本別空襲の記憶を伝える押し葉
1945(昭和20)年7月15日、当初帯広市を爆撃目標としていた米軍機は、天候の関係で目標を発見できず、雲間から確認された本別町を空襲する。
この時、燃えさかる街の中を本別沢へ飛び込んだ1人の町民が、川沿いの植物に無意識にしがみついた。その時の記憶を風化させないためだろうか、しがみついた植物の葉を本に挟み込み、なんと今日まで保存されていた。その植物が今、本別町歴史民俗資料館で開催中の「太平洋戦争と本別の人々」展で公開されている。
パラタクソノミスト養成講座で、いわゆる押し花と標本の違い、などをよく講義している。しかし一方で、人々は記憶や思いを押し花にして残すという、美しくはかない文化を継承しており、時として標本以上に当時の記録としての重みを発揮する場合がある事は事実だろう(もちろん植物学的な評価とは別ものだが)。
秋に本別町で開催する移動展「博物館はなぜ標本を集めるのか?」では、北方守備隊の兵士として得撫島に配置された1人の兵士が製作した「押し花帳」(北海道大学総合博物館所蔵)と共に、この「本別空襲の押し葉」も並べ、人々の記憶と押し花に関するコーナーとして展示したい。
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