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2012年8月 7日 (火)

火夫の像を見に行く

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 小樽市総合博物館のS学芸員から、新得駅前に建つ「火夫の像」の写真は無いか?と問い合わせがあった。ほどなく紹介を受けた札幌の方からも電話があり、かつて国鉄に勤められていた方で、今、狩勝峠の苦難について執筆しており、写真が欲しいのだと言われる。帯広百年記念館のどこかで写真を見た記憶があり、収蔵資料を探しても良いのだが、それよりも私自身が写真を持っていなかったので、昨日の休みを利用して新得へ撮りに行く事にした。この写真はその昨日に撮影した「火夫の像」である。
 
 
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 足を踏ん張り、片手で顔をかばいながら、もう片方の手で投炭スコップを握るナッパ服を着た労働者。かつての蒸気機関車の機関助士、それも狩勝で苦難を強いられた機関助士の労働風景を見事に表した力強い銅像だ。
 お電話を頂いた方が話していた。

「最近、蒸気機関車が必要以上に美化されているように思う。しかし、かつての蒸気機関車はもっと過酷なものだった。見た目の力強さだけでなく、蒸気機関車の持っていたマイナス面も含め、さまざまな角度から執筆したい」

 これは誠にそのとおりであろう。かつての狩勝峠旧線には、頂上付近に長大な狩勝トンネルがあり、ここを通過する際の乗務員の苦難は命がけのものだったと言われる。


9600_2

 なにせ蒸気機関車が重連で長いトンネルをゆっくりと通過するのだ。猛烈な煙と灼熱地獄となる機関室。湿らせたタオルを口にあて、必死の思いでカマを炊く労働環境の劣悪さは、実際に殉職者も出しており、長く続く労使紛争「狩勝争議」へとつながっていくのである。
 火夫の像の足下には、その国鉄労働者を乗せて峠を越えていた9600形蒸気機関車の煙室扉のレプリカがはめこまれている。峠と蒸気機関車と乗務員。これらに思いを馳せる為の銅像である。


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 石勝線が開通した現在、狩勝峠旧線の想い出は、絵葉書にもなった景勝地としてのイメージが先行し、懐かしく振り返られるケースが多い。蒸気機関車も懐かしさや物珍しさもあって、たしかに美化された存在としてブームになっている感が否めない。私自身もそういうイメージで写真などを展示する事がある。

 しかし、当然ながらそこには、毎日の定時運行を義務づけられ、過酷な労働環境に傷つき、また耐え抜いてきた多くの労働者の姿があったはずである。「火夫の像」を見る時、そうした鉄道史の一断面をまざまざと思い返す。


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 根室本線と石勝線との分岐駅である「新得」の駅前に、「火夫の像」は建つ。然別湖への玄関口である新得だが、特急列車で道東と道央を往復する人々が途中下車する機会は少ない。そのため、近年では「火夫の像」を知らない旅人は多い事だろう。十勝の鉄道史におけるまぎれもない一断面であり、機会あるごとに語り継いでいかなければならない事だなあと、像を見上げながらぼんやりと考えた。


Sl_2

 新得駅から数分歩くと、狩勝旧線の跡地に「SL広場」と銘打たれた空き地があり、D51 95が静態保存されている。せっかくなので立ち寄っていく。いわゆる「ナメクジドーム」を持ったデゴイチの初期型で、昭和12(1937)年の製造。新得機関区へ配置されていた。


D51_95_2

 天気が良ければ狩勝峠付近をいろいろと巡って帰ろうかと思っていたが、雲行きが怪しい。D51を撮影しているとポツポツと降り出してきたので、このまま引き返す事にした。自動車を走らせてまもなく、大粒の豪雨になり、間一髪だった。
  
  

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