線路跡の調査で自衛隊帯広駐屯地の中へ
8月4日のブログで御紹介した、旧帯広第一飛行場への軍用線跡の調査。今日は、この終点にあたる自衛隊帯広駐屯地の現状を調べるため、許可を頂き駐屯地内へ入ってきた。相変わらずの雨の中で(しかも外を歩いているときだけ雨)、広報幹部の方にずっとご同行いただいて居るのが誠に申し訳ない。しかも写真はご覧のとおりひどい有様だが、再訪問する予定なので、今回絞ったポイントをあらためて撮影に行こう。
特別な敷地内なので細かくはまだ公開できないが1枚だけ。広報幹部の方も、こちらから送付した写真や地図をもとにあらかじめ場所を調べておいて下さっており、二人で相談しながら当時の終点の位置を推定。おそらくここだろうというのが上記の地点である。現在は資材置き場のようなプレハブが建っているが、当時はここに貨物ホームがあったらしい。右側が土手になっていて道路があり、最初は土手上が線路だったのでは?と推察したが、この後に駐屯地内の資料館で昔の図面を見て確認したところ、この低地の広場が終点ではないか?という結論に達した。
これは駐屯地の外。外から駐屯地へ入る地点は、現在、信号になっており、手前の横断歩道あたりを線路が左から右(駐屯地側)へと通っていたと思われる。
こちらは同じ信号の駐屯地側。横断歩道部分を通って右の樹木のあたりからまっすぐ駐屯地へ入っている。この奥は、既に使われていない旧官舎群が建っている。
近くにあるスーパーダイイチやホーマックの駐車場から、上記の信号周辺を俯瞰したところ。左側が駐屯地で、信号がある。右側が緑ヶ丘公園方向。水色の線が旧線路跡と思われる位置。この辺りは実はかなり高い段丘で、急勾配に弱い鉄道線路は、道路に比べて緩やかに上昇しているのが、手前の道路(赤線)の勾配との比較からよくわかる。
今日の調査で、終点の位置はほぼ特定できた。あとは写真や、路線設置・廃止の正確な年月日を探している。幸い、今日は文書資料からもひとつ収穫があった。それは、昭和26年当時、線路は存在するものの、既に使用停止状態にあった記述が見つかったことだ。この頃は国鉄釧路工機部帯広分工場が存在したらしいので、むしろ自衛隊には資料があまり残っていないのかも知れない。JR北海道へも問い合わせてみよう。引き続き、調査をすると共に、近日、調査結果をきちんとしたレポートにまとめる予定。
〔参考〕8月4日付ブログ記事
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