« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月

2011年8月26日 (金)

博物館実習が終了

4468

 10日間の博物館実習が終了した。今日は午前中に植物標本のマウントを実施。19日に緑ヶ丘公園内で採集した自分たちの植物標本を、ラベルを作製して台紙に貼る。学名の書き方、ラベル作製の為のインクや紙などの素材、貼付の際の留意点を実習した上で、地域博物館における植物標本の収蔵法について簡単に解説し、最後に標本の利活用について話した。


 午後は小学校の団体見学が入っていたので展示解説。実習生も後ろから解説を見学した。今日は団体来館が多く、しかも時間が重なっていて、微妙に常設展示室で団体同士がかぶってしまう。うまくこれを避けながらの展示解説が終わると、急に館内が静かに。


 その後、実習生は指導学芸員と館長を交えた反省会をして終了。実習日誌を書いた後も、5名の実習生はなかなか帰らない。道内3校、東北1校から来た実習生は、すっかりお互い仲良くなれたようだ。閉館時刻を過ぎて最後に事務室へ挨拶に来た3名は、口々に「良い経験となった」と話していた。少しは実習として実りのあることができただろうか?と安堵する。
 

-----------------------------------------------------------------------------------

  
 毎年のことだが、博物館実習生を指導していると、自分の実習の頃を思い出す。幌加内町農業研究センターで臨時研究助手をしていた頃、玉川大学文学部教育学科の通信教育課程で学芸員資格を勉強していた私は、夏に休暇を頂き、横浜の実家を足がかりとして、東京都町田市にある玉川大学教育博物館へ博物館実習に行った。玉川大の通教生の実習先は、この教育博物館と決まっていたのだ。


 当時、私は植物担当の学芸員になりたいから、自然史系の博物館へ実習に行きたいと思っていた。玉川大学は附属の教育博物館しか実習が認められないと知り、内心不満に思っていた。ところが、いざ実習に行ってみて感じたことは、「自分の専門以外の博物館で実習する方が良い経験になる」ということだった。


 考えてみれば当然である。なぜなら、自分の専門に関する資料の取り扱い方法などは、博物館実習以前に自分自身が日頃の大学生活で身につけるべきことだからである。自然史資料の展示などについても学ぶ気があればいくらでも自分の大学周辺の環境で学ぶことができる。


 しかし、専門外の実習は大学にいてもまず学ぶ機会が無い。あったとしても、どうやって門を叩いたら良いのかのキッカケがわからない。そこへ行くと博物館実習でカリキュラムの一環として古文書修復や絵画の展示、保存科学の器具測定や写真撮影などを経験できるのは、またとない機会なのである。


 そして、一度博物館実習で体験すると、後々、必要なときに記憶が甦ってくる。もちろん全部は思い出せない。しかし、キーワードのような手掛かりが頭に浮かんでくるようになる。それを頼りに、専門的な文献を見たり問い合わせをしたりすることが出来る。必要なら、教育博物館へ相談の電話をしても良い(この博物館は実際、資格取得後の通教生の為に、常に相談にのってくれる)。誠に頼りになり、後々になって実になる実習が博物館実習なのである。
 
 
 
 こうした事を振り返った上で、今の博物館実習を思い返してみる。あのとき、自分が抱いた感動のようなものを、自分の指導した実習生たちは味わうことができただろうか?カリキュラムで欠けていたものが無かっただろうか?と自問する。いつになっても、学生たちを指導するのは楽しい。特に、「学芸員になりたい!」という明確な意思を持つ学生、「学芸員や博物館に興味がある」とやってくる学生には、勝手ながら我が事のような愛着を抱いてしまう。


 必要以上の感情移入は教育にとって逆効果だが、自分の経験を振り返ってみても、学芸員課程の教育を担当する者としても、学芸員を志そうという学生には真剣にその手助けをしたいと思うし、少しでも充実した実習で良い経験をしていって欲しいという気持ちを強く持ってしまうものだ。


  今、学芸員への道は本当に厳しい。かつてのように正規職員での公募よりも非正規雇用としての公募が増えている現状では、人生設計の観点からも、安易に勧められる道でもない。その点を踏まえ、実習では実技だけでなく、学芸員採用試験の現状や雇用の実態などにも触れるように努めてきた。


 実習日誌にコメントを書きながら、自分の実習指導を振り返り、反省点を探す。反省点を活かして、次はさらに良い実習ができるように努力したい。少なくとも、その気持ちだけは大切に持ち続けて行きたいものである。
 
 
  
 実習生の皆さん、10日間の実習おつかれさまでした。そして今この時期、全国の博物館で同じように実習に励んでいる博物館実習生の皆さんにも。実習が終わって再び各大学へ戻ったら、次は卒業論文の為に頑張って下さい。卒論をきちんと仕上げること。これが学芸員を目指す第一歩です。
  
  
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月25日 (木)

博物館実習、環境教育編

2011825_12

 森の里小学校の総合学習。今日は雨天の為、図書室で調べ物学習となった。博物館実習生も参加し、博学連携による環境教育について見学してもらう。


2011825_06

 実際にはやっている我々も先生方も、まさに手探りで「やってみながら、試行錯誤」の状態。しかし試行錯誤の現場を実際に見て貰い、しかも子ども達の中に入って貰うことで、博物館と学校教育との関係や、環境教育の実際に少しでも触れてもらえると、学生達の中に得るものが生まれると思う。


2011825_11

 子ども達と共に、図鑑で葉の形から名前を調べる。


2011825_28

 学校ビオトープも見学。ビオトープとは何か?地域でビオトープを作り、学校教育の教材として取り込んでいくことの課題などについて話を聞く。


2011825_32

 帰りは「おびひろの森」にある、森づくり拠点でもありビジターセンターでもある、「はぐくーむ」へも立ち寄る。実習生の中には畜大生と酪農学園生がいるが、はぐくーむにもその先輩が働いている。おびひろの森における「はぐくーむ」の取り組みや彼女達の仕事について見学。指定管理者制度が導入されていることにも少しだけ触れた。

 博物館実習も残りあと1日。実習生達の心に少しは響く実習となっただろうか?実習を指導する博物館に問われていることでもある。

※今日の写真は、博物館実習生のYさんが撮影しました。
  
    

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月24日 (水)

機友会の保存機関車清掃にお邪魔しました

42_2

 元国鉄の蒸気機関車機関士さん達で作る「機友会」は、春から秋までの毎月1回、愛国にある9600形と、とてっぽ通りにある十勝鉄道(十鉄=じゅってつ)の4号機関車の清掃管理を、帯広市から委託されている。そこで今回、機友会さんの清掃活動日にお邪魔し、4号機関車の中を調査させていただいた。


03

 ふだんは南京錠がかけられている運転台の鍵を解錠。


04

 はめこまれている板窓を開ける。カパッと外すのかと思ったら、ちゃんと横にスライドする仕掛けになっていた。


05

 窓を開けてから運転台への扉を開ける。


06_2

 扉の開いた運転台の入口から機関室を覗いたところ。カマの口が開いているのがわかる。


13

 ホコリだらけだが、バルブ類は固定されておらず、きちんと回る。


14

 普段は閉じている天窓も・・・


15_2

 きちんと開く。天窓から、展示台の屋根が見える。


17_2

 カマの中。カマ口の直径は33cm。奥行きは79cmあった。中には清掃作業用の布きれが。


28

 カマの蓋を閉めたところ。カマの蓋を閉めると、運転台の前後幅は80cmとなる。車体幅側が170cmだから、前後も左右も狭い。本当に小さな機関車だ。


23

 手ブレーキ。今回、運転台内部の表示や刻印を探したが、残念ながらそれらしきものは全く見当たらなかった。バルブ類にいくつか製造メーカーの刻印があるのみだった。


01

 退職後の現在は、機関士時代のボイラー資格を活かし、なんと帯広美術館でボイラーを担当しているという機友会のIさん。他にも皆さん、いろいろな仕事をされている方も居られるが、月1回の機関車清掃など、この機友会のメンバーで時折集まっては昔の話をするのを楽しみにしていると言う。今日の話の中にも、蒸機のカマタキだった事への誇りが垣間見え、皆さん、活き活きと清掃作業に従事されていた。また来月もお邪魔し、今度は後の客車コハの中を見せて貰うことにした。


 午後は再び植物標本の大整理。科別に仕分ける作業を夜まで淡々とこなす。かなりの分量が終わったが、カバーの不足しているものを作ったり、残りの箱を開けるとなると、明日の午後だけでは終わらないだろうなあ。

 また、午後には北大総合博物館時代の同僚のFさんがお母さんと共に来館。あいにく今回はゆっくり呑むことができなかったが、今度札幌へ出たときにはぜひ呑みましょうと約束。友達が訪ねてきてくれるのは楽しいものである。

  
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月23日 (火)

線路跡の調査で自衛隊帯広駐屯地の中へ

4269_2

 8月4日のブログで御紹介した、旧帯広第一飛行場への軍用線跡の調査。今日は、この終点にあたる自衛隊帯広駐屯地の現状を調べるため、許可を頂き駐屯地内へ入ってきた。相変わらずの雨の中で(しかも外を歩いているときだけ雨)、広報幹部の方にずっとご同行いただいて居るのが誠に申し訳ない。しかも写真はご覧のとおりひどい有様だが、再訪問する予定なので、今回絞ったポイントをあらためて撮影に行こう。

 特別な敷地内なので細かくはまだ公開できないが1枚だけ。広報幹部の方も、こちらから送付した写真や地図をもとにあらかじめ場所を調べておいて下さっており、二人で相談しながら当時の終点の位置を推定。おそらくここだろうというのが上記の地点である。現在は資材置き場のようなプレハブが建っているが、当時はここに貨物ホームがあったらしい。右側が土手になっていて道路があり、最初は土手上が線路だったのでは?と推察したが、この後に駐屯地内の資料館で昔の図面を見て確認したところ、この低地の広場が終点ではないか?という結論に達した。


145

 これは駐屯地の外。外から駐屯地へ入る地点は、現在、信号になっており、手前の横断歩道あたりを線路が左から右(駐屯地側)へと通っていたと思われる。


147

 こちらは同じ信号の駐屯地側。横断歩道部分を通って右の樹木のあたりからまっすぐ駐屯地へ入っている。この奥は、既に使われていない旧官舎群が建っている。


Photo

 近くにあるスーパーダイイチやホーマックの駐車場から、上記の信号周辺を俯瞰したところ。左側が駐屯地で、信号がある。右側が緑ヶ丘公園方向。水色の線が旧線路跡と思われる位置。この辺りは実はかなり高い段丘で、急勾配に弱い鉄道線路は、道路に比べて緩やかに上昇しているのが、手前の道路(赤線)の勾配との比較からよくわかる。

 今日の調査で、終点の位置はほぼ特定できた。あとは写真や、路線設置・廃止の正確な年月日を探している。幸い、今日は文書資料からもひとつ収穫があった。それは、昭和26年当時、線路は存在するものの、既に使用停止状態にあった記述が見つかったことだ。この頃は国鉄釧路工機部帯広分工場が存在したらしいので、むしろ自衛隊には資料があまり残っていないのかも知れない。JR北海道へも問い合わせてみよう。引き続き、調査をすると共に、近日、調査結果をきちんとしたレポートにまとめる予定。

〔参考〕8月4日付ブログ記事
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月22日 (月)

路線バス実験路線「南北線」の廃止

06_3

 現在、百年記念館・美術館および動物園の前を通る、通称「八千代通り」には、定期路線バスが走っていない。しかし、緑ヶ丘交差点から動物園方向へ向かっては、平成21年9月から、西帯広の国立病院前から、稲田のイトーヨーカ堂との間で、十勝バス・拓殖バス共同運行の実験線「南北線」が運行している。


01

 ところがこの南北線が、来たる8月31日、つまり今月末をもって廃止されることになった。詳しくは帯広市地域公共交通活性化協議会の議事録(7月25日会議録)が公開されているので、そちらをご覧いただきたい。今、南北線の全バス停には、路線廃止を告げる張り紙が張り出されている。

http://www.city.obihiro.hokkaido.jp/mpsdata/web/2883/110727-gijiroku-k.pdf


21

 ウツベツ川を渡り八千代通の野草園横に設けられた「美術館前」バス停を通過する、イトーヨカー堂初国立病院行きの十勝バス。議事録にもある通り、利用成績が悪く、一般定期路線として維持するには不可能な数値だった言う。個人的には、稲田にあるイトーヨカー堂やホーマック、ニトリなどの大型量販店へ買い物へ行くのに便利な路線で、かなり使わせて貰った。だから無くなると大変不便なのであるが、議事録によれば廃止によって一般利用者が不便になることは無いとのことだそうである。確かに、いつも乗客数は数えるほどしかなかった。

 利用低迷の原因は路線にあるのか?PR不足にあるのか?それ以外にも原因があると思うが、クルマ社会化している帯広で路線バスの維持や新規路線開拓をしていくことが如何に困難かを物語っている。ちなみに、もうひとつの実験路線であった「西地区縦循環バス」については、十勝バスが実験終了後も運行を継続すると言う。こちらは一定の成果があったのだろう。ということは、南北線の路線設定に問題があったのだろうか?

 個人的な意見だが、この路線設定に特に問題があるとは思えない。強いていてば、1日の本数が少なくて利用しづらいことである。日中にダイヤが偏っていて、早朝・夜間の設定が無い。こうしたダイヤの工夫も実験できないものかと思う。

 さらに言えるのが、帯広駅などのターミナルを通らない、中心地迂回型の路線であり、乗り継ぎ割引などの設定が無いことも、利用不振につながるのではないかと思う。しかし、いずれにしても、確立してしまっているマイカー都市では抜本的な解決にはならないだろう。

 では路線バスは不要なのか?帯広市の場合、むしろ高齢化社会の到来と反比例した郊外の膨張に対して、公共交通の確保は深刻な課題となるはずである。そもそも、稲田にあんな大きなショッピングセンターを作ったり、大空団地などを造成してしまっている以上、都心部と郊外を結ぶきめ細かな路線バス網の確立は、今後ぜったいに必要になるだろう。折しも駅前中心地の空洞化が問題となっている帯広市だが、路線バス問題も中心地空洞化も、地方都市帯広の都市計画上の問題であり、この計画の内容にそもそも無理があるのではないかと思っているのだが。

  
  


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月21日 (日)

企画展「とかちの化石」はじまりました


Kikakutena

 いよいよ、帯広百年記念館この夏の企画展「とかちの化石」が始まった。足寄動物化石博物館から全面的に資料をお借りして、十勝に由来の化石を公開。写真はアショロアの発掘現場における産出の様子を復元した模型。帯広で化石が見られる機会は少ないので、化石に興味のある方の多数の来館をお待ちしています。期間は9月25日(日)まで。入場無料です!


33_2

 夏休みは終わったものの、やはり化石は子ども達に人気らしく、初日から多数の来館者があった。手前左の大きな2つの頭蓋骨は、ナンマンゾウ。オス・メス両方のナウマンゾウ頭骨が並んで展示されるのは、実はこれが本邦初公開らしい!


28

 化石をもとに再現された模型が並ぶ。化石は年代順に配列され、産出された場所が十勝のどこにあるかが地図で示されている。「古十勝湾」と呼ばれる、まだ十勝平野が海だった時代を示す、興味深い古生物資料が並んでいる。


30

 こちらは参考出品されている「ウラホロシンカイヒバリガイ」。十勝で記載されたもの。


10

 午後は体験教室「化石のはっくつミニ体験」を開催。埋め込まれている化石を丁寧に掘り出すもの。


06

 これがまた子ども達に大好評で、一時は順番待ちの列ができたほど。今日だけしか開催しないのが、少しもったいない気がする。


15

 体験教室は、足寄動物化石博物館で博物館実習中の大学生お二人が担当した。


4108_2

 こちらは前日の21日、最後の仕上げに追われる特別展示室。収蔵資料を活用する、もっとも身近な博物館活動が展示、なかでも企画展示は花形イベントだ。今回の展示には十勝館内博物館学芸職員等協議会も協力しているが、足寄動物化石博物館はじめ、十勝の博物館資料を知っていただく良い機会のひとつである。多くの方々に足を運んでいただき、十勝の博物館資料をご覧頂きたいと思う。

  
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月19日 (金)

博物館実習は植物標本の大整理で

Img_6390_2

 今日の博物館実習は、丸一日が私の担当。そこで、植物標本の大整理を実施した。この作業、一気に多数の人手を使って実施する必要があるので、博物館実習の日を待ち望んでいた。


Img_6379

 帯広百年記念館には標本庫というものはなく、収蔵庫の中に自然史も歴史も生活文化資料も、共に収納している。植物標本は整理番号順に、上の写真のような段ボール箱へ収められており、必要な植物を目録から探して、それぞれの箱から取り出して利用する。

 この方法だと、必要な種の標本を複数並べて観察することがやりづらく、目録で番号を確認してからの検索になるので、利用しづらいことは否めない。反面、分類が関係なく登録順に機械的に配していけるため、植物学的な知識が無くても収納作業そのものは進められる(但し、目録へ種名を登録しないと検索できないので、同定済み標本以外は未同定のまま登録されることになる)。


Img_6374_2

 今回、私が着任したことで、登録済みの標本に限ってこの箱から取り出し、科別にカバーに包んで収納する方式に変更することにした。


Img_6381

 机の上に、科別に標本を積んでいく。


Img_6383_2

 あとは、力を合わせて、どんどん配架する。


Img_6385_2

場所が足りなくて床にも。数の多い科は、最初から箱に入れた。


Img_6382

 ジーナスカバーを「ファミリーカバー」として使う。図鑑で科の学名を調べながら、カバー用紙に科の学名・和名を書き込んでいく。


Img_6375_2

 キク科、カヤツリグサ科、イネ科などはたちまち山になる。箱にしてもすぐ埋まり、2箱目に。


Img_6388_4

 慣れてくると配架も早くなってきた。科の五十音順に置いていったため、作業に慣れてくると、場所が身についてくるからだろう。それでも、用意した標本箱全部までは到達せず、半分くらい。収蔵庫にまだ残っているから、3分の1くらいが仕分けできたことになろう。帯広畜産大、酪農学園大、東北芸術工科大、武蔵女子短大から来た実習生のみんなは植物が専門ではないが、整理作業に興味を持って取り組んでくれたおかげで、飛躍的に作業が進んだ。おつかれさま。


Img_6387_2

 いっぽう、こちらは旧第六中学校から移管された標本の登録作業。ナンバリングで登録番号を打記しながら、標本ラベルの情報をリストに書き写していく。一人孤独な作業だが、淡々と着実に登録してくれたおかげで、リストが完成した。こちらもおつかれさまでした。

  
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月18日 (木)

化石搬入で展示準備、十勝植物誌の標本について回答が・・・

2011818_17_2

 今日は午前中に足寄動物化石博物館から、トラックに載った大型化石が到着し、搬入。みんなで力を合わせ、慎重に特別展示室へ運び、並べてみる。


2011818_04

 設営には博物館実習中の学生も活躍。資料の取り扱いや展示の方法を学ぶ。


2011818_09

 資料の貸し方である、足寄動物化石博物館のS館長の指示でデスモスチルスを組み立てる。大物の搬入は今日で終わり、あとは明日、細かい資料が搬入されてきて設営される。土曜日に微調整をして日曜日からオープンだ。こんな簡単に作業が進んで良いのかな〜?と不安がよぎるが・・・さてどうなるか?


 午後は横山春男著『十勝植物誌』の証拠標本が一部保管されていると考え、先日から問い合わせをしていた北海道立池田高等学校の先生から電話。結論から言うと無し。ただ、電話に出られた理科の先生は丁寧に調べてくださったようで、昔の事を知っている教員の方々に電話で問い合わせて下さっていた。

 話を総合すると、池田高校は昭和40年代と昭和60年代で校舎を移転。昭和60年代の移転時に在籍されていた先生の記憶では、当時既に標本は無かったと言う。

 さらに、昭和40年以前に火事があり、体育館を残して校舎が全焼したという事件が起きていた事もわかった。恐らく当時、標本も消失したのではないか?と推察される。現に、植物標本以外でも、かつての池田高等女学校時代の資料が現在の池田高校には全くと言って良い程に残っていないそうなのだ。


 丁重に御礼を述べて電話を終了。ひょっとして、校舎移転時に地元の郷土資料館へ預けたりしていないかとも思ったのだが、どうも可能性は無さそう。ただ、浦幌に分校があった時代があることから、だめもとで浦幌町立博物館に電話をしてみた。すると・・・

「植物標本あります。かなり古いもので、学校の教員をされていた方が採集されたようなのですが、結構な量があります・・・」

 とのこと。思わぬ情報にびっくり。まさか十勝植物誌の標本ではないと思うが、年代が古く、学校の先生をされていた方の標本というのが気になるところである。後日、標本調査をさせていただく事をお伝えし、それまでに採集年代と採集者のお名前を確認しておいてくれるようにお願いした。「後日」をいつにするかだが、近いうちに眠っている標本の確認に行ってみたい。


  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月16日 (火)

企画展の設営が本格化、博物館実習も始まる

2011816_22_2

 帯広百年記念館では、21日(日)から9月25日(日)まで、企画展「とかちの化石」を開催。その設営が本格化し、特別展示室に足寄動物化石博物館からの第一弾資料が搬入された。これから大物を続々と搬入。21日からの公開へ向けて、着々と準備が進められる。


2011816_16_2

 展示設営の大きな力となるのが、博物館実習生の学生たち。学芸員の資格を得るための実習で、今回は道内各地の大学・短大から5名が参加している。たまたま全員女学生だが、展示ケースや展示台の移動・設営など、初日から早くも力仕事に従事。学芸員が体力勝負の世界でもあることを実感したろう。


2011816_08

 こちらは展示ケースへの布張り。きれいに見せるため、資料と展示台の双方にキズを付けないため、などの目的がある。箱への布張りひとつでも、少し気をつけるだけで見た目も長持ちも変わってくる。自分が実習生だった頃、また大学院時代に北大博物館で展示を手伝っていた頃、もっとも勉強になったのは、実はこうした「ちょっとした作業」だったような気がする。何気ない作業に、博物館が資料を扱う上での重要なポイントがあったりする。


2011816_24

 実習生の活躍と共に、足寄動物化石博物館のS館長が、資料の設営などを指示。さらに大物の搬入は後日行われる。こうして着々と展示室が出来上がっていく。

 企画展「とかちの化石」は21日(日)から。入場無料。

  


| | コメント (0) | トラックバック (0)

中札内でキキョウ

Photo_2

 北海道にもキキョウが自生しているという話はずっと前から聞いていたのだが、まだ野外で生育しているところを見たことがなかった。しかし8月14日、中札内村にある六花亭の「中札内美術村」で、構内の森で花を付けているキキョウを見ることができた。これが自生個体なのか、森を整備するときに導入したものかはわからないが、キキョウそのものを久しぶりに見て、とても嬉しい。


Photo_3

 路傍にはカワラナデシコも。この他、ススキやオミナエシ、エゾヤマハギ、フタバハギ、ヨツバヒヨドリなども咲いており、クズが加われば「秋の七草」になる。


Photo_4

 一方、こちらは外来種。シソ科ヤグルマハッカ属の一種で、散策路沿いにまとまっていたので植え込んだものかもしれない。仲間のタイマツバナが道内数カ所で野生化していることが確認されている。


Photo_5

 さて、六花亭と言えば坂本直行氏による花のイラストをあしらった包装紙が有名。この花柄包装紙が50周年だそうで、館内の壁一面をこの包装紙で彩った企画展を開催中である。


T

 さらに表では、無数のTシャツがはためく展示が。公募された図柄がプリントされているのだが、背中側は真っ白。この真っ白なTシャツが、洗濯物よろしく風にはためく姿は圧巻であり、爽快である。

 中札内美術村。なかなかすがすがしくて良いところだ。
 http://www.rokkatei.co.jp/facilities/index.html

Photo_6

 ところで、いまだ自家用車を持たない私は、客人と共に帯広駅前から路線バスで行った。中札内美術村へは、往復の十勝バス乗車券、美術村から中札内までの区間フリーパス(美術村と道の駅周辺との間を行ったり来たりできる)、美術村入館券、美術村内食堂のコーヒー券がセットとなった「中札内美術村バスパック」がある。


Buspack2011

 これが割引率も高く、とてもお得な切符なのだが、残念なことに知名度がものすごく低い(実は帯広百年記念館へのセット券もあるのだが、私自身が存在を知らなかった)。実際、私たちの他に乗っていた観光客は、この切符ではなく普通にお金を払って乗っていた。降りる際の両替で時間もかかるし、割引なのだから、この切符の存在を知っていれば使ったと思われる。もっと宣伝に工夫が必要だ。

 という訳で勝手に宣伝します。十勝バスの「日帰りバスパックシリーズ」。路線バスを振興しよう!
http://www.tokachibus.jp/?p=364


  
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月12日 (金)

秋の植物が次々と

Photo

 シラヤマギク(左)とヒヨドリバナ(右)。いずれもキク科の、秋の植物である。お盆を前に、ここ帯広市緑ヶ丘公園にも、秋の植物が次々と開花を迎えている。


Photo_2

 卵形の葉に真っ白い花を咲かせるシラヤマギクは、草原や林縁に咲くキクの仲間。いかにも野菊の仲間と云った風情のある花である。


Photo_3

 児童会館から十勝池へと下る坂道の端に、スラリとした草姿に白い花を載せて、たくさんの株が風に揺れていた。


Photo_4

 シラヤマギクに紛れるように、こちらも背の高い草姿に白い花房を載せたヒヨドリバナ。仲間のヨツバヒヨドリと異なり、一段ずつ向きを変えての対生の葉を延ばしながら直立する。フジバカマのような花は、北海道版秋の七草に使える。


Photo_5

 そのヒヨドリバナに集まるヒョウモンチョウの仲間。時折、仲間のチョウやアブがやってきては、場所の取り合いをしていた。


Photo_6

 斜面の上からはウドの花。大きな複葉と、いかにも「ウドです」と云った、ウコギ科特有の花序が伸びている。


Photo_7

 キンミズヒキは既に果実になっている個体も見られたが、これはこれからの個体。金色の糸を引くような花序の先端から、半透明のクモの糸が伸びていた。


Photo_8

 エゾヤマハギ。林縁に咲く低木で、草原性植物ともよく混生する。日本の秋を彩るピンクの花が愛らしく風に揺れている。


Photo_9

 こうして並んでいると日本の植物になってしまったような錯覚を覚えることもある、オオハンゴンソウの黄色い花。こちらも少し前から盛んに開花している夏の花。外来生物として駆除の対象となっているが、これを全滅させるのは困難な事業であろう。


 昨日に比べると幾分か穏やかになった気温、なんとなくうら寂しげな夕方の太陽と風の雰囲気に、そこはかとなく夏が暮れていくのを感じる。学校の夏休みはあと1週間。明日は十勝川の花火大会と、まだまだ人間の世界は夏本番中だが、植物は確実に秋へと突入している。自然の流れには逆らえない。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月 9日 (火)

麦チェン!北海道

Photo_2

 さて麦チェン!である。

 先月、札幌へ出向いた際、途中のサービスエリアだか道の駅だかで、この麦チェン!のリーフレットを見つけた。なかなかよく出来ているので、帯広へ戻ってからすぐに北海道庁の担当部署へ連絡し、当館で配付したいからリーフを送ってくれと頼んだら、十勝総合振興局経由で今日届いた(たまたま局の方が緑ヶ丘周辺に住んで居られるとかで、夕方の帰宅時にわざわざ持参してくれた。ありがとう!)。


Photo_3

 これがその「麦チェン!北海道」のリーフレット。「笑顔のみなもと!どさんこむぎ」と書かれているのだが、道産子と小麦をかけあわせた造語「どさんこむぎ」という言葉に少し笑ってしまった。


001

 北海道では今、国産小麦の自給率を高めることを目的に、道産小麦を使った食材づくりなどに取り組む人や団体を応援している。外国産小麦から北海道産小麦への転換、すなわちこれが「麦チェン」だ。

 平成20年産の小麦の国内自給率は約88万トンで、全国内需要609万トンの14%。実に86%が外国産小麦に頼っているのが現状。しかし、その14%の国産小麦の実に61%にあたる54万トンが、北海道で作られているのである。ちなみに、そのうちさらに道内最大の小麦産地がこの十勝である。理由は豆やビートなどとの輪作体系にうまく組み込まれているかららしい。

 
001_2

 では、道産小麦は実際にどのように流通しているのか?このグラフ、最初は意味がよく理解できなかったのだが、要するに北海道で作られた小麦のほとんどが道外(本州)へ出て行ってしまっており、道内で製粉されていないということ。江別など大規模な製粉工場のある北海道でも、その原料小麦のほとんどは輸入小麦だというのが現状なのである。

 国内最大の小麦産地でありながら、自分のところでは製粉せずに本州へほとんどを流してしまい、自分たちは外国から輸入した小麦で商売している。これはちょっと不思議な話ではありませんか?(まあ理由はいろいろあるのだが)ということで、地産地消の一環としても、北海道産小麦をもっと北海道自身で使おうよ!というのが麦チェン!なのである。


Photo_4

 先々週あたりに、十勝では秋まき小麦の収穫を終えている。上表は麦チェン!リーフレットに掲載の主な道産小麦品種。私が酪農学園大学へ在学していた頃に比べ、小麦の品種もずいぶんと新しいものが増えてきたのだが、今期最大の注目を集めていたのが「きたほなみ」。従来の「ホクシン」にとってかわる新品種として前評判の高かった「きたほなみ」は、今回一斉転換で大幅に作付け面積が増えてからの収穫だったのだが、天候などの関係で期待より収量は上がらなかったらしい。それでも、基本収量は上がり、これからが期待される。

 一方、かつて一世を風靡した「チホク」は姿を消し、「ハルユタカ」は「春よ恋」にどんどん差をつけられている。小麦の品種改良はグングン進んでいるようである。


Photo_5

 この「春よ恋」。日本産小麦の弱点であったグルテン含量などを飛躍的に向上させ、製パン特性に優れているのが売りである。日本産小麦は昔から中力粉系で「うどん適性」の高い品種が多かったのだ。これからは「春よ恋」を使ったパンや、さらに新品種の「ゆめちから」を原料としたパスタなどが多数登場してくることを期待したい。

 ところで余談だが、「春よ恋」というネーミングは「春を待つ」というイメージを抱かせるので、春まきではなく秋まき小麦に付けられるべき品種名なのではないか?という不満が私にはある。しかし、まあ名前はともかく、優秀な品種が北海道の畑でグングン育つのは嬉しいものである。

 帯広百年記念館には「十勝の農業」の常設展示室がある。さっそく麦の展示コーナーなどを通じて、麦チェン!をアピールしよう。リーフレットは明日から館内で配る予定。

 北海道庁農政部の麦チェン!北海道のホームページはこちら http://bit.ly/pyUJQ9

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月 6日 (土)

旧帯広第六中学校にあった植物分類標本

08

 昭和36(1961)年、第一中学校および第三中学校から分離・独立開校した帯広市立第六中学校は、帯広市東部の学校適正配置計画(小中学校統廃合)に基づき、創立50周年を迎えた今年3月に閉校。百年記念館では、六中の備品や資料の一部を移管するため、廃校後に校舎へ調査に出向いたのだが、その際に理科室から発見されたのが、この標本箱である。


11_2

 中には100点の腊葉標本が納められている。理科教材として市販されていたものらしい。


24

 標本箱や標本ラベルには「内田洋行科学器部」の文字が見える。内田洋行と言えば、教育機材の販売で名高いメーカーである。理科教育用の標本も市販していたのだろう。


28_2

 標本は西日本で採集されており、大半が「山城」のもの。『山城水草誌』で知られる、あの有名な京都の山城であろう。


40

 他には「大和」や「近江」など。だいぶ漠然とした感じだが、それでも採集地はこれで良い。問題は採集年月日で、全ての標本に年の記載が無い。月日も「六月中旬」などの記述が少なくない。


57

 幸い、標本箱の蓋に「6中 昭和36年」と描き込まれているから、少なくともこの年以前のものであることはわかる。いったい、どの位の数がこうして販売されたのか?どういう人が採集・標本作製したものなのか?採集年は?など、興味は尽きない。当時、標本を用いてどのような授業が展開されていたのかも気になるところである。


61

 と言う訳で、内田洋行さんへ問い合わせしてみることにした。本社のホームページから、メールフォームでとりあえず質問したい旨を送ってみる。あとは返事待ち。

 六中からはこの他、胴乱や野冊、根堀りや昆虫標本用の三角紙なども見つかり、百年記念館へ移管してある。胴乱には「科学クラブ」の文字があった。

 資料情報を集めた上で、第六中学校でどのように標本が用いられてきたか?コレクションの特徴は?科学クラブはどんな活動をしていたのか?などを検討してみたいと考えている。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月 5日 (金)

Hieracium pilosella

Hieracium_11_4

 初夏に問い合わせのあったこの植物。百年記念館の駐車場に生えているほか、市内数カ所で確認されている。


Hieracium_sp

 キバナコウリンタンポポに似ているのだが、花茎が分岐せず1茎に1花しか付かないし、茎葉には剛毛ではなく、長軟毛が生える。


Hieracium_28

 葉の裏面は真っ白。


Hieracium_sp_2

 さて何だろう?と思っていたのだが、問い合わせをされてきた方が書店で園芸植物の本を見て「チシマタンポポではないか?」との情報を持って来られた。学名はHieracium alpinum L.。確かによく似ている。そこで、チシマタンポポの文献を探して同定ポイントなどを確認したりしていた。

 しかし、『帰化植物便覧』などに掲載が無い。似たような植物の情報も無い。そこで帰化植物友の会のメンバーが中心となって構築されている「帰化植物メーリングリスト」へ投稿し、チシマタンポポについての情報を呼び掛けた。

 すると北海道野生植物研究所の五十嵐さんから早速情報を頂いた。写真を見ていただいた結果、チシマタンポポHieracium alpinum L.ではなく、同属のHieracium pilosella L.という、まだ和名の付いていない外来種らしいと判明。最近では幕別町からも確認事例があると言う。さすが外来植物研究の大家、五十嵐さんである。もっと早く相談すれば良かった。

 さっそく標本を作製。コウリンタンポポと同属で、繁殖力も旺盛な様子なので、今後の状況を注意深く観察する必要がある。もともと栽培植物だったのが逸失しているらしいが、やっかいなのがはびこって来たなあ。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月 4日 (木)

陸軍帯広飛行場、国鉄工機部の引き込み線

29_2

 上は昭和29年(1954年)の帯広市街図を部分拡大したもの。帯広市図書館の所蔵資料である。ここに、根室本線から分岐し、ウツベツ川に沿って緑ヶ丘方面へ延びる鉄道線路が描かれている。陸軍第一飛行場、現在の陸上自衛隊帯広駐屯地へ通じる、軍用線である。現在、この線路について調べており、当時の資料や写真などについて自衛隊さんへ照会したところ、こちらで把握している資料を送付して欲しいとのことで、今日は午前中、スキャナしたりコピーしたりしながら、提出する資料を準備した。


24

 これは昭和24年の帯広市全図。線路について「工機部引込線」と書かれている。「工機部」とは国鉄釧路工機部帯広分工場の事を指していると思われる。たしかに昭和21〜24年まで帯広に工機部が存在したらしいが、飛行場敷地に工場があったのだろうか?


24_2

 これは同じく昭和24年の帯広市都市計画図。


28

 これは昭和28年の帯広市全図。昭和30年代に入ると、地図から線路の記述が無くなるようだ。したがって実在した期間は昭和10年代後半から昭和20年代末まで位なのだろうか?国鉄の専用線一覧などの記録を確認する必要があるが、帯広駐屯地にも資料が残っていることを期待している。

 午後は鉄道ピクトリアル誌への投稿原稿を1本仕上げ。その後、来館者の方で植物に関する問い合わせがあり対応。あとは閉館まで、帯広の森「はぐくーむ」の広報紙に書かれた植物学名のチェックなどをした。夕方になると風も涼しくなり、過ごし易い気候となった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月 3日 (水)

バタバタした1日

20118_09_2

 あまり予想していなかったのだが、今日は何かとバタバタとした1日であった。まず、朝は8時45分から事務室で毎週1回の全体打合せ。これから1週間の各自の業務内容や出張・休暇予定などを確認しあう。

 その後、公用車で本庁へアイヌ関係の展示パネルと服を届ける。市役所1階ロビーで、アイヌ関係の展示が行われ、百年記念館と帯広市生活館からも資料を展示するのである。行くと文化課の人たちに混ざって展示設営も手伝う。ふだん本庁へ来ることが少なく、文化課の人たちと一緒に仕事をする珍しい機会で、それなりに楽しい。

 帰りに図書館へ寄り、まずは地図の複写。司書の方にお願いして、昭和29年頃の地形図や市街図を複写してもらう。旧軍の帯広緑ヶ丘飛行場へ通じていた軍用線路について調べており、その線路が描き込まれた年代の地図を集めているのだ。

 また、十勝鉄道関係で相互貸借の依頼をかけてもらう図書が1冊あるのだが、できれば館内閲覧ではなく百年記念館へ持ち帰りたい。その旨を告げると、司書の方が貸し出し可能な形態で融通してくれる図書館を探してくれ、なんとか依頼することが出来た。帯広市図書館の司書の方は大半が嘱託職員なのだが、皆なかなか優秀で親切である。いつも頼りにしている。


201182_7

 戻ってからはロビー展の設営。昨日は「帯広の戦争」を展示。日章旗や教育勅語、鉄兜など、帯広に関係する第二次世界大戦時代の資料を展示した。冒頭の写真は「防衛食器」で、金属が不足した戦時下における、陶器の缶詰である。


20118_03

 替わって今日は「浦幌炭砿」のパネル展示。浦幌炭砿現役時代の写真パネルが多数並ぶ。浦幌町立博物館所蔵の資料も見られ、興味深い。


20118_06

 「浦幌炭砿」展の設営の合間に、FM WINGのRさんが来館し、会議室で「十勝こどもクイズ」の収録。今回は私単独の出題で3問。「十勝で2番目に面積の広い市町村は?」「依田勉三たち晩成社は本州のどこからやってきたか?」「帯広競馬場にいる帯広市嘱託職員の馬の名前は?」

 さらに大谷高校放送局の生徒さんたちがやってきて、十勝鉄道について取材を受ける。以前から番組作りのために頑張っている生徒さんで、今日はこれまでの2年生女子2人に代わり、1年生男子が2人ついてきた。2年生女子いわく「貴重な男子」だそうである。重い機材などは彼らが運ぶのだろう。

 収録後にはもう一方、粘菌の写真をご持参で問い合わせに来られた方が。ご持参された写真を見るとムラサキホコリらしい。ひとしきり菌類や植物を話題として歓談。

 夜はエゾリスの会例会。次回の里山プロジェクトやモニタリングサイト1000の調査日程確認のほか、情報の取り扱いや懸念となっている市内の開発行為などについて話し合う。

 と言ったところで、なんだかんだと行ったり来たり、来客も多い、バタバタとした1日でした。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »