広尾線関係資料を登録
氷まつり関連で、未登録のまま収蔵庫の奥に眠っていた広尾線関連資料を展示したので、展示終了後、資料台帳への登録を行った。これは広尾線廃止時に、釧路鉄道管理局が作成した記念品の銘板レプリカで、帯広市へ贈られたとの市助役のメモが添えられている。
こちらは広尾線の翌月の1987年3月に廃止された士幌線の廃止記念品。やはり帯広市助役に手渡されている。広尾線とは銘板の地色が異なる。実際にはこのように塗装された国鉄銘板は存在しないし、あくまでも記念に作られたレプリカという事で、「鉄道路線の廃止の記録」という面での資料意義があると言える。
広尾線の銘板にはメモが、士幌線の銘板には廃止当日に帯広駅ホームで、当時の市助役へ手渡している様子を撮影した写真入り色紙が含まれていた。こうした記録は大事だろう。資料としては銘板と一体のものなので、収蔵番号も枝番とした。
広尾線の全駅(ただし帯広駅を除く)の駅名票の模型。透明アクリルケースに入っている。それらのうちの、これは幸福駅の駅名票。興味深いのは、実際の駅名票を撮影して作成されており、当時の落書きがそのまま記されている。単に品物しか残っていなかったが、入っていた段ボール箱に貼られている宅配便の送り状から、東京のグランパパという会社から帯広市へ送付されたものだという事がわかった。グランパパは現在も東京に存在し、当時は広尾線沿線の開発に関係していた会社だった事から、廃止にあたる記念品製作を受注したのだろう。
釧路鉄道管理局のダイヤグラム。1973年4月1日改正と書き込まれており、広尾線、士幌線、白糠線、根室本線のダイヤである。元国鉄職員の方が寄贈して下さったそうで、もう1枚、標津線、釧網本線、池北線が1枚となったダイヤが保存されている。
こうした記念品類は、扱いに困る事も多い。しかし、廃止から20年以上が過ぎ、廃止というイベントが当時どのように捉えられていたかという事を知る上で、これらの品々にも資料的意味が増していると思われる。資料研究を進め、今後の活用を考えていきたい。
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