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2011年10月31日 (月)

幕別町の金比羅山

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 道東自動車道について執筆中の記事に掲載する写真を撮影するため、幕別町の稲士別付近へ行った。道東自動車道は清水町から池田町まで、いくつもの河岸段丘を切り通しでスパッと突っ切って、ひたすら直線なのだが(29日の写真参照)、それに対して鉄道の根室本線は、幕別台地の裾野を縁取るように曲がりながら進む。地形に対するこの違いが面白いので、写真で示そうと思ったのだ。


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 この辺りの区間がわかりやすいかと思い、池田方面からやってきた特急スーパーおおぞら10号を後から撮影。ところで、この左側にある森。これが幕別台地の端っこにあたる。


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 金比羅神社になっており、踏切のすぐ脇に鳥居が立つ。けっこう急な石段が見える。なんで金比羅様なのかが不思議だったが、この疑問は後ほど解決した。


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 鳥居のすぐ近くには幕別町の史跡を紹介する看板が。なんでも、この辺りは亜麻を扱う工場だったらしい。ひょっとすると、今でも野生化した亜麻がたくさん生えているかも知れない。来年は気をつけて見に来てみよう。


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 線路沿いの道路を稲士別駅方向へ辿り、踏切を渡って、神社のずっと裏側にあたる部分から、この山を車で上ってみた。山へ入ると農家の畑で、牧草地や豆畑が広がっていた。ビート畑はちょうど収穫中のようで、農家の方が働いていた。

 畑を通過して農道から一般道へ出る交差点に「金比羅山記念碑」が建っていた。碑文を読んでみて、金比羅様がこんなところにある謎がわかった。


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 1893(明治26)年、入植者達が航海と開拓の安全を祈願して金比羅山から分霊した神社を山麓に安置した。かつての十勝は、大津港を窓口とした水運に頼っていたし、内陸部も道路や鉄道が整備されるまでは、十勝川や札内川などの水運が重要交通路だったから、航海の安全祈願はよくわかる。

 これが先ほどの金比羅神社なのだろう。この台地は「猿別山」と云うらしい。以来、一帯の字名も「金比羅山」だったが、地名改変で今は「豊岡」の地名が使われている。しかし、入植以来の歴史を伝えるため、この祈念碑が建てられたそうだ。

 地理学の基本はフィールドワークだが、地形巡検のつもりが思わぬ郷土史を収穫。勉強になった10月最後の午後であった。

  
  

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