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2012年6月

2012年6月27日 (水)

植物関係の夜学講座を試してみたい

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 2週間ちかく、風邪で寝込んでしまった。久しぶりのガッチリとした風邪で、熱が出たきりひかず、2回も病院へ行って薬を処方してもらったのに、なかなか治らなかった。途中、フラワーソンやパラタクソノミスト養成講座など、重要行事が入っていて、フラフラしながらの2週間であった。


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 帯広でのパラタクは2回目。初級ということで、分類の基本に関する講義と、同定実習、標本製作実習を2日間にわけて行う。今回、講義では初めて、APG分類体系について触れた。特に、ユリ科が解体されて複数に分かれたり、ニワトコやガマズミがレンプクソウ科になったりと、従来慣れ親しんだ図鑑の科とは大きく異なる部分が出てくる。折しもこの春、『牧野植物図鑑』がAPG体系に基づいて出版された事もあり、いよいよ博物館講座でも積極的にAPGについて取り上げる時が来たかなという気がしている。


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 パラタクのメインは実習。「検索表の使い方を知る」事と「標本を作れるようになる」事が二大目標である。なので実習に重きを置いていたのだが、今回、講義の準備を進めるにあたり、分類学の最近の動向などについての博物館講座を、別枠で開設しても良いなと思った。社会教育の一環として、社会人や大学生、植物に関心のある人向けに、最近の学問事情を解説する事も博物館の大切な役割のひとつだと思うからである。

 できれば夜学(18時か19時からの開講)にして、帯広駅前で開催したい。となると、やはり会場は図書館か。座学だから本の紹介にもなるし、図書館会場はうってつけだろう。秋にでも開講できるよう、企画を練ろうと思う。

 

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2012年6月 4日 (月)

種苗管理センター十勝農場の樹木調査

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 今日は公休日だが、帯広市幸福にある独立行政法人種苗管理センター十勝農場から、構内の樹木について教えて欲しいとの相談があったので出かける事にした。暑い一日だったが、10時頃から14時時頃まで、農場の職員の方お二人と構内の森を歩き、樹木をお教えしてきた。


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 世の中、入りたくても入れない場所というのがいくつもあるが、ここもその一つである。種苗管理センター十勝農場。元々は農林水産省の馬鈴薯原種農場だったが、独立行政法人となって名称が変わったのだそうだ。バレイショの原種生産と頒布が目的の施設なので、栽培植物に病気が出ないような徹底管理が必要なため、構内立ち入りは厳しく制限されている。私も門の外へ車を停め、構内用の長靴に履き替えてから立ち入る事ができた。


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 構内はいくつもの圃場があるが、その間に防風林としてカラマツ林や自然林がある。それらの林を巡り、主にどのような樹木によって構成されているかを、同行の職員の方にお教えして歩くのが今日の仕事である。ちょっと暑いが気持ちの良い天気で、農場のトラックに便乗して、いくつかの林を見て回った。


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 実は中へ立ち入る前、外から林を見た印象として、ほとんどがカシワ林なのだろうと思っていた。しかし、実際に構内を歩くと、むしろハンノキ林が多くて意外であった。農場の方のお話だと、畑に向かない湿地の周辺がそのまま林として残っているのだそうだ。ハルニレ林も少しあったが、ヤチダモ林は無かった。乾燥化が進んでいるとは言え、ハンノキ林の林床にはゼンテイカが多数。ちょうど花が咲き始めるところであった。


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 一方、カシワ林の林床にはスズラン群落が広がる。学部生時代、中札内村や更別村、音更町のスズラン群落を調査に来た事があるが、その頃を思い出す。スズランも咲き始めの時期で、場所によってほのかにスズランの香りが漂う。久しぶりの感覚だ。


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 これはちょっと珍しいと思ったのが、ヤマナラシーカラフトイバラ(ヤマハマナス)群落だ。高木層がほぼヤマナラシでシラカンバが少し混ざり、低木層はカラフトイバラが優占していた。カラフトイバラの花はまだ咲いていなかったが、刺の感じと複葉の形から、ほぼ間違いないだろう。石狩には無い植物で馴染みの薄い植物だったが、帰宅後に調べてみたら絶滅危惧II類だった。花の時期にまた採集させてもらいに来よう。


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 ひととおりチェックして終了。こちらも少し標本用の植物採集をさせてもらった。

 久しぶりに農学系の施設で農学系の技術職員の方々とお話ができ、こちらも勉強になったし楽しい一日だった。また、帯広市と中札内村、更別村の境界に位置する地点に残った林の植物群落について、貴重な知見を得る事もできた。農場長はじめ職員の皆様には感謝されたが、むしろ中へ入れていただいたこちらも御礼を言いたいところである。

 
 

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2012年6月 3日 (日)

定額郵便貯金証書を受領

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 昨日、鉄道史関係資料の寄贈申し出を受けて市内にお住まいの方の元を訪れた。写真やナッパ服、鉄道省時代の辞令など、貴重な資料を御寄贈いただいたが、それらとは別に「これも資料になりますでしょうか?」と差し出されたのが、昭和21年の定額貯金証書。

 戦後すぐの定額郵便貯金証書で、これまでに見た事のある定額貯金証書とはデザインが異なる。年代から見て、昭和21年そのものに印刷されたものではなく、戦時中に印刷された簡易版の証書なのではないか?鉄道史というより郵便史の資料だが、気になるものなので、合わせて受領した。


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 裏面。旭川貯金支局が印刷したものとある。このデザインの定額貯金証書について、いつ頃からいつ頃まで使われた様式かを調べようと思う。今日の午後、『郵趣研究』の総目次や郵政史研究会の文献を渉猟したりしてみるが、まだよくわからない。逓信総合博物館や郵政資料館には、定額貯金の証書が年代順に収蔵されている。画像を送付して詳細を問い合わせてみよう。

 この市民の方によると、かつて御近所の郵便局長さんから譲ってもらえないか?と言われた事があると言う(この局長さんは個人的に郵便史を研究されていた方らしい。尊敬に値する郵便局長だ)。その経験から、「貴重なものらしいので、個人に寄付するより公的な場所で保存してもらえたら」と思ったと話されていた。ちょうどアメリカに嫁がれた娘さんが御家族で帰省なさっており、相談して、鉄道史資料と共に寄贈を決めたのだそうだ。

 郵便局長さんには申し訳ないが、博物館を公的な資料保存と調査研究の機関として、正しく御理解いただいており、感動を覚える。大切に活用し、資料情報が明らかになったら御報告したい。

 

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2012年6月 1日 (金)

十勝鉄道専用線が終わってしまった

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 帯広貨物駅から日本甜菜製糖芽室製糖所を結んでいた貨物専用線が、ついに最終日を迎えた。途中の西帯広にある日本オイルターミナルの石油輸送が5月末で終了し、日甜だけでは採算がとれる見込みが無いための廃止である。運行を受託していた十勝鉄道の最終列車出発式が、午前9時から芽室製糖所の構内で開かれ、最終列車の見送りに出かけた。


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 出発式の看板と、待機する列車。


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 挨拶に立つ十勝鉄道社長と、お別れに集まった十勝鉄道、日本甜菜製糖、日通、帯広市などの人たち。他にも鉄道ファンや地元の市民、報道関係者が集まった。


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 最終列車はDE10とDE15の重連で運行された。満載のコンテナは中は空。輸送は昨日5月31日で終了している。連結されたコンテナ車は7両で、全体で9両の編成だった。編成の中身は下記のとおり。

 DE10 1543 (帯広貨物駅方先頭)
 DE15 1525
 コキ52716
 コキ50797
 コキ51466
 コキ53146
 コキ50765
 コキ52558
 コキ51974 (芽室製糖所方末尾)


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 高くて長い汽笛を発した後、ゆっくりと発車。たくさんの社員さんが拍手をし、手を振って見送る。


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 手を振る社員さんに、機関士も手を振って応える。ゆっくりとゆっくると構内を出て行く列車を見送っていると、涙が出そうになってくる。


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 帯広貨物駅へ貨車を届けた後、1時間ほどで機関車のみ芽室製糖所へ戻ってきた。


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 機関車の前頭部に描かれていた十勝鉄道の社章が消された。


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 最後までお別れに残った鉄道ファンと報道陣。この日は、十勝毎日新聞、北海道新聞などの各新聞社も取材に来ていた。記者さんの中には連日取材で通っているうち、すっかり十勝鉄道に親近感を持ってしまった方も居られた。NHKは夕方のニュースで報道したらしい。
 専用線の廃止については、どうしん鉄道研究会のスタッフブログでも詳しく紹介されている。
http://blog.hokkaido-np.co.jp/tamatetsu/archives/2012/05/post_106.html#more


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 やがて機関庫へ入り、シャッターが降ろされる。私たちはここでお別れ。機関車はこの後、再び庫を出て帯広貨物駅へと移動。もうこの機関庫へ戻ってくる事は無い。


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 こうして十勝鉄道専用線は終わってしまった。帯広へ来てから1年あまり。休みの日になると、よく西帯広や芽室製糖所へ運転を見に行った鉄道がついに無くなってしまった。十勝鉄道はトラック専業の会社として存続するが、かつて帯広部線と清水部線を保有し、十勝の発展に寄与した鉄道は、とうとう最終日を迎えてしまったのである。
 現在、この十勝鉄道に関する運行関係資料、営業資料など、十勝の鉄道史の記録になる資料を収集できないか、打診している。いくらかでも、十勝最後の私鉄の足跡、後年の鉄道史研究に貢献できるような資料保存ができないかと考えているところである。

 
 

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