2018年10月13日 (土)

十勝鉄道保存車の車内を公開

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毎年恒例の、帯広市指定文化財である十勝鉄道4号機関車と客車コハ23号の車内公開が、今年2018年も10月14日(日)の「鉄道の日」に実施される。車内に入れるのは年に1回限り!文化財保護法がどう変わろうが、やはり状態よく末永く保存する事こそが重要なので、特別な見学など以外は年に1回公開でいくのが良いと主う。
 
10時から15時まで。申込み不要、無料。
 
いままで一緒に事業を推進していた元帯広百年記念館の北沢さんが退職。教育委員会の文化課で尽力されていた土田さんも異動になり、もちろん私も帯広市から出て4年目。立ち上げから関わってきた人達が全て抜けて開催する初の年になる。
 
ということで、私の今年の課題は、まだやる前からだが、早くも来年度以降この事業をどう安定的に実施していくかの体制づくりと考えている。既に今年の運営状況をみて、いろいろと問題点がみえてきている。これらを洗い出して、帯広市教育委員会の方々と今後について話し合っていければと考えている。
 

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2018年10月 5日 (金)

感謝と賛美の意味

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 仕事柄、日曜日に教会へ行けない代わりに、週に1回、平日に釧路の修道院へ通い、神父さんと祈りと学びの時間を持つようにしている。
 
 10月3日はアシジの聖フランシスコが帰天された日で、4日はその記念日である。この日も修道院へ行く日だったが、あいにく今週は仕事が入ってしまった。そのため、いつもは朝の汽車とバスを乗り継いで訪れるのだが、夜に自動車で向かった。汽車とバスを乗り継ぐのが楽しみなのに、残念なことではある。
 
 フランシスコの記念日ということで、かの聖人を振り返りつつ、信仰の原点を振り返る。神父さんは、コリントの信徒への手紙の15章に、信仰の原点とも言える凝縮された記述があると言う。
 
〔コリントI 15: 3-8〕(フランシスコ会訳)
 わたしがまず最も大切なこととしてあなた方に伝えたいのは、わたしが受け継いだものです。すなわち、それはキリストが、聖書に書いてあったとおりにわたしたちの罪のために死んでくださったこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあったとおりに三日目に復活したこと、そのして、ケファに現れ、次いで十二人に現れたことです。
 
 それから、五百人以上の兄弟に同時に現れました。そのうちの大多数の人は今なお生き残っていますが、死の眠りに就いた人もいます。その後、ヤコブに、次いですべての使徒たちに現れ、最後には、月足らずで生まれた者のようなわたしにも現れてくださいました。
 
 「月足らずで生まれた者のようなわたし」とは、なんともパウロらしい表現で面白いが、これらの記述を読んで神父さんは「祈りに際して、感謝することは基本だが、賛美を忘れることが意外とあるのでは?」と話す。そう言われると、確かにそんな気がする。
 
 感謝は率直な心の表現である。では、賛美とは何か?これをじっくり考えたことがこれまで無かった。神を賛美することは、神を敬う表明であることは確かだが、神を敬うとはなんだろうか?自身をへりくだる事なのか?それならば単純だが、単純なへりくだりとは異なるような気がする。
 
 1時間あまり、神父さんとゆっくりこの事について話をする。
 
 次に出てきたのは、有名なヨハネによる福音書の、亡くなったラザロをイエスが生き返らせる場面。あれだけの信仰を抱くマリアとマルタが、もう一週間はやくイエスが来ていたらラザロは死ぬことは無かったのにと哀しみから語る。そして墓へ入ろうとするイエスをマルタがとめようとする。
 
 イエスはマルタをいさめたのち、天を仰いで言う。
 
「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。」・・・①
 
「あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを、わたしは知っておりました」・・・
 
は感謝である。
つづくは、何を表しているのか?聖書ではよく出てくる表現だが、これまでよくわかっていなかったが、これは全能の神を言い表している。すなわち賛美なのだろう。
 
ということは、つまり賛美こそが神への全幅の信頼を表す祈りということになる。感謝は、日々の自分の生き様とそれを与えて下さる事実への率直な表現なのに対して、賛美は神はそうした力と深い愛を持つ存在だとの表現ということになろだろう。
 
こう考えると、自分はこれまでの祈りで、感謝はしていたけれども、本当の意味で賛美をしていたかどうかが疑わしくなってきた。表面上、文言上は流していたけれども、果たして賛美の意味を理解して祈っていたかというと、そうでない気がする。なにか非常に大きな事を学んだ気のする、学びの時となった。
 
 なにかしら気ぜわしいこの頃。週に一度とは言え、神父さんとゆっくり信仰について語りあうこと時間が、今はとても大切な時間に感じている。日曜日にミサや礼拝に行くことも大切だけれども、それとは別に、平日のこと時を今後も大切にしていきたいと思う。

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2018年8月17日 (金)

田舎町の小さな寺の盆まつり

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以前から聞いていた、浦幌の法華宗寺院である妙伝寺の灯籠流しを見に行く。町の民俗のひとつとして記録写真を撮らせてもらった。
 
 
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浦幌でも町の商工会の行事として、夏祭りの名で盆踊りが開かれるが、半ばイベント化された町の盆踊りと異なり、こちらは純粋に寺の信徒たち手作りの、まさに正真正銘の盆まつりであった。
 
田舎町の小さなお寺で行われる、小さいが本格的なお盆。イベント化された町の夏祭りとは異なる、お寺さんのお盆の姿がある。
 
 
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先陣を切って、お寺さんの子供達が灯籠を流す。
 
 
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水に灯籠を浮かべると、静かに合掌する姿が印象的であった。
 
 
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人々は花火で灯籠を送る。
地域の子供達と共に、お盆で還ってきていた子供達の霊を楽しませようという工夫らしい
 
 
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無縁仏も含め、各灯籠には戒名の書かれた位牌が描かれている。
あくまでも霊を送るという、信仰の行事であることがわかる。
 
 
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この灯籠流しはかなりシステマティック。
かつては浦幌十勝川の河口で実際に川へ流していたが、環境への配慮や、夕闇の河原での実施が困難ということもあり、いまでは寺の境内に水路を仮設して実施。
「いろいろと工夫しながらで、最初はなかなか苦労した」とのこと。 
 
 
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灯籠を流し終えた子供達は花火。みんなとても楽しそう。
 
なぜか低学年の子達は私のことを「虫探偵」と呼ぶ。「虫探偵、どうぞ」と、子供達から花火を何度もわけてもらった。
 
 
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700近い灯籠が、僧侶や信徒の太鼓と「南無妙法蓮華経」の読経に送られて流される。
次第に「南無妙法蓮華経」の声が大きくなっていく。
 
 
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灯籠を流し終えると、唐突に盆踊りが始まる。
境内の水子地蔵の回りを「子供盆踊り」の曲に合わせて踊りの輪が出来る。
水子地蔵だが、十勝沖地震などで失われた幼い子供達の霊も含めての盆行事のようで、子供達の霊を楽しく迎え、送りだそうという願いが込められているらしい。
 
 
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驚いた事に、外での子供盆踊りの後は、本堂の中でも盆踊りが続く。
ご本尊の周りの廊下を、北海盆唄の踊りの列が続く。
取材に来た私にも加われとの声がかかり、2〜3周した
 
 
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盆踊りが終わると、そのまま本堂でクジが始まった。
こうして小さなお寺の信徒さんたち手作りの盆まつりの夜が更けていく。
 
「ハカセもどうぞ」と、顔見知りの子供や信徒の方々が缶ビールやお菓子のお裾分けを持って来てくれて、恐縮した
 
 

 
 

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