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2012年8月

2012年8月29日 (水)

新得でバッタ塚を見る

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 このポッコリとしたもの。明治時代に作られたバッタ塚だ。昨日、新得町の文化財審議会の現地調査に参考人として呼ばれて見てきた(私の担当はバッタ塚ではなく、別の場所にあるヒカリゴケ)。


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 草刈りをされ、看板も付いているバッタ塚。

 札幌の手稲山口にもバッタ塚があるが、あちらは畑の畝のように細長いもの。これに対して新得のバッタ塚は、まさに「塚」と言った感じ。草刈りをしてきれいに保存しているものもあるが、「昔はもっとあったはず」と周囲に林内を探すと、うっすらと残っている塚をあちこちから発見!「こんなにあるのか・・・」と、保存を担当する社会教育係の人たちは、ちょっと戸惑い気味・・・。

 明治13(1880)年に石狩地方を襲ったトノサマバッタの大群は、十勝が発生源だった。その発生源を突き止める過程で「十勝」の存在が中央に知られるようになり、開発のきっかけになったと言われている。十勝へお来しの際には、一見の価値がある文化財だ。いや、今回の審議会で町の指定文化財にする方向で話を進めているところ。


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 周囲の植林地の中にひっそりと残るバッタ塚。木が生えてきている。周りのクマイザサの原を探すと、すっかりササに埋もれたバッタ塚が、あちこちから見つかった。
 

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2012年8月19日 (日)

緑ヶ丘公園の秋の植物かんさつ

 博物館講座「緑ヶ丘公園の秋の植物かんさつ」を開催。昨年は雨に祟られたが、今年はなんのなんの、暑いくらいの良い天気だった。ただ、ツリガネニンジンとシラヤマギクを見られなかったのが予想外。予定していた半分くらいしか歩けなかった。

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 池にはアカバナが咲き、随所でエゾヤマハギの花も揺れている。黄色い花やピンク色のタデも増えてきた。本当に秋になった。

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2012年8月11日 (土)

博物館実習で植物標本の大整理

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 10日間の博物館実習が昨日で終了した。この期間中、実習生たちは企画展の準備をしたり、標本の整理をしたりと大活躍であった。なかでも植物分野では、昨年度の実習生の続きで、全標本の科別仕分け作業を実施。2年ごしの作業はめでたく終了した。


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 植物分類学や生態学を専攻している学生はひとりもおらず、4人の実習生全員が初心者。植物学実習ではないので、あくまでも学芸員として、赴任した博物館に植物標本が収蔵されていた場合、どのように取り扱えば良いかという点を主眼に実習を行っている。標本整理もその一環。登録番号順に段ボール箱へ密封されている標本を取り出し、分類体系順に並べ替える作業を行う。実習生はこの作業を通じ、学名の仕組み、科・属・種・亜変品種といった分類体系、植物標本の持ち方などの扱い方法を学ぶ。


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 2期にわたる博物館実習生の活躍によって、科別仕分けは終了。今年度は、「科」にまとめられた標本群を「属」のアルファベット順に並べ替える作業を実施した。学名がラベルに書かれていない標本は、図鑑や目録で学名を確認しながらの地道な作業が続く。


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 当館の標本は、「伊東捷夫コレクション」の目録が毎年の当館紀要によって順次公開されてきている。また、今年度は国立科学博物館が推進する「サイエンス・ミュージアムネット(S-Net)」の「自然史情報データベース」へも登録を始める。そのため、標本情報の公開と共に、請求があった際に速やかに標本を取り出せる、または閲覧できる体制の構築を、並行して進める必要がある。今回の仕分け作業の成果は、まさにこれらの目的を達成するためのものである。

 狭い収蔵庫でこの作業はなかなかできず、大部屋を数日間借り切って、人海戦術で行う大整理。携わった実習生の皆さん、本当におつかれさまでした。

 
 

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2012年8月 7日 (火)

火夫の像を見に行く

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 小樽市総合博物館のS学芸員から、新得駅前に建つ「火夫の像」の写真は無いか?と問い合わせがあった。ほどなく紹介を受けた札幌の方からも電話があり、かつて国鉄に勤められていた方で、今、狩勝峠の苦難について執筆しており、写真が欲しいのだと言われる。帯広百年記念館のどこかで写真を見た記憶があり、収蔵資料を探しても良いのだが、それよりも私自身が写真を持っていなかったので、昨日の休みを利用して新得へ撮りに行く事にした。この写真はその昨日に撮影した「火夫の像」である。
 
 
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 足を踏ん張り、片手で顔をかばいながら、もう片方の手で投炭スコップを握るナッパ服を着た労働者。かつての蒸気機関車の機関助士、それも狩勝で苦難を強いられた機関助士の労働風景を見事に表した力強い銅像だ。
 お電話を頂いた方が話していた。

「最近、蒸気機関車が必要以上に美化されているように思う。しかし、かつての蒸気機関車はもっと過酷なものだった。見た目の力強さだけでなく、蒸気機関車の持っていたマイナス面も含め、さまざまな角度から執筆したい」

 これは誠にそのとおりであろう。かつての狩勝峠旧線には、頂上付近に長大な狩勝トンネルがあり、ここを通過する際の乗務員の苦難は命がけのものだったと言われる。


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 なにせ蒸気機関車が重連で長いトンネルをゆっくりと通過するのだ。猛烈な煙と灼熱地獄となる機関室。湿らせたタオルを口にあて、必死の思いでカマを炊く労働環境の劣悪さは、実際に殉職者も出しており、長く続く労使紛争「狩勝争議」へとつながっていくのである。
 火夫の像の足下には、その国鉄労働者を乗せて峠を越えていた9600形蒸気機関車の煙室扉のレプリカがはめこまれている。峠と蒸気機関車と乗務員。これらに思いを馳せる為の銅像である。


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 石勝線が開通した現在、狩勝峠旧線の想い出は、絵葉書にもなった景勝地としてのイメージが先行し、懐かしく振り返られるケースが多い。蒸気機関車も懐かしさや物珍しさもあって、たしかに美化された存在としてブームになっている感が否めない。私自身もそういうイメージで写真などを展示する事がある。

 しかし、当然ながらそこには、毎日の定時運行を義務づけられ、過酷な労働環境に傷つき、また耐え抜いてきた多くの労働者の姿があったはずである。「火夫の像」を見る時、そうした鉄道史の一断面をまざまざと思い返す。


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 根室本線と石勝線との分岐駅である「新得」の駅前に、「火夫の像」は建つ。然別湖への玄関口である新得だが、特急列車で道東と道央を往復する人々が途中下車する機会は少ない。そのため、近年では「火夫の像」を知らない旅人は多い事だろう。十勝の鉄道史におけるまぎれもない一断面であり、機会あるごとに語り継いでいかなければならない事だなあと、像を見上げながらぼんやりと考えた。


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 新得駅から数分歩くと、狩勝旧線の跡地に「SL広場」と銘打たれた空き地があり、D51 95が静態保存されている。せっかくなので立ち寄っていく。いわゆる「ナメクジドーム」を持ったデゴイチの初期型で、昭和12(1937)年の製造。新得機関区へ配置されていた。


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 天気が良ければ狩勝峠付近をいろいろと巡って帰ろうかと思っていたが、雲行きが怪しい。D51を撮影しているとポツポツと降り出してきたので、このまま引き返す事にした。自動車を走らせてまもなく、大粒の豪雨になり、間一髪だった。
  
  

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2012年8月 2日 (木)

特別企画展準備大詰め

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 特別企画展「発掘された十勝の遺跡」の準備作業が大詰めを迎えている。資料の配置も完了し、パネルやキャプションも設置。現在、最終調整を進めているところ。昨日からは博物館実習の大学生も加わって、仕上げに総動員状態である。


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 効果的な展示方法について、時折意見交換をしながら微調整。


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 そこかしこで、細かい「工作活動」が続いている。
 帯広市開拓130年・開館30年特別企画展「発掘された十勝の遺跡」は、いよいよ8月4日(土)から。

 
 

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