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2011年6月

2011年6月30日 (木)

写真展準備と文書資料調査

 帯広百年記念館では、7月2日(土)から、ロビー展「荘田喜與志写真コレクション7〜昭和からの伝言」を開催する。現在、準備作業は大詰め。印画紙現像は終了し、今日は最後の写真をフィルムからスキャンしてプリンターで印刷した。

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 企画展に先立ち、展示される写真をちょっとだけ紹介。昭和31(1956)年撮影の写真。なぜ昭和31年かというと、一番右端の電柱に映っているポスターが決め手。これ、映画「ラドン」の正月公開を告げるポスターなのである。

 当館にこの春から勤務する近世史が専門の学芸調査員、S君は、昔の特撮映画にめっぽう詳しい。ラドンと聞いて即座に「昭和31年ですよ」と回答が返ってくるので驚嘆した。となりの机ではバイクに詳しい自然史担当のI学芸員が、写真のバイクのメーカーを一生懸命に調べている。


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 こちらは荘田喜與志氏が営んでおられた帯広駅前の書店でのヒトコマ。ここには、平凡社の『改訂新版世界大百科事典』予約受付中のポスターと、左後方にわかりづらいが『チューター』(実業之日本社)のチラシが下がっている。『改訂新版世界大百科事典』の全24巻は昭和39年(1964年)、『チューター』は昭和38(1963)年に刊行されている〔世界大百科事典の昭和39年版は、実際には全26巻で刊行となったらしい〕。『世界大百科事典』はもっと昔から版を重ねているが、『チューター』との兼ね合いから考えて、昭和39年の写真と判断した。
 
 むかしの写真の年代判定を、こうして少しずつ読み解いていく作業はとても楽しいし、勉強になる。この他、風景や鉄道の写真も多数あり、今度ゆっくりと分析してみたいものである。


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 午後は、市役所の文化課からお借りしている、市指定文化財の十勝鉄道機関車4号およびコハ23に関する資料を調査およびスキャン。これは十勝鉄道から提供された車輌の竣功図。その他、譲渡に関する契約書や保存場所の移転に際しての書類が残されており、現在、これらの資料によって、両車の保存場所の変遷について史実を解き明かそうと試みている。これは論文にして報告を考えている。


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2011年6月27日 (月)

十勝鉄道4号機関車を見に行く

 今日は公休日だが、朝から原稿書き。2本の原稿を仕上げたところで、天気も良いし、いいかげん外へ出たくなった。植物関係の原稿を立て続けに書いていたせいか、採集に行く気がしないので、鉄道を見に行こうとカメラ片手に散歩へ出る。帯広市指定文化財となっている、十勝鉄道4号機関車と客車コハ23が近くに静態保存されているのである。


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 帯広駅の南から、グリーンパークへ向かう公園通りとは別に、記念碑前のあたりから分かれて緑ヶ丘公園の東側へ向かう、一直線に伸びる道路がある。これは十勝鉄道の線路跡で、通称「とてっぽ通り」と呼ばれている。記念碑前には「トテッポ工房」の名で、まさにこの通り上で営業する美味しいチーズケーキ屋さんまであるから、「とてっぽ」の名は市民に浸透しているのであろう。


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 やがて北海道ホテルを過ぎ、ポスフールが現れると、ポスフールのすぐ脇に、2両の小さな鉄道車輌が静態保存されている。きちんと屋根や柵でかこわれた、十勝鉄道の4号蒸気機関車と、客車コハ23である。


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 大正9(1920)年製造の十勝鉄道4号機。結構美しい状態で保存されている。


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 銘板も美しく磨かれている。鉄道ファンにはお馴染みの日本車輌製造会社のマーク。製造番号は11番だったらしい。


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 木造客車コハ23には銘板が見当たらなかったが、文献によると大正14(1925)年、楠木製作所製造とされているので、4号機関車より5歳若いことになる。しかし、残存数の少ない木造客車の存在は、たぶん機関車よりも重要度が高いだろう。


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 帯広市は昭和35(1960)年に、前年に鉄道を廃した十勝鉄道から、両車の寄贈を受け、かつての帯広市郷土資料館の横に展示された。昭和36(1961)年に、旧帯広市図書館の横へ移動。その後、現在地へ移動し、平成6(1994)年に帯広市指定文化財となったと言う。

→〔十勝鉄道から譲渡された2両の保存場所の変遷については、これまで先述のような記述がいくつかの文献で見られる。しかし本日、帯広市指定文化財を管轄する市役所文化課へお願いして当時の公文書記録を直接確認してみたところ、この記述は誤りであることがわかった。詳細は後日、文書記録を精査の上、御報告したい。〕


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 今回の発見1。コハの後部デッキについている箱。連結器関係の用具が入っているのだろうか?


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 機関車側のデッキには箱が無い。詳しく調べてみたい。


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 今回の発見その2。機関車とコハは連結されているように見えるが、連結器をよく見ると、このピンリンク式連結器にはピンが入っておらず、実際には連結されていない。ただ接して前後に並んでいるだけなのである。この用具がコハの後部デッキにある箱に納められているのかも知れない。


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 解説パネルに掲載されていた旧八千代駅でのヒトコマ。ここで今回の発見3。当時の写真を見ると、煙突に火の粉留めと思われる付属品が見える。また、保存車には前照灯が無い。前照灯が無いのは不思議で、この写真からでは見えないが、後照灯の跡はしっかり残っているのであるから、復元時になんらかの事情でこうなったのだろうが、これも詳しく調べてみたいところである。

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2011年6月26日 (日)

カトリック帯広教会と広小路商店街

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 今日は午前中がお休み。久しぶりに帯広教会のミサへ出かける。


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 東4条南14丁目に経つカトリック帯広教会。藤幼稚園を併設している。1930(昭和5)年5月、この地に「帯広天主公教会」の名で聖堂が建てられたのが始まりとされる。現在の聖堂は1965(昭和40)年8月に完成した2代目で、木造2階建てだ。現在の主任司祭は、イタリア人のナルチゾ・カバッツォラ神父で、この春からは協力司祭として松井繁美神父が就かれている。


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 ミサへ行く途上、7月から改修工事が始まるという広小路商店街の写真を撮影。これは藤丸前(駅前どおり)から見た入口の様子。


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 中央から空が見える構造。オレンジ色とクリーム色を基調とした模様の入った梁がまっすぐ続く。


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 梁に書かれた「Town8 Hirokoji」の文字。現在のアーケードは1980(昭和55)年の完成だそうで、今月25日で築35年を迎えたそうだ(十勝毎日新聞による)。


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 反対の大通側から見たところ。


 改修は7〜11月で実施され、来年の初売りに合わせてオープニングセレモニーを開催する予定とのこと。3日からはオビヒロホコテンも始まるので、どのように工事されるのかわからないが、リニューアルをきっかけに多くの人々が再びアーケードに集うようになると良いなあと思う。

 カトリック帯広教会のサイト http://www2.ocn.ne.jp/~caterina/

 オビヒロホコテンのサイト http://www.hokoten.net/

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2011年6月25日 (土)

久しぶりの印画紙現像 傍らでは箏の音が響く

 来週から始まるロビー展用に、半切大の写真を印画紙に焼き付けることとなった。暗室作業ができるのは今の当館ではU学芸員と私のみらしい。実に数年ぶり、北大植物園時代に植物園暗室で投稿論文用に標本写真を焼き付けて以来の印画紙現像で、緊張する。

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 当館の暗室には引き伸ばし機が2台。左がFuji Enlarger S690、右が同じくFuji Enlarger Type Bである。ただし左のS690は現在稼働できる状態になく、今回は右のType Bを用いる。これは1951年から製造開始された型で、その後のFuji引き伸ばし機のスタンダードとなったもの。学校の写真部暗室などでもよく見かけたものである。クラシカルなエンブレムが特徴で、ある意味、名機と言える機械だ。


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 定着液に浸している状態(上)と、水洗中の様子(下)。バットが足りず、停止液を用いないで、現像液からダイレクトに定着液へ持って行く。定着・水洗は時間をかけた方が良い。


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 最後の写真を現像し、定着・水洗および乾燥を待っていると、ロビーから優美な和の音色が聞こえてくる。今日は第279回ロビーコンサートの日で、帯広北高等学校箏部の皆さんによる初夏の調べを開催するのである。


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 なかなか大入り。爽やかな初夏の夕暮れ、休憩がてら箏の音に聴き入るのも良いものである。


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 いまでも箏に興味を持っている女学生がこれだけ居るように、デジタルカメラが主流となった現在でもフィルムに興味を持つ高校生は少なからず居ると思われる。写真現像の技術がどんどん廃れ、各博物館で暗室が物置に転用されつつある今日だが、機会を見つけて写真現像体験講座などを開催するのも面白いかも知れない。

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2011年6月22日 (水)

ニセアカシアにコウリンタンポポ

 帯広百年記念館のホームページには「緑ヶ丘公園イチオシ情報」があり、なんと私もこのコーナーを担当している1人である。イチオシ情報は、本来は館正面玄関に立てられている黒板に写真とポスターカラーで作られた掲示物なのだが、同じ内容でホームページにも掲載されている。

http://www.octv.ne.jp/~hyakunen/

 今回、このコーナーを飾ったのは2つの外来種。マメ科のニセアカシア(ハリエンジュ)と、キク科のコウリンタンポポ(エフデギク)である。どちらも今、公園内で満開なのである。

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 マルハナバチがニセアカシアを訪れている。侵略的外来種である本種も、養蜂現場では重要な蜜源植物とされているだけに、扱いは厄介だ。


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 館の真ん前の芝生に広がるコウリンタンポポ。燃えるようなオレンジ色が印象的だが、困った外来種である。

 ちなみに館の周囲にはキバナコウリンタンポポも咲いている。さっそく今日は来館者から「この花は何?」との問い合わせがあった。「コウリン」タンポポのくせに「キバナ」という名前が付いているところに大きな矛盾を抱えているが、そういう名前の植物は多い。

 色の美しい外来種とは異なり、まったく地味なのだが、あって嬉しい在来水草をひとつ。森の里小学校のビオトープ池に生育していた。

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 ミズハコベ。池の下に沈んでいる水草だが、水底の泥をさらう時に浮いてきたものが、そのまま大きくなっていた。まことに地味ながら、在来種にはどことなく日本の風情と落ち着きが感じられる。


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2011年6月21日 (火)

木造駅舎の上厚内駅へ立ち寄る

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 昨日は休館日で公休なのだが、博物館資料調査員のKさんが海岸へ調査に行くというので、同行させてもらった。Kさんは漂着物を調査されており、定期的に十勝の海岸を歩かれている。私は来月に北大植物園の大学院生とトイトッキ浜を調査する予定があり、下見に行かねば行かねばと思いつつ機会を逸していたので、ちょうど良かったのである。

 だが、今回は植物の話ではなく鉄道の話である。


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 厚内方面へ国道38号線を走行中、Kさんが「面白い駅があるので寄って行こう」と言われ、立ち寄ったのが根室本線上厚内駅であった。この駅の存在は、最近の鉄道旅行ばやりで知られてきており、私も何かで写真を見たことがあったのと、釧路へ行く際に特急の窓から「一度降りてみたいなあ」と思っていたのだが、実際に訪問したのは今回が初めてであった。


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 折しも初夏まっさかり。周囲の森からはセミの声が聞こえる。明日21日が夏至だそうだから、ある意味で明後日からは冬へ向かってまっしぐらな訳で、そんな空気の中に訪れた木造駅舎は実に良い雰囲気である。駅本屋の正面と改札面の外観。


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 かつては全国の国鉄駅に見られた、標準タイプの便所も残されている。「便所」の青看板が無いので閉鎖されているのかと思ったら、きちんと扉が開いて使える状態になっていた。中もきれいに手入れされている。最近の貨車転用型のいわゆる「ダルマ」駅には便所の無い場所が多い。


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 駅本屋と便所の壁に付けられていた財産票。いずれも同年同日で「昭和28年11月」とされていた。この年に建てられたものなのだろう。


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 構内はいわゆる二面二線。単線スルー化されておらず、上下線をきちんと分けた状態である。帰宅してからダイヤを調べていたところ、実際に一日に数本の列車が当駅で交換となっており、その他、冬季やエゾシカなどでダイヤが狂った場合にも待避拠点となるのだろう。


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 意外にも構内には、これまた古い跨線橋がある。跨線橋上から池田・帯広方面を眺めたところ。


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 こちらは白糠・釧路方面を眺めたところ。釧路方には、旧貨物側線が残っている。よく見えないが、構内端には安全側線らしきものが遠望できる。


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 跨線橋。そして右端の線路が貨物側線と思われる終端線。こうした切り取りタイプの貨物側線も、かつては国鉄のみならず全国の鉄道の地方小駅で見られた。現在は保線用車輌の留置場所に使われている駅が多い。


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 貨物側線にはピットのようなものが残っていた。


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 「日本国有鉄道」と書かれた、地中埋設物の存在を示す石柱。


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 時間的に特急が通過するのみで停車列車がしばらく来ない為か、駅舎内に人影は皆無であった。代わりに待合室の壁にはオオミズアオが1匹。


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 帰宅してからあらためて調べてみると、根室本線上厚内駅は明治43(1910)年、官設鉄道釧路線の上厚内信号所として設置。上厚内信号場との改称を経て、大正15(1926)年、駅へ昇格した。貨物扱いの廃止は昭和46(1971)年、同時に簡易委託駅とされたが、平成4(1992)年に委託廃止となり完全な無人駅となった。もし簡易委託でも駅員さんがいたら、また違った良い雰囲気を出していたに違いないのだが、無人化後も駅舎が今の形で残っていることに感謝だろう。


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 良い駅である。今回は車で来たので、むしろ駅には申し訳無い気がするから、やはりきちんと汽車で来なくてはならない。1日、カメラ片手にこの駅で過ごすのも悪くない。今度は汽車で来ようと思う。

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2011年6月18日 (土)

伊能大図展を開催中

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 伊能忠敬(1745-1818)が江戸時代、幕府の命を受けて測量・作図を実施した「伊能大図」と呼ばれる巨大な日本地図が、6月16〜19日、帯広市の明治北海道十勝オーバルにて公開されている。一度見てみたいと楽しみにしていたのだが、17日、百年記念館の数名で、伊能大図を見に行った。


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 会場は帯広の森運動公園の中にある「明治北海道十勝オーバル」というスケートリンク。リンクの中央で地図が展示されていた。


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 靴を脱いで、大図の上を歩きながら地図を観覧。いろんな人が随所でしゃがみこみ、地図を注視している様子はおもしろい。


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 伊能図には大図の他にも、中図、小図と呼ばれる日本地図が存在し、これらも復元・公開。写真は中図をみつめる人々。


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 これは伊能中図に描かれた石狩低地帯。


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 こちらは大図の石狩低地帯。


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 よく見るとヲサツ(長都)のあたりに「シコツ湖」の文字が見える。現在の支笏湖ではなく、千歳の付近に存在した沼地のことか?


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 学校などからの団体見学もあり、予想以上に賑わっていた。地理学の不振が言われて久しいが、伊能図をきっかけに、地図や地理に興味を持つ子供達が増えて欲しいと思う。良いきっかけになったのではないだろうか?

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2011年6月14日 (火)

標本ラベルの修復

 比較的、状態の悪い標本の修復は終わり、終盤に入ったレスキューは作業速度が向上。好調に飛ばしている。が、しかし、ここへ来て標本ラベルの状態が悪いものにぶちあたった。

 と言っても、もともと状態が悪い訳ではない。実はこれ、私の判断で実行しているのだが、オリジナルラベルと整理ラベルが上下くっついている場合、上下分離を実施していて、この際にラベルの破損が生じてしまうのである。

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 カビや汚れも少なく、部品の脱落も無い、状態の良好な罹災標本。


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 しかしよく見ると、ラベルが2枚重なっている(下に貼られているラベルが透けて見えるのがわかるかな?)。上に貼られているのが陸前高田市立博物館が作成した整理用のラベル、下に貼られている(つまり台紙と接している)ラベルが、鳥羽源蔵のオリジナルラベルである。


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 まずは洗浄。台紙ごと標本ラベル部分を切り取り、水に浸す。ここまでは他の標本と一緒。


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 ここからが考えもの。いろいろ悩んだが、私はオリジナルラベルの救出が第一と考え、上下ラベルは極力分離するように努めてきた。オリジナル優先の考えのため、分離作業に際して、整理ラベルの破損はある程度しかたがないという考えである。写真は水浸→乾燥→水浸の順序で少しずつ上下分離しているラベル。まだ上下分離に至っていないが、整理ラベルの左端が切れてしまっている。


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 この課程で、ボールペンやゴム印の記載内容採が滲んでくる。もちろんカルテに記載事項は移しているのだが、ハラハラする。


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 標本本体が乾燥に向かっても、ラベルの上下分離作業は続く。粘り強く剥離を続けた結果、整理ラベルとオリジナルラベルがようやく分離した。次は修復。自分が標本ラベルを製作するときに使っている中厚口の上質紙を濡らし、その上に破損した整理ラベルを濡らした状態で載せる。


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 ちぎれた紙片を、上質紙上で合わせていく。場合によっては、紙をほぐして繊維を埋め込むような形でつないでいく。


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 下に貼られていたオリジナルラベルの方にくっついてしまった文字を丁寧に剥がし、整理ラベルの所定の位置にはめこむ。昔、「インレタ」というのがあって、論文の図版を作るときに貼り込んだが、あれと似た作業で、思わず懐かしくなる。


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 ある程度形になったら再び水に浸け、水あげ後は窓にはって紙を伸ばして乾燥。この過程で失敗すると貼り合わせ部分がずれてしまうので要注意なのだが・・・


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 うーん、これはちょっと失敗。アルファベット部分が再水浸時にズレてしまった。ただ、これ以上いじると修復不可能になりそうなので、このまま乾燥させることに。


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 こちらは上下分離後のオリジナルラベル。こちらが優先なので破損は整理ラベルよりも少ないが、それでも整理ラベルにくっついていってしまった文字などがある。


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 こちらも外れてしまった文字などをピンセットで元の位置に貼り付ける。今回、オリジナルラベルにこだわったのは、採集地の地名表記が整理ラベルと異なる(旧地名で書かれている)場合が多いことや、採集者の注記があることが理由。例えば、このアヲナラのラベルには、ラベル下方にペン書きで「コナラと同種とみられる」との書き込みがあるが、これは採集・同定者である鳥羽源蔵氏の考えを示した記述であり、重要だと考えるからである。


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 こうして上下分離後に整形した標本を窓に貼って乾燥させる。仲良く並んだ整理ラベルとオリジナルラベル。


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 あとは新聞紙に挟むが、私はティッシュに包んでから新聞紙に挟んでいる。

 標本ラベルの剥離は、無理をせず、元の台紙に貼られたまま切り取り、ヨゴレのみ落として標本本体と共に乾燥させるというのが原則かもしれない。水に浸けることで、記載事項が滲んでしまったり、薄くなってしまう危険があるからだ。整理ラベルとオリジナルラベルが重なってしまっているラベルは、無理をせずにそのままというのもひとつの考えではあると思う。

 しかしながら、私としてはオリジナルラベルをできるだけ活かしたい。採集者の意図を反映させているラベルだし、植物学的な意義以外に歴史的な意義もある。もちろん整理ラベルにも独自の意義がある。したがって、どちらも見える状態で保存したいのである。そこで、帯広担当分では今のところ、全標本のラベルを上記のように分離し、特にオリジナルラベルを重視した修復を進めている。


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2011年6月11日 (土)

6月の緑ヶ丘公園

 6月9日、緑ヶ丘公園はすっかり緑に。札幌出張と標本修復が続いていたので、緻密なフェノロジー観察は事実上不可能となっていたが、フロラ調査だけはしっかりとやりたい。標本採集を続けよう。

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 スズランの季節。十勝と言えばスズランである。実際よく目にするのだが、花が無い。これは学生時代に中札内村の防風林を調査したときからわかっていたことで、内陸部のスズラン群落は有花個体の密度が低いのである。

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 だが、ようやく開花茎を1つ発見。カシワ林の林床で、シュート密度がもともと低め。貴重な開花茎だが標本用に採集。


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 コケイランも開花。ラン科の季節にも入ったようだ。


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 変なものも見つけた。見覚えのないシソ科植物。写真だと薄青く見えるが、実際はもっと紫色っぽい花色だったと思う。

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 直立する花茎の足下には、混生用と匍匐枝が。まるでアブラナ科のような形をした葉が付いている。なんの種かわからずに採集して持ち帰ったところ、ツルカコソウと判明。初めて見た。宍戸さんたちの調査による野草園の植物目録に名があり、「移植?」と記述されている。もともと道内の自生地は少ないらしく、恐らくこの個体も野草園から逃げ出したものだろう。


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 ツルウメモドキ チョウセンゴミシ〔6月13日指摘を受けて訂正〕。枯れて途中で折れたたカシワの幹に巻き付いていた。


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 ニシキギ。コルク質の枝の翼がおもしろい。


 この他、ミズキやナナカマド、トチノキも満開。森ではエゾハルゼミが鳴いている。夏に突入した帯広市緑ヶ丘公園。急速に植物の開花が進んでいる。


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カエル講座にレコードコンサート、お客さま

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 本州ではすっかり雨雲に覆われた今日。帯広は午前中は良い天気に恵まれた。今日は朝からカエル講座。緑ヶ丘公園内の池を巡り、カエルは居ないか?と探し回る。だが、今日はまだカエルになりきっていなかったらしく、若干あしの生えてきたオタマジャクシが見つかっただけだった。


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 オタマジャクシに混ざってエゾサンショウウオの幼生も見つかる。しかし、この池には本来いないのだそうで、誰かが放してしまったものらしい。


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 午後には帯広百年記念館ボランティアの会による企画で「懐かしき昭和の歌謡コンサート」。今年度第1回目のコンサートで、館のコレクションであるレコードを実際にかける。昨年度なかなか人気だったコンサートで、今後も継続的に開催される模様。「原爆ゆるすまじ」がプログラムに入っていたので聴きたかったが、ちょっと時間が合わなくて聴けなかった。


 夕方、酪農学園大学資源植物学研究室の我妻教授がご夫婦で突然来館。ひょっこり来るからびっくりした。お二人には酪農学園大学時代の卒業論文、その後の幌加内町農業研究センターでの臨時研究助手の仕事などで、公私ともにお世話になった。本当に公私ともどもお世話になり、貧乏だった私の生活をいろいろ面倒みていただいたのである。

 我妻教授は当時、幌加内町農業研究センターの主任研究員で、研究のことからアルバイトや自然観察のことまで、いろいろとお世話になった。おかみさんには美味しいものをたくさんご馳走になった。感謝しつくしてもしきれない恩があるのだが、まだ何も恩返しができていない。

 さらに言えば、当時の幌加内町の人々は、江別からやって来た若者に、何かと親切にしてくださった。山田さんや赤松さんは元気かなあ。いつの日か、何かお役に立つことができれば良いのだが。

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2011年6月 5日 (日)

博物館実習おわり

 酪農学園大学で担当している博物館実習(学内実習)の植物専攻が昨日で終わった。合計で5日、とびとびの土曜日に午前9時半から夕方18時までの実習で、受講生も大変だったのではないかと思う。この実習は本来学内実習として行われるもので、昆虫、哺乳類、鳥類自然観察などの各専攻に分かれて、館務実習へ行く前に分野別に専門性の高い技術などを習得するもの。しかしながら、酪農学園大学の構内には植物標本庫が無いので、私が担当してからは北海道大学総合博物館の陸上植物標本庫を利用して実施している。

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 古い標本や破損標本の修復実習。カビのひどい標本を台紙から剥がして新しい台紙へ貼り替えたり、アルコールでカビを落としたりする。繊細で根気のいる作業だが、実習生は丁寧に作業をしてくれ、標本が息を吹き返した。


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 こちらは未整理標本の整理。ダンボールに詰まった標本の内容を確認して内容表示を作成し、標本はナフタレンと共にビニル袋へ包んでから箱へしまう。こうして未整理標本の中身がわかるようにすると共に、虫害から標本を守る。結構な力仕事でもある。


 昨年までは夏休み中に集中実習の形で行っていたが、館務実習その他、学生の日程調整が難しく、今年は初めて、土曜日に不連続的に実施した。それでも東日本大震災の救援ボランティア派遣や教育実習や就職活動などが重なり、全日程参加できない学生が居た。残念ではあるが、それにしても学生も今は結構忙しい時代なのだなあと思う。

 ただ、実習を通じて学生たちと話をして新しく知ることや、質問されて逆にこちらが勉強になったりすることなど、引き受けて得るものが毎年とても大きい。準備や交通費など大変ではあるが、それ以上に実習指導は楽しいなと、やる度に本当に思う。母校の動きを知ることにもつながる。やがて廃止されることが決まっているこの実習だが、来年に向け、さらに充実できるように努力したい。

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2011年6月 4日 (土)

自然史研究と文献資料

 酪農学園大学の博物館実習(学内実習)の指導で古巣の北海道大学総合博物館へ。この博物館の良いところは、標本庫に隣接した「標本演習室」に、各種の文献が揃っていることだ。

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 かの『神奈川県植物誌』をはじめ、各県の植物誌(フロラ)がズラリと並ぶ。標本庫を管理する高橋教授が文献収集に熱心なため、立派な蔵書が構築されている。学会誌などの専門雑誌とは別に、こうした地方限定出版の資料をきちんと揃えていくことも、博物館にとっては大切な二次資料収集であるが、昨今の博物館の財政事情では困難な部分もある。


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 こちらは地理に関する資料集。『地名レッドデータブック』はじめ、各種の地名資料や地図も所蔵されている。札幌農学校以来の古い標本が集積された標本庫では、採集地の判読や地点の特定に、地名や市町村合併などの歴史的な地理的情報が不可欠である。

 他にも地方自然史研究会の会報など、なかなか一般に目に書かれない資料もあり、あらためて貴重な資料が詰まった博物館だと思う。こうした点では今後も北大総合博物館にはお世話になることが多いだろう。帯広でも少しずつ文献の集積をはかりたいが、自費での収集には限界もある。何か助成金でもあてなければならないなあ。


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