆらしている。
 
 

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