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2012年3月

2012年3月25日 (日)

冬景色が戻る

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 24日、帯広は朝から雪だった。前日までの春めいた景色が一変。緑ヶ丘公園の中も、湿って重たそうな雪に包まれ、冬景色が戻った。


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 百年記念館の玄関前、刈り込まれたツツジやイチイにべったりと雪が覆う。


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 この日、春の行事の打ち合わせに来た、帯広の森はぐくーむの人たちが百年記念館を見学。いつもこちらがお邪魔していてお世話になっているが、逆にみんな揃って記念館へ来るのは珍しい。I学芸員の解説にみな熱心に耳を傾けていた。

 
 

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2012年3月21日 (水)

今日の入れ換え

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 帯広市産業開発公社専用線の本線から第二工場団地線へ進入する入れ換え列車。今日は先客がお二人いてお一人は北見から撮影に来られたとのこと。産業開発公社そのものの解散が具体化し、第二工場団地線の廃止もいよいよ近づいてきて、これからしばらくの間は、入れ換え中にカメラマンの姿を見る機会も多くなるだろう。


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 今日の機関車はDE15 1525。貨車はタキ243739、タキ43113、タキ243762、タキ243714の4両で、早朝と二回に分けて押し込んでいるせいか、編成が短い。


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 転轍機手前で一旦停止。誘導係の一人が転轍レバーに取り付く。


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 ポイントがガタリと切り替わると、転轍標識の矢羽根が回転する。


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 往来が一段落したところで踏切を渡る。警報機や遮断機が無いので、誘導係が自動車を制止。


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 いったん機関車を切り離して機回し。今度は推進運転で油槽所へ貨車を押し込んで行く。


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 油槽所の荷役線に並ぶ貨車と入れ換え中の機関車。この光景が見られるのもあと少し。


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 9時台の入れ換えを終え、単機で芽室の日甜構内にある機関庫へ帰るDE15 1525。高規格道路の下を過ぎたところで、根室本線の快速列車であるキハ40 1749が追い越して行く。


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 首都圏色のキハ40と十勝鉄道DE15。一瞬、国鉄時代を思い出すような光景だ。

  
  

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2012年3月13日 (火)

博物館紀要って何だろう?ジレンマを感じる今日この頃

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 私が卒業論文を書いていた頃は、インターネットを使う人はまだまだ少なかった。当然、文献を調べるにも、大学附属図書館が購入しているCD-ROM版の英語文献データベースか、冊子体の「雑誌記事索引」(通称「雑索」)「科学技術文献速報」(通称「BUNSOKU」)などを片っ端から調べ、あとは書庫にこもって現物をあたり、現物の引用文献をひたすら探すという日々であった。獣医学部もまだ独立していなかった当時の酪農学園大学附属図書館には、農学系以外の自然史系雑誌(特に植物系)の所蔵はとても少なく、道立図書館や北海道大学に足しげく通い、私費でコピーをとらせてもらう。時には東京大学、時には地方の町立図書館などへ実際に出かけ、現物の文献を訪ね歩いたものである。今となっては懐かしいし、実際、「文献を足で探す」というのは、それはそれで楽しい仕事だった。

 しかし今は時代が全く異なる。必ずしも良い事とは決して思わないのだが、現実として、ネットでひっかかってこない文献は、世の中に存在しないものと同然に扱われてしまう。おなじみのCiNiiをはじめ、いまや文献検索どころか本文閲覧までもがネットベースで容易に実行できる時代。これらにひっかからない文献は、昔よりもかえって見つからなくなってしまったように思う。


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 市町村立博物館の発行する紀要は、地域の自然史、歴史、その他さまざまな記録が詰まった、地域研究の宝庫である。中央の学会誌には掲載されないような記載的な事柄が詰まっている(だから紀要に載っているのだろうが)。これらのデータは、一見とるにたらないようなものにも見えるが、必要としている人は必ず存在する。どんな記録も、必要とされる人がいるかいないかは、その時になってみなければわからない。必要な人に必要な情報を届ける、モノとヒトをつなぐのが学芸員の役割ならば、紀要に掲載された論文や記事を、より多くの人たち、必要とする人たちに届けて行きたい、発信していきたいと願うのは当然である。

 だから、CiNii雑誌記事索引に目次情報を載せたい、できれば本文のPDF公開もして欲しい、というのが、偽らざる私の本心である。だがこの一年、いろいろと調べてきたが、なかなか困難である事が実感としてわかってきた。

 例えば「雑誌記事索引」には、市町村の発行物は採録しないという基準が存在する。「なんでそんな基準が?」と思うが、膨大な市町村刊行物をすべて登載できるような力は、雑誌記事索引を作製する国立国会図書館にも存在しない。その必要も無いだろう。
「ならば博物館紀要だけ登載すれば良いではないか?」と思うが、それを図書館の担当者が自力で選別するのは非常に困難である。

 実は2002年以前まで、国会図書館はこれをやってくれていた。それまでの雑誌記事索引は、市町村刊行物も個別に選別して、登載の可否を検討していたそうである。だが、2002年からこれをやめた。理由は、ざっくり言えば選別できないくらい出版物が多く、予算的にも規模的にも無理と判断された為である。とにかく大変な作業だからである。

 なぜそんなに難しいのか?ここからは私見だが、これは博物館の多様性に原因があると思う。日本の博物館制度の問題点はさまざまに論じられてきたが、そのひとつに古くて新しい課題「博物館は研究機関か?学芸員は研究職か?」という問題がある。紀要が文献データベースに登載されないのは、この定義が館ごとにバラバラで、そのために逐次刊行物の性質も館ごとにバラバラ。タイトルもバラバラ。これらの中から「学術雑誌」を図書館が選別する事が、ものすごく厳しい作業である為と考えられる。


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 「自分、なんでこんな事やってるんだろうなー」と思う瞬間が、人生には必ずあると思う。実はときどきそう思ってしまう作業が、この北海道博物館協会のサイトに、各館の紀要の目次情報を登載するという作業である。

 今も存在するが、「エコトピックス」というメーリングリストが存在する。これは生態学系の雑誌や図書の目次情報を配信するメーリングリストで、ここからヒントを得た。
 雑誌記事索引が論文タイトルを登載してくれなければ、現状ではCiNiiにも登載されない。そのままでは、小さな博物館の紀要の論文情報は、ネットの波に乗れず、活用が限定的になってしまう。なんとかそれを防ぐ応急措置はないものか?と考えた時、とりあえずネットに活字が乗れば、検索エンジンでひかかってくるのではないか?そういう想いがあり、始めてみたものである。

 別段、入力は苦にならない。世の中、いろんな研究があるんだなあと、入力の度に発見があるし、これはこれで楽しい。ただ、将来的にはやはりCiNiiなどに登載されるのが望ましい。そのための「つなぎ」として始めた作業なのだが、果たしてこれ、未来のある作業なのかなあ?と、ときどきふと不安になるのも事実である。

 しかし、当面、私にできる事はこれくらいなのである。地方博物館の一嘱託職員でしかない私にとって、いま貢献できる事というのはものすごく小さい。だが、やれる事はやっておきたいし、やらないと落ち着かない。なので始め、続けている訳だが・・・


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 さらに、北海道自然史研究会では、事務局であるさっぽろ自然調査館の献身的な働きによって、自然史研究データベース事業に取り組んでいる。これは、埋もれている博物館紀要や自然史研究団体の雑誌などをPDF化し、WEB公開しようというものである。
 現在までに道内のいくつかの館の紀要を公開している。著者の公開許諾の件など、クリアしなければならない点もあって、歩みは遅いが少しずつ前進している。私の理想にも一歩近づいている。もっと登載館も増やしたいし、発展させていきたい。本心からそう思っているし、これからも出来る限り協力していきたいと思っているが・・・

 だが、これだけではまだ足らないのだ。やはり今の時代、CiNiiに検索でひっかかってもらう事がどうしても必要ではないかと思う。その為には、市町村の発行物の中にも学術性(あるいは資料性と言っても良い)文献が多数存在し、公開の価値があるのだ、という事を社会に理解してもらう必要がある。

 恐らく文献データベースを構築している図書館側は、こんな事は百も承知している。ただ、とにかくバラバラな博物館の世界、採録する側にとっては何らかの基準が必要なのは事実だろう。

 そこで考えたのだが、「博物館法に基づく登録博物館の紀要は、設置主体に関わらず採録する」という新たな基準を国立国会図書館へ求める運動をしてはどうか?幸か不幸か(たぶん不幸だが)、我が国には登録博物館が少なく、これだけでもかなり採録者の負担を軽減できるはずである。

 恐らくこの問題は、日本の博物館制度の問題である。いろいろな考え方があるのは理解しているが、私はやはり、少なくとも登録博物館には、一定の質と基準が必要と考えている。学校には一定の設置基準があるのに、博物館は半ば無法地帯ではないか?だから文献データベースも科学研究費補助金も、小さな博物館はそれだけで一括りに対象外にされてしまうのである。規制緩和が金科玉条のように叫ばれる世の中にあって、流れに逆行しているかもしれないが、今、私は声を大にして叫びたい。

 「博物館」って気安く名乗るな!「博物館」の基準をきちんと定めようよ!!

  
 


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2012年3月11日 (日)

東日本大震災から一周年

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 今日は東日本大震災からちょうど1年の日である。帯広百年記念館でも、14時46分から館内放送で黙祷が呼びかけられ、静かに祈りが捧げられた。

 いま帯広百年記念館では、ロビー展「十勝の海岸でみられた震災漂着物」を開催している。これは、東日本大震災前後の十勝海岸の様子を、「漂着アザラシの会」による海岸調査で得られた写真やデータから比較したもの。博物館資料調査員の小林さんによる報告だ。


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 1年前、帯広百年記念館も地震でかなり揺れた。その後の津波は、十勝海岸にも押し寄せた。写真には、この時の津波の痕跡が記録されている。


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 海岸に流れ着いた漂着物が東北のどこから流れてきたのか、地図によって示されている。東北から流出した品々は、いったん太平洋へ出た後、ゆるやかに北上して十勝海岸へ漂着するらしい。漂着物を指標とするこういた海流の推定などは、さまざまな科学にも応用が可能と思われる。

 展示は4月1日まで。観覧無料 http://www.octv.ne.jp/~hyakunen/oshirase.htm#03-lobby-ten
  
  
  
 東日本大震災。未曾有の大地震、そして津波であった。原発事故の影響も今に続き、知人も福島県から大樹町へ避難している。博物館は標本レスキューなどの取り組みを通じて、復興への人の輪、技術の連携がいまなお続けられている。寸断した鉄道も、復旧へ向けて懸命の取り組みが続けられている。

 今朝の毎日新聞の書評欄には「図書館の力を信じて」と題する短い記事が掲載されていた。図書館問題研究会が発行している『みんなの図書館』3月号の特集記事についてである。

http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120311ddm015040034000c.html

 博物館と同じく資料保存機関である図書館もまた、この度の震災で大きな被害を受けた。SaveMLAKの取り組みが今日も各地で続いている。
 そのような中、図書館は地域の情報発信基地として、さまざまな機能を担っているらしい。新聞やインターネット情報が、図書館に集積されているためだ。たしかに今日の図書館は、本を読む場所であると同時に、さまざまな媒体を通じての情報の集積、検索、そして発信の基地なのである。

「図書館は、単に本を蔵書するだけでなく、その土地の文化や、住む人々の生活の具体的な支援に役立つ拠点とも思われます」(今野順夫福島大学名誉教授)という言葉は印象的だ。今日の地域図書館の果たす役割、大きな可能性を示しているものだろう。

 振り返って博物館はどうか?今、十勝で大地震が起きた際、帯広百年記念館はどう機能していくべきだろうか?震災を契機に突きつけられる、地域博物館に関する根源的な問いかけは続く。

  
  

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