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2011年10月

2011年10月31日 (月)

幕別町の金比羅山

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 道東自動車道について執筆中の記事に掲載する写真を撮影するため、幕別町の稲士別付近へ行った。道東自動車道は清水町から池田町まで、いくつもの河岸段丘を切り通しでスパッと突っ切って、ひたすら直線なのだが(29日の写真参照)、それに対して鉄道の根室本線は、幕別台地の裾野を縁取るように曲がりながら進む。地形に対するこの違いが面白いので、写真で示そうと思ったのだ。


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 この辺りの区間がわかりやすいかと思い、池田方面からやってきた特急スーパーおおぞら10号を後から撮影。ところで、この左側にある森。これが幕別台地の端っこにあたる。


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 金比羅神社になっており、踏切のすぐ脇に鳥居が立つ。けっこう急な石段が見える。なんで金比羅様なのかが不思議だったが、この疑問は後ほど解決した。


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 鳥居のすぐ近くには幕別町の史跡を紹介する看板が。なんでも、この辺りは亜麻を扱う工場だったらしい。ひょっとすると、今でも野生化した亜麻がたくさん生えているかも知れない。来年は気をつけて見に来てみよう。


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 線路沿いの道路を稲士別駅方向へ辿り、踏切を渡って、神社のずっと裏側にあたる部分から、この山を車で上ってみた。山へ入ると農家の畑で、牧草地や豆畑が広がっていた。ビート畑はちょうど収穫中のようで、農家の方が働いていた。

 畑を通過して農道から一般道へ出る交差点に「金比羅山記念碑」が建っていた。碑文を読んでみて、金比羅様がこんなところにある謎がわかった。


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 1893(明治26)年、入植者達が航海と開拓の安全を祈願して金比羅山から分霊した神社を山麓に安置した。かつての十勝は、大津港を窓口とした水運に頼っていたし、内陸部も道路や鉄道が整備されるまでは、十勝川や札内川などの水運が重要交通路だったから、航海の安全祈願はよくわかる。

 これが先ほどの金比羅神社なのだろう。この台地は「猿別山」と云うらしい。以来、一帯の字名も「金比羅山」だったが、地名改変で今は「豊岡」の地名が使われている。しかし、入植以来の歴史を伝えるため、この祈念碑が建てられたそうだ。

 地理学の基本はフィールドワークだが、地形巡検のつもりが思わぬ郷土史を収穫。勉強になった10月最後の午後であった。

  
  

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2011年10月29日 (土)

道東自動車道がつながった

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 道東自動車道の夕張〜占冠間が、本日開通した。15時から一般道が開通。その頃より帯広から札幌方向へ向かう上り車線を通行する自動車の量が増えてきた。


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 それから1時間半後、ネクスコ東日本のパトロールカーが通過して、徐々に下り線にも一般車両が増えてきた。夕焼けの日勝峠を越えて続々と車が帯広へ入ってくる。


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 芽室町にある、道東道と広尾道とのジャンクション。とっぷり暮れてきた料金所にも、たくさんの車が到着し始めた。


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 石勝線開業30年と共に、今日は十勝の交通にとって、大きな節目となる。


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2011年10月27日 (木)

雪蟲がヤチダモに密集

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 森の里小学校のヤチダモの木に密集しているのは、雪蟲ことトドノネオオワタムシ。


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 触れてみると皆うごかない。既に産卵を終え、死んでいるのだ。どの雪蟲も未だ翅も美しく、今朝方命を落としたばかりのようだ。


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 帯広でもここ数日、雪蟲の舞う姿をよく見た。遠く日高山脈の山々に、うっすらと雪をかぶっているのが見える今日。役目を終えた無数の雪蟲の屍に、確実に忍び寄っている冬を痛感した。

  

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2011年10月20日 (木)

緑ヶ丘公園の紅葉

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 帯広市緑ヶ丘公園でも紅葉が見頃を迎えている。真っ赤に染まったヤマモミジ系統のカエデ。グラデーションがより彩りを放つ。

  

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2011年10月19日 (水)

燻蒸はじまる

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 一見、なんの変哲もないトラックが、搬入口にやって来た。


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 しかし、このトラック。実は燻蒸車輌なのである。これはトラックの後部に設置された燻蒸装置。「燻蒸」とは、博物館の資料や標本が害虫やカビなどによって劣化しないよう、薬剤によって殺虫・殺菌処理を施すことである。帯広百年記念館では、毎年秋に新着資料や長期貸し出しを行った絵画などについて、燻蒸処理を実施。燻蒸した資料以外は収蔵庫へ入れないという措置をとっている。


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 燻蒸は二晩かけて行われる。その間、燻蒸会社の職員が立ち会い、付きっきりでメンテナンスや測定を行っている。大変な仕事だ。


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 こちらは測定器具などの様子。


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 燻蒸は作業中は搬入口付近は立入禁止。ふだんは緑ヶ丘公園内と行き来できる通路も、しばらく閉鎖である。きちんとした燻蒸作業は、前職の博物館では予算の関係で行えていなかった。しかし、大事な資料を預かっている博物館だからこそ、燻蒸は重要な資料保存の一過程である。せっかくの機会だし、いろいろ勉強しておきたいと思う。

  
  


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2011年10月14日 (金)

鉄道記念日に鉄道資料館へ行く

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 10月14日は鉄道記念日(鉄道の日)である。1872(明治5)年、新橋〜横浜に日本最初の鉄道が営業を開始した事を記念した日で、国鉄時代は「鉄道記念日」だったが、現在は「鉄道の日」と言われている。別に狙った訳ではないのだが、たまたま今日は休みの日だったので、以前から一度足を運ぼうと思っていた、上士幌町糠平にある鉄道資料館へ出かけてみた。資料館の裏手には線路が敷かれており、ちょうど糠平小学校の子ども達や先生方が、クマ鈴を鳴らしながら散策していた。


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 上士幌町鉄道資料館。きれいな建物だが、士幌線が廃止された年の10月に建てられたというから、もう20年は経過している。古さを感じさせない、素敵な建物だ。


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 展示の様子。実物資料が、小規模だが丁寧に並べられている。


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 ダム建設によって改変された士幌線旧線と新線の経路がわかる立体模型。


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 士幌線の生いたちや各駅の模様を説明したパネル。各駅の紹介では、新士幌のような仮乗降場は原則として省かれていた。


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 ここにもやはり通票閉塞機が展示されていた。展示向きの資料ということなのだろう。糠平駅で使用されていたものらしく、糠平〜十勝三股がバス代行になって以後は事実上ここが終点で、閉塞区間も上り方だけだから、閉塞機も1台だけのようだ。


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 音更町郷土資料室や愛国交通資料館とは異なり、ここは常時人が配置されているせいか、展示品の破損は無い模様。閉塞機の上には、きちんと「椀形電鈴」が、完品で残っていた!嬉しいなあ。


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 帯広から糠平までの全区間を、駅間ごとに12に区切って、ボタンにより鑑賞できる全面展望のビデオが「シミュレーション」という名で設置されていた。帯広駅からスタート。全面展望ビデオだから、全区間見ると、当然ながら当時の全区間所要時間がかかるはずだが、実際には途中をはしょっている区間が結構見られた。それでも、12回ボタンを押して全区間を見るには、それなりの時間がかかる。途中で他のお客さんも覗きに来たが、1区間見ただけで行ってしまった。


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 すっかり腰を下ろして見入っていると、なんと受付の方がお盆にお茶とチョコレートを載せて「どうぞ」と勧めてくれた。なんとも恐縮であるが、ありがたくいただき、全区間を鑑賞する。この他、士幌線廃止を記念して記録されたHBCによる記録映画もDVDで設置されており、こちらも最後まで鑑賞させていただいた。10時30分頃に入って12時30分頃に出たので、2時間くらい滞在してしまった。


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 館の横にはヨ3500が保存されていた。但し、色合いが黒ではなく茶色をしており、不思議な感じである。しかし状態は良く、床下にはベルト駆動式の発電機も残っていて、じっくり観察できた。館内の展示と良い、外の線路や腕木式信号機などの保存と良い、なかなか良い資料館だ。やはり人が配置され、NPOの方々などによる手入れが行き届いているからだろう。帯広市の愛国交通資料館とは大きな違いである。


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 せっかくなので士幌線の終点、十勝三俣駅の跡を見に行こうと、車を三国峠方面へ向ける。途中、幌加駅の跡が除雪ステーション兼トイレ兼アーチ橋見学用駐車場になっていたので立ち寄る。


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 周囲の山々は紅葉が始まっており、その中に横たわるアーチ橋が美しい。結構、車を止めて見に来る人が居た。


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 丁寧な解説パネルも立っている。ただ、この辺りは頻繁にヒグマが出没する地帯であり、そこかしこに注意を促す看板もある。この辺りを歩いて見学するならば、熊鈴や熊スプレーを持ち歩いた方が良いだろう。私は車に積んであるので、もちろん持参。


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 旧十勝三股駅跡と思われる広大な草原。「安全第一」と欠かれた建物が、環境省による「倒壊の危険があるので立入禁止」の看板と共に、ひっそりと残っていた。そう言えば昨年の植生学会のとき、十勝三股に価値を判断しかねる鉄道関係の建物があると聞かされていたのだが、このことか?私は、その手前にある坂阜(ハンプ)のような勾配が気になって仕方がなかった。


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 付近には喫茶店「三股山荘」があり、その裏手の廃線跡には遊歩道が整備されていた。三股山荘に立ち寄りたいと思ったのだが、お金も時間も無かったので、今日はこれで引き返す。


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 遠く石狩岳は雪をかぶっており、付近の草原も立ち枯れている。林の縁では雪蟲がフワリフワリと飛んでおり、冬の足音を感じる。十勝三股の人家は2軒。あとで立ち寄った糠平の観光案内所の方によると、どちらも同じ家系の方の建物で、国立公園の性質上、この方々の家以外は建設できないのだと言う。もはや限界集落どころの話ではない。

 かつて道内でもっとも標高の高い駅だった十勝三股。大雪山国立公園となっている、山奥以上のこの高地まで、国鉄が線路を敷いていたというのが今となっては実に驚きで、信じがたい事である。
 
 
 
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 ちなみに、糠平よりずっと下にある、上士幌町市街地の交通公園にも寄ってみた。しかし、予想に反して「交通」を感じさせるものは何も無かった・・・。


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 わずかに、ここが上士幌町駅の跡だという事を示すパネルが立っていた。交通公園の名前を支える唯一の記念碑がこれなのかもしれない。糠平へ行けば立派な資料館があるから、市街地はこれだけで充分という事なのだろうか?

  
  

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2011年10月13日 (木)

大豆や甜菜の収穫風景

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 十勝では大豆の収穫が急ピッチで進められている。天候不順のせいもあり、今年の豆類の品質や収量はあまりよろしくないらしい。週末はまた天気が崩れる予報のせいか、今日は各地で収穫風景が見られた。農作物の収穫の様子を動画と写真で記録するため、I学芸員と共に、帯広市郊外の藤地区を訪ねた。


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 トラクターで、刈り取り・除莢が機械的に進められている。トラクターの前方で2畝の大豆を刈り取り、機械の中で豆を莢から外して溜め込む。トラクターの後方から、豆の外れた茎葉がはきだされる。見ていると、巨大な動物が大豆を食べながら歩き、歩きながら糞をしているような感じ。


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 隣の畑ではビート(甜菜)の収穫が始まっていた。この日の十勝毎日新聞にも「ビート収穫開始」が記事になっていたので、各地で昨日今日あたりから始まったらしい。もっと冬直前になってからの収穫かと思っていたので驚いた。


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 巨大な回転式のコンベアが目立つ、ビート収穫期。車体の下からビートを引き抜き、回転コンベアで運ばれて、カーゴに山積みにされていく。溜まると畑の横に野積みされ、後ほどトラックへと積み込まれるようだ。この畑の横あたりに、かつて十勝鉄道が走っていたはずで、こうしたビートを貨車に山積みにして輸送したのだろう。


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 百年記念館への帰り道、ニオ積みの光景にも出会った。小豆では今もときどき見られる光景である。


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 ニオの下に敷かれた桁。こんな桁が組まれ、この上にニオが積まれている事を初めて知った。やはりフィールドで学ぶ事は多いなあと思う。晴れの日は明日まで。明後日からは天候が崩れるので、どこの畑の農家さんも忙しそうだ。


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 ちなみに、こちらは2日前の11日火曜日、音更町内の光景。秋まき小麦の芽が出ているところ。彼らはこの小さな葉で、これからの冬を越す。考えてみれば、土壌凍結する十勝の畑で、ずいぶんと苛酷な生き方をしている作物である。


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 こちらも火曜日の音更町での光景。これらも今日あたり収穫されていることだろう。


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 こちらも火曜日に撮影。まだ咲いているんだなあと思ったヒマワリ畑。緑肥用の小さいヤツだ。これらも近いうちに畑へ鋤き込まれるのだろう。秋が深まっている事を実感する、十勝の農村風景でした。

  
  

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家畜改良センター十勝牧場

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 先日の11日火曜日は、音更町にある帯広大谷短期大学で博物館教育論の講義があった。お昼で終わるので、午後から家畜改良センター十勝牧場の展望台まで行ってみた。家畜改良センターは昔の種畜牧場で、馬・牛・羊などの家畜の品種改良から草地研究まで、畜産学の幅広い研究が行われている。なかでも十勝牧場は、全国の家畜改良センターで最大の面積を誇る。展望台自体が小高い丘の上にあるが、その上にチョコンと「台」が置かれている。


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 展望台から眺めた然別湖方向の様子。紅葉が始まっているが、低地はまだ先のようだ。


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 同じく展望台から士幌町方向を眺めた様子。眼下にはカシワの自然林が広がる。学部3年生の頃(1996年)に、この森のどこかに、スズランの生態調査に来た事があるのだが、もう場所を全く覚えていない。あのときは調査補助要員として、ただ付いてきただけだったのだ。その後、全国で狂牛病問題など家畜衞生に関する事件があってから、構内の森は一切立入禁止になってしまった。


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 展望台の丘へ登る入口にある「夫婦柏(めおとがしわ)」。日本のカシワが、道を挟んで仲良く並んでいる。名木に指定されている。今年はドングリが不作のようで、帯広の森でもさっぱりだが、このカシワにも実が付いている様子が無かった。


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 構内を流れるペンケチン川。パンケチン川も構内を流れている。緩やかに蛇行する自然河川で、夏にまた来てみたいものである。


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 センターには、古い建物も数多く残っている。これは何の建物かわからないが、まだまだ現役で人が出入りしている。こうした建物を大切に使い続けているのは良いなあと思う。


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 これは何かの倉庫だろうか?木戸がすごいなあ。


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 放牧草地では馬が草を食んでいた。


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 白樺並木と、直交する防風林。広大な草地を走っていると、博士論文の調査で通い詰めた静内町(現新ひだか町)の「北大牧場」や「新冠牧場」を思い出してしまう。牧場長の先生は元気にしているだろうか?

  
  

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2011年10月 7日 (金)

Macintoshの思い出

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 昨日報道された、Apple創始者の一人、スティーブ・ジョブズを追悼するApple社サイト。訃報を聞いて多くのMacユーザーが、彼の育ててきたMacintoshというコンピュータと、自分との出会いを振り返ったのではないだろうか?
 
 
 私とMacとの出会いは、1993年。高校卒業後2年間の社会人生活を経て入学した、江別市の酪農学園大学がその舞台であった。それは住み慣れた出身地である神奈川県横浜市の実家を離れ、北海道でひとり暮らし始めた年であり、私が成人した年でもあった。第二人生の起点の年である。


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 入学したての頃から出入りさせてもらっていた酪農学園大学の農場にある研究室で、当時助手だった先生が使っていたパソコンがMacintoshだった。Windowsも浸透してきていたが、NECのPC98や各種ワープロもまだまだ幅を効かせていた時代。高卒後に就職した官庁では帳簿や帳票類は手書きだったし、あまり触れる機会の無かったコンピュータはやはりPC98だった。なんとなく近づきがたかったパソコンだったが、先生にMacの良さを聞き、操作法を少し教えて貰った。そして研究の手伝いをしながら、Macでデータ入力などをしているうち、自分もMacが欲しいと思うようになった。


Google

 大学の生協で購入した最初のMacはLC630。漢字Talk 7.5だった。クラリスワークスやマックドローを使いまくった。メモリ容量も今とは比べものにならない位、小さかった。やがてNiftyサーブに入ってパソコン通信を始め、フォーラムに参加して情報交換したりした。卒論もLC630で書いた。印刷もAppleのカラースタイルライタ2400で。

 大学院ではiBookを使用。修士論文や博士論文はiBookのお世話になった。クラシック環境がなかなか手放せず、しばらくはそのまま使っていたが、やがてOSXへ移行の時が来た。

 そして今は2006年版のMacBook Proが仕事を支えてくれている。7色リンゴだった頃のMacらしい柔らかさが懐かしいと思う時もあるが、今のMacにもやっぱりMacらしい良さがある。幸い、博物館の世界ではMacが結構メジャーなのも嬉しい。

 偉大な創立者を失ったAppleの将来には不安も多いが、これからの時代こそ、私たちユーザーも含め、世の中の「Macな人たち」全体がAppleの未来を支えていく時代だろう。私の第二人生と共に始まったMacとの暮らし。これからの未来もMacと共に描き続けていくことになるだろう。
  
  

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2011年10月 6日 (木)

新得の旧狩勝線トンネルでヒカリゴケ

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 10月6日の北海道新聞と十勝毎日新聞で報道された、新得町のヒカリゴケ。石勝線が全通する以前の根室本線(滝川〜新得〜根室)が狩勝峠を越える際に使用していた、通称狩勝線の新内トンネルで、昨年の秋に発見されていたもので、この度、蘚苔類が専門である斜里町立知床博物館のU学芸員に同定依頼が来ていたものである。十勝管内ということで、私も同行させて頂いた。近年、十勝管内ではヒカリゴケの発見が相次いでおり、管内の状況把握と今後の同定やモニタリングの為でもある。


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 トンネルに付くと、入口の柵ごしに、なるほど緑色に妖しく光っている石がゴロゴロしている。結構まとまった群落で、その光はやはり美しい。


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 発光している訳ではなく、「原糸体」と云う組織の細胞がレンズ状に光を集めて反射しているものである。そのため、見る角度によって光ったり光らなかったり、光っている部分が変わったりする。


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 近づくと、個体の「葉」が確認できる。この葉の付き方、形状に、ヒカリゴケの特徴がある。


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 トンネル内には湿ったゴロ石がたくさんあり、その表面にへばり付いている。懐中電灯で照らしながら拡大した様子。立ち上がったヒカリゴケの茎葉が見える。ルーペで拡大し、ほぼ間違いないと判断。採集して、新得町役場の方が連絡しておいて下さった、北海道新得高等学校の生物・化学室へ移動。


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 実体顕微鏡で全形を観察して同定ポイントを確認。


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 観察する知床博物館のU学芸員。実は北大植物園での院生時代の先輩。花の咲く植物より隠花植物が大好きという人だが、最近は植物全般どころか粘菌などにも手を伸ばしているらしい。この段階で最終的に「ヒカリゴケで間違いなし」との同定結果が下された。


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 続いて、せっかくなので生物顕微鏡でヒカリゴケの「発光部位」である原糸体を観察。撮影装置が無いので、新聞社の方はカメラを顕微鏡へくっつけて頑張って写す。私も撮ってみた。


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 右上の丸っこいのが、原糸体を構成する細胞。この細胞が真ん丸で、レンズ状に光を集めるので、強い光が中の葉緑体(緑色の物質)に反射して、私たちには鮮やかな蛍光緑に見えるのである。私も含めて、その場に居合わせた役場、新聞社、高校の先生方みんなが感動を共有し、今日の仕事を終えたのであった。


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 ところで、十勝管内でも新得町に立ち止まった事はこれまで無かった(汽車で降りたことはあったが駅周辺にしか行かなかった)。いつも石勝線(新線)から眺めている畜産試験場の広大な草地に一度行ってみたいと思っていたので、午前中に線路近くまで車を走らせる。秋空にススキがなびき、広大な放牧地に馬が一頭、草を食む。


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 キンエノコロが風になびいて、黄金色の波を作る。穂に一粒だけ残った実がシルエットとなる。


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 残り少なくなった花を求めて蟲が彷徨う。十勝管内で二番目に広い面積を有する新得町は狩勝峠・日勝峠の十勝側の入口で、山麓の町である。やはり山に近い所は冬が近い事を実感する。折しも新ソバの収穫後だったので、昼食は二人で蕎麦屋を訪ねた。

  
  

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2011年10月 3日 (月)

愛国駅の展示で危惧されること

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 今日は月曜日で公休日。空気が冷たいが天気は良いので、前から行ってみたいと思っていた愛国駅の様子を見に行った。旧ホームに立つ駅名票。現役当時から使用していたものかもしれないが、フォントが少し異なる気もする。


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 今年の「氷まつり」で大雪像のモデルになった19761。かつては緑ヶ丘公園の児童会館横で保存されていたらしいが、今日来てみたら、児童会館に保存していた頃の写真が駅舎に展示されていた。冬にこの機関車の記事を十勝毎日新聞に執筆したのだが、この写真をお借りすれば良かったなと思った。


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 駅舎の中は広尾線関係の資料が展示されている。ここで目に付いたのが通票閉塞機。音更町の郷土資料室にも1台保存されていたが、中間駅では本来、閉塞区間の真ん中にある訳だから、上り方と下り方の閉塞を扱う為に2台が設置されていた。愛国ではきちんと2台が残っている。


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 閉塞用電話が右側に設置されているから、恐らくこれは2台並んで置かれていた閉塞機の右側に設置されていた方だろう。これは想像だが、駅舎の向きから行って、駅事務室の線路側に設置されていたのならば、この機械は下り方、すなわち広尾側の閉塞区間を扱っていた閉塞機と云うことになる。

 実際には広尾線廃止時点で愛国は1面1線の無人駅だったはずで、運転要員が最後まで残っていたのは隣の大正駅である。室内の展示品を見ても大正駅に関する資料があるので、恐らくこれらの閉塞機も大正駅で使用されていたものではないか?そうなると、この機械は中札内駅との間を連絡していた閉塞機ということになる。


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 こちらはもう1台の閉塞機。閉塞用電話が左に置かれており、上記の閉塞機の左側に設置されていたものだろう。したがって、大正駅と帯広駅を連絡していた閉塞機と推察される。


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 本来、2台の閉塞機は並べて設置されていたはずだが、スペースの関係で今はバラバラに設置されているのは、仕方がないとはいえ、とても残念な事ではある。それ以上に残念なのが・・・。


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 左右それぞれの電鈴部。閉塞機本体の上部にある木箱の上に付いている。閉塞機の操作をする際に、相手駅からの操作で鳴るものなので、上り線下り線それぞれの閉塞機の音を識別できるよう、並べて設置されている閉塞機の電鈴は、それぞれ異なる鐘が付けられていた。当時は3種類の電鈴が存在したはずで、形状から判断すると、左側(写真上)の閉塞機の電鈴は壺形電鈴、右側(写真下)の閉塞機の電鈴は鐘形電鈴だったのではないかと思う。ただ、残念ながら電鈴部本体(鐘の部分)が無くなってしまっていて、知っている人でなければこれが電鈴だったのだという事が見てわからない。管理している市の担当者も紛失に気がついていないのではないか?


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 さらに残念なのが資料展示。右端の2つの丸いのが、「玉」と通称された肝心の通票だ。しかしキャプションが無く、なぜか工具類の中に混ざって展示されてしまっているので、見た人は工具の一部と勘違いするだろう。これこそが通票で、あの閉塞機を操作する肝心要のモノなのだが(ちなみに、展示されている閉塞機は通票サンカクとヨンカクに対応していたが、通票はサンカクとマルだった)。


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 通票と離れた所に展示されているキャリア。通票を入れて運び、乗務員と駅長が受け渡しをする時などに使用するものだが、こちらの方が目立つので、これ自体を「通票(タブレット)」だと思っている人が存在する程、勘違いされやすいものである。


 通票、キャリア、2台の閉塞機と、せっかく3点セットが揃っているのに、展示で有効に活用されておらず、しかも閉塞機の部品は一部紛失してしまっている(さらに閉塞機自体が愛国駅ではなく大正駅のものだという事の説明も無い)。観光目的の施設なのだろうが、歯がゆい思いがしてならない。


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 その他、今回、資料を見ていて気になったのがこれ。「通信革袋」と言って、走行中の列車から線路で作業している保線区員へ、連絡用のメモなどを入れて投げ渡す時のものだ。かつては列車無線などの体制が整っていなかったので、列車で病人が発生した際、通過駅の駅員に救急車の手配などを頼む時にも、皮袋に入れて投げ渡したという話を聞いたことがある。実物を見たのはこれが初めてだった。


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 こちらは貨物列車のサボとも言うべき「荷票」。未使用品が展示されていた。しかし、蛍光灯や外光に永年さらされているので、表面が色あせてきてしまっている。通信革袋にしろ荷票にしろ、展示品はいずれも貴重な鉄道資料だと思うのだが・・・。


 こうした廃駅を利用した「鉄道資料館」なるものは各地に存在するが、資料が貴重な割には保存がぞんざいな場合が多い。きちんと保存されているうちに資料台帳の整備や保存方法の修復などを進める必要があるが、観光部局主体ではそれは困難だろう。やはり学芸員がきちんと保存の為の技術指導をするべきだと思う。計画を立てて今後取り組みたい課題である。
  
  

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2011年10月 2日 (日)

ふるさとの語り部第23号を発行

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 帯広百年記念館では、このたび『ふるさとの語り部』第23号を発行した。『ふるさとの語り部』は、十勝に生きてきた人たちの生き様を、聞き取り調査によって書き留めた証言集。入植や移住の苦労、十勝での暮らしの様子、人間模様など、「公の歴史」に残らないような市井の人々のリアルな「歴史」が刻み込まれているシリーズである。


 第23号は3名の方々の聞き取りと2編の特別寄稿、巻頭フォト「浦幌炭鉱」を収録。今回は、百年記念館でも日頃からお世話になっている方々が採り上げられている。

 販売価格は1000円。百年記念館売店で販売している他、郵送でも購入可能。郵送の場合は送料込みで1冊1080円となる。お申し込みは電話で0155-24-5352まで。

 第22号までの目次は、百年記念館ホームページで公開中。
 http://www.octv.ne.jp/~hyakunen/kataribe-mokuji.htm
  
  

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2011年10月 1日 (土)

帯広の森で野草の見所づくり

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 帯広市都市建設部に「みどりの課」という部署があり、緑ヶ丘公園や帯広の森などの都市公園・都市緑地の管理を担当されている。今日の午後は、このみどりの課主催で、帯広の森の十勝飛行場隣接域の草原地区に、野草の移植を行う観察会「野草の見所づくり」が開催された。一応、講師として呼ばれたのだが、花の時期も終わり、観察ポイントはあまり無い。少し話をしただけで、重点はみんなと一緒に移植作業の方へ。


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 自衛隊の十勝飛行場に隣接する地域の為、この付近は樹木に高さ制限が設けられている。そこで草原地区になっているのだが、オオアワダチソウなどの外来種の繁茂が著しい。そこで、園路の整備などで刈取りされてしまう在来種を、せっかくなので別の場所に移植。移植先を「野草観察路」のような形で整備しようというもの。今日は試しの第一回で、みどりの課の皆さんと市民参加者、百年記念館から私とI学芸員が参加し、作業を実施した。


 移植したのは、クサレダマ、ツリガネニンジン、ナガボノワレモコウ、オミナエシ、ススキ、アヤメ。それに結実していたトモエソウの種子をパラパラと蒔いた。まあ、種組成が混乱しているが、実際にこの場所に生えているものを移植しているので、あとは土壌条件などによって、残るものは残るだろう。但し、あとは今晩、しっかり雨が降ってくれれば根つくと思うのだが、それが心配だ。

 
 

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