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2011年9月

2011年9月29日 (木)

「整理ラベル」を作成したものの…

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 ヒルムシロ科の水草、ササバモの標本。この春に統合で閉校した、旧帯広市立第六中学校の理科室で所蔵されていたもので、第六中学校創立の年、すなわち昭和36年(1961年)に、株式会社内田洋行から購入した教材用植物分類標本だ。ちょうど50年前の標本ということになる。百年記念館へ移管し、これからも標本として活用すると共に、内田洋行さんに協力いただいて、この標本の資料情報などを調査してきた。また、博物館実習生の協力を得て標本を当館の植物標本台帳へ登録。この程、標本管理用に新たに「整理ラベル」を作成した。


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 作製した整理ラベル。これを今日、99枚の標本の台紙へ貼付した。陶芸助手の方にも手の空いている時にお手伝いいただき、なんとか全部へ貼り終えたのだが・・・。「あれ?何かがおかしい・・・」


 そう、昭和36年の標本なのに、採集年代が「1971年頃」。なんと10年計算違い。正しくは「1961年頃」である。がっかり。しかし、重要な事なので、明日はペンでここだけ書き直そう。あーあ。


*標本のオリジナルラベルには、採集月日のみで年の記載が無かった。内田洋行さんへも問い合わせたが、正確な採集年は不明のまま。ただ、標本箱に記されている登録年月日と、当時の製作・納品状況から、納品年頃とした。実際はその前年ではないかと考えているが、正確な事はわからなかった。

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2011年9月28日 (水)

地形を基礎から学び直す本2冊プラス1

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 最近、植物や植生を調べるにあたって、十勝の基本的な地理、特に地形についての基礎的な勉強をしている。なんとなく知っているつもりだった十勝平野の地理。しかし、地理学・地形学の知見に基づいたスタンダードな部分を理解できているかというと、結構危険な部分がある。


 そこで、まずは住み慣れた札幌を舞台にした初歩的な本を、と読んでみたのがこの本『歩こう!札幌の地形と地質』(北海道新聞社)。新しい本ではないのだが、これが結構おもしろい。藻岩山や真駒内など、よく知っている場所が舞台なだけに、なおさらグイグイと入り込んでいける。


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 もうひとつ忘れてはならないのがこちら『札幌の自然を歩く【第3版】』(北海道大学出版会)。実は老舗シリーズ「○○の自然を歩く」の札幌編が今年大改訂されたもので、判型はコンパクトながら厚さは上掲書よりも厚い。こちらも身近な場所を舞台に、地形の見方が丁寧に解説されていて、良書である。『十勝の自然を歩く』もかつて存在したのだが、新版を書く書き手が居ないのだそうである。学芸員同士で出せると楽しいのだが。


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 で、『十勝の自然を歩く』が絶版になっている今日、旧版も参考になるが、こちらの『日本の平野・海岸』(岩波書店)で採り上げられている十勝平野の項目でも勉強。章としては短く、用語がわからない部分もあるが、結構くわしく解説されているので理解しやすい。十勝平野についての、特に扇状地、河岸段丘という側面からの理解がかなり深まった気がする。ただ、この本ももう絶版のはず。

 植生地理学は、地形などの自然環境と植生との関係を追うものだし、これを機会に何となく理解していた地形学的な知識を、きちんと基礎から学び直し、基本理解をしっかり深めておこう。

  
  

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2011年9月26日 (月)

夕張にて

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 今日は24日にシンポジウムで夕張へ行った時の話。シンポは午後に夕張市民会館で行われたのだが、午前中は斜光地区と清水沢地区を路線バスで訪れてみた。


 夕張駅に降り立ち、ブラブラと歩いていると「6丁目」というバス停に辿り着いた。時刻表を見ると10時20分発の「斜光循環」というバスがちょうど来る頃で、ほどなく夕鉄バスがやって来たので、終点まで乗ってみた。初老の運転手氏に折り返しの時刻を聞いてから下車すると、高台にあるバス停の目の前には花畑牧場の工場と見学施設がある。実質的にはここを見学するためのバス停なのだろうが、申し訳ないことに全く興味が無く、背後のススキ草原の斜面をひたすら登る。秋の草原に吹く風が気持ちよい。


 やがてススキ越しに、かつての炭鉱の遺構が見えてきた。いつかあそこまで近づいてみたいのだが。


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 写真は終点の「斜光」に停車中の夕鉄バス新塗色。もうこの色の車輌の方が多い。野幌在住時や、酪農学園大学へ非常勤講師に行く時に乗った。懐かしい。今はどうか知らないが、私が学生の頃は夕鉄バスにはバスカードが無く、金券綴り式の回数券を購入したものだ。このバスで清水沢まで戻ってみる。


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 写真は清水沢駅前の文化堂書店。駅前に、こうした本屋さんが残っているのは、正直驚いた。帯広駅前にも無いぞ。しかも店主は若い方であった。文房具屋を兼ねていて、ちょうど切れかかっていた事務用箋をひとつ購入。


 もうひとつ『夕張学』という地元雑誌を購入。ところが、私の購入した号だけ奥付が無く、刊行年がわからなかったので店主さんに聞くと、電話で問い合わせてくれた。しかしその電話ではわからず、わかる方に電話で問い合わせてくれると言う。汽車の時間があるので良いと言うと「わかったら御連絡しますから電話かメールを教えてください」と。後ほど帰宅すると、きちんとメールで連絡が来ていた。なかなか文化度の高い、頼もしい店主さんであり、書店である。石勝線夕張支線清水沢駅前の文化堂、皆さんもよろしく。


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 これは清水沢駅前の通り風景。旧塗色の夕鉄バスが懐かしい。野幌在住時によく乗ったものだ。バスの前にある「駅前食堂」でラーメンと炒飯のセットを食べたが、醤油ラーメンが美味しかった。横浜に居た頃によく食べていたラーメンに似た味がする。


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 清水沢駅舎。良い雰囲気の駅で、しかも駅前にタクシー乗り場やバス停もある。「駅前」の要素がしっかり詰め込まれている。それにこの駅には、平日の日中だけだが駅員さんが居る。それも委託ではなく社員配置である。


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 清水沢駅の出札窓口と改札口。改札ラッチこそ無いが、自動券売機が無く(かつてあったが撤去されたそうだ)窓口のみ。そして窓口では平日の7:10〜14:00まで、駅員が配置されて切符を売っている。日曜日のブログでも書いたが、特急券も鉄道電話に補充券使用で発券してくれる。昔の国鉄駅そのものである。


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 変わってこちらは終点の夕張駅。清水沢駅と対称的に、これはまた奇抜な駅舎である。駅舎内では観光案内所とイタリアンレストラン(カフェかな?)が併設されている。切符は販売しておらず、この駅舎の向かいにある、巨大なホテルのロビーカウンターが、夕張支線内のみ乗車券を簡易委託で販売している。この簡易委託があまり知られていないらしいのは日曜日に書いたとおり。ぜひ利用して欲しい。


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 午後からは北海道産業考古学会のシンポジウム。鉄道遺産の保存がテーマである。挨拶に立っているのは、北海道産業考古学会会長である酪農学園大学の山田先生。初めてお目にかかった。


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 シンポジウム開催にあたり、歓迎の挨拶を述べた、夕張市の鈴木市長さん。話には聞いていたが、本当に若い市長さんだ。この後のSL館見学まで一緒に来られ、石炭博物館やSL博物館の将来について、参加者から様々な意見を聞いていた。若い人が市長や議員になるのは本当に良い事だと思う。ぜひ頑張って夕張市の再建に立ち向かって行って欲しい。


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 この会場の建物時代が、元々は夕張鉄道の夕張本町駅舎だったのだそうだ。もうひとつの主催者である三菱石炭鉱業大夕張鉄道保存会の奥山会長(写真左)の御案内で、建物一階の元駅施設部分を見学する。元夕張鉄道機関士だった方も駆けつけ(右)、機関士の「正装」で解説をして下さる。


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 現在は閉館しているSL館。石炭博物館の附帯施設だったが、現在の夕張市「石炭博物館条例」では、SL館は対象に含まれて居らず、扱い保留の状態である。ハリボテの巨大なD51が特徴的な建物。


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 扱い保留のまま電源が落とされているので、懐中電灯と差し込む陽の光で見学する。室内には機関車や鉄道備品がびっしり。


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 機関車が傾いているのがわかる。これ以上傾くかどうかが議論になっているらしいが、危険な状態であることは事実であろう。


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 地盤の関係もあるし、枕木が割れてきていて犬釘が浮いている。線路が傾いているのが原因だ。展示スペースと機関車の保存場所を分離するなど、いろいろと検討はされているらしいが、予算的に厳しい現在の夕張市の状況から見て、早急な対応は困難らしい。難しい課題だ。


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 打音検査の実演。音の違いを説明して下さる。こういう解説が経験から出来る人は、どんどん少なくなっている。SL館を活かして語り継いでいって欲しいと切に願うのだが・・・


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 シンポジウムはこの後、3件の大変興味深い講演を聴いた。議論の時間がほとんど無くなってしまい、講演会として終わってしまったのが残念だが、来てみて良かったなと思う。新たに面識を得る事の出来た方々も居り、有意義であった。


 再び夕張駅へ戻り、駅前の屋台で呑んだ後、支線で新夕張へ戻る。せっかく駅前に屋台村などがあるのだが、ほとんどの人は自動車で来てしまう。しかし、汽車の時間を告げると、屋台のおばさんは「じゃあ、ザンギは持って帰るか?」と包んでくれ、会計の順番も先にしてくれたた。


 新夕張では、接続の特急が札幌付近での人身事故の影響で1時間以上の遅れ。待合室で隣に座っていた上りの札幌行きに乗るという男性と歓談する。今日は同期会があって新夕張まで来たが、なんと今は江別市大麻に住んでいるということで、話が盛り上がった(私も以前、大麻泉町に住んでいた事があった)。一方で、元北炭の従業員だった方で、いろいろと苦労された話を聞くことも出来た。


 霧の中を追分からやってきた夕張行き普通列車のキハ40。夕張、不思議な街である。10月10日にツアーで再び訪れる予定だが、またじっくり来てみたい土地である。

  

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2011年9月25日 (日)

おみこしがやって来た

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 帯広神社例大祭は最終日。今日は御輿渡御があり、帯広百年記念館の前で小休止が行われた。


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 百年記念館前の八千代通り。沿道には例大祭の幟が立つ。


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 ここで小休止。御神輿や様々な担ぎ物を一旦下ろしての一休み。


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 馬も一休み。さっそく百年記念館前の芝生で草を食んでいた。


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 先頭を行く萬燈(笛や太鼓の列)に続き、天狗様の「猿田彦」が御神輿を先導する。猿田彦大神(サルタヒコノカミ)は、そのむかし二二ギノミコトが葦原中津国を治めるために天界から地上へ降りる際、その案内役として神様ご一行をお迎えしたと言われる。その故事に由来してか、北海道神宮祭はじめ各地のお祭りで、御神輿の先導役を果たしている。本来は高下駄を履くのだと思うが、なぜか靴?


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 馬も休憩を終えて出発。その前を行く女性は犬も連れて歩く。


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 帯広美術館の下(野草園前)の緑ヶ丘交差点を右折する。右折の関係か、幟を立てた行列が道路の中央を行く姿は、まるで一種のデモ行進のようにも見えてしまう。このあと、緑ヶ丘大通を通って春駒通りへと御神輿の列は続いていた。

  

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夕張支線で切符いろいろ

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 昨日9月24日は、夕張で鉄道遺産保全に関するシンポジウムが開催された。開始は午後だったので、午前中は市内を路線バスで巡ってみた。夕鉄バスに乗るのも久しぶりだ。

 夕張。それは財政破綻の街である。しかも夕張支線は本当のローカル線である。少しでも夕張支線での売り上げ増に貢献したいと思い、帰りの切符はあえて帯広で購入しないで居た。現地で買おうと考えて来たのである。

 夕張駅では、駅前のホテルのロビーで、新夕張までの乗車券を簡易委託で販売している。しかし、夕張駅内の観光案内所の人はそのことを知らず、切符なら清水沢で日中だけ販売していると言う。そちらは初耳だったので、夕鉄バスで清水沢駅へ行ってみると、朝7時から14時まで窓口に人が居て、切符の販売をしていた。
 そこで、帯広までの帰りの乗車券と特急券を購入。すると、出されてきたのは久方ぶりに見る、手書きの出札補充券だった。


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 こちらは新夕張から帯広までの特急券となる、料金専用補充券。発券端末が無いので、希望の列車を告げると、駅員さんが電話で空席照会をする。それを聞き取って、補充券に手書きで列車名や座席名を記入するのである。記入は鉛筆であった。

 補充券の場合、大抵はどこかがゴム印になるものだが、「清水沢駅」の発行駅名表示以外は全て手書きという、いまどき珍しいものである。嬉しいので、帯広駅で下車の際に無効印を押印してもらい、両券ともありがたく頂戴した。


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 シンポジウムは夕張で開催なので、同時に夕張までの乗車券も購入。すると、なんとこちらも補充券で発行された。これには驚きである。少なくとも石勝線(夕張支線)内は常備券片があるだろうと思ったのだが、どうやら全て手書き補充券らしい。発車間際に駆け込んでくる乗客には対応できないのではないかと思ったが、そうした人は少ないのだろうか。

 こちらはその場で入鋏(丸印だが)。清水沢の入鋏印が手元に残り、これは嬉しい。


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 せっかくなので、入場券も購入。かつて「入場漁り(いりばあさり)」と呼ばれた硬券収集も、肝心の硬券が発行されなくなってきたので下火であり、私もしばらくやめていたのだが、やはり常備駅に来たからには購入したくなる。


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 入場券裏面。硬券は、その日最初の発売券の裏面には赤鉛筆などでチェックが付けられる。これは、昨晩の売り上げ枚数をチェックした時の名残である。今回、チェックが無かったということは、私以前に今日、入場券を購入した鉄道ファンが居たということであろう。


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 ちなみに、こちらは夕張駅前のホテルが簡易委託を請け負って販売している、新夕張までの乗車券。ロビーで「切符が買いたい」というと、少々驚いた顔をされると共に「帯広までは売れない。新夕張まで」と教えてくれる。そこで新夕張まで買うことにすると、奥から缶に入った切符を持ってきて、何やら探している。見つかった券にゴム印を押印したり日付を入れてから売ってくれたのだが・・・。

 この乗車券。かなり変わっている。無人駅を示すマルムは良いとしても(発行駅表示はマル簡なのだが?)、まずは発行日に驚愕。平成22年10月8日付である。この日に日付空欄でたくさん発券したものなのだろうが、約一年前だ。いかに簡易委託が知られていないかという事を如実に示している。

 最大の不思議は、ホテルマン氏が押してくれたゴム印。「ゆき/有効期間は片道の2倍」と書かれている。夕張から新夕張まで、350円の乗車券だぜ。券面にも「途中下車前途無効」と書いてあるにも関わらず、これでは「2日間有効」になってしまうではないか?

 なかなか面白いので、この切符は使わず、帰りは夕張から新夕張までの運賃を、車内で精算。この乗車券ももらってきた。いや、今回の夕張行きは、切符のいろいろで楽しめた。


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2011年9月21日 (水)

短大生もアイヌ学習

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 先日の小学生、中学生に続き、今日は短大生もアイヌ学習。アイヌのゲーム「ウコニアシ」で対戦する、先生と学生。


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 帯広大谷短期大学で教職課程を専攻する学生さん達が、帯広百年記念館の見学に来館。常設展示室や特別展と共に、アイヌ民族文化情報センター「リウカ」にも見学にやって来た。社会教育現場である博物館を実際に見ながら、学芸員の話を聞く。


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 サケ皮で作られた靴を見る。素材、造作に感嘆の声があがっていた。将来、彼女たちが教職に就いた際に、博物館をうまく使った授業を展開してくれると嬉しい。

  
  

  


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2011年9月16日 (金)

朝は森の里小学校、夕方はコハ23

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 早朝から緑ヶ丘公園はエゾリスが忙しい。あちらこちらで、オニグルミなどをくわえたエゾリスが走り回っており、道路を横断するから、見ている方が気が気ではない。

 今日は午前中に森の里小学校で総合学習。ビオトープの森でもエゾリスがクルミをくわえて走り回っていた。


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 ケヤマウコギ。花はほぼ終わって、実になってきている。


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 オオウバユリも立派な果実に。

 昨日から市内は不審者騒ぎで警戒態勢に。学校もそうだったが、百年記念館でもロビー周りに職員を配置して警戒する。不審者のせいか、暑いからか、公園内を散策する人の数がまばら。ただ、団体の小学校はやってきた。


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 夕方は、市役所文化課と機友会の許可を得て、大谷高校放送局の生徒さんを、とてっぽ通りの十勝鉄道車両へ案内。放送作品を撮る為の取材。コハ23の内部には、私も初めて入った。

 今晩、これから札幌へ。

  

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2011年9月14日 (水)

中学生もアイヌ学習

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 今日は中学生が来館。2グループ80人ずつ、午前と午後の2手に分かれ、アイヌ財団のDVDを鑑賞した後に常設展示室へ。アイヌについての学習を軸に、郷土のいろいろを学びに来た。


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 常設展示室では、自由見学をしつつ、「しおり」に書かれた設問の回答を探して回っている。課題を設定するのは良いが、設問の内容に若干の疑問あり。せっかくこうした学習シートを作るなら、事前に設問の内容についても、学芸員と打合せした方が良いと思う。「博学連携」を緊密に!


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 中学時代は、進路の事、将来の事をいろいろ夢見ながら真剣に悩む時期。博物館へ来た経験が、この後の生き方に何か良い刺激を与えてくれれば良いと思うが、それに気づくのはずっと後になってから。学校の先生と異なり、学芸員は中学生に何をしてあげられるだろう?と、ふと思った。


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 見学の始めと終わりには、代表さんが挨拶をしに前へ出てくる。学級委員長の挨拶に応じるI学芸員。挨拶の仕方ひとつとっても、時代により変化があって面白い。

 私の中学時代は本当に楽しかった。本当に勉強しない中学生だったが、良い思い出がたくさんある。まだまだ子どもだが、ちょっと大人な中学生。もっと博物館に興味を持ってくれる人が増えると良いなあと思うと同時に、中学生が日頃から来てくれるような博物館づくりを目指さなければいけないんだなと、気を引き締める見学対応の一日であった。

  
  

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小学生がシカ笛づくり

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 小学校のバス見学で、シカ笛づくりが行われた。帯広百年記念館のアイヌ民族文化情報センター「リウカ」で教材を用意しており、ときどき開催しているもので、今日は小学校2クラスが、アイヌに関する学習をする為に来館。2クラスが館内見学と交互に、シカ笛づくりを体験した。


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 元々、アイヌの人たちは木やエゾシカの膀胱の皮などを素材として、シカ笛を製作していた。リウカでは子ども向けに、ハレパネの廃材、スズランテープ、ストロー、セロハンテープを用いて、シカ笛製作を行っている。簡単なものだが、子ども達にとってみては本当に工作。


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 単にセロハンテープを切るだけでも、慣れていない子たちには難しい。全体へ説明した後、順番に子ども達を見て回って、個別に指導や手助けをする学芸調査員S君。


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 完成したシカ笛を鳴らしまくる!室内がエゾシカの警戒音でいっぱいになる。


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 展示室ではU学芸員によるアイヌの人々の暮らしと文化について解説。このあと自由見学となった子ども達は、館内に並ぶ昔の道具や農作物の標本を見て、楽しそうに走り回っていた。何か心に残るものがあったと良いな。

  
  

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2011年9月13日 (火)

昔の教材カタログと標本

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 これらは株式会社内田洋行さんからお借りした、昭和40年代初頭の理科教材カタログ。当館でこの春、廃校となった中学校より移管した教材標本について、資料情報などを確認するために問い合わせ、当時のカタログを送っていただいた。


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 これを見ると、当時の理科教材として、いかに標本が重視されていたかがわかる。植物標本のページを見ると、「植物分類標本」から「羊歯科植物標本」「有毒植物標本」「食虫植物標本」「寄生植物標本」など、さまざまなタイプがズラリと並ぶ。理振に対応しているのも特徴的で、植物分類標本は小中学校用と高校用に分けられている。


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 「春の路傍植物標本」など、フェノロジーに応じた雑草標本や、「高山植物標本」もある。「木材標本」は材鑑のことだろうか?


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 その他、動物標本も充実。昆虫標本では「稲作害虫標本」や「マラリヤ蚊生態標本」なんてのもあるから面白い。カタログを見ていると、当時の教材の様子がわかり、興味深い。

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2011年9月11日 (日)

余市水産博物館で臨港軌道について知る

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 9月8-9日、後志圏の余市町で北海道博物館協会の学芸職員部会が開催された。出張で参加させてもらったので、喜び勇んで余市町へ。昨年10月末まで小樽市総合博物館で働いていたので、久しぶりの後志圏であった。

 7日に札幌入りし、8日は札幌7時15分発の126Mで小樽へ。この列車、小樽勤務時代に通勤で使っていた列車で、車両は今や貴重な711系の6連。この日は後半3両が、最近復元された登場時のあずき色カラーだった。ただ、カメラの調子が悪く、撮影できなかったのが残念である。

 小樽で8時07分発、長万部行き2932Dへ乗換え。キハ150の単行で、車内はかなり混んでいる。通勤客と観光客でいつも混んでいる列車で、小樽在勤時から増結が望ましいなと思っていた。これでは観光客はバスへ離れてしまう。確実に混む列車で、沿線で高校の試合などが開催される日などはもっとひどくなる。早く対策をとって欲しいものである。


 8時32分の定刻に余市へ到着。その足でブラブラと余市町水産博物館を見学に行った。


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 ものすごい坂道を登り切ったところにある水産博物館。これは驚きの坂道で、高齢者の方などは大変だろうと思う。付いてみると、建物から船の舳先が着きだした「歴史民俗資料館」が併設されていて、びっくりした。


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 水産博物館の建つ丘は「モイレ山」と言うらしい。館の玄関を入ると、スタッフが書いた「モイレ山通信」の掲示板があり、おもしろい。こういうの良いなあと思う。


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 「モイレ山通信」の横には館のあらましが。職員の中に「製作・修理担当」という方が居られるらしく感心した。そしてそれ以上に、館の2009年度予算額が書き込まれているのを見てびっくり。年報ではなく、館内にこんな率直な「館のあらまし」が掲出されている博物館は初めてである。しかし、情報公開という面、町民に博物館事業を理解してもらう面では必要なことかもしれない。これも感心、というか感動した。


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 館内は水産関係資料や考古学系資料がたくさん。スポーツ関係の企画展が開催されていて、これも興味深かった。常設展示は率直なところ、少し古すぎるかなあと思う。キャプションやパネルに、もう少し手を入れるだけで、だいぶ印象が異なると思う。予算面で難しいのだろうけれど、「モイレ山通信」のような手作りによる手直しで、かなり変わると思うのだが。

 さて、今回の水産博物館見学での収穫は「余市臨港軌道」。上記の昔の余市の地図を見て存在を知った。そう言えば昔、鉄道ピクトリアルか何かで余市に軌道があった記事を見かけたことがあった。詳しく知りたくなり、館内の若い職員さんに資料が無いかを訪ねると、広報に掲載された記事のコピーや町史を出してきて下さり、しばし閲覧し、メモをとる。

 なお、カメラの調子が悪く、特に色がひどいので、写真はここからモノクロームで。


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 これは翌日の早朝、余市駅の構内を蘭島方の跨線橋から撮影した写真。右手奥に駅本屋があるが、旅客本線の右側に空間があり、貨物側線が存在したことを想像させる。かつては駅前十字街を挟んですぐのニッカウヰスキー余市蒸留所にも引き込み線が入っていたし、臨港軌道も延びていたはずだ。その臨港軌道だが・・・。


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 蘭島方から余市駅構内へ進入する蘭越行き上り1928D。ちょうどキハ40の前あたりに、小さな鉄橋があるのがわかるだろうか?軌道の線路はこの川で函館本線とは逆方向へカーブし、川に沿って国道方向へ。道路に出た後、大川橋で余市川を渡って、港の方角へ走っていたらしい。


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 さらに引いた写真。写真左奥の白い建物の後に川が流れているから、その辺りを目指してカーブしていたのだろうか?すると、真ん中の木あたりの廃線跡あたりが、ちょうど軌道の跡ということになるのかもしれない。まあ、かなり昔に廃止となっている路線なので、痕跡は見つからないだろう。余市町水産博物館にも余市町図書館にも、今は資料がほとんど残っていないそうだが、当時、軌道会社が発行した観光パンフレットが残されていた。

 このパンフレットなど、水産博物館の浅野学芸員がまとめた臨港軌道に関する町の広報紙に掲載された記事を、ホームページからも読むことができる。リンクを貼っておきます。

臨港軌道鉄道の巻(余市町ホームページ。執筆:余市町水産博物館学芸員 浅野敏昭氏)
  
  


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2011年9月10日 (土)

ベニバナゲンノショウコ

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 美術館横の「彫刻の小径」に、紅い花のゲンノショウコが咲いていた。白いゲンノショウコと基本的に同じ種なのだが、花の色違いを重視して区別すると、品種「ベニバナゲンノショウコ」となる。これに対して白い花にも「シロバナゲンノショウコ」という名前が与えられている。


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 実は今日、学名を確認していて初めて知ったのだが(お恥ずかしい限り)、品種区分ではベニバナゲンノショウコの方が基準品種となるそうだ。その学名は

 Geranium thunbergii Siebold ex Lindl. et Paxton f. thunbergii

 たしかに、種形容語と品種名が同じで、自動名なので命名者名が付かない。これに対して、写真手前に写っているシロバナゲンノショウコは

 Geranium thunbergii Siebold ex Lindl. et Paxton f. pallidum (Nakai ex H.Hara) Murata

とされている。シロバナの品種名が先に付けられ、これに対する自動名としてベニバナゲンノショウコの品種学名が生まれ、このような形になったのだろう。

 なんでも、西日本では紅いゲンノショウコが多いそうである。しかし、北海道で私たちが目にするゲンノショウコは圧倒的に白い花の方が多いだろう。なので基準品種がベニバナの方と聞いて、目を疑ってしまった。でも、植物の学名ってときどきこういうのがある気がするなあ。

  
  

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2011年9月 5日 (月)

植物観察会は雨にやられっぱなし

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 9月3日(土)は、博物館講座「緑ヶ丘公園の秋の植物」だった。ところが、事前の天気予報で雨天確実と見られ、半ば諦めて室内での開催を準備していた。


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 そこで室内集合に。ところが、いざ当日の朝になってみると、風は強いものの、明るい青空まで出ているではないか?それならやっぱり外へ出ましょう、と云うことで、室内での簡単な解説の後に公園内へ観察に出てみると・・・。


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 さっきまでの青空はどこへやら。結局、傘をさして歩くハメに。しかも雨はどんどん本降りになる。ツリガネニンジン、エゾヤマハギ、センボンヤリ秋型など、いくつかの植物は観察できたが、予定よりグンと少ない数を見ただけで、早々に館内へ退散。


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 結局、アクリル封入標本などを使って少し解説。


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 大陸系の植物について、ちょうど企画展「十勝の化石」に良い地図があったので、展示会場でも少し説明。予定時間より早いが終了となった。それにしても今回の台風は予想以上に長引いたり、変化が予想できない。右往左往しただけで実りのない観察会で終わってしまった。反省だなあ。

  

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2011年9月 2日 (金)

全国唯一!帯広競馬場軌道を調査しました

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 さて、これは何の運転室だかわかりますか?


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 正解はコレ。帯広競馬場内にある、ばんえい競馬用のソリを運搬するための専用軌道の機関車の運転室なのである。明日と明後日、帯広〜池田間を走るSLとかち号の運行に合わせ、鉄道ファン向けに帯広競馬場のバックヤードツアーを開催。その中で、この軌道の公開試乗会を開催するのだそうで、そこでの解説役を急遽頼まれたのである。前から興味があったので、これ幸いと引き受け、今日は下見に出かけてきた。写真後方でしゃがんでいるのが、案内してくれた帯広競馬場お客さま担当のTさん。


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 機関車は「気動車」と呼ばれ、帯広市内の自動車修理工場が製作したオリジナル。こちらは客席から見えない方の側面。運転室への入口がある。


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 こちらは競馬を観覧する客席側の側面。帯広市の市章が描かれている。窓にはガラスがはめられておらず、開放されている。


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 貨車は6両の固定編成。機関車次位の貨車だけ単独連結で、重りが登載されている。2両目以降、最後尾までの貨車5両は、一応、台車は分かれているようだが、事実上、完全につながっている。


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 編成を最後尾から見たところ。前方に気動車が見える。


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 まるで併用軌道のようだが、線路が路面より下がっており、ソリがスムーズに直接貨車へ乗り込めるよう、線路の両側がホームになっているのだ。


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 こちらは機関庫。というより、編成全体が納まる格納庫だ。天井がとても低い。終端部には特に車止めのようなものは無い。ここで気になる線路幅だが、コンベックスで測ってみると978〜980mm。私は1000mmのメーターゲージだと思っていたのだが、どうも微妙に幅が狭い。こんな中途半端なゲージは初めてである。最初1000mmだったのが、補修を繰り返すうちに狭くなったのだろうか?そんな事あるのかな?


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 一説によると、気動車と貨車の車輪、それにレールは、40年程前に夕張の炭砿軌道から持ってきたものだと言う。どこの軌道かはわからないらしい。そこで線路を調べてみると、レール高、頭部幅、底部幅、継ぎ手の形状から、30キロレールと判明。継ぎ手に刻印があるがよくわからない。後日、こすりだしをしてみよう。


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 機関車次位の車輪のひとつ。車軸の側面に星形の刻印が見える。この刻印は・・・かつて真谷地炭鉱鉄道を保有していた「北炭」のマークではあるまいか?ということは、夕張の北炭系路線からやって来た車輪なのかな?

 興味は尽きないのだが、今日は天候が悪く、調査中に激しい雨が降ってきた。案内してくれたTさんも来客の用があるため、今日のところはこれで失礼することに。明日はバックヤードツアーでお客さんを案内しがてら、調査は継続ということにしたいと思う。

 それにしても、ばんえい競馬を円滑に運営するための専用軌道。まさしく産業遺産であり、レールマガジン的には、まさしくトワイライトゾーンな軌道である。調査結果がまとまったら文章化して、どこかの雑誌で報告する予定だ。

  

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2011年9月 1日 (木)

南北線の最終バスを見届ける

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 昨日、8月31日限りで、帯広市の実験運行バス路線「南北線」が廃止となった。個人的にも身近な路線で買い物などでお世話になっていただけに、廃止はとても寂しい。帯広市の路線バス史の記録ということもあり、写真を撮りつつ最終バスを見送りに行った。


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 この路線は、柏林台の「国立病院前」から、真直に南下して常盤通を左折し、八千代線で右折して美術館や動物園の前を通過。緑ヶ丘公園の南端のアンダーパス(公南弥生トンネル)をくぐって、西12条の通りを南下。稲田橋を渡って、稲田の「イトーヨーカ堂」が終点だった。写真は、19時15分発の国立病院前行き最終バス7便が、イトーヨーカ堂停留所で発車を待っているところ。


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 最終の乗客は3名の模様。折り返しの下り7便に乗ってきたバスファンと思われる方が、いったん下車して停留所などの写真を撮影していた。


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 実験運行は、北海道拓殖バスと十勝バスの共同運行だった。ダイヤ的には、午前中の便が拓殖バス、午後の便が十勝バスという住み分けだった。最終バスの十勝バスはオレンジ色のラインが入った旧塗色車だった。


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 写真は今年3月28日に撮影した、「常盤通6丁目」〜「美術館前」を走行中の拓殖バス、下り3便。電光掲示ではなく幕式の方向幕もきちんと用意されていた。この時は、まさか夏でこの路線が廃止になるとは思っていなかったのだが。


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 19時15分に発車した最終バスは、途中、美術館前で下車があった他は乗降は無く、淡々とダイヤ通りに運行。西18条2丁目を通過したあたりから霧雨が降り出した中を、定刻19時44分に、終点の「国立病院前」へ到着した。

 バスファンの方から声をかけられ、短いクラクションで挨拶をしながら発車したバスは、方向幕の電光掲示を消灯。2年間の運行に終止符を打った。バスが走り去った後の「国立病院前」停留所。青い標識が実験運行を示す。今後、北海道拓殖バスの手によって撤去される予定。今日、9月1日の午前中は、まだ停留所が残っていたが、恐らく今日中に撤去されたのではないか?帰宅時に確認してみよう。

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