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2012年3月13日 (火)

博物館紀要って何だろう?ジレンマを感じる今日この頃

Cinii_2

 私が卒業論文を書いていた頃は、インターネットを使う人はまだまだ少なかった。当然、文献を調べるにも、大学附属図書館が購入しているCD-ROM版の英語文献データベースか、冊子体の「雑誌記事索引」(通称「雑索」)「科学技術文献速報」(通称「BUNSOKU」)などを片っ端から調べ、あとは書庫にこもって現物をあたり、現物の引用文献をひたすら探すという日々であった。獣医学部もまだ独立していなかった当時の酪農学園大学附属図書館には、農学系以外の自然史系雑誌(特に植物系)の所蔵はとても少なく、道立図書館や北海道大学に足しげく通い、私費でコピーをとらせてもらう。時には東京大学、時には地方の町立図書館などへ実際に出かけ、現物の文献を訪ね歩いたものである。今となっては懐かしいし、実際、「文献を足で探す」というのは、それはそれで楽しい仕事だった。

 しかし今は時代が全く異なる。必ずしも良い事とは決して思わないのだが、現実として、ネットでひっかかってこない文献は、世の中に存在しないものと同然に扱われてしまう。おなじみのCiNiiをはじめ、いまや文献検索どころか本文閲覧までもがネットベースで容易に実行できる時代。これらにひっかからない文献は、昔よりもかえって見つからなくなってしまったように思う。


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 市町村立博物館の発行する紀要は、地域の自然史、歴史、その他さまざまな記録が詰まった、地域研究の宝庫である。中央の学会誌には掲載されないような記載的な事柄が詰まっている(だから紀要に載っているのだろうが)。これらのデータは、一見とるにたらないようなものにも見えるが、必要としている人は必ず存在する。どんな記録も、必要とされる人がいるかいないかは、その時になってみなければわからない。必要な人に必要な情報を届ける、モノとヒトをつなぐのが学芸員の役割ならば、紀要に掲載された論文や記事を、より多くの人たち、必要とする人たちに届けて行きたい、発信していきたいと願うのは当然である。

 だから、CiNii雑誌記事索引に目次情報を載せたい、できれば本文のPDF公開もして欲しい、というのが、偽らざる私の本心である。だがこの一年、いろいろと調べてきたが、なかなか困難である事が実感としてわかってきた。

 例えば「雑誌記事索引」には、市町村の発行物は採録しないという基準が存在する。「なんでそんな基準が?」と思うが、膨大な市町村刊行物をすべて登載できるような力は、雑誌記事索引を作製する国立国会図書館にも存在しない。その必要も無いだろう。
「ならば博物館紀要だけ登載すれば良いではないか?」と思うが、それを図書館の担当者が自力で選別するのは非常に困難である。

 実は2002年以前まで、国会図書館はこれをやってくれていた。それまでの雑誌記事索引は、市町村刊行物も個別に選別して、登載の可否を検討していたそうである。だが、2002年からこれをやめた。理由は、ざっくり言えば選別できないくらい出版物が多く、予算的にも規模的にも無理と判断された為である。とにかく大変な作業だからである。

 なぜそんなに難しいのか?ここからは私見だが、これは博物館の多様性に原因があると思う。日本の博物館制度の問題点はさまざまに論じられてきたが、そのひとつに古くて新しい課題「博物館は研究機関か?学芸員は研究職か?」という問題がある。紀要が文献データベースに登載されないのは、この定義が館ごとにバラバラで、そのために逐次刊行物の性質も館ごとにバラバラ。タイトルもバラバラ。これらの中から「学術雑誌」を図書館が選別する事が、ものすごく厳しい作業である為と考えられる。


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 「自分、なんでこんな事やってるんだろうなー」と思う瞬間が、人生には必ずあると思う。実はときどきそう思ってしまう作業が、この北海道博物館協会のサイトに、各館の紀要の目次情報を登載するという作業である。

 今も存在するが、「エコトピックス」というメーリングリストが存在する。これは生態学系の雑誌や図書の目次情報を配信するメーリングリストで、ここからヒントを得た。
 雑誌記事索引が論文タイトルを登載してくれなければ、現状ではCiNiiにも登載されない。そのままでは、小さな博物館の紀要の論文情報は、ネットの波に乗れず、活用が限定的になってしまう。なんとかそれを防ぐ応急措置はないものか?と考えた時、とりあえずネットに活字が乗れば、検索エンジンでひかかってくるのではないか?そういう想いがあり、始めてみたものである。

 別段、入力は苦にならない。世の中、いろんな研究があるんだなあと、入力の度に発見があるし、これはこれで楽しい。ただ、将来的にはやはりCiNiiなどに登載されるのが望ましい。そのための「つなぎ」として始めた作業なのだが、果たしてこれ、未来のある作業なのかなあ?と、ときどきふと不安になるのも事実である。

 しかし、当面、私にできる事はこれくらいなのである。地方博物館の一嘱託職員でしかない私にとって、いま貢献できる事というのはものすごく小さい。だが、やれる事はやっておきたいし、やらないと落ち着かない。なので始め、続けている訳だが・・・


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 さらに、北海道自然史研究会では、事務局であるさっぽろ自然調査館の献身的な働きによって、自然史研究データベース事業に取り組んでいる。これは、埋もれている博物館紀要や自然史研究団体の雑誌などをPDF化し、WEB公開しようというものである。
 現在までに道内のいくつかの館の紀要を公開している。著者の公開許諾の件など、クリアしなければならない点もあって、歩みは遅いが少しずつ前進している。私の理想にも一歩近づいている。もっと登載館も増やしたいし、発展させていきたい。本心からそう思っているし、これからも出来る限り協力していきたいと思っているが・・・

 だが、これだけではまだ足らないのだ。やはり今の時代、CiNiiに検索でひっかかってもらう事がどうしても必要ではないかと思う。その為には、市町村の発行物の中にも学術性(あるいは資料性と言っても良い)文献が多数存在し、公開の価値があるのだ、という事を社会に理解してもらう必要がある。

 恐らく文献データベースを構築している図書館側は、こんな事は百も承知している。ただ、とにかくバラバラな博物館の世界、採録する側にとっては何らかの基準が必要なのは事実だろう。

 そこで考えたのだが、「博物館法に基づく登録博物館の紀要は、設置主体に関わらず採録する」という新たな基準を国立国会図書館へ求める運動をしてはどうか?幸か不幸か(たぶん不幸だが)、我が国には登録博物館が少なく、これだけでもかなり採録者の負担を軽減できるはずである。

 恐らくこの問題は、日本の博物館制度の問題である。いろいろな考え方があるのは理解しているが、私はやはり、少なくとも登録博物館には、一定の質と基準が必要と考えている。学校には一定の設置基準があるのに、博物館は半ば無法地帯ではないか?だから文献データベースも科学研究費補助金も、小さな博物館はそれだけで一括りに対象外にされてしまうのである。規制緩和が金科玉条のように叫ばれる世の中にあって、流れに逆行しているかもしれないが、今、私は声を大にして叫びたい。

 「博物館」って気安く名乗るな!「博物館」の基準をきちんと定めようよ!!

  
 


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